130話 魔王都市の影
スノーたちは互いに視線を交わしながら、静かに街の中心へと歩を進めた。クランレアドの街並みは黒曜石を基調とした重厚な建築が立ち並び、浮遊する魔道灯が青白い光を放っている。商人たちの掛け声が飛び交い、道端では魔術師が呪符やポーションを売っていた。
「魔王に気づかれた以上、慎重に動かないとね」
スノーが低く呟くと、エルドリッジがゆっくりと頷いた。
「ええ。でも、私たちが何かを仕掛けるわけではありません。旅の一環ですから」
「それはそうね……でも、イシェイルとタケルは大丈夫かしら?」
スノーは、少し離れた場所を歩くダークエルフの姉弟を見た。イシェイルとタケルは、どこか緊張した面持ちで街を見つめていた。
「ワセアの森……」
イシェイルが微かに呟く。タケルは無言のまま、黒曜石の建物をじっと見つめている。彼らの生まれ故郷は、かつて魔王グリテアによって支配された過去がある。その因縁が、二人の表情に影を落としていた。
「気にするなとは言いません。でも、今は冷静に行動しましょう」
リーティアが穏やかに微笑みながら言った。彼女自身もまた、魔王グリテアとは因縁があった。かつて大悪魔だった頃からの腐れ縁……それを思い出すように、彼女は軽く肩をすくめた。
その時だった。スノーはふと何かに気づき、リーティアを見つめた。
「ねえ……もしかして、魔王に気づかれた理由って……?」
リーティアは軽く目を閉じ、僅かに微笑んだ。
「気づきましたか。ええ、スノー様の考えの通りです」
彼女は本来の力を制限していた。だが、それでも完全に封じることはできず、微かに漏れ出る魔力の波動が、かつての腐れ縁である魔王グリテアの感覚に触れたのだ。
「グリテアは私の魔力をよく知っています。どれほど抑えたとしても、気づかれてしまうでしょう」
スノーたちは静かに息を呑んだ。旅の一環で立ち寄ったはずのクランレアドは、すでに彼女たちの存在を認識した魔王の目の届く場所となっていた。
「ならば、なおさら慎重に行動しましょう」
エルドリッジが冷静に言うと、一同は頷き、再び歩みを進めた。
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日が傾き始めた頃、スノーたちは街の一角にある宿屋「黒曜の庵」に辿り着いた。漆黒の石造りの建物で、旅人や商人が頻繁に出入りしている。
「ようこそ『黒曜の庵』へ。一泊八〇〇〇ミラになります」
受付の魔族の女主人が値段を告げると、スノーは少し眉をひそめた。
「それ、高くない?」
スノーは旅を始めた頃ならそのまま支払っていたかもしれない。
だが、今は違う。これまでの旅で、仲間たちが値段交渉をする姿を何度も見てきた。
「市場の宿なら五〇〇〇ミラくらいだったけど」
「ここはクランレアドでも安心して泊まれる場所ですからね。それなりの価格になるのは当然です」
「でも、こんなにたくさんの部屋が空いてるのに、この値段っておかしくない?」
スノーが周囲を見回しながら言うと、女主人の眉がピクリと動いた。
「お客さん……値切る気ですか?」
「えっと……そういうものなんでしょ?」
スノーが少し不安そうに仲間を見やると、リーティアが微笑んだ。
「ええ、スノー様。交渉は旅の中でも大切な技術ですよ」
スノーは小さく頷き、もう一度女主人に向き直る。
「……じゃあ、六〇〇〇ミラにならない?」
「それは無理よ!」
女主人が即座に否定する。スノーは少し考え、今度は自信を持って言った。
「じゃあ、六五〇〇ミラでどう?」
しばらく押し問答が続いたが、ついに女主人が観念したように肩をすくめた。
「……しょうがないわね、こんなに粘られたら負けを認めるしかないわ。でも次に泊まるときは、ちゃんと最初の値段で払ってもらうわよ?」
女主人は悔しそうに唇を噛みつつ、それでもどこか感心したようにスノーを見つめた。
「ふぅ、やれやれ。なかなか手強かったけど、これくらいが妥当よね」
スノーは少し誇らしげに胸を張る。
「スノーお姉さま、すごいです!」
チビ雪が目を輝かせる。こうして、一行は無事に宿を確保し、一息つくことができた。
しかし、彼らの到着を静かに見つめる視線が、宿の外から離れることはなかった……。




