春告げの調べ ~ 心構え ~
目に留めてくださりありがとうございます。物語への入り込み易さ等を考え直し、修正しながら話を追加させていただきました。拙い文章のままではありますが、お時間が許しましたら読んでみていただけると幸いです。
静かな廊下を歩き続けた先に辿り着いた部屋の、先程の部屋よりもひと回り大きな障子戸の前で立ち止まる。清春も一歩後ろで足を止めたのを確認すると、菊之介はその框を軽く叩く。
「失礼する」
返事はなく、菊之介が静かに戸を開くと、中央に向けて向かい合うようにして座っていた全員が一斉に菊之介と清春の方へと視線を向ける。一歩引いて立っていた清春は一瞬気後れしそうになりながらひとりひとりを見回す。緊張した面持ちのままではあるが、その中に天音と真光の姿を認め、心は少々安堵する。2人も清春の姿を確認し、自然と目を細めていた。
部屋の奥には対となった屏風が飾られている。座るよう促され、空いている場所へ向かおうとすると、片方の屏風の前の花台に置かれた和時計が目に入った。流麗な唐草模様の施された文字盤の上で、針は昼八つを示していた。眠っていたため時間の感覚が分からなくなっていたが、清春の実技試験の後半刻ほどしか経っていない。
全員の試験が終わるまで二刻近くはかかると予想していたが、思っていたよりも随分早い。試験は別の場所でも同時進行していたのだろうか。これまで1人ずつ試験を進めているものと思い込んでいたが、いくら腕の立つ清乃でも続けて今日試験会場に来ていた二十数名を相手にするのは厳しいだろうと思い直し、それが道理だと納得する。
この後他の合格者も続々と集まってくるのだろうと思い、空いていた真光の左隣りに腰を下ろし、それを待つつもりでいたが、部屋に集められたのは清春で最後だった。
広さに余裕のある空間の中には、清春を含めた6名の合格者の他に、部屋の端に細身の男性が立っている。風の吹いていない部屋の中でもその僅かな動きに従い風に攫われるように靡く黒髪が美しく、浮世離れした印象を与える男は、菊之介と手分けをして案内役を務めていた者だった。
二十数名の受験者に対し6名というのは、隊員を少しでも多く増やしたい様子だと聞いていた割には少ない合格率だ。知識の試験は寺子屋を出ていれば身に付けているような基本的なものであり、実技に関しては技を受け続けるだけで精一杯だった清春が合格できたくらいだ。試験が厳しかったようには思わない。
短時間で終わった試験と予想より低い合格率には疑問が残るが、ここの基準を知らない限り考えようが無い。ひとまず流れに従い、気にかかる点については後で確認することにする。
6名の中には天音と真光の他に、育ちの良さそうな端正な顔立ちをした少年、ややつり目の大きな瞳が印象的な利発そうな少女、全体的に白く儚い雰囲気を纏った少女がおり、居住まいを正して座る全員が厳かな表情をしていた。
清春はもう一度彼らを一瞥すると、隣りの真光と目を合わせる。このような緊張した空気を苦手とする真光は、それだけでも安堵の気持ちから表情を綻ばせる。慣れない正座をしていた足を崩し、清春の方へと身体を傾けた真光が何かを話したそうな顔で口を開こうとするがそれは叶わなかった。再び戸が開き、先程の老人と背後にいた2名の年配の男性が姿を現す。さらに続いて清乃、庵が入ってきた。彼らは座布団に座る清春たちの間を通り、部屋の奥まで歩いていく。
清春たちは微動だにせず、彼らが立ち止まるまでその姿を眺めていた。試験の場では桜吹雪の中それぞれが美しく風情のある絵に描かれた幻想的な人物のように見えていたが、竹の間で向き合う鶴と亀の描かれた立派な屏風の前に並ぶと威圧感がある。この1年、ほとんど毎日顔を合わせていた庵でさえ別人のように感じた。
さらなる緊張で清春たちの背筋は自然と伸びる。全体を一瞥すると、中央に立った老人が口を開いた。
「6名とも揃っておるな。儂はここをまとめておる近衛藤次郎桜助じゃ。
入隊試験ご苦労じゃった。今年も知識と技術に関しては全員合格じゃ」
最後の一言を強調し、近衛は真っ白な眉と髭の下でゆったりと笑った後で、その笑みをいたずらっぽいものに変え、不思議そうな顔をする6人に説明する。
「この試験、合否は最初の面接でほぼ決まっておる」
ひとりひとりと目を合わせるように、近衛はもう一度ゆっくりと6人を見渡した。自分に目を向けられた瞬間、清春は僅かにたじろいでしまう。目を彷徨わせて周りを見ると、粛然とした姿勢を崩さない黒髪の少年を除く4名も同じような様子を見せていた。
「知識と技術の試験については――――」
説明の途中で近衛が急に言葉を止め目を見張る。その視線は出入り口へと向けられていた。続いて障子戸を叩く小さな音が響き、速やかに移動した清乃が戸を開けると小さな隙間から1羽の雀が飛び込んできた。杏と同じ勾玉を首にかけたその雀は全員の視線を集めながら丸く小さな身体で床にぶつかるかのような勢いで菊之介ともう1名の案内役の間に着地する。清春は一瞬怪我をしなかったか心配になるが、柔らかそうな羽に包まれた雀はまるで置き物のように安定してそこに留まっており、衝撃に痛みを感じている様子は窺えなかった。
「紡か。班長から何か連絡か」
この現れ方に慣れているのか、菊之介は何事もなかったかのように呟き、菊之介の横でしゃがみこんだ黒髪の案内役も落ち着いて羽毛に隠れていた脚に結ばれた紙を解いて開く。案内役は皺だらけの紙を見てその筆跡から予想通りの人物の直筆であることを確認する。そして文章に目を通しながらその場の全員に伝わるよう内容を読み上げた。
「『錦野北西部にて闇雲三名確認済
内一名 呪術発動 制御不可 もう一名、標的、その身内、使用人十数名 巻き込まれる 残り一名 標的の雷獣誤って逃がす 止めるための火矢を外し柵に引火 逃走中
試験の件は承知の上だが一刻を争う。至急応援を要請したい』以上だ」
次第に深刻さを増していった案内役の声を聞き終えるか終えないかのところで、清春たち6名はそれが当然であるかのように同時に立ち上がっていた。張り詰めた空気の中、6名の内誰も言葉を発することはなかったが、そこに疑問も躊躇いもなく直ぐ様行動を始めるつもりだった。
「いやおまえらは……」
「俺たちへの要請だ。おまえらはここに残って……」
自分たちが指示を受けたも同然のように素早く動いた清春たちを見て案内役が驚いたような表情を浮かべて呟き、それに被るように庵も静止しようとしたが、6名全員の迷いのない目を見て言葉を止める。隊員への指示を受けるには、今の清春たちはどちらつかずの曖昧な立場にある。しかし、聞いた以上はもう無関係ではない。無関心ではいられない。天叢雲の隊員であるかどうか以前に、その場に居合わせた者としてできることを行いたいという思いが清春を反射的に動かしていた。心に刻んだ言葉の影響かどうかはわからない。自分の心に従い、自分が正しいと思う行動を自然と選んでいた。
清春は庵たちにもその気持ちをすぐに汲んでもらえたらしいことに安堵した。しかし、緊迫した空気に変わりはなく、過ぎ行く時間を無駄にすることは許されない。
「一緒に来てもらいましょう。今は少しでも多くの手が必要です」
毅然とした態度で言うと、清乃は確認をとるかのように清春たちに柔らかな表情を向ける。ひとりひとりを流れるように見た後で庵と案内役と目を合わせて頷く。その短く誰もが自分自身を納得させることのできる理由を示した言葉の裏で清春たちの思いを受け止めてくれていることが充分に伝わってくる。これまでの無知と無力を恥じていた清春自身の変わりたいという話していないはずの意思を認め後押ししてもらえているかのようにさえ思えた。
「隊長、副隊長、よろしいでしょうか」
「勿論じゃ。錦野までの距離なら移動は杏と紡で十分じゃろう。篁、雪成も早う行ってやれ。儂も月見里に伝えて結界を強化した後ですぐに向かう」
「承知しました」
篁と雪成と呼ばれた2名が同時に答え、即座に踵を返して動き始める。清乃の言葉から察するに、彼らは天叢雲の副隊長なのだろう。
「俺らは椿と雷羅に乗っていく。おまえらも出発しておいてくれ」
2名のうち隻眼の男性の方が部屋を後にしながら伝えるのに対し、庵、菊之介、清乃、案内役が慇懃な姿勢で返答する。椿と雷羅と呼ばれたのもおそらく杏や紡のような天叢雲の一員として何らかの役割を担う妖なのだろう。今の話し方からすると、彼らとは現地までは別行動となるようだ。
「菊。昨日はおまえも幸志郎班長と一緒に錦野で動いていたな。指揮を任せてもいいか」
「はい」
庵に一任された菊之介は間を開けず淡々と指示を出す。
「持ち物は最低限に。各々持参した竹刀と防具を持っていけ。用意ができた者から外に出て3名ずつに分かれ杏と紡の背に乗れ」
その言葉だけで清春はすぐに紡も杏と同様に大きさを自在に変えられるらしいという考えに至ったが、天音と真光を除く合格者の3名は今は一見普通の雀と烏と変わらない大きさの2羽に乗るということに疑問を浮かべているようだった。しかし誰も詳しく問うことはなく、急いで竹刀と防具をまとめ始める。その傍で、紡は清乃の右肩に乗り大人しく羽を休めながら待機しており、杏はその周りを軽やかに舞いながら左側の肩に止まった。手を動かしながらで構わないと前置きし、3人の疑問を読み取っていた清乃は2羽を交互に見遣りながらやや早口でかつ丁寧に紹介する。
「彼女たちは自らの意思で大きさを変える力を持っています。こちらは袂雀の紡。素直でいつも率先して動いてくれます。そして、天音さん、清春くん、真光くんはよくご存知だと思いますが、八咫烏の杏です。頭の回転が早くいつも頼りにしています」
清乃は気遣いの前置きをしてくれていたが、すぐに準備を終えた清春は真っ直ぐに身体を向けてそれを聞いていた。清乃の言葉に満足気な2羽を見ると、このような時でさえ少しだけ微笑ましい気分になってしまう。疑問を持っていた3名の方へ目を向けると納得した様子で、清春同様僅かに穏やかな表情を取り戻して彼女たちを見ていた。良い意味で2羽とも一見修羅場慣れしている妖には見えない。しかし、その容姿からは想像できない様々な経験を重ねてきたのだろう。共に生活している杏のことは十分にとは言えずともよく知っているつもりだった。太陽の化身とも言われる八咫烏。そして庵と並ぶ大きな恩のある存在だ。袂雀も母から聞いたことのある妖だが、目の前の紡は不吉の象徴ではなく福良雀と呼ぶ方が似合いそうだと感じた。
「これから杏と紡に班長の1人である幸志郎班長の元まで運んでもらいます。錦野はすぐ近くですが走るよりもずっと速いはずです」
言い終えると清乃は全員の支度が終わったことを確認し身を翻した。立ち位置が変わり、その帯には清春と切り結んだ竹刀ではなく、黒く塗られた鞘に納まる恐ろしさと美しさを兼ね揃えた真剣が結び付けられているのがはっきりと目に入る。
「菊之介、お願いします」
「ああ」
声をかけられると同時に動き出した菊之介に続き、2羽を肩に乗せたまま外へと向かう清乃のすぐ後を清春が追う。残る全員も早足でそれに続いた。
先程は長く感じた廊下をその距離をあまり感じない間に通り過ぎ、入ってきた時と同じ出入り口から外へと出ると、桜の舞う風流な庭がまた視界に広がる。しかし一刻も無駄にできない今、春の美しさを感じている余裕はなかった。清乃の肩から舞い降りた杏と紡が目の前で膨らんでいくように大きさを変える。迷う時間もなく清春が杏の背に乗ると、天音と真光も続いて清春の両横に座る。杏に乗せてもらうのは1年ぶりだった。その艶のある黒い羽の温もりは安心感を与えてくれながらも気を引き締めさせられるようで、不思議な感覚がする。この1年間で身につけてきた知識と技術、出会いと繋がり、変わらない大切なものと抱えてきた想い――――。それらが今の清春を動かすもの、ここに居る理由であり、多くを失った後で残ったもの、手にしたものだ。この背中に救われて今がある。絶望の淵で見た夜の色は、痛みも優しさも忘れないで居させてくれる。
清春たちがすぐに杏に乗せてもらうことを選んだのを見届けた残る3名の合格者と言葉が交わされることはなく、彼らは自然と紡の背に乗る形となる。少女2人は紡を気遣いながら恐る恐る乗っている様子が窺えたが、紡自身は心配する必要は微塵もないというような表情と態度で乗り終えるのを待っていた。
「先導します。絢悠も乗ってくれ」
菊之介が言うと絢悠と呼ばれた案内役が紡に乗り、菊之介は絢悠の長い髪を踏まないようやや慎重にそれに続く。「頼む」「お願いします」と伝えた庵と清乃もその間に杏の背に座る。先程まで自分たちの手や肩に乗ってしまえる程の大きさをしていた2羽の背中は、今は5人ずつ乗っても十分な大きさがあった。
「出発します」
菊之介の短い言葉に続く美しく頼もしい2羽の声を清春が聞くと同時に、茶色と黒の翼が大きく広げられる。この先に待っている光景は正確に想像できるわけではないが、手紙の内容を思い返し、今もその状況に置かれている誰かがいると考える程に焦りは募っていく。感情を表情に出している者、冷静な顔つきのままの者のどちらであっても、全員似た気持ちを少なくとも持っているのだろう。きっと今の自分にできることは多くはない。しかし、周りで苦しむ人々に気付かずに平穏な日々が当たり前のように生きてきた頃の自分とは違うと思いたい。自己肯定感は低いままであるが、信念は曲げないと決め、清春自身の信じる正しさに従って動く。その結果、何か少しで役に立てることを願いながら、救えるかもしれないものへ手が届く位置まで行くために、花弁を舞い上がらせながらそこへと繋がる空へと飛び立った杏の背に身を委ねた。
読んでくださりありがとうございました。誤字脱字など、お気づきの点がございましたら教えていただけると幸いです。