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結刃流花譚  作者: もりみつ
第1章 残り香の調べ
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残り香の調べ ~ 花嵐 ~

続けて読んでくださっている方も、初めて目に留めてくださった方も、ありがとうございます。主人公たちがこれから生きていく場所での始まりの日のお話です。

今回の場面で描いた桜はこの物語の中で繰り返し登場させたいもののひとつです。きれいな表現が上手くできているか、自信はありませんが、選んだ言葉から雰囲気が伝わると嬉しいです。





 桜吹雪の中で、己の学んできた精一杯を込めて、竹刀を振るう。


 精神を集中させ、相手との間合いを詰めた刹那、両手に力を込め横に薙ぐ。

 ――――――躱される。

 翻された瓶覗の着物の袖を掠めることさえなかった。空を斬った竹刀の軌跡では舞い降りる途中だった花弁がもう一度空へと舞い上がる。ゆったりとした速度で重力に逆らった淡い薄紅色の花弁が再び地面を目指し始める前に、突きの姿勢に構え直し、踏み込み、真っ直ぐに腕を伸ばす。一直線に、春の色の空気を貫いていく。

 ――――――届かない。

 位置に狂いはなかった。相手の胴台の中心は竹刀の剣先を向けた先にあるが、完全に見切られている様子で軽い動きで後ろに下がられてしまった。

風情のある幻想的な空間の中で繰り広げられる攻防は、客観的に見ると儚く崇高な雰囲気を醸し出しているが、剣を振るう本人にとっては、舞い続ける無数の花弁に惑わされ、距離感が掴みづらい。それがなくとも、相手との力の差は歴然としていた。しかし、どれだけ躱され続けても清春の瞳に宿される光に諦めの色は混ざらない。相手もまた礼を尽くすべく真剣に清春と向き合い続けている。本人たちは露ほども思っていないが、双方の精神の美しさも景色の美しさと相まって見る者の心を掴む光景をつくりあげていた。

 次こそは、と心の中で呟いた清春は、真っ直ぐに相手を見据えたまま、動きを止めず、地面を蹴って前へと踏み込む。そのまま両腕を高く掲げ、渾身の力を込めて振り下ろす。

 風圧で左右に散る花弁の間から音もなく現れる相手の竹刀に受け止められる――――――。


「合格です」


 清春の竹刀をしなやかな動きで止め、凛とした雰囲気の漂う試験官の女性は透き通った声でそう告げた。


「え......」


 1度も技が決まることはなく、何を以ってそう判断されたのか分からず、突然の言葉が腑に落ちないまま、清春は動きを止めた。切り結ばれたままの竹刀はいつの間にか穏やかな空気を纏っていた。

清乃、と名乗っていた女性が表情と力を緩め竹刀を下ろすのにつられ、清春も竹刀を下ろす。少しの間をおいて、柔らかな余韻に包まれていく。


「そなたが今期最初の合格者じゃ」


 背後から声が聞こえ、清春が振り向くと、この試験の最初に面接官をしていた老人と、その時には護衛のように無言で部屋の前に立っていた2名の中年男性が桜の絨毯の上を静かに歩いてきた。

小柄な老人に対し、背後の2名は容貌魁偉であり、その1名はゆうに7尺を超えていた。しかし、2人を従えるように先頭に立つ年齢不詳の老人は彼らに劣らぬ不思議な威厳と存在感を放っていた。伸ばされた髭も耳の後ろに残る髪も混じり気のない白で神々しいという表現が近いように思われるが、しかしそれだけではなく、もっと現実味を帯びた、強かな生命力も感じられる老人だった。

 清乃は一度老人と目を合わせ、凛然たる所作で礼をする。そしてどこか遠くを見るような目をして口を開いた。


「真っ直ぐな、曇りのない刀を振るう少年ですね。

 ――――――お父様と同じ様な」


「!」


 清春は目を見張り、老人が返す前に清乃の方を振り返り、思わず問いかけていた。


「――――父とは」


 清乃は再び清春へと向き直る。高く括られた長い黒髪が流れるように揺れた。青藤色の瞳に柔らかな雰囲気を湛え、穏やかな表情でその問いに答える。


「私が似ていると感じたのは清鷹さんです。何度も刀を振るう姿を見てきました。もう1人のお父様、誉さんのこともよく知っています」


 清乃は一度言葉を切り、一呼吸おいて話を続ける。


「私の両親は清鷹さんに救われました。最期の瞬間には誉さんも傍にいてくれました。私がここに入れるよう手引きをしてくれたのもお2人です」


 清乃の声色は抑揚は少なくとも優しいものだった。春の風が一層その優しさを増して言葉を清春へと届ける。彼女が感謝の念を抱いていることが充分に伝わってくる言葉だった。

 思いがけず聞くこととなった実の父と育ての親である継父の名前に、そして2人が目の前にいる女性とその家族の恩人だということに、清春は少し驚きながらも幾分感慨深い気持ちになる。2人のことを思い浮かべ、一瞬だけ目を閉じる。

 その場で詳細を問うことはしなかったが、清乃の話をもっと聞きたいと思った。ここには自分の知らない父たちを知る者がいるのだと思うと、彼らのことをもっと知ることができるのではないかという期待が生まれ、ここに来た意味をもう1つ見つけられたように感じた。


「清春といったな、そなたの父上たちは2人とも仁義に厚く優秀な隊員じゃった。しっかりと自分を持っており、口にしたことは必ず行動で示してきた。皆から信頼され、多くの人脈を築いてきた。誉には、もう一度戻ってこないかと声をかけたこともあったのじゃが......。

 実に惜しい存在を亡くしてしもうた。今でも彼らの人柄と力が偲ばれる」


 感情のこもった穏やかな物言いだった。面接の時には本当の考えが読み取りづらいと感じていた老人の、心からの言葉に聞こえた。言葉を切った老人は一度目を閉じる。再び目が開かれた時には既にもとの威厳が戻ってきていた。


「合格者にはすべての試験が終わるまで隊舎で待機してもらうこととなっておる。

 あちらに案内役が控えておる。ついて行くとよい」


 老人たちが離れると、清春は清乃に礼をして、返された礼を受け止め、10間ほど離れて見ていた他の試験官たちの近くへと戻る。試験官は10名ほどで、その中にいた1人の青年、庵は清春の横に立ち、祝いの言葉の1つも告げず、清春の頭に軽く手を乗せた。顔を上げると庵がほんの僅かに微笑みを浮かべているのが目に入った。珍しい、と思ったが、清春と目が合うとすぐにいつもの無愛想な表情に戻る。

 その様子を眺めていた足が3本に分かれた羽の艶が美しい烏が軽く羽ばたき、花弁を舞い上げながら庵の肩から清春の肩へと移る。 

「合格、おめでとう」

 肩に小さな重みを感じると同時に左の耳元で告げられた言葉に、控えめに呟くように、「ありがとう、杏」と返すと、八咫烏の杏は満足そうに清春を見据え、庵の肩へと舞い戻る。


「合格したやつはさっさと移動して天音と真光の合格を祈ってろ」


 ぶっきらぼうに聞こえるが、そこに隠される温もりを知っている清春は少し嬉しくなり、表情を緩める。

 1年間同じ家で過ごし、庵の不器用な優しさを何度も見てきた。知らないことも多いままだが、姉が信頼し自分たちのことを託した庵のことを、今では清春もすっかり信用していた。


 今しがた清春が合格を告げられた試験、天叢雲の入隊試験は、年に一度、卯月の初日に行われる。試験内容は面接、筆記、実技の3種類であり、受験者は各試験官の指示に従い、それらを順に受けていく。面接、筆記、実技すべての試験に合格した者のみが入隊を許可される。受験資格はその年の卯月から翌年の弥生までに15歳を迎える者以上の歳であれば、住んでいる場所、身分、種族は問われない。

異なる時期に入隊する者もいるが、それはその者の力と人格を見極め、それを必要とし内部から直に声をかけた場合と、一部の特殊な事例に限られる。


 かつて父たちや姉の所属していた天叢雲の隊員となり、今の自分たちにできることを行おうと決め、散りゆく桜の下で心の内を語り合った日から約1年。季節は移ろい、また春が巡ってきていた。


 清春と双子の妹である天音は庵の家での生活を始めてからの1年間、同じく庵の家の居候である烏天狗の真光とともに3人で知識と技術を高め合ってきた。勉強に関しては寺子屋を出ている清春と天音が真光に教える形であったが、剣術や武術に関しては、これまでの経験からお互いの持ち得るものを教え合い、互いに吸収してきた。

 清春が天叢雲への入隊の希望を告げた時、庵からは肯定も否定もされることはなく、どのように捉えられたのかは分からなかった。

しかしその後は非番の日には傘張りの合間に鍛錬に付き合ってくれるようになった。庵の剣術の腕前は清春と天音に剣術を教えてきた継父や姉に負けず劣らずの優れたものであり、力の差があり過ぎて悔しい思いをさせられてばかりだったが、鍛錬の繰り返しの中でいくらかは盗んだものもあるはずだ。

 これまでずっと、継父と母に支えられ、姉に守られ、父の言葉を胸に、正しいと思ったものに真っ直ぐに生きてきた。器用には生きられなくとも、自分が損をすることになろうとも、納得のできる方法を選んできた。

1年前、多くを失い後悔や迷いの生じた時も、周りにいた人々のおかげで大切なものを見失わずに済んだ。己の無知と無力さを知り、これからの在り方を考えながら過ごした1年間の間に、変わったことも変わらなかったこともある。すべて抱えて生きていくしかないのだと悟らされた。そして、今ここに立っている。

 身に付けてきた力で、これからも、自分の信念を貫きながら生きていく。守られてきた命で、今度は誰かを守れるように。


「ああ、3人揃って合格できるよう祈ってる」


 天音と真光のことを思い浮かべながらそう返し、清春は桜吹雪の中で話が終わるのを待ってくれていた案内役に歩み寄り、小さく頭を下げる。


「お待たせしてしまって申し訳ありません」


「構わん」


案内役は謝る清春を一瞥し、短く答え、視線をそのまま庵の方まで移動させる。


「菊、頼む」


庵の言葉に「はい」、と返し、「こちらだ」と続けた案内役に着いて清春は1歩ずつ歩いて行った。


 隊舎の待合室に着くまでの道中。長い廊下に2名分の足跡のみが響く。暫く無言のまま歩き続けていたが、清廉な雰囲気を放ち、話しかけ難い印象を与えられていた案内役が口を開いた。


「清春といったか。時枝奏さんの弟だそうだな」


 葡萄茶色の髪に鋭い似紫色の目をした男の声は、見た目に違わぬ凛としたものだった。


「はい。血は繋がっていませんが、時枝奏の弟、時枝清春です。烏天狗ではなく人間で......」


 歩みは止めないまま、案内役は半歩後ろの清春を一瞥する。その相手を矢で射抜くような視線に清春の緊張は一層強くなる。


「そのようだな。別に烏天狗と人間が家族であることも珍しくはないだろう。地方によって異なると聞くが、この辺じゃ人も妖も同じように生活しているからな」


「実の両親も人間で、父はここの隊員だったと聞いています。継父が烏天狗で、姉の奏は継父の実子でした」


 案内役は清春の生い立ちについて詳細を知っていたわけではないが、その声色と過去形で話されていることから憶測で状況を察していた。表情は大きく変えないまま、少し気を遣うように間を置いて続ける。


「父上のことはあまり存じん。だが、時枝さんの父上――――誉さんには世話になったことがある。

 しかし、親族にこれだけ天叢雲の関係者がいることは珍しい。お前が天叢雲に入ろうと思った理由も存じんが、お前がここに来るのは必然だったのかもしれないな」


 自分で選んでいるようで、選ばされているようにも見える運命――――――。

 そのように感じ、あまり表情を変えることのない案内役が清春に向けた目は、少し悲しそうにも見えた。


「ここに来たことがお前にとって幸か不幸かはわからん。だが、お前自身が選んだと言えるのなら、それが運命に選ばされたものになってしまわぬよう、その意志をなくさないようにしろ。後悔のないよう、信念を貫き通せ」


 淡々とした言葉だが、案内役は清春のことを解ろうとしてくれているようだった。そこには哀れみも含まれていたが嫌な印象ではない。どこか庵に似た不器用さと優しさを持ち合わせた人物だと感じ、清春は少し嬉しくなる。緊張していた清春の表情が少し緩むが、自身の態度を冷たいと思っている案内役は、その理由には気付かない。訝しむような表情を浮かべ、再び黙り込んで単調に歩き続ける。


 到着した部屋に清春を通し、事務的な態度で小さめの座卓の置かれた空間で休むよう促すと、案内役はすぐに部屋を後にした。

座卓の上の緑茶は誰かが直前に用意してくれたのだろう。青磁色の湯呑から白い湯気が立ち上っていた。腰を下ろす前に、清春は隙間なく閉められた障子戸の方を振り返る。


 案内役の立っていた畳の上には、彼の肩から舞い落ちた桜の花がひとひら残されていた。   



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