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青蘭の救出

青蘭をどうしても浣衣局身体したい長恭は、青蘭と敬徳のかつての縁談について知ってしまう。


   ★ 青蘭の秘密 ★


 王青蘭の父、王琳は元は梁の元帝に仕えた将軍であった。

 薄虐な君主である元帝の裏切りにもかかわらず、江陵をよく守り梁国の存続に努めてきた。西魏(後の北周)により江陵が陥落して元帝が崩御し、事実上梁が滅亡した後も、その遺臣をまとめて長江周辺に梁の版図を保っていた。

その後、王琳将軍は西魏の傀儡である後梁にすり寄ったり、北斉との親和を図ったりして勢力の回復を図ってきた。こたびは、梁に心を寄せる勢力の結集をねらって元帝の皇子である永嘉王簫莊の帰還を実現しようとしていた。北斉との協力関係を築くとともに、梁の勢力拡大を図っていこうとしているのだ。


 青蘭の母親の鄭桂瑛は、王琳の最初の妻であった。しかし、元帝よりの賜婚(君主より賜った婚姻)により正妻の地位を失ってしまったのだ。その後、側室となった桂瑛は、それを善とせず離縁して王琳のもとを離れた。兄の王恵を父親の元に残し、青蘭を連れて鄴の鄭家に戻ったのである。もともと鄭家は鄭道昭を輩出するなど学者の家系であった。しかし、鄴に戻った鄭桂瑛は、一族の屋台骨を支えるために伯父の鄭祖述の賈商を手伝うようになったのである。

 もともと、商才のあった桂瑛は、めきめき頭角を現し、今では鄭賈は鄴でも指折りの大賈(豪商)になっている。

 表面上は何の関係もないように見える王琳と桂瑛であるが、今でも関係が切れているわけではないようだ。一見孤立しているように見える王琳将軍の軍が、長江の要衝に勢力を伸ばしているのは、情報収集や兵糧の調達など、鄭家の貢献が多大であるという。王将軍と鄭氏との絆はむしろ以前より強くなっているかもしれない。


 王青蘭は、王琳の長女で、建康(梁の首都)に生まれたが、鄭桂瑛が斉に戻ると一緒に帰還し鄴で成長した。梁の滅亡後なぜか青蘭は南朝に渡り、父王琳や兄王恵と行動をともにするようになった。王琳が江陵にあったとき、縁談が持ちあがるが、なぜか立ち消えになり、鄴に渡った。

 十月初旬、王青蘭は宣訓宮で皇太后に謁見している。その後、皇太后の命により浣衣局に送られたらしい。


 長恭は、報告書の『縁談』の言葉に、目が釘付けになった。青蘭の婚姻話?知らなかった。・・・縁談が途中で立ち消えになることは珍しいことではない。しかし、青蘭からは私に話もなかった。そして、誰との縁談があったのだろう。

 その時、調査をした吉良が、居房に入ってきた。

「吉良、青蘭と縁談があったのは誰なのか、分かったか」

 声をかけられた吉良は、いつもの笑顔を収めると、眉をひそめた。

「青蘭様と縁談があったのは、・・・その清河王でございます」

「清河王、・・・敬徳?」

 長恭は、思わぬ名前に報告文から目を上げた。

「はい、江陵にいるときに清河王と縁談があったと分かりました」

 敬徳はたしかに昨年の暮れに、南朝の事情を探るとの名目で出掛けていた。それと、何かの関係があるのか。

 青蘭は、なぜ敬徳との破談の話を黙っていたのであろう。江陵から一緒に旅をして、命の恩人だと話していた。破談になった相手と一緒に旅などするだろうか。そのときは、まだ知らなかったのかも。しかし、鄴都では、何度も顔を合わせていた。縁談の相手が敬徳だったと知らなかったわけはあるまい。

 祖母は、男装していたというだけでなく、敬徳との縁談があった女子が自分に近づいたということで、怒りを募らせ浣衣局に送ったのかもしれない。


 清河王高敬徳は、父高澄とは又従弟に当たり、皇族の一人である。

 高雅な容貌と豊かな領地を持ち、今般は青州の刺史を務める鄴でも指折りの婿がね(婿候補)である。そんな、敬徳との縁談を青蘭は断ったというのか。梁の再興を狙う王琳将軍としては、この上ない良縁に違いない。なぜ破談になったのか、見当がつかなかった。

 まさか、敬徳との縁談が破談になったので、斉との同盟のために、青蘭を私のもとに間者として送り込んだのか?・・・。無位無官で皇太后以外の後ろ盾もない自分に、それほどの政治的な価値があるとも思えない。

 敬徳は、明らかに文叔に好意を抱いている。文叔が女子の青蘭であると知ったら、もう一度求婚しかねない。そうすれば、斉の援軍を得たい王琳は、即座に承諾するであろう。敬徳は高官で権力もある。敬徳が本気で青蘭を浣衣局から出そうとしたら、造作もないに違いない。

 早く青蘭を救い出さなければ・・・。

 

 ★ 知られてしまった秘密 ★


安德王は皇宮でも知られた乱暴者で、その衣の担当は誰もが避けるところであった。そのため、安德王府の衣は、しぜんと青蘭に回ってくるようになった。

長恭との連絡の方法を得た青蘭は、晴児を鄭家に戻した。唯一の親類である叔父を鄴都に探しに来た晴児を、これ以上煩わせたくなかったからである。

「お嬢様、長恭様が居場所を知れば、必ず助けてくださいます。しばらくの辛抱です・・・」

「お前も、身体に気を付けて・・・」

 鄭家が手を回した宦官の手配で、晴児は浣衣局を出て行った。


青蘭は安德王の衣を持って、凝陰閣の前庭に入った。見知った宮女が、正殿に案内する。

「浣衣局が、衣を持って参りました」

中に入ると、延宗が書冊を読んでいる。

「青蘭、遅かったではないか」

 長恭と一緒の時は、慇懃であるのに二人きりになると、横柄な物言いになる。今日持ってくるように言っていたのに・・・。この皇子は、どうも裏表のある性格のようだ。

「命により、今日お持ちしました」

延宗は書冊から目を上げると、青蘭を睨んだ。

「そこに置いておけ」

衣を卓に置くと、青蘭は書冊をのぞいた。

『六韜』である。武勇だけを誇りにしている鮮卑族の皇子も、書物を読むのか。青蘭の唇に笑いが浮かんだ。兄である長恭の影響だろうか。

「何が、可笑しい?」

 延宗が睨んだ。

「延宗様は、さすがです。学問にも通じている」

「本心か?そなたは兄上と一緒に、顔氏学堂に通っていたと聞いている。馬鹿にしているのだろう」

「とんでもない。浅学な私など、安德王に及びません」

青蘭は敬意を表して丁寧に揖礼をした。

「ふん、食えぬ女子だ。・・・それにしても女子に興味の無い兄上が、お前のような美女でもない女子に執心とは、何とも不思議でならん」

延宗は立ち上がると、青蘭をじろじろ見ながら周囲を回った。

「それは、・・・ここです」

 青蘭が心の臓を抑えると、延宗が覗き込んだ。

「魅力的な身体とも思えぬ」

延宗は、馬鹿にするように眉を潜めた。

 ここが皇宮でなかったら、打ちのめしてやるのに・・。長恭のいない所では、本当に失礼な奴だ。

「身体ではなく、心だ。兄上は、私の心が気に入ったのかと・・・」

青蘭が笑顔で言うと、延宗は唇をゆがめた。

「兄上は、まだ来ておらぬ。こちらで休むがいい」

時間にうるさい浣衣局であるが、我が儘一杯の安德王府への遣いは、遅くなってもうるさく言われない。長恭は、しばしの休憩を取ることも難しいほど忙しいに違いない。青蘭は勧められた榻に腰掛けると、ウトウトと眠ってしまった。


「青蘭、起きよ。起きてくれ」

青蘭は、長恭に揺り動かされて目が覚めた。長恭は青蘭の側に座ると抱き寄せた。

青蘭はどれほど疲れているのだろう。榻(長椅子)でうたた寝をするなんて、・・・。抱き寄せた肩の細さが胸をさいなむ。

 縁談について、訊かねばならない。しかし、青蘭の憔悴した様子を見ると、気が咎める。縁談を断った真相をしることは、青蘭を解放するためには避けて通れない問題なのだ。

「青蘭、君に訊きたいことがある」

 長恭は、青蘭を正面から見つめると両肩に手をやった。

 いつにない長恭の改まった口調だ。

「君は、江陵で・・・その縁談があったのか」

青蘭は、縁談の言葉に顔が強張った。

 なぜ、縁談のことを知っている?

「ええ、・・・その・・・」

 知られているなら、嘘はつけない。

「江陵にいたときに、縁談があったわ」

「それは、敬徳なのか」

そこまで、知っていたのか。雷に打たれたように青蘭の身体に衝撃が走った。

「ええ、・・・敬徳様だった」

 長恭は腕に力を込めると、花顔をゆがませた。

「なぜ、私に言ってくれなかったのだ」

 それは、断罪の言葉だった。青蘭は、長恭から目を逸らした。

「江陵では、縁談の話を聞いただけ。相手がだれだか知らなかった。・・・でも、無理やり婚姻させられるのがいやで、江陵から逃げてきたの」

 何でこんなことになってしまったのだ。

「師兄と知り合った後に、敬徳様が婚姻の相手だったことを知ったの。でも、・・・師兄に嫌われるのが嫌で、言えなかった」

 ついに、知られてしまった。謹厳な長恭は、親の決めた婚姻を嫌い出奔するような女子を、決して許してはくれないだろう。清澄な長恭の瞳が、いつになく冷たく自分を見下ろしているような気がした。


『もう、師兄は、私を信じてくれないわ』

 何の希望もない。青蘭は、長恭の冷たい視線に耐えられず、榻から立ち上がった。

「青蘭、どこへ行くのだ」

 長恭が、青蘭の腕を捉えた。

「師兄にも、敬徳様にも面目を潰したわ」

 悪いのは私。自由に生きる権利なんて女子にはないのだ。青蘭は唇をかんだ。

「青蘭、君を責めているわけではないんだ」

 立ち上がった長恭は、今にも逃げていきそうな青蘭を抱きしめた。

「孔子の教えを学んでいる私が、縁談から逃げてきたなんて、呆れた?」

 青蘭は、肩を揺らして長恭の腕を振りほどこうとする。

「ただ、本当のことを確かめたかったのだ」

「皇太后と同じだわ、・・・名節を失った・・・」

 己を責める青蘭の心に、長恭の言葉は届かなかった。青蘭は長恭の腕を振り払うと背中を向けて扉に向かった。

「待て、青蘭、・・・君を責めてるわけではないんだ」

 とうとう師兄は、すべてを知ってしまった。青蘭は虚ろな足取りで前庭に出ると、彷徨うように浣衣局に戻った。


★ 玲瓏の月影 ★


浣衣局の過酷な労働に身体は疲れながらも、青蘭は寝付けなかった。昼間の安德王府での長恭の言葉が、重い鎖となって心を縛っている。

宿舎を抜け出した青蘭は、外から流れ込む支漳溝の辺にいた。

 支漳溝の流れは、鄴都の西を流れる漳水からひかれ、この皇宮を潤している。浣衣局の洗濯で汚れても、いずれは皇宮を出て清水に合流する。しかし、名節を汚した私は永遠にここを出られないのか。


清河王との縁談から逃れて江陵を出たときに、もう女子としての生き方に縛られることがないと、希望が胸に溢れた。文叔という字をもらい、学堂への入門を許されたとき、新しく生まれ変わったような喜びを感じたのだ。

 しかし、長恭に惹かれ始めたとき、女子である事と敬徳との縁談の過去は、重いくびきとなった。

長恭は頑迷な儒者とは違い、女子と知ってからも決して強いることなく自由にさせて見守ってくれた。長恭なら破談の過去も許してくれるのではないかと夢を見ていた。

 しかし、「なぜ私に黙っていたのだ。その理由を言ってくれ。真実を知りたいのだ」との厳しい詰問の口調は、怒りに満ちていた。学堂で教える年老いた儒者と同じだ。もう私という人間を、信じていない証拠だ。

 私の心は空っぽだ。女子としての生き方を捨てて誰も愛さないと決めていた自分が、いつのまにか、長恭を信じて心を明け渡してしまっていたのだ。だから、長恭の言葉に落胆して、燃え殻のようになってしまった。

 ああ、母上は正しかった。皇族に近付くのは身の破滅、そう何度も言われたのに従わなかった自分が悪いのだ。

青蘭が石を投げると、支漳溝に映る月影がゆがんだ。


★  長恭の悔恨  ★


 長恭は、宵闇に沈む冬の正殿を見て、大きく溜息をついた。

「縁談の相手は、敬徳だった」との言葉を残して、自分の腕を振り払って凝陰閣から出ていってしまった青蘭の後ろ背中を思い出した。

「皇太后と同じだ」とも言っていた。祖母は孫かわいさのあまり青蘭を罵倒したに違いない。自分はさらに追い打ちを掛けたのだ。青蘭を傷つけてしまった。

 女子にとって結婚話が破談になることは、不名誉なことに違いない。それを想い人に質問されたら傷つくのはもっともだ。

 しかし、縁談の相手は敬徳だったのだ。破談の真相を知りたいと思った自分は、非情な輩だろうか。青蘭を追いかけて行くべきだった。人の目を気にして青蘭が出て行くままにしたことが悔いられる。


健康的だった青蘭が、痩せ細ってしまった。令嬢育ちの青蘭にとって、浣衣局の労働は過酷に違いない。自分と関わらなければ、罪に問われることもなかった。

 そもそも、青蘭が自分に惹かれるのはどれほどの罪なのだ。何も悪くない青蘭が、皇太后により浣衣局送りになってしまったのは、自分のせいだ。自分を恨み、愛想をつかしてもおかしくはない。

『御祖母様に、青蘭への赦免をお願いしなければ』

長恭は榻から立ち上がった。

 いや、だめだ。青蘭を浣衣局送りにした御祖母様の怒りを、懇願だけで解くことはできない。長恭は力なく再び榻に腰を下ろした。


「吉良、以前お前は、人は『利』で動くと言っていたな」

長恭は、寝る前の陳皮茶を持ってきた吉良に声を掛けた。

「そうですね。庶民にとって『銭』の次は『利』です。自分に有利になるためでしたら、人は何でもするのです。そして、最後に『情』かと・・・子供が悪事を働いても司直に訴える親はいないかと・・・」 

吉良は、腕組みをするとしたり顔でつぶやいた。

長恭は榻に横たわると、頭を抱えた。吉良は学問はないが、吉良の言葉は、人間の本質を突いている。御祖母様を動かすのは、銭はともかく『理』ではなく『利』と『情』が重要かも知れない。


 青蘭は、大賈の鄭氏と梁の将軍を両親とする娘である。これは決して弱みではない。その証拠に、敬徳との縁談が進んでいた。青蘭が出奔しなければ、婚姻は成立していたかも知れない。

 特に王琳将軍が、北斉に与力の意向を示している現在、青蘭を浣衣局に閉じ込めておくことは、決して上策ではない。情勢の変化を説けば、聡明な祖母は理解してくれるに違いない。

 多くの孫の中で、自分は一番愛情を受けている。祖母の希望に添って学問に励み、散騎侍郎として叙任した。かつて、自分は祖母に何かを懇願をしたことがなかった。しかし、懇願したとて、容易に青蘭との婚儀を許してくれるとは思えない。最初から、婚儀を持ち出してはならない。まずは、青蘭の解放だ。

 祖母は自分を寵愛しているからこそ、孫の心を奪った青蘭を決して許さないとも言える。まずは冷静にリを説くのだ。そして、青蘭を浣衣局に閉じ込めておくことの問題点に気付いてもらうのだ。

長恭の居房は、夜遅くまで灯火消えることは無かった。



長恭は青蘭を救い出すための、方策を様々に考え始めるのだった。

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