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文化祭の破壊

日傘

作者: 月這山中


 生徒たちが夏休みを満喫している頃、生徒会は定例の予算会議を行っていた。

 比較的品行方正な生徒たちが円状に座り、水筒を右手に教師が用意した書類を眺めている。

 三角形に折ったコピー用紙に『副会長 兼 書記』と書いた名札を置いている生徒が、書類を手に取った。

 『生徒会長』と書かれた名札の置かれた席には誰も座っていない。

「今回の文化祭での問題行動を加味して、演劇部の記録用のカメラは、今後、顧問に厳重に管理してもらいます」

 異議なし、異議なーし、と単調な声たちが響き、生徒が手を上げていく。

「全員一致と。それから放送部と新聞愛好会の処遇について話し合います」

 生徒の一人が手を上げた。名札に『会計委員』と書いてある。

「今回は注意だけでいいと思います。そもそも、新聞愛好会は管轄じゃないし」

 異議なし、とまた生徒たちが手を上げる。全員が手を上げたのを確認して副会長兼書記は書類に目を落とす。

「それから、無許可展示を行った美術部について話し合います」

 書類をめくる音が教室に響く。

「注意を鶴崎顧問から……いや、すみません、鶴崎先生は辞めてしまわれたんでしたっけ」

「今は亀吉先生です」

「亀吉顧問から注意をしてもらうので、それでいいですか」

 異議なし。全員が手を上げる。

「それから風紀委員について話し合います」

「風紀……ああ、『お掃除クラブ』か」

 会計委員がわざとらしく言った。

「今年も頑張ってくれましたよね、お掃除クラブは」

「巫鳥さんは今回も会議に顔を出さないんですね」

「実家が太いと旅行に行けていいですね」

「というかこの間、汚い空き缶を拾わされたのよね。私が捨てたんじゃないのに」

「真面目だよな。いや、いい意味で」

 役員たちがひそひそと談笑を始める。

「静粛に」

 副会長兼書記が厳かに呟いた。教室を埋め尽くしていた言葉が止む。

 書類をめくる音が響く。

「風紀委員を廃止して生徒全員で校内の美化活動を行います。これに賛成する人は手を上げてください」

 無音。

 手はひとつとして上がらない。

「賛成なし。よって次回に持ち越します」

 書類をめくる音が響く。


 生徒会の副会長兼書記である二年生の山田種佳やまだ たねかは、風紀委員長である一年生の巫鳥このえの家をたずねていた。

 大きな木製の門についたインターホンを押す。

「生徒会の山田です。このえさんはいらっしゃいますか」

『どうぞ』

 年老いた男の声で返事があった。山田は脇戸を開けてくぐる。

 飛び石の上を歩いて、玄関へと向かう。屋敷の東には剣術道場が併設されている。

 玄関に入ると衝立の前に老人が正座していた。山田は頭を下げる。

 老人の背中は真直ぐ伸びていて、立てば天井に頭が付きそうなほどだというのを山田は知っている。顔に刻まれた皺は積み重ねて来た人生を物語っている。そんな彼が眉毛を下げて山田に言った。

「毎年気にかけてくださりありがとうございます」

「いえ、役目なので。このえさんに会わせていただけますか」

「応接間で待っています」

 山田は脱いだ靴を端に揃えて、背の高い老人の後について廊下を進んだ。

 障子が並ぶ廊下の途中、そこだけ洋式の扉がある。老人は一礼して去る。山田はドアノブを回す。

 応接間にはガラステーブルと革張りの黒いソファが置かれていた。奥のソファに、和装の巫鳥このえが座っていた。

「来たか」

 巫鳥は言った。吊り上がった目と眉毛も含めて、知らぬ人から見たら尊大に感じられる態度だが、彼女の本来の性格を山田は知っていた。

「身体の調子はいかがですか」

「おかげ様でなんとかなっている。この間貰った西瓜も祖父と一緒に平らげた」

「それはよかった」

 巫鳥は生まれつき体組織の色素を作る機能がうまく働かず、毎年この時期に体調を崩してしまう。そのことを教えられたのは山田が副会長に任命されてすぐの時だった。

「本当に、教えなくていいんですか。生徒会役員たちに」

 訪問の度お決まりになった言葉をつぶやく。

「この体質を哀れまれるのは私にとって恥だ。御免願いたい」

「そうですか」

 山田は鞄から議事録の挟まったクリアファイルを取り出してテーブルに置いた。

「風紀委員は存続になりました」

「ありがたい」

 安心した、という様子で巫鳥が頷く。

「必ず廃止してみせます。君が無理をしないために」

 山田は宣言した。

 その言葉に巫鳥は目を見開いて――これも見る人によっては睨みつけるように見えただろうが、心では驚いているのである――それから、口の端を上げて微笑んだ。

「やってみせてくれ」

 山田は一礼して応接間を去った。


 玄関を出てカンカン照りの中を山田は歩く。

 遠く、山が笠雲を被っている。それを山田は睨み、その暗い影で雨が降っているのを想像する。

 頭に火が付いたような暑さを感じながら山田は歩く。

 不意に、影が落ちる。

「暑いだろう」

 巫鳥だった。黒い日傘を貸すために走って来たのだろう。息が上がっている。

「今度帰してくれればいい」

「……はい」

 山田は日傘を手に取って、真直ぐな帰路を歩く。


 三年生を前にして、山田は副会長兼書記ではなくなった自分を想像した。

 受験生として机に向かいシャープペンシルを走らせる自分の背中は、なんだか寂しいものだった。

 模試はA判定だったが受験を控えているという名目で生徒会の仕事は今日で終わりだ。

 続けようと思えば続けられる。しかし、後輩の為にポストを開ける必要はある。山田は考える。

 生徒会長は結局一度も会議に来なかった。

 山田は最後の書類をめくる。

 書類をめくる音が響く。

「それから風紀委員について話し合います。風紀委員を廃止して生徒全員で校内の美化活動を行います。これに賛成する人は手を上げてください」

 無音。

 手はひとつとして上がらない。

「賛成なし。よって次回に持ち越します」

 書類をめくる音が響く。


 山田は卒業後、第一志望の大学に進んだ。真面目に授業を受け、害も益もない友達を数人作って、二回生の夏に就職活動を始めた。可もなく不可もない中堅企業と興味のある分野のベンチャー企業のいくつかにエントリーシートを送って、中堅企業のほうから一次通過のメールが届いた。

 借りた日傘は、まだ彼の部屋に置かれている。山田はスマホを取り出すが、ディスプレイに表示される『巫鳥このえ』の字を見る度に、気遅れして連絡ができない。

「……今度帰してくれればいい」

 あの日言われた言葉を繰り返す。

 面接会場。

「高校生時代打ち込んだことに生徒会と書かれていますが」

 面接官に問われて山田は立ち上がる。

「はい。私は生徒会で副会長の役割と書記の役割を兼任していました。あの経験があって自主性とリーダーシップが育まれたと自負しております」

「生徒会ではどのような企画をしましたか」

「主に各部活の予算決定、文化祭や体育祭の全体計画などをしていました。私が特に印象深かったのは……」

 ぽたり、と、山田の膝に何かが落ちた。

 丸く透明な粒は黒い染みとなって広がった。

 山田は自分の目尻に指を当てた。温い涙が山田の目からあふれていた。

「……私が特に、印象深かったのは、……私が」

 ――風紀委員を廃止して生徒全員で校内の美化活動を行います。これに賛成する人は手を上げてください。――

 自分の声が、頭の中で反響する。

 山田は言葉を続けられなかった。


 会場からの帰り道、先頭車輛から真直ぐな線路を見ながら、山田は呟いた。

「私は約束を守れませんでした」

 遠く、笠雲を被った山が見える。


 借りた日傘は、まだ、彼の部屋に置かれている。



  了

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