春告げの鳥は鳴かない ~ 大切さ故に ~
目に留めてくださりありがとうございます。
第3章は比較的短くなる予定です。
千桜町の北の地域には、天叢雲の支所の1つがある。
永陽歴1865年4月9日、双子が15歳を迎えた翌日。清春、天音、真光は北千桜支所へ伊吹、清乃、杏と共に見廻りを兼ねた物資の配達に来ていた。目的の支所へ向かう道中、数回道を変えながら、町家の並ぶ一帯の様子を確認する。杏は必要以上には飛び回らず、清春の左肩に乗ったまま辺りに違和感がないかを窺い、時折清春に話しかけている。清春の耳のことは、現時点では関わりの多い一部の隊員にのみ知らされており、今後彼らが同じ任務に就く時には清春を通してより正確な杏からの情報を得ることとなっていた。
「後ろ、駕籠が近付いてる。道を空けましょう」
「本当だ。ありがとう、杏」
ほとんど人通りのない道で遠い気配に気付き、早めに教えてくれた杏の言葉を清春が伝えると、すぐに全員が従い、後方に見え始めた駕籠に余裕を持って道を譲る。軽快な音を立てながら徐々に近付いてきた2人の駕籠舁きは軽く会釈をして心地よい風と共に通り過ぎ、次第に離れて緩やかな曲がり道に消え見えなくなった。
杏は周囲の変化に敏感で、気付いたことは相手や周囲の状況に合わせて手段を選び速やかに教えてくれる。庵の家で過ごした1年間の生活の中でも、彼女は周りのことによく気付く気配り上手だと清春も天音も感じていたが、天叢雲での活動中に見せる姿には感服させられることが多い。聡い彼女は、勘が鋭いことに加え、耳も目も良い様子だ。これまでも重要な場面で何度も活躍してきたのだろうということは想像に容易い。そんな杏の言葉を同じ言語として聞けることで考えさせられることも多く、自分の学びにもなる。
「普段の聞こえで不便なことはあるんだろうけど、すげぇよな、その能力。羨ましがったら失礼なのかもしんねぇけどさ、俺も杏たちとちゃんと会話してみてぇな」
右隣を歩く伊吹が清春と杏の会話の様子を見ながら話す。素直な伊吹から受ける印象はいつも好ましく感じられ、清春は自然と穏やかな笑顔になって答える。
「失礼なんかじゃないです。少し音との距離感が測りにくいことはあるかもしれませんが、もう片方の耳は普通に聞こえてるおかげで、不便さはほとんど感じてません。片耳の聴力は残ったまま杏たちの言葉を自分たちの言葉と同じように理解できるようになって、正直、得したなって思ってます」
それに加え、この能力を得てから、言葉の重みについて今まで以上に考えられるようになった。言葉が通じるということは本当にありがたい。杏たちは同じ言葉が話せなくてもその思いを一生懸命伝えてくれるが、言葉が分かることでそれがより正確に理解できるようになった。
一方で、言葉に表せない心の内側、言葉で伝えても理解し合えない思い、気付けない言葉の裏側の本音――――――言葉だけでは伝わらないこと、伝えられないことがあることのもどかしさも強く感じるようになった。言葉は大切だが、すべてではない。一言で誰かを生かすことも殺すこともできてしまうほど大きな影響力を持つのに、時として無力だ。
「杏たちと話せるのは単純に嬉しいですし、すごくありがたいです。
でも、元々言語の同じ者同士でも分かり合えないこともあるように、言葉が分かるようになることで何もかも分かるようになるわけじゃないことを改めて認識しました。言葉にしたからといってすべてが伝わるわけじゃなくて、すべての気持ちをちゃんと言葉にできるわけでもなくて……
この能力を得て気付けたことがありました。だから、言葉の裏に隠れた気持ちや言葉にできない気持ちを理解しようと努力することを忘れたくないと思います」
少し気恥ずかしさを覚えながらもこの考えを話せたのは、相手が伊吹で、一緒にいたのが真光、天音、清乃だったからだろうと清春はぼんやりと感じていた。
入隊してからこの数日の間に、誰かに自分の正直な気持ちを話すことが、下手なままで、増えている気がしていた。その理由もまた明確な言葉にはできないが、大切なことなのだろうと朧気に心得ていた。
「そっか、そうだよな。やっぱり純粋に羨ましいって思っちまうけどさ、言葉が分かっても意思疎通は難しいこともあるよな。逆に言葉があるから惑わされることもあるし。
でもそんなに真剣に考えて、真面目だな、おまえ」
伊吹はまた率直に伝える。おおらかに受け止め返してくれた言葉に、急に面映ゆい気持ちが大きくなった。
「いえ、俺は」
「俺もずっといいなとは思ってるんだ、その力。清春は真面目でちゃんと考えて話してるから思うことはいろいろあるんだろうしそんなとこも見習いたいとも思うけどさ、そんな力がもらえるならまずは杏たちと普通に雑談を楽しんでみてぇな」
自分の持つ言葉の力と理解力の乏しさに悩んでいただけで、そんなに深く考えられていたわけではないのだと言おうとした清春の言葉に被せ、真光も素直に無邪気な笑顔を浮かべて話す。その言葉にさらに頬が熱くなるのを感じるが、努めて向きにならないようにと心の中で息を深く吸い、恥ずかしさを隠すための反論をするのは止めた。ちゃんと考えて話してるのは真光も一緒だろうとも言いかけたが、ここで謙遜し合うのも恥ずかしい気がしてすぐに止めた。
そんな清春の肩の上でまた風鈴の音のような声がして耳を傾ける。
「杏が『ありがとう、私もみんなと話したい』って」
清春は少し弾んだ声で告げられた杏の言葉から「そんなに照れることじゃないのに」と言われてしまった前半は省き、伝えたいと思った部分のみそのまま伝える。それを聞くと伊吹、天音、真光の表情が一段と明るくなる。
「ほんとにいつかできたらいいな」
「そうですね。今は清春に通訳してもらうしかないけど、杏の話は楽しいから」
「杏の喋る声、直接聞いてみてぇな」
3人が口々に話すのを聞き、彼らの言葉を理解できている杏は嬉しそうだ。清乃は口は開かず慈しむような眼差しでその様子を眺めている。それぞれが、それが当たり前ではないことを知っているからこそ貴く思える何でもない平穏な風景だ。
周囲の状況確認は怠らないようにしながらも、軽く会話を楽しみながら歩みを進める。
「そういえば、まだここに入って7日ですが、伊吹さんと景虎さんが2人一緒じゃない時にお話するのは初めてですよね。ちょっと新鮮です」
「確かに。いっつも2人一緒に構いに来てくれるもんな!」
いつもという言葉が使えるほど長く共に過ごしているわけではないが、その言葉を使いたくなる程度には彼らに親しみを持ち馴染むことができていた。
その場の全員がこの度の流れと出発前の伊吹と景虎のやり取りを思い返す。
今回の任務を命じられたのは昨日の昼食前だった。肆の班、伍の班の中で、今日の昼下がりに本部に残っている予定の者の中の数名で北千桜支所へと届け物をしてほしいと隊長近衛から直々に依頼があり、清春、天音、真光の3名が買って出た。真光は宝良も誘おうとしたが、宝良は菊之介の入手した情報のさらなる聞き取りの手伝いをすることとなっており、声をかけてくれたことへの礼と謝罪を丁寧に述べて断られてしまった。行きたそうな様子の窺えたあやめは壱の班に所属する知り合いと共に諜報班から得た情報の確認のために外出する予定がすでに入っており申し出ることができなかった。
率先して立候補した3名だけでは場所が分からないため、清乃が案内役につく。当初はこの4名で向かう予定となっていたのだが、出発直前、届けてほしいものが大きな風呂敷1つ分増えたと伝えられ、急遽もう1名人員を増やすこととなる。その話はその時に食堂で食事をとっていた十数名の隊員たちに持ちかけられた。今回も近衛が直々に伝えに来たため、和やかな食堂に一気に緊張が走る。
「俺行く!」
誰もが背筋を正して立ち上がり近衛に体全体を向ける中で、敬語も忘れ真っ先に買って出たのが伊吹だった。そんな姿を真っ直ぐで伊吹らしいと思い、向かい側の景虎は無意識に笑みを零してしまう。
「今日も元気がよいな、伊吹は。よし、おまえに託そうかの」
「はい! 託されます!」
眉毛の裏で目を細めて伝えられた近衛の言葉を受け、伊吹は一層明るさの滲む声で返しながら、肩の高さで握った右手に力を込める。誰かの役に立つことが心底好きな伊吹の大きな瞳は嬉々として輝いている。
「清乃が道教えねえといけねぇやつが増えたな」
道を覚えることが苦手な伊吹を揶揄うように景虎が言うが、彼の表情からも伊吹同様の喜びが窺える。冗談を言ってばかりの景虎が本当は積極的に雑用も買って出る伊吹の性格を尊敬し、気の置けない仲間、友人として傍にいることを周りの者も知っていた。それに加え、景虎はそんな真っ直ぐで素直な、正義感の強い友人のことを羨ましくも思っていた。
「支所の場所くらい覚えてるぞ! それに道案内なんかひとりひとりにするものじゃねぇんだから清乃の手間は変わんねぇだろ」
景虎の性格を分かっているため悪い気はしていないものの、伊吹もそれに乗り、向きになった様子で心の中では楽しみながら返している。共に過ごしているのは天叢雲に伊吹が入隊してからの2年間であるが、度が過ぎてしまった時にはそれを伝え合い謝り合える関係でもあった。傍に居るだけで、お互いに大切にし合っているからこそ許される冗談、大切にし合っているからこそ気恥ずかしくて言えないこと、そういったものを引っ括めて認め合っていることが手に取るように伝わってくる。
「まあそうだけどな。一番前歩いておまえを止める仕事増やさないようにな」
「だーかーらー、支所なら場所は大丈夫だって!」
「場所は大丈夫でもおまえの体力で先頭切って歩いて先々進んだら清春たちが置いてかれるだろ」
近衛の前でさえこのようなやり取りを繰り広げる2人を見て、周囲の雰囲気も和やかなものに戻っていた。
「大丈夫だ! 俺も伊吹さんに遅れをとらないよう先頭行く!」
「ちゃんとついていけるよう頑張ります」
口々に言った真光と清春に視線を移し、少し2人の顔を凝視した後、景虎は思わず吹き出してしまった。
「ここにも馬鹿真面目なやつらがいたよ、おまえら揃いも揃って良いやつ過ぎ……ってか、先頭に真光が加わったら余計に止めるの大変だろ」
そのようなことを言いながら、景虎は安心しきった顔で笑っている。
「そろそろいいかの? 昼休憩を終えたら白秋の間に置いてある荷物を持って出発してくれ」
少しの間傍観していた近衛が声をかけると、その場の大半の者がまた畏まった表情に変わる。穏やかな物言いで微笑ましく彼らのことを見ていたことが伝わってきている時でさえも、近衛の威厳と存在感はかなりのものだ。
「すみません」と慌てた様子で伝える清春に、「よいよい」と近衛が返す周りで、それぞれが次の行動に移るべく止めていた手を動かし始めていた。
「では頼んだぞ」
その一言を残すと、今回は目の前で術を使って忽然と姿を消した。初めて見た清春は呆気に取られその場に立ち尽くしていた。真光と天音も同じ様子だった。近衛が立っていた場所には1枚の何かの葉が円を描くように舞っていた。
目的の支所に向かいながら、町の様子を確認し、時々聞き取りを行う。闇雲関連での大きな収穫はないが、老人が落とした独活が緩やかな坂を転がり落ちてきた場面に遭遇し拾い集めたこと、目の前で転んだ子どもの傷の手当て、金物を積んだ荷車が倒れ困っていた商人の手伝いなど、比較的平和な災難の手助けを行いながら、着実に目的地へと近付いていた。
全員が困った者を見て見ぬふりはできず進んで好んで関わるような性格であり、時間に余裕もあるため、綿雲漂う春の澄んだ空の下、楽しみながら、できることを進んで探していた。
町家の間にあった細い道を抜けて少し人通りのある通りに入り、目的地までもう少しだということを清乃が説明した時。
「清春と天音か!?」
突然かけられた声に振り向くと、そこにはもう会えないと思っていた人物の姿があった。
「綱道おじさん!?」
驚きで裏返ってしまった清春の声が響くと、その人物は一瞬周囲の視線を確認するように左右を見渡してから5人の方へと向き直る。一瞬の違和感は大して気に留めずすぐに忘れてしまうほど驚きは大きかった。
「お前ら、生きてたのか……!」
清春と天音の姿を真っ直ぐ目に映し、吸い寄せられるように、確かめるように、さらに近くまで歩いてくる初老の男の目には僅かに涙が滲んでいた。
「本当に、本物の、清春と天音なんだな……」
突然の別れは永遠のものだと思っていた。感慨深い響きを含む声で、再会を心から喜んでくれているのだと感じ、込み上げてくるものがある。
「あれから村の連中とは連絡取れてねぇし、お前らの道場の辺りは壊滅的だったって聞いたもんだから、俺はてっきりお前らも……、いや、無事でよかった」
「綱道おじさんも無事でよかったです。どこかに逃げたか犠牲となってしまったか、襲撃直後に確認できた生存者は皆無だと聞いていて……」
「綱道おじさんが無事だってことは栄吉と芙蓉おばさんも……?」
綱道と再び出会えたことで、清春と天音は周りを探りながら進むために持っていた枝に灯りが灯されたような感覚を覚えていた。
「ああ、栄吉も生きてる。あいつは今、里香野村でやりたいことを見つけて頑張ってるらしい。
――――――――芙蓉はあの日犠牲になったけどな」
後の言葉に、清春の中の再会の喜びは完全に消えはしないものの温度を下げていった。期待しすぎて綱道の傷を抉るようなことを訊いてしまったのではないかと少し後ろめたくなる。
小柄でふくよかで綱道と同様に優しかった女性の顔を思い浮かべる。家まで遊びに行くといつも笑顔で迎えてくれた。母とも仲が良く、一緒に作ってくれる甘味はとても美味しかった。姉を心配する天音に上手く声をかけられない時、一緒に声をかけて励ましてくれたこともあった。記憶にある光に包まれていたような時間は心地よい温度のものばかりだった。
出会えるのはもう思い出の中だけになってしまったのだと現実として知り、清春と天音は言葉を並べられなくなり、そのまま俯いてしまう。
「そんな悲しそうな顔すんなよ。あいつは栄吉と同じように可愛がってたおまえらのそんな顔見たくねぇだろうよ」
「すみません……。お悔やみを申し上げます」
「謝る必要もねぇだろ。最期はあんまりにも理不尽だったけどさ、あいつもおまえらには感謝してると思うぞ」
遣る瀬ない思いが押し寄せてくるが、清春はまたそれ以上何も言えなくなってしまった。天音は遣り切れない気持ちで冥福を祈るように一度そっと目を閉じ、切り替えきれていない心を隠して次の質問を口にした。
「よければ今度芙蓉おばさんにお礼を伝えに行かせてください。
――――――栄吉と連絡は取りあってるんですか?」
「ぜひ行ってやってくれ。あいつも喜ぶ。
栄吉との連絡は、たまにだな。病弱なあいつが目標を持って動いてると思うと嬉しいよ。邪魔したくねぇと思うけど、逞しくなった姿も見てみてぇなと思ってたところだ」
綱道は息子の姿を思いながら、哀愁を帯びたような表情を浮かべる。そのまま、栄吉のいる方角、東の空を見上げ、また清春と天音へと視線を戻す。
「お前らもまた栄吉に会うことがあったら、もう1回友達になってやってくれるか?」
確かめるような問いは親としての願いのようにも聞こえたが、清春にとっては思ってもみなかったものであり、その答えは息をするように自然と言葉になっていた。
「もう1回も何も、俺、栄吉の友達を辞めたことはないです」
少し面食らったような間があったが、綱道は目を細めて昔のように頭を撫でてくれた。
「そっか、愚問だったな。ありがとな」
ごつごつした手が心地よい。感謝がそのまま伝わってくるような温もりと、慈しんでくれるような優しさがある。見ている天音も一緒にそれを受け取っているような気持ちになっていた。
「あいつは丈夫な身体を持って生まれてくることはできなかったが、周りのやつらには恵まれたな」
――――――――――父親以外には。
飲み込まれた続く言葉は誰にも気付かれないまま、綱道の中だけに納められた。
「しかし誉も小都ちゃんも、どんな教育してお前らをそんな良いやつに成長させたんだろうな。近くで見てたはずなのにな」
「そんな、栄吉だってすごく良いやつじゃないですか」
「そうですよ、綱道おじさんたち、親子揃って優しさの詰まった宝箱配り歩いてるみたいな人たちです」
清春と天音が順に伝える言葉に、綱道はまた面食らったような顔をした。今度はそのまま言葉を続ける。
「何だよその例えは。面と向かってそんなこと言われると恥ずかしくて居心地悪ぃな。大人を揶揄うんじゃねぇぞ……ってお前らそんなやつらじゃねぇよな。
お前らの近況も知りてぇな。樹や奏、誉と小都ちゃんも今も一緒か? みんな元気してるか?」
「樹は元気です。継父さんと母さん、姉さんはあの日に亡くなりました」
受け入れ、落ち着いて話すことができるようになってはいるが、まだ胸の中が自分自身の言葉で痛むのを感じる。
「そうだったのか……。
もうあいつらには会えねぇのか」
1年前の突然の別れ以来もう会えないものと思い込み割り切っていたはずなのに、悲しみは大きく、綱道は清春と天音との再会で今更都合よく期待してしまっていたことに気付き、心の中で自嘲する。
誉は同じ道場に通う剣道の仲間で、誉、小都子、清鷹とは、稽古を共にしたり、休日に近場に散歩や食事に出かけたりと、よく関わっていた。清鷹が道場を継いだ時も、その後すぐに誉が道場を継ぐこととなった時も、傍で彼らの努力を見てきた。2人を支えていた小都子と、近年は道場と本職の両立のために多忙を極めていた奏のことも。息子と生き延びられたことだけで奇跡のようなものなのだからこれ以上は望まないようにしよう考え納得できていたはずだったのだが、歳は離れているが一目置いている友人たちに、自分で思っていたよりももっとずっと会いたかったようだ。
清春は綱道に対してはそんな必要も意味もないと思い、下手に取り繕わず、元気なふりもせず、ありのままの現状を話す。
「あの日、継父さんたちは俺らを守ろうとして、最期まで戦ってくれました。2人が倒れた後も姉さんは俺らを逃がすために戦い続けてくれて……
何が最善か分からなくて、俺たちは走って逃げました。姉さんの最期は見てません。
3人とも、今は綱道おじさんたちにも一緒にお墓を立ててもらった実の父さんと同じところで眠ってます。
――――俺たち、とうさんたちや姉さんと同じ天叢雲に入ったんです。綱道おじさんは無関係じゃないから知っておいてもらえたらと思うんだけど、天叢雲は治安維持の活動をやってるだけじゃなくて、俺たちの村を襲撃した闇雲っていう集団と向き合うことも活動のひとつで……」
「!」
綱道が一瞬目を見開いたことに気付き、清春は言葉を切る。
「―――――どうかしましたか?」
「いや、立派にやってるんだな」
微笑む綱道の表情と言葉に、気のせいだったかもしれないと思った清春は、改めてこの1年間の出来事を思い返しながら話を続ける。
「立派じゃないです。俺たちだけじゃ、俺だけじゃ、何もできませんでした」
そう言うと、清春は真光たちひとりひとりの顔を見て、綱道へと視線を戻す。独りで考えなければならないこと、抱えていかなければならないことばかりで、たくさんの感情に押し潰されそうになりながらも、そうならずに済んだのは1人ではなかったからだ。
「今は同じ天叢雲の隊員をしてる知人の家にお世話になってます。そこにいる友人も一緒で……すごく良いやつなんです。真光っていうんですけど……。栄吉にも会わせたいな」
それを聞いていた真光は、今は必要以上に主張しようとせず、頬を掻きながらくすぐったそうに笑っている。清春は大切な場面を自分で決めて弁えた行動をとることのできる真光を見て、そういうところが本当に尊敬できるところだと改めて思っていた。
「そうか、そりゃ嬉しいな。清春の友達と友達になれたら栄吉も喜ぶだろう。生活も困ってないみたいで良かった」
「はい。助けてもらって、今は家事を分担しながら有難みを感じながら生活できてます」
綱道は満足そうに頷き、その目尻の皺を深くした。
「綱道おじさんはこの辺りに住んでるんですか?」
「ああ。忙しいかもしれんが、また近くに来た時には声をかけてくれ。家の正確な場所は町の誰かに聞けば分かるだろ」
「はい、そうさせてもらいます。その時にはもっとゆっくり話したいです」
「私ももう少し話したかったけど、任務の途中なんで今日はこの辺で。綱道おじさん、お身体に気を付けて。また近々会えたら嬉しいです」
清春と天音は順に告げると、会釈をして軽く手を振りながら別れ、目的地へと歩みを進める。
「急に話し込んですみませんでした」
「大丈夫です。急ぎの任務ではないですし、今の再会は大切にすべきものだったように見えました。一度逃してしまうと二度と訪れない機会はたくさんあります。お2人が今、後悔を1つせずに住んだのなら嬉しく思います」
「今の、清春と天音のことよく知ってる知り合いなんだな。大切にしてもらってたみたいだな」
「はい、うちの道場でとうさんたちと一緒に剣道をやってた人です。俺たちのことは生まれた時から知ってくれてて、会った時にはいろんな話を聞かせてもらっていました。剣の相手をしてもらうこともありました。今話に出てた栄吉は俺たちと同い年の綱道おじさんの息子で、小さい時から時々遊ばせてもらってました。
俺たちの道場周辺に住んでた人たちで生存が確認できてる人はいないって聞いてたから、もう会えないと思ってたんですけど……」
説明の途中で温かい何かが込み上げてくる。
「生きてた、ね。会えたね」
「ああ」
「おまえらずっと道場の人たちのこと心配してたもんな。良かったな」
安堵と喜びを確認し合う清春と天音と、2人の傷を知っていた真光は、雪解けのような速度で冷たくなっていた心の一部が少し救われたような心地で目を細め、柔らかな空気を通わせ合っていた。
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物資の受け渡しと挨拶を終え、支所を出て歩いていた帰り道、先程の場所とは少し距離のある別の通りでまた綱道の姿を見かけた。声をかけようと思ったが、先程とは様子が違うことに気付き、一旦動きを止める。綱道は何かから隠れるように、物陰に身を潜めながら移動していた。先程は気付かなかったが、その草履は同じもので相当長い距離を歩いたかのように草臥れ、鼻緒は数ヶ所が擦れたような傷が入っていた。
「……綱道おじさん?」
びくりと怯えるように振り返った綱道は、その視界に映った者たちを確認し、小さく安堵の息を吐いた。
「清春、お前らまた戻ってきたのか」
「やることが終わって天叢雲の本部に戻るところです。綱道おじさんは……?」
「離れろ。仲間だと思われたら巻き込まれる」
「え?」
発言の意図するところが分からず、尋ね返す清春たちを真っ直ぐに見て、綱道は山鳩色の小袖の右側の袖を肩まで捲る。
「その刻印……!?」
以前と変わらぬ筋肉のついた、頼もしく感じていたその肩には流れる雲のような赤い模様が鮮明に刻まれていた。
「そうだ、俺は今は闇雲の一員だ。自分たちの住む場所を襲い、芙蓉を、誉を、小都ちゃんを、奏を殺した相手だと知らずに、他でもない闇雲入って、いつかの自分のために奴らの役に立とうと必死になってた大馬鹿者だ。申し訳が立たん」
綱道は忌々しそうに己の右腕を睨む。闇雲のことも、自分自身のことも、憎くて仕方がなかった。ゆっくりと袖を戻すと、清春たちに一度頭を下げる。
「さっきは言えんですまんかった。おまえらを傷付けて落胆させるかと思った。でもおまえらを信用するなら言わねぇとだめだったよな。
俺は闇雲の1人に声をかけられ、その時は正体の分かってなかった村を襲ったやつらに復讐しようとして、その当事者のいる組織に入った。栄吉が里香野村に行った直後のことだったから、あいつはこのことは知らねぇ。
事実を知った時は絶望した。だがすぐに考え直し、内部から復讐しようとした。それがばれて何人かと戦って脱走して――――――今、ここにいる。お前らの大事な家族の仇の仲間になっちまった。すまねぇ」
「謝らないでください、そんなの騙されたようなもんじゃないですか」
「そうですよ、綱道おじさんは悪くない」
清春と天音は必死に伝える。せっかくまた会えたお世話になっていた大切な存在が、自分を責めて苦しんでいることが辛かった。清春は下ろしたままの拳を強く握る。
「ありがとな。でも、そんなつもりはなくとも俺は取り返しのつかないことをしちまったんだ。
それに、俺はもう手遅れだ。さっきも追っ手に見つかりかけた。終わりを迎えるのはこの話の直後か、半刻後か、1日後か……」
綱道はまた袖に隠れた刻印の辺りを見つめた。その目には後悔と諦めの色が滲んでいる。ずっと器の大きな頼りがいのある大人だと思っていた人、今もそう思っている人のそのような顔を見ると、清春も天音も胸が張り裂けそうになる。
最後尾に立っていた清乃が静かに一歩踏み出し、周りを気にして小声で話し続ける綱道の声量に合わせ、口を開いた。
「横からすみません。天叢雲隊員の清乃と申します。もしよろしければなのですが、一度私たちの本部へいらっしゃいませんか? 一時的な避難先を提供できます」
事務的に、だが丁寧に提案した清乃の方を全員が同時に振り向いた。綱道以外の顔には花火が夜空に広がった瞬間のような明るい表情が浮かんでいる。
「いや、これは俺の問題だから、あんたらを巻き込むわけには……清春にも天音にももう危険な思いはさせたくねぇよ」
首を縦に振ろうとはしない綱道に、清乃はもう半歩近付く。
「巻き込まれるのではありません。先程清春くんが話された通り、これが私たちの仕事です。清春くんと天音さんも自分で決めて天叢雲へ入隊しています。
それに、あなたは清春くんと天音さんにとって必要な方だとお見受けしました」
「拒否しても無理矢理連れてくからな。見殺しになんかしたら近衛の爺ちゃんに怒られちまう」
悪戯っぽく笑い、伊吹は綱道の横に立った。
「すみません綱道おじさん、迷惑じゃなかったら来てください。せっかくまた会えたのに、こんなにすぐに、今度こそ本当に永遠のお別れなんて嫌です」
大切だからこそ力になりたいという想いと、大切だからこそ巻き込みたくないという想いは同時に成り立たないことがある。今回は以前より双子に甘かった綱道が折れた。微力でも今の自分にできることをやろうと決めた天音に切実に頼まれると綱道はもう断ることはできなかった。
「分かった。だが途中で何かあったら俺にも戦わせてくれ」
「お気持ちはお察ししますが、あなたが追っ手の前に姿を現すだけであなたの命が危険なことは既にご承知のことと存じます。私どもは進んであなたを危険に晒すわけにはいきません。基本的にはあなたには隠れていていただきたいと思います。しかし、誉さんや清鷹さんと剣術を極めてこられた方であれば、相当の実力者であるとお見受けします。若輩者から指示をしてしまい申し訳ございませんが、必要となれば、姿を隠しながら援助をお願いします」
清乃は清廉とした所作で頭を下げる。そして、離れた場所から行動できるよう、弓矢と、苦無の入った皮袋を手渡した。綱道は礼を述べるとすぐさま矢筒と弓を肩にかけ、苦無を帯へと隠す。
「俺を追ってきた奴らは3人だ。応援を呼んでなかったらだがな。その内の1人が刻印の呪いを発動させることができる。そいつは白茶色の髪を緩く一つにまとめた痩身の烏天狗だ。脱走する時に俺が与えた傷で今は飛べねぇはずだが、飛べなくても敏捷性が高く厄介だ。後の2人は戦闘能力は高くない」
「情報ありがとうございます。可能な限り追っ手との遭遇と不要な戦闘は避けましょう。
伊吹くんと天音さんは羽織れるものを出して、綱道さんと一緒に一旦物陰へ」
「はい」
「おう!」
天音と伊吹の返答が重なる。天音が道中合羽を取り出し、伊吹がそれを綱道に頭から被せる。
「杏、偵察をお願いします」
小さく鳴いて杏は飛び立つ。清春はその鳴き声が「分かった」という言葉だったことを理解することができた。
「真光くんと清春くんはできるだけ自然に近くの安全確認と誘導を。また、町の人たちを巻き込まないよう、必要だと判断したら早めに避難を促してください。私も本部に連絡をしてからすぐに加わります」
「了解!」
「分かりました」
口々に返し、真光と清春は分かれて周辺の安全確認を始める。清乃は一旦町家の隙間に隠れる。杏に頼まずにどのように連絡をとるのか気にはなったが、気を抜けない状況の中、今は自分の役割に専念しようと思い、清春は町を歩く町人の1人を装いながら周囲に神経を集中させた。




