第2話:朝の事件簿(顔踏み起こし編)
吾輩は猫である。名前は「もち」。
これは、昨日もらったばかりの、とても大切な名前だ。
あの疲れ顔の優しいご主人に名付けられ、吾輩は今、彼女のボロアパートの一室で――
とてつもなくヒマである。
いや、正確には、ヒマというより、おなかが空いた。
夜は病院で点滴を打たれて、帰ってすぐにちょっぴりぬるめたミルクをもらった。
ぬくぬくのタオルに包まれ、ご主人の脇で丸くなって寝た。
だが、朝。空腹で目が覚める。
時計は、読めない。けど、本能が告げていた。
「起きろご主人! ミルクの時間にゃあああ!!」
――しかし。
隣を見ると、ご主人は布団に潜ってスヤスヤ。
「……うーん、あと五分ぅ……」
ふにゃふにゃとした寝言。寝癖は鳥の巣レベル。
部屋の中は寒くて、鼻がひゅっと鳴っている。なぜか枕の下にテレビのリモコンがある。
なんだ、この人間は。
いや、知っていた。
昨日見た瞬間に、「ドジっ子属性Lv99」なのは分かっていた。
が、しかし。
我輩は空腹なのである。切実に。
「あと五分」とか悠長なことを言っている場合ではないのだ。
こうなれば――非常手段。
吾輩、ついに決意する。
ぬくぬく布団から這い出し、ご主人の顔の上に――
ジャーンプ!!
「んぐふぉっ!?!?」
ご主人、窒息。
吾輩は前足で彼女のほっぺをムニムニと揉みつつ、鼻先にお尻をピトリ。
完全に、猫式モーニングコール。
お行儀? そんなものは空腹の前では無力なのだ。
「……もちぃぃ!? 顔!顔に乗らないでぇぇ!!」
ばふん!と布団を蹴ってご主人が起き上がる。
髪は爆発、目は半開き、パジャマのズボンは片足めくれてて、
まさに「朝から終わってる」OLそのもの。
「もう……心臓止まるかと思ったぁ……」
吾輩はぴょんと彼女の足元へ下りて、
しっぽをぴこぴこと振りながら、お腹を見せる。
ころんっ。
「……あざとい。可愛いけど、あざとい……」
にゃあ?
「分かったよ、ミルクね。起きるから。お湯沸かすから……」
よし、交渉成立にゃ!
キッチンは狭くて、冷蔵庫は開けるたびに「ガゴン」と音がする。
ご主人は眠たげにミルクを温め、あたためすぎて指を火傷しかけていた。
「いっっっつ!! もぉ~~~朝からバタバタぁ……」
その様子を、吾輩はテーブルの上から見下ろしていた。
ふふん。可愛いな、この人。
やがて、ぬるま湯で溶いたミルクがやってくる。
それはもう、天上の味。至福のひととき。
「もち……うまく飲めるようになってきたね」
ご主人の声が優しい。
朝の混乱があったとは思えないくらい、ゆるやかな空気が部屋に流れていた。
「朝から顔踏み事件でびっくりしたけど、もう……慣れてきたかも」
にゃあ?
「……ううん。やっぱり、もちが来てくれてよかったなあって」
そう言って、吾輩の頭をやさしくなでてくれた。
あったかい手だった。
そんなこんなで、吾輩の朝は大成功で幕を開けた。
――にしても、ご主人。
明日も、きっと踏んで起こすにゃ。