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浣衣局からの脱出

浣衣局に入れられた青蘭は 理不尽にもいた打ちの刑を受けてしまう。青蘭は、鄭家に連絡を取り脱出を計画するのだった。、

 ★ 傷心の青蘭 ★         


 青蘭は寝台に伏せながら、拳で涙を拭った。

『ここに長くは居られない。どうにかして鄭家と師兄に連絡を取らなくては』

 皇太后は、長恭と鄭家に知らせることはないだろう。自分で動かなければ、一生浣衣局に閉じ込められ虐げられ続けることのなるのだ。

 青蘭は身体をずらすと、物入れから囊を取り出し、巾着の中の銀子を確認した。

『宦官に銀子を使って、鄭家と師兄に連絡を取らせよう』

 宦官は、銀子さえ弾めば、さまざまな便宜を図ってくれるのである。青蘭は信義に厚く金に汚そうな宦官を思い浮かべた。


 数日後、青蘭は足を引きずりながら勤めに戻った。腰をかがめ、衣を力を込めて洗濯することは苦しい。

「青蘭、大丈夫?この衣は私が洗うわ・・・」

 青蘭が桶を抱えるようにして衣に向かっていると、恵児が青蘭の洗っている衣を自分の桶に移した。

「ありがとう。恩に着る」

 青蘭は恵児から渡された衣を持って干し場に向かった。


 宮女は、建前では外部の者と連絡を取ることはできない。しかし、多くの宮女は、宦官に給金の中から銀子を渡すことにより、親戚に手簡(手紙)や銀子を送っている。

 青蘭は、宦官の燕紹が通るのを待っていた。燕紹は、二十代後半の小太りの宦官である。金に汚いが、頼んだことはきちんとやってくれるという評判である。


「燕紹、お願いがあるの」

 青蘭は足を引きずりながら、燕紹の前に現われた。

「青蘭、どうしたんだい。その足・・・」

 数日ぶりに浣衣局を訪れた燕紹は、事件を知らない。

「まあ、ちょっとね」

 青蘭が尻に手を遣ると、燕紹は分かったと言うように眉を潜めた。青蘭は、燕紹を物陰に連れていった。

「燕紹さん、市中の実家と侍中府の高長恭様に手簡をお願いしたいの」 

 青蘭は、両手を合わせると燕紹を見上げた。

「青蘭、それは無理だ」

「でも、他の宮女に聞いたわ。あなたは、頼りになるって」

 燕紹は、かぶりを振ると立ち去ろうとする。青蘭は慌てて懐から銀子の巾着を取り出した。

「これだけじゃ足りない?」

 青蘭は、燕紹の胸に銀子を押しつけた。燕紹は、巾着の中を確認するとにんまりとわらった。

「こまったなあ。市中の鄭家はいいけど、侍中府の高長恭様に手簡なんて無理だな。宮女が皇族に付け文はご法度だ。長恭様って美男子で有名な方だろう?」

 宦官の端くれだって、高長恭の美貌は知っているらしい。


「じゃ、後宮にいる安德王には渡せないかしら」

 浣衣局の宦官は、侍中府のある外朝には行けないけれど、皇后の住まいである後宮に出入りできるのである。

「分かった。実家と安德王だな。しかし、銀子はかなり掛かるぞ。これだけでは・・・」

 安德王の住まいに近付くためには、後宮の宦官に賄を渡す必要があるのである。

「届けてくれたら、鄭家から礼は弾むわ。私は、鄭賈の身内よ」

 青蘭は懐にしまっていた残りの銀子を押しつけると、慌てて二通の手簡を渡した。すぐ横を宮女が通り過ぎたので、青蘭は礼をして干し場に戻った。

『延宗様が見れば、師兄への手簡だと気付いてくれるわ』

 青蘭は、銀子を全部渡してしまっていた。これでだめなら、筆硯や簪を使わなければならなくなる。


 鄴都の冬は厳しい。北西から吹き荒ぶ寒風は、井戸水で洗濯をする宮女達の手を切り刻むように痛めた。あれから五日である。燕紹は浣衣局に来ていない。宦官が市中に出掛けることは、稀なことである。ゆえに時間が掛かっているのであろう。そう自分を慰めながら、青蘭は辛い勤めに励んでいた。


「小英と桂児は、この衣を安德王府まで持って行って」

 昌児は、小英と桂児を呼ぶと、衣の載った盆を二人に渡した。安德王府は、高延宗の住まう宮殿である。小英と桂児は、顔を曇らせて渋々と盆をけ取った。

 青蘭は桶の中の衣を洗濯棒で叩きながら、恵児を見た。

「恵児、あの二人は、なぜ安德王府に行くのを嫌がっているの?」

 長恭の弟の延宗のことは、無関心ではいられない。

「安德王府?安德王は我が儘一杯の皇子で、衣を持って行くと何かと難癖を付けるのよ。だから、誰も行きたくないんだわ」

安德王は兄の前では従順な弟を演じているけれど、皇宮では嫌われ者らしい。

麗児を助けてから、恵児・麗児の主従とは何かと親しくしている。世間知らずであった青蘭も、浣衣局で暮らすにつれて様々なことを知るようになった。浣衣局の宮女は、僅かな俸給では足らず届け物をするときの様々な心付けを頼りに生活していたのだ。

 宮城で生き抜くためには、心付けが欠かせない。何か便宜を図って貰うだけでなく、安寧に生活していくためにも必要なのである。他人の心配をしているところではない、銀子を全て燕紹に渡してしまった青蘭は、鄭家からの返事を心待ちにしていた。


 燕紹が、浣衣局に現われたのは、なんと七日後であった。

「青蘭さん、話がある」

 洗濯桶に向かって奮闘する青蘭の前に、櫃を持った燕紹が声を掛けた。すかさず、昌児が寄ってきて睨んだ。燕紹が銭を渡す。

 昌児は青蘭を振り返りながらしたり顔でその場を離れた。庁房に呼ばれた青蘭は、燕紹に櫃を渡された。

「先日、鄭賈に行って来た。そなたは、鄭賈の娘だったのか。母上より、この櫃を渡すように言われた。手簡が入っているそうだ」

 鄭家からたっぷりと財物を贈られたのであろう。以前に比べ、慇懃な態度に変わっている。

「ありがとう」

 燕紹より渡された櫃は、ずっしりと重い。

「燕紹、安德王には、渡してもらえた?」

 財物より気になるのは、長恭への連絡である。

「ああ、確かに安德王に渡したが、・・・反応はなかったぞ」

手簡の中身を見れば、長恭に連絡してくれるに違いない。青蘭は、櫃の中から銀子を渡そうとした。

「いや、母上からたっぷり頂いている。また、手簡を渡すときには遠慮なく言ってくれ」

 燕紹は、手で制すると庁房から出ていった。


 宿舎に戻ると、櫃を開け、銀子の下から手簡を取り出した。

『青蘭へ、手簡を読み、そなたが皇太后様の命により浣衣局にいることを知った。そなたを、直ぐに出宮させることは難しい。その代わり晴児を、浣衣局に送り込むように手配した。浣衣局での勤めは苦しかろうが、しばし時期を待つのだ。必要な銀子は、晴児や内官を通じて手元に届くように手配しよう。身体に気を付けて。・・・』

 晴児を潜入させ、浣衣局で暮らすのに必要な物は、送ってくれるが、鄭家の力では直ぐには青蘭を救い出せないというのだ。

 全ては皇太后をはばかってだ。皇太后は今上帝の母として宮中で隠然たる力を持っている。それに逆らい、浣衣局に入れられた青蘭を無理やり出すのは、鄭家の商賈に差しさわりがあるのだ。

 母上は、私の命より商売を選んだのだ。母は、親子の情より商賈の利益を優先する人なのだ。青蘭は怒りで拳をにぎり、唇を噛みしめた。


 燕紹を通じて、鄭家から多くの賄がばらまかれたのであろうか。青蘭に辛く当たっていた昌児や浣衣局を統括する劉宦官の態度が明らかに変わった。

 ともかく、鄭家と連絡を取ってから、浣衣局での生活は、多少安全になったと言っていい。


  ★ 長恭の噂 ★          


 浣衣局の仕事が終り、就寝前の宿舎には僅かなくつろぎの雰囲気が漂っていた。

 青蘭は枕元の物入れから鄭家から送られてきた練り薬を取り出すと、傷付いた麗児の指先にぬってやった。元氏という姓と細い指が麗児の出自を暗示している。

「そなたは、どんな罪を犯したのだ」

 一瞬目を見開いた麗児は、かぶりを振って下を向いた。元氏は、前王朝北魏の皇族である。今上帝高洋は、斉の建国後、様々な罪を着せて元氏の粛清を図っている。麗児も、一族の誰かの罪に連座させられたに違いない。

「斉の朝廷は理不尽だ。何の罪が無くとも・・・」

 青蘭が朝廷を非難しようとすると、麗児がいきなり青蘭の唇を塞いた。

 皇帝への不満が知られれば、棒打ち十回ではすまない。青蘭と麗児は、周りを素早く見回すと衾を頭から被った。

「昨日、皇后府に行ったときに、ちらっと見たのよ。素敵だったわ、第四皇子」

 壁に近い寝台から、宮女の声が漏れてくる。青蘭は、第四皇子という言葉に耳をそばだてた。

「羨ましい。皇族で一番の美丈夫と噂だわ。どんな方だったの?」

「ほんと、男子とは思えない美しさだったわ。あのような方に見初められて、側室に納まれば・・・いいえ側仕えだっていい」 

 うっとりとした宮女の声が遠くから聞こえた。第四皇子とは、長恭のことに違いない。

「いいわあ。第四皇子は、見目麗しいだけでなくお優しいと評判の方ですもの。せめて側女にでも・・・」

「あら、私は男らしい清河王がいいわ。男前に上に多くの領地や屋敷を持っているとの噂ですもの、どこの令嬢だって婚姻を望むわ」

「いつ、令嬢になったつもり?・・・」

 遠くでは、長恭と敬徳の噂話がしばらく続いた。散騎侍郎の職に就くことにより、長恭は多くの目にさらされ、望むと望まぬとに拘わらず注目の的になっているのだ。

そうなのか、敬徳は財産家で多くの荘園や屋敷を持ち、長恭は散騎侍郎として侍中府で活躍しているらしい。浣衣局という牢獄に閉じ込められている間に、長恭と敬徳は、どんどん手の届かない存在になってしまっている。

 

  ★ 青蘭の玉佩 ★

         

太陽が西に傾き、長恭は宣訓宮に戻ると、清輝閣の榻に身体を投げ出した。

 散騎侍郎の定員は四名で員外郎と合わせて現在六名の散騎侍郎が勤務している。しかし、皇族の高士燕は、名ばかりでその任を果たせず、戦力となるのは高徳正以下数名である。

 北斉では、鮮卑族と漢族が協力して政を行っていることを建前としている。しかし、鮮卑族は実務能力にも意欲にも欠けているため、単に席を埋めるだけで俸禄をもらっている。朝堂の中枢がこの有様では、他は推して知るべしである。

「若様、皇太后様からの清明茶です」

宦官の吉良が茶杯を持って現れた。

「根を詰めると、身体に悪いですよ。夕餉を運んできます」

外にで出て行こうとした吉良が、ふと止まった。

「ああ、若様、侍女が白玉を拾ったとかで持ってきました」

吉良は、懐から玉佩を出すと卓の上に置いて出て行った。

玉佩?長恭は玉佩を手に取った。傷のない白玉で芙蓉の花を彫っている。滑らかな手触りは紛れもない青蘭に贈った白玉だ。深紅の房飾りが美しい。母上の形見の玉佩に間違いない。

 これは、出仕前に青蘭に贈ったはず。なぜ、宣訓宮に落ちていたのだろう。

「吉良、吉良、どこにいる」

 長恭が大声で呼ぶと、夕餉の盆を捧げた吉良が慌てて入ってきた。

「吉良、吉良、これを侍女が拾ったと言ったな。拾ったのは誰なのだ」

吉良は、卓の上に料理を並べた。

「若君、何を慌てているのです。その侍女は緑衣ですけど」

 


「緑衣、この玉佩をどこで拾ったのだ」

 長恭が問い詰めると、緑衣はガクンと膝をついた。

「若君、・・・申し訳ありません。拾ったあと、保管していました。盗もうと思ったわけでは無いのです。ただ、誰のか分からなくて・・・提出がおくれて・・・」

緑衣は、罰せられることを恐れているのだ。

「お前を責めていない。いつどこで拾ったかを教えてくれれば、何も問題にしない」

 緑衣は、罰を恐れるように唇を震わせた。

「階の横を掃除していたとき、拾いました。そう、十月の十日頃だったかと・・・」

榻に腰を掛けていた長恭は、いきなり立ち上がった。

「十月の十日頃、正殿の近くで拾ったのか」


緑衣を帰させると、長恭はもう一度白玉を手に取った。

両手で持った白玉を額に押しつける。十月の上旬、青蘭はここ宣訓宮にいたのだ。しかし、今は青蘭の行方が分からない。

 御祖母様が関係しているのだろうか。御祖母様に訊いてみたい。いやだめだ、もし御祖母様が関係していたら、青蘭に危険が及ぶかも知れない。

 私が侍中府に行っている間に、何が起こったのだろう。必ず目撃者がいるはずだが。

「吉良、十月の上旬私がいない間に、王文叔は宣訓宮に来なかったか?」

 長恭は、吉良を呼ぶとおずおずと尋ねた。

「文叔様とは、学堂で学友だった方ですか?」

 文叔は若君の美童と噂もある少年である。

「いやあ、見掛けたことは・・・」

 吉良は、頭を振った。

「文叔が行方不明なのだ。どうも、十月の初めの頃に屋敷に来たらしい。・・・見た者がいないか、お前に探って欲しいのだ」

他の者との付き合いが少ない長恭皇子が、朋友の行方をこれほど心配することは、今までにないことだ。

「吉良、御祖母様には、知られないように気を付けてくれ」 

長恭は白玉を見つめると、懐にしまった。


青蘭は、鄭家に助けを求めるも皇太后をはばかる母親からは、助け出せないとの無情の返事が来た。しかし、青蘭が皇太后府で落とした玉佩を、侍女が拾い長恭の手に渡った。

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