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青蘭の秘密

青蘭を救い出すために、長恭は青蘭の過去の婚姻を詰問してしまった。青蘭は長恭に信じてもらえなくて絶望してしまう。

★ 青蘭の思い ★


長恭が侍中府から戻ると、延宗が来ていて側仕えの吉良と話し込んでいた。

 榻に座ると、菓子を摘まんで口に運んだ。


「十二歳の時だったか、陛下が僕に訊いたんだ。爵位を受けるなら、どんなものがいいとね?」

「へえっ?陛下が自分で選んでいいと仰ったのですか?」

延宗の傍に立った吉良は、素っ頓狂な声を挙げた。

爵位は封地の名前を冠するのが普通である。しかし、皇族が増え戦の褒賞として爵位が乱発されるようになると、封地を伴わない名ばかりの爵位が作られるようになった。

 今上帝高洋は、寵愛する甥の延宗に与える爵位を本人に下問したのである。

「そうだ、そこで私は『春王』がいいと言ったのだ」

「安德王、な、何と大胆な・・・」

 吉良は、驚いてよろめいた。

 春夏秋冬の『春』の言葉は、東西南北の『東』に繋がる。つまり、春王は、東王を意味する。『東王』とは、東宮、つまり皇太子になりたいという大胆な言葉なのだ。

「子供のころの話だ。・・・陛下は大笑いをして『大物よな』とおっしゃったのだ。・・・次の年に安德王の爵位を賜った」

延宗は得意げに、腕を組んだ

「いやあ、・・恐ろしい。よく命が・・・」

最近の嗜虐的な高洋を知っている吉良は、危うくまがまがしい言葉を吐きそうになって口を押さえた。延宗は、兄の長恭の前でこそ従順だが、怒り出すと手が付けられない乱暴者であると知られていた。


「おう、延宗、来ていたのか。今着替えてくる。吉良二人分の夕餉と酒を頼む」

 長恭は、吉良を追い払うと臥内(寝室)に入った。東王の話は噂では聞いていたが、本当の話だったのか。いまだ、爵位のない長恭の心は穏やかではない。

 しかし、それは延宗の罪ではない。陛下に寵愛されている延宗と実母ながら不仲な皇太后を後ろ盾としている自分との立場の違いだけだ。延宗は気の置けないただ一人の兄弟であり、青蘭と自分を繋ぐ唯一の命綱だ。


長恭は平服に着替えると、居房に戻った。

延宗は居房に掛けられている詩賦の掛け物を見ていた。

「これが、王文叔の手蹟なの?」

 延宗は、兄が女子に誘惑されて、浣衣局から女子を連れ出そうと画策しているのかと思っていた。しかし、青蘭とは学士としては優秀らしい。

「ああ、南朝では、女子も見事な筆法を現す。あの手を、浣衣局に埋もれさせるのは、斉の大いなる損失だと思わないか?」

長恭は掛け物を指で撫でた。

「僕もそう思って、今日、浣衣局を訪ねたのだ。兄上は、青蘭に何を言ったのだ。ひどく気落ちしていたぞ」

自分の手を払って、出て行った青蘭の姿が思い出された。

「何か言っていたか?」

「もう、兄上の手は患わせない、自分の力で浣衣局を出ると言っていた」

私の力を当てにしないとは、どういうことなのだ。鄭家の力を使って掖庭を出ると言うことなのか。私の力を見限ったと言うことなのか。そうなれば、青蘭との仲は絶望的だ。

長恭は、延宗の肩を強く掴んだ。

「延宗、すまないが、もう一度連絡を取ってくれ、青蘭に説明したい」

「ああ、また僕の悪評が広がるな。・・・まったく宮女には不人気なんだ」

青蘭と連絡を取る度に、難癖を付ける延宗は、浣衣局の宮女や宦官にひどく恐れられていた。

「いっそ、青蘭を宦官にしたてて皇宮の外に出すというのはどう?」

宮女の一人など、いなくなったところで気にも留めないだろう。

「だめだ。入宮したのは御祖母様の命なのだ。御祖母様の許しを得なければ、ずっと日陰の人生を歩まねばならない」

 青蘭を妻として娶るためには、正式な赦免が必要なのだ。

延宗は、声を荒らげた兄を初めて見た気がした。常日頃は女子に無関心な兄上が、これほど真剣になるとは、あの小娘はどれほどの女子なのであろう。

「分かった。また浣衣局で一暴れしてくるか・・・」

 長恭は、物入れから銀子を取り出すと延宗に渡した。

「これで、菓子など買って浣衣局にいる者たちに振る舞ってやれ。酒も付けるといい。そうすれば、お前の評判も少しは上がる」

兄上は、決して浪費家ではない。そして散騎侍郎の職に就いたばかりの兄の蓄えは少ないに違いない。

「兄上、これは・・・」

「よいのだ、お前に苦労をかけている。これでは償えぬが、・・・出世払いだ」

長恭は笑顔になると、延宗の肩を小突いた。


★ 青蘭と麗児 ★


夕食と就寝の間の僅かな時間が、宮女たちの憩いの時間である。

 許金麗は井戸の近くの石に座ると、夜空を見上げた。

 昌児にいじめられていた麗児を助けて、青蘭が杖刑を受けて以来、青蘭は麗児と親しく話すようになった。

三年前まで元金麗の人生は、幸福に満ちたものだった。今日の幸せが明日も続いていくと疑わない穏やかな生活だったのだ。

 しかし、その幸福な生活が、父元順永が公金横領の疑いを受けると一変した。元順永の斬首以下、一族の男たちは幽州に流罪となり、女子たちは奴卑として宮中に送られた。

 一族の者たちがばらばらになった中で、金麗と侍女の恵児のみが浣衣局に配属になったのである。それ以来、主従二人で励まし合いながら、何とか生きてきたのだ。


背後から歩いてくる足音が聞こえる。誰だろうか。麗児は一瞬身を固くした。浣衣局ではいつ陥れられないとも限らない、物音には敏感にならざるをえない。

「麗児、こんな寒い中で月見なの?」

青蘭の声にほっとする。青蘭は麗児の隣に座った。

「これ、食べない?」

青蘭が饅頭を一つ渡した。浣衣局の食事は粗末で口に合わない。麗児も同じであろう。青蘭は、時々宦官を通して饅頭や菓子などを調達していた。鄭家からの銀子のお蔭である。

「何をしているの、風邪を引くわよ」

 青蘭は饅頭を食べながら、星空を見上げた。

「あなたが、羨ましい」

麗児は手の中の饅頭を眺めながらつぶやいた。

「罪もないのに、こんな所に閉じ込められた私が羨ましい?」

「罰を受けても、家からの手助けがある。親があってこそよ」

 口に入れたまんじゅうの中には、肉の餡が入っている。

「ふん、両親は、私より生業を選んだのだわ」

政略結婚を勧めた父と、表だって皇太后に抗議をしない母は、それぞれ武功と商賈という生業を自分より大切にしているのだ。青蘭は星空を眺めながら溜息をつくと、息が白く見える。

「どんな薄情な親でも、いないよりはましよ」

 麗児は誣告により父を亡くし、その後の過酷な生活で母を亡くしている。叔父や叔母など一族の行方も知れないのだ。


「あのころ、私にも夢があったの」

饅頭を食べ終わった麗児は、顔を上げると微かに微笑んだ。

「こんな私にも、幼き頃よりの許婚があったの。あと一年たったら、許婚と婚儀を挙げて幸せな家庭を築くのが夢だった」

 何と素朴で、当たり前の夢だ。

「父上が罪に落とされたとき、許婚に助けを求めたわ。百両の銀子を積めば、逃がしてくれるとの噂があったの。でも、あの人は、罪人の娘との婚儀はあり得ないと私を門内にも入れなかった」

 士大夫同士の婚姻は、家と家との契約だ。罪に落とされた時点で、契約は反古にされたも同然だ。そんな一族から、伴侶を選ぶことはない。

「かつては、私を愛しいと言ってくれていたのに・・・関わりたくないと会ってもくれなかった」

麗児は涙ぐむと。顔を手で覆った。

「ひどい男ね。男の風上にも置けないわ」

せめて会って救えない理由を話し謝罪するべきだ。許婚に情はないのだろうか。青蘭は冷酷な男を罵った。

そうだ、長恭だって同じだ。口では優しいことを言っていながら、敬徳との縁談を知ると冷たい言葉を投げか出てきた。なぜ、敬徳とのことを黙っていたのかと訊いてきたのだ。それは、もちろん長恭を失いたくないためだ。分かっているのになぜ訊くのだ。そんなことは、誰だって口にしたくない。

 皇族と商賈の娘では、あまりにも身分の隔たりが大きすぎる。思えば、敬徳との件がなかったとしても、最初から皇太后が許すはずがなかったのだ。敬徳との縁談にこだわっていた自分が愚かだった。

「私も、あまりにも夢を見すぎていた。だからこのようなことに・・・」

 青蘭は、麗児の手を握った。柔らかだったであろう指がささくれ立っている。小柄な麗児は、寒さと悲しさで震えている。

「男に頼ることは、自身の未来を他人に預けるに等しい。だから、女子でも己の力で生きていかねばだめなのだ。麗児、ここを出て、自分の力で生きていくしかない」

青蘭は震える麗児の背中をなでた。

「麗児、誰の力も借りられない、自分の力で生きぬいてここを出る道を考えよう」

 青蘭は自分に言い聞かせるように、唇を噛みしめた。


★ 長恭の決意 ★


長恭は振り返ると、凝陰閣の前庭に続く扉を凝視した。

「青蘭は、来てくれるだろうか」

 延宗を通して言付けをしたにもかかわらず、青蘭は凝陰閣に来ようとしない。先日、青蘭への手簡を延宗に託して、やっと来ることを承諾したのだ。

 青蘭は、最近ひどく気落ちしているという。凝陰閣で会ったときに、長恭は敬徳との関係が心配で、縁談について詰問してしまった。敬徳と親しいのではと、猜疑心が疼いてしまったのだ。

 自分が疑ていると誤解したにちがいない。長恭は榻に座ると、頭を抱えて座り込んだ。


 長恭は勤めを休んで凝陰閣にでかけた。今日は何としても誤解を解かなければ・・・。

扉が開いて、盆を持った青蘭が伏し目がちに入ってきた。

「延宗様に、衣をお持ちしました」

顔を上げた青蘭は、正面に座る長恭に驚いたが、青蘭は無表情で取り繕った。

「衣の確認を、おねがいすます」

 青蘭は、規定通りに衣の載った盆をさしだした。

「青蘭、やっと、来てくれた」

長恭は笑顔で青蘭に歩み寄ると、衣を卓の上に置いた。

「長恭様、延宗様にお渡しください。私はこれで・・・」

 ここで話しては、師兄を罵ってしまう。青蘭は踵を返すと出て行こうとした。

「待て、青蘭待ってくれ」

長恭は、青蘭の腕を掴んだ。

 ここで、行かせてはならない。長恭は後ろから抱きしめた。

「私を怒っているのか?」

「なぜ、私のような者が皇子に怒るのです?」

青蘭は身を固くした。

「悪かった。嫉妬に負けてあんなことを訊いてしまったのだ。お前を苦しめてしまった」

長恭は青蘭の肩を掴むと、前を向かせた。

「気にしないで、本当のことですもの」

長恭は、青蘭を凝視した。

「必ず、浣衣局から出られるようにする」

「いいの、自分で何とかするから、気にしないで」

何でも師兄に頼ってしまう自分から生まれ変わりたい。それに官職に就いたばかりの長恭に、青蘭を無理矢理出す政治力は無い。

「浣衣局に閉じ込められているのも、元はと言えば、全て私のせいだ。償いたい。ここを出たら、きっと・・・」

青蘭は長恭の唇を手でふさいだ。

「実現できない約束は、しないで。・・・自分のことは自分で考えるから。だから、罪悪感を抱く必要も無いわ」

 自分は頼る価値もない人間に見えるのか。

長恭は、いきなり青蘭を抱きしめると、唇を奪った。

 甘い戦慄が胸を走り、沈香の香りに身体の力が抜ける。師兄は卑怯だ。青蘭は縋るように長恭の衣を掴んだ。これは甘い毒だ。長恭から離れる決心が揺らいでしまう。

「私を見捨てる気なのか・・・」

長恭は、唇から逃れようとする青蘭の肩を抑えた。

「私を信じない師兄とは、一緒にいられない」

青蘭が睨むと、長恭は青蘭の額に唇を当てた。

「そなたを信じている。だから、私を信じてくれ・・・たのむ」

 長恭の温かい胸は、青蘭を愚か者にする。叶えられないと思っても、信じたくなる約束がある。

「師兄を信じている。でも、私を庇えば、皇太后の寵愛を失うわ。無理はしないで。自分で何とかするから」

「だめだ、お前の母上の力を借りれば、御祖母様の怒りを買う。そうしたら、二人の婚姻に差し障りが・・・」 

抱きしめた青蘭の背中が確実に痩せてきている。青蘭を一刻も早く救い出さねば・・・。長恭は、青蘭の背中を優しくさすった。



敬徳との縁談について詰問したため傷つけた青蘭に、長恭は謝罪して二人は和解する。しかし、青蘭の救出はいまだ先が見えなかった。

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