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結刃流花譚  作者: もりみつ
第2章 柳は緑、花は紅
14/20

柳は緑、花は紅 ~ 悲しみの生まれる場所 ~

たくさんの作品の中で目に留めてくださりありがとうございます。

前の話と合わせて1話としようとしていましたが、分けることにしました。


 


もう誰も失いたくない。それでも、そのために誰かを手にかけるなんてできそうにもない。素直に話せば合格を取り消してしまわれるかもしれないと懸念もしたが、問われた覚悟は結局できていないまま、それでも入隊を希望することを決めた。これまでのものと似て非なる、もうこれ以上、何も誰も失わないために戦う覚悟の強さは増していた。




集合時刻まで、清春と天音は敷地内を散策することにした。幼い頃、2人でよく知らない道に入っては新しいものを見つけ、それだけのことを心から楽しんでいたことを思い出し、どこか懐かしい気持ちになった。

本部は思っていたよりも広く、まだ全体の構造は把握していないが、建物はほとんどがどこかの歴史ある神社のような木造建築で、その周囲には場所ごとに桜、梅、松、南天、銀杏、紅葉などの季節毎に楽しむことのできそうな立派な木々が植えられている。中でも太く高く伸びる椋の木の姿は荘厳だった。あちらこちらを風情のある草花が彩り、先程の庭とは別の場所にも小さな池が数ヶ所存在した。全体的に空気は静かで、神聖な雰囲気が漂っている。景色を楽しみ、今後のために少しずつ道を頭に入れながら歩いていると、建物の集中している場所からは少し離れた場所にある茂みの奥に真光の後ろ姿を見つけた。

まだ考え事をしているかもしれないと思うと声をかけることは一瞬躊躇われたが、少し近付くと天叢雲の猫又、輝夜(かぐや)と戯れているだけだということが分かり、その名を呼んでみた。真光は振り返り、2人の姿を視界に捉え、笑顔を浮かべかけた――――――――が、すぐに真顔に戻り、危ない、と叫んで清春と天音の方へと駆け出した。

同時に、清春の頭上で風を切るような音がした。身体を捻りながら見上げて目を見開く。禍々しい雰囲気を纏った柳の木の枝が鞭のようにうねり、清春目がけて勢い良く降ってきた。

清春は攻撃の軌道上から頭を反らし、天音はそんな清春の腕を引いて躱させようとしたが、咄嗟のことで避け切れず、右肩に激しい痛みが走る。


「痛っ……。なんで木が......」


怯む暇も考える暇も与えず、柳は次の攻撃の体勢に入る。飛び退くように距離をとった2人の居た場所に長い枝が振り下ろされる。風を切る音が響き、枝は地面を抉るようにくい込んだ。その枝が抜ける前に真光は飛び上がり、枝の根元に向けて竹刀を振るう。正確に技を叩き込み、枝の軋む音がした。手応えはあったのだが、しかし、柳は大きな反応は見せず、効いているのかいないのか分からないまま、次の攻撃を放ってきた。弾き飛ばされた真光を、清春が受け止める。清春を傷付けてしまわないよう、真光は飛ばされながらも急いで羽を仕舞っていた。受け止められる瞬間にはなんとか間に合って良かったと心の中で呟いた真光は胸を撫で下ろし、小さく安堵の息を吐いた。


「悪ぃ」


「いや、ありがとう。大丈夫か?」


「ああ。受け止めてもらえて助かった。ありがとな」


すぐに立ち上がり謝る真光に、清春は自分のために竹刀を振るってくれたことと咄嗟に羽根を仕舞ってくれたことへの礼を述べる。真光もまた礼を伝え返したところで、天音も2人の元へ駆け寄ってくる。今、彼らと柳の距離は枝が届かない程度には離れていた。

しかし、安堵するのには早かった。柳の木は、地面に張っていたその根を持ち上げ、動いていた。


「え」


「なんだあれ」


「どういうこと?」


3人の表情が固まる。妖の類なら別だが、自然の木が歩くなど聞いたことがない。再び身の危険を感じ、心もとない竹刀を構え直して応戦体勢に入る。放ち続けられる禍々しさに気圧されてしまうが、形勢を逆転させるためには何か手立てを考えなくてはならない。だが、近付いてきた柳の枝は再び枝を高く掲げ、止め処なく攻撃を仕掛けてくる。ひとまずは防御に回るしかなく、3人は付かず離れずの距離をとり、柳からの攻撃をなんとかいなしながら反撃の瞬間、相手が体勢を崩したり動きが鈍ったりする瞬間が訪れるのを待った。

しかし、柳の攻撃が勢いを緩めることはない。期待した機会を得る前に、散り散りに動き回っていたはずの3人は、1ヶ所に固められてしまった。

枝を左右と上から同時に振るわれ、3人とも揃ってもう逃げられないと感じ、それぞれ1人が1本の枝と対峙するために竹刀を構え神経を集中させていた。

多少の怪我は覚悟し、神経を集中させ、腹を括って迫り来る枝を両目で見据えた次の瞬間。――――――――衝撃はやってこなかった。


一瞬状況の把握ができなくなった3人の前で1つにくくられた繊細な黒髪と瓶覗の着物が風に揺れている。3人を背に庇い、柳の前に立ち塞がるように清乃が立っていた。音もなく現れた彼女は、目に見えない速さでその刀を抜き、枝を3本とも振り払っていた。


「あれは負の感情の募った結果生まれた想いだけの塊です。一般的な竹刀では斬れません。専用の武器のないまま3人だけでここまで耐えたことを誇ってください」


告げると清乃は柳との攻防を始める。柳は四方八方から枝を振るい、清乃を叩き潰そうとするが、複雑な動きをする枝も清乃はしなやかに躱し続け、柳との距離を縮めていく。後1尺というところまで本体へと近付くと、1歩踏み込み、刀の柄で優しくもある程度の力を込めて幹を突く。衝撃で少しだけ柳がよろめく。その時、柳から抜け出てくるように形の曖昧な黒い塊が現れた。それは宙に浮く影のようで、柳から感じていた禍々しさそのものだった。塊の離れた柳の木は、他の木々と同様の穏やかな姿を取り戻し、周囲の木々とちょうど良い距離の保たれた今の位置に落ち着いた。

禍々しさの塊はそのまま近くの別の木に乗り移ろうとして斜め上から近付くが、清乃はそれを許さなかった。木との間に一閃が走り、後退させられる。清乃は低い位置で刀を構え直すとまたそれに近付き、十分に間合いを詰めたところで跳躍する。そのまま白刃を煌めかせ、明確な輪郭を持たない塊を両断する。清乃が刀を収めると、そこにあった不吉な空気は消え、黒い塊は徐々に淡い光の粒へと変わっていく。浄化されるようにすべてが光って消えるのを見届け、清乃は清春、天音、真光に話しかける。


「怪我はありませんか?」


「私は大丈夫です。でも、真光と清春は1回ずつ枝の攻撃を受けています」


天音は心配の色を浮かべ2人を見遣る。


「そうでしたか......。お2人とも痛みはありますか?」


「いえ、それ程大きな痛みは......」


「俺も軽く痛む程度かな」


2人とも自分の感覚では大したことはないと説明したが、念のため影千代に診てもらうこととなった。医務室までの道中、清乃はその振るった刀により光となって消えたものについて説明してくれた。


「今あなたたちが戦っていたのは、人や妖の心にある怨み、憎しみ、怒り、妬み等の誰かに対する負の感情が大きくなり、感情だけが独自の姿となったものです。だからといってそれ自身が負の感情を抱いているわけではなく、疲れや空腹、痛みなどの感覚も持ち合わせていないようです。影のように見えますが、流動的で明確な形はありません。素手では触れることもできません。

私たちは影虚(かげうつろ)と呼んでいます」


影虚(かげうつろ)は報われない負の感情の塊で、何かに憑依することで力を得る。植物、動物、妖、人――――――。命あるものに取り憑くと、その者を操り悲しい感情のままに見境なしに攻撃を始めてしまう。道具、武器などに取り憑いた時には、その物自体の能力を高める。取り憑いた物は瘴気を放つようになるが、その持ち主に影響を与えたり、持ち主まで操られたりすることはない。

意図して生まれるものではなく、計り知れないほど深い負の感情が溜まった時にごく稀に生じる。妖でも人でもない、命を持たないそれは、感情も感覚もない。ただ、誰かに対する負の感情を持つ者から生まれた存在として、周りの者を攻撃するという目的だけが本質として刻まれている。

触れることのできない影虚(かげうつろ)に傷を付けることはできないが、天叢雲の隊員の持つ特殊な武器は、その禍々しさを浄化し、無へと帰すことができる。それは影虚(かげうつろ)そのものを消すだけで、それを生んだ感情の持ち主には何の影響もない。影虚(かげうつろ)を無に返すことは一時的な気休めであり、誰かが悲しい感情を抱えきれないほど強く持ってしまう非情な世の中では、それはどこかで生まれ続ける。影虚(かげうつろ)の数は多くは確認されていないが、いつでもどこでも生まれてしまう可能性はある。何にも取り憑いていない時には脅威ではないが厄介な存在だ。


「今の影虚(かげうつろ)がいつどこで生まれたものかは分かりませんが、本部の近くで遭遇することになるとは......。

遠くから来たのかもしれない。すぐ近くで生まれたのかもしれない。知る由はないですが、生まれた場所に関係なく、とても悲しい存在です」


清乃は影虚(かげうつろ)をこのように捉える。痛みも苦しみも感じない、意思も持っていない空っぽのそれ自体には深い感慨はない。しかし、その生まれた背景を思うと遣る瀬ない。

誕生を歓迎できる存在ではない。それが生まれるような世の中をそのまま肯定もできない。また、方法は不明だが、闇雲(やみぐもり)の中には影虚(かげうつろ)を自身の武器に宿して強化している者がいるらしい。負の感情から生まれたもの同士、通じるものがあるのかもしれないが、この状況をどう呼ぶとしても、痛くて悲しい。


「皆さんのおかげで、1つ見つけて無に帰すことができました。でもどうして3人とも敷地の外に......?」


3人は目を見合わせる。今、訊ねられるまでここが敷地の外だとは思ってもいなかった。3人の反応を見て、清乃も不思議そうな表情を浮かべる。


「気付いていなかったんですね......。

ここは本部を囲う森の一部で、結界の外側に位置します。影虚(かげうつろ)のような存在も含め、勾玉を持たない者は、それと呼応する鏡の張る結界の中には入ることができません。外からも内側からも、勾玉を持つ者のみ、結界を通り抜けることが可能となっています。ここに来る途中、結界を潜っているはずなのですが、勾玉と結界の反応がありませんでしたか?」


その反応がどのようなものかは分からないが、3人ともそれらしきものに心当たりがなく、きょとんとした表情になってしまう。清春と天音はもう一度顔を見合わせ、真光はその大きな瞳で瞬きを繰り返している。

正式な出入り口となっている門以外の場所から結界を潜る時、勾玉と結界が反応し、線香花火のような火花が飛び散るのだと清乃は教えてくれたが、散策を始め真光を見つけるまで、清春と天音の自覚している範囲では一度もそのようなことはなかった。先に結界の外に出ていたであろう真光も同じくそのような状況に遭遇してはいなかった。


「どこか結界に歪みができているのかもしれませんね......」


懸念を含む言葉を、清乃はあくまで冷静に話す。


「お2人を医務室に送り届けた後で班長に報告します。天音さん、状況説明のために同席願えますか?」


「はい」


「ありがとうございます」


すぐに答えた天音に清乃は微笑んで返す。穏やかな状態に戻ったやわらかい緑の木々の間を歩き、今度は線香花火のような繊細な火花を生じさせ、結界が正常に機能していることを確認しながら、4人は本部へと戻って行った。





****************





影千代の診断では、清春も真光も軽い打ち身だと判断され、説明を受け湿布薬を渡されたのみだった。

 集合時刻として指定されていた昼九つ半が近付いている。定刻より少し早めに大広間に戻ると、全員ではないが、現在本部に居た者の中で手の空いている隊員たちが集合していた。

 総勢30名といったところだろうか。天叢雲全員が入れるように作られた部屋にはまだ余裕がある。皆自由な服装をしており、少人数で固まり話している者、誰とも関わらず壁際に立っている者、言葉は交わさず数名で並んで待っている者、それぞれの形で新しい隊員の紹介が始まるまでの時間を過ごしていた。数名貫禄のある年配の者もいるようだが、比較的若い者が多い。その中には庵や清乃、菊之介、絢悠の姿もあった。

 誰も欠けることなく再び集まった清春たち6名は近衛に呼び集められ、その先導のもと部屋の前に並ばせられる。背後には立派な松と龍の描かれた襖が備え付けられており、豪華絢爛とまではいかないものの、上等なものであろう襖の前で隊員たちの注目を集めることとなり少々萎縮してしまう。

 篁もその場にいたが、与えた時間の中で出された彼らの答えを敢えて訊くようなことはされなかった。


それから間もなく、定刻になると清春たちの紹介が始まる予定であったが、告げられたのは別の言葉、彼らへの指令であった。


「今、手が空いている者はこれで全員かね」


問うと近衛は返事を待たず、事情を簡易に説明する。


「これより新入隊員の彼らを紹介する予定であったが、先に確認したい事項ができた。この天叢雲本部の結界に不備があるかもしれん。原因は分からんが、結界が反応せず、気付くことなく外に出てしまった者がおる。

至急、今動ける者全員で手分けして結界全体を確認してほしい」


一気にその場に緊張感が走る。即座に行動すべくそれぞれ軽く言葉を交わしたり他の者の動きを見たりして行き先を決め、結界の確認を始めた。誰もが連携して動くことに慣れている様子で、その素早さに感服しながら、清春たちも自分たちにできることを探さなくてはと周りに目を向ける。そのような清春たちにも、近衛はすぐさま声をかける。


「そなたらも手伝ってくれんかの。何も難しいことはない。手順は説明するゆえ」


清春たち6名はかしこまった様子でそれぞれ短く返答する。近衛は満足気に頷き、近衛と天音と2人の少女、近衛の傍に立っていた篁と清春、真光、黒髪の少年の二手に分かれて行動することとなった。

歩き始める前に、黒髪の少年と互いに自己紹介を行い合う。宝良と名乗った少年の所作は冷静で丁寧であり、前日の姿と重ね合わせ、随分と落ち着いた印象を与えられた。名前の漢字を訊ねると、仰々しくてあまり好きではないんだという言葉を添えながらも丁寧に教えてくれた。同じように清春と真光の漢字を訊き返して褒めてもくれた。

短い会話の後、清春、真光、宝良は篁と共に、まだ入ったことのない南北に長い建物の間を抜け東の方へと歩き、敷地の端だという空間に辿り着く。そこは先程、影虚(かげうつろ)と戦うこととなった場所と似ていた。陽の光を浴びながら、一見穏やかに草木が生い茂っている。


「実は、さっきの結界の外に出てしまった者って、俺らのことなんです」


「聞いている。竹刀で影虚(かげうつろ)と戦ったらしいな。災難だったな。でもそのお陰で欠陥に気付くことができた。隊員一同、不覚だった。

宝良は結界や影虚(かげうつろ)についてはちゃんと聞かされてはないよな」


3人は結界の反応と影虚(かげうつろ)について先程清春たちが清乃から受けたものと同じ内容の説明を受けた。説明は手短に終えられ、その後で、近くに落ちているものの中から適当に見繕われた、枝分かれが多いが持ち難くはない大きさの木の枝を渡された。


「それに勾玉を結び付けろ」


言われた通り、自分の勾玉を取り出し、組紐を渡された枝に巻き付ける。これから、内部と外部の境界に沿って歩きながら、敷地内から外部に向かって木の枝を突き出し、結界の反応が途切れる場所がないか調べるという地道な作業を行うらしい。これまでに結界の異常が確認されたことはなく、このような調査は初めてであり、効率の良い方法は現時点では確立されていない。3人は素直に伝えられた通りの行動をとる。調べ残しがないよう、担当の範囲を明確に区切り、端から端まで確認する。高い位置の確認は真光が空を飛び回りながら行った。青空で温かみのある金色の火花の飛び散る様子はまた珍しく美しいものであり、組織にとって重要な調査を行いながらも3人はそれを少しだけ楽しんでいた。篁はそれを見て安堵していることは表に出さず、仏頂面のままで3人の調べ方に抜けがないかの確認と、自分の担当の範囲の確認を続ける。

範囲を決めその場を徹底的に調べることを三度繰り返したところで、他の隊員が目印として地面に突き刺された刀の鞘が目に入る。鞘には小さな紙が括り付けられている。『この先確認済』と書こうとしたのだろうと予想されるが、その紙には、はみ出てしまいそうな大きさの文字で『この先かく忍済』と書かれていた。『先』と『か』の黒く塗り潰されている部分は確という字を書きかけて消した跡のようだった。元気の良い文字だと思いながら眺めていた清春の横で、篁は「武器をぞんざいに扱いやがって......」と姿の見えない隊員たちの向かったであろう方角を見て呟いていたが、本気で怒っている様子はなく、そこには温かい目で威勢の良い部下を見守るような雰囲気も読み取れた。

そのままの表情で、篁は鞘を引き抜き土を払う。鞘の抜かれた跡のある位置まで残り少しの範囲を確認すると、4人の調べた範囲では特に異常は見つからなかったという結果で今回の調査を終えた。




大広間に戻ると既に十数名の隊員が調査を終え戻ってきていた。姿を認められてすぐに篁は他の隊員たちからの報告を数件受け、持ち主と似た雰囲気を持つ年季の入った手帳を取り出し、報告の内容を簡単にまとめる。そうしている間にも他の隊員たちが数名ずつ戻ってくる。後から戻ってきた隊員たちからの報告もすべて受け終え、一段落ついたところで近衛たちが帰ってきた。

篁は聞いた結果をまとめて近衛へ報告する。近衛はまた心の読めない表情を一切崩さずに聞いていた。近衛について帰ってきた天音と少女2人は今の時間の中で打ち解けたようで3人で固まって談笑している。

清春が周りの様子を見ているうちに、近衛と篁がまた広間の前中央に立っていた。彼らが言葉を発する前に、自然と注目が集まり、空気が引き締まるのを感じる。

静まり返った中で鳴った夕7つを示す鐘の音は、より一層響いていた。余韻が消えると同時に近衛が口を開く。


「ご苦労じゃった。今の調査で、1ヶ所結界の異常が認められた。即時対応する必要がある故、一旦解散とする。各班班長はこのまま残り協力してほしい。

新入隊員たちの全体への紹介は後日とするが、所属する班と各班班長の紹介は済ませておきたい。すまぬが、6名はこの付近で待機していてもらえんかね」


隊員たちはすぐにそれに従い、ほとんどの者が大広間を後にする。清乃は離れる前に急な事態に巻き込まれた6名を気遣い声を掛けてくれたが、大丈夫である旨を伝えると優しく頷いてそのまま自身の仕事に戻っていった。

待機時間、清春は宝良にも声をかけて再び付近の散策をしようかと考えたが、宝良は声をかける前にすぐにその場を離れてしまい、真光と2人で時間を潰すことにした。





「なんか、お前ららしい喧嘩だな。そんな風に喧嘩できる相手がいるの、ちょっと羨ましいかも。

でもあいつを本気で怒らせたらかなり怖そう」


「しまったって思った時には遅かったよ。あんな天音、初めて見た」


近くの庭を歩きながら、清春は真光に先程の天音とのやり取りを聞いてもらった。どちらの考えも否定せずに率直な感想をくれたことに救われた気がした。真光ならそうしてくれるだろうと期待していた部分もあった。


「お互い少しでも思ってること言えて良かったんじゃないか? 結果的に上手くまとまってるし」


「そうだな。ありがとう」


一通り話を聞いてもらった後で、また暫く他愛のない会話を続けていると、近衛、篁、雪成と呼ばれていた副隊長、4名の班長が戻ってくるのが見えた。口を噤み、緊張で自然と背筋が伸びる。その表情が捉えられる距離まで近付いてくると清春と真光は揃って会釈をする。


「待たせたな」


「いえ」


「入ろうか」


近衛たちの後に続き、清春と真光は再び大広間へと向かい、中を窺いながら足を踏み入れる。宝良はすでに戻ってきており、広間の隅で1人読書をしていた。天音たちは一度その場を離れたのかずっとそこに居たのかは不明だが、騒ぎ過ぎない程度に話に花を咲かせていたようだった。4名もそれぞれすぐに居住まいを正し、広間の中央へと速やかに移動を始める。


「結界の修復が終わった。これより、大まかな天叢雲の構成の説明を行う」


篁が告げ、雪成が説明を始める。

天叢雲の実働部隊は6つの班に分けられている。体力や体術に優れている壱の班と肆の班。知能や幻術に優れている参の班、陸の班。能力の均整の取れた弐の班、伍の班。

 各班は1名の班長と10名弱の班員で構成されている。少数精鋭の壱の班を除き、それぞれの特性を加味しながらある程度平等な人数が振り分けられている。

 日頃は班ごとに活動するが、闇雲(やみぐもり)の対応の任務の際には適宜その場に適していると判断された者が当たることとなる。

 実働部隊の他にも、影千代たちの医療班、弥生の庶務全般を担当する班、諜報班、その他組織の維持に必要な仕事を行っている者や、外部から必要な物資を提供してくれている者が存在する。全員が本部に揃っていることは滅多にないため、隊員たちのことは追い追い紹介すると告げられた。


「そなたらが今後所属する班を伝える。見廻りと本部での行動は基本的に班単位で行ってもらう」


続けて近衛がそれぞれの配属される班を述べていく。班長たちの視線が集まる中、やや緊張した面持ちで清春たちは耳を傾けている。


「肆の班に、時枝清春、真光、七々扇宝良の3名。伍の班に時枝天音、花菱あやめの2名、陸の班に更紗を配属する」


「今後よろしくお願いします」

 

宝良が全体を見渡し頭を下げ、清春たちも「お願いします」と告げながらそれに続く。副隊長、班長たちは静かに見守っていた。

清春たちの班は前年度の欠員が多く、新人の半数の配属を決めたらしい。真光と宝良が同じであったことは清春にとって心強かった。宝良は分からないが、真光も同じことを思ってくれたのだろうとその表情から読み取ることができた。


「本日は儂と各班の班長とで説明と案内を行うが、明日からは皆と共に行動してもらうゆえ、よろしく頼むぞ」


 近衛は穏やかにかつ念を押すように告げ、静かに微笑む。

全員の立ち位置を改めて確認すると、近衛が篁たちの紹介を始める。


「昨日から顔を合わせておるが、彼らの紹介はまだじゃったの。篁と雪成じゃ」


 2人は清春たちを正面から見据え、順に口を開く。


「先ほど案内を務めていた副隊長の篁寿紀だ。ここには先代の隊長が健在だった頃から務めている。この通り右眼は見えんが、戦闘に大きな支障はない。基本的にはここの方針に則り動くが、必要な時にはお前らと共闘することも出てくるだろう」

 

 今一度名乗り直した篁は、6名全員がまた揃っている事実に複雑な感情を浮かべていた。だが、先ほどの調査中に何か言及されることはなく、今もそのことについては何も言わない。伝えるべきことを伝えた後は選んだ清春たちのことを信じることにしていた。

 少しの間を置いて、篁の言葉がもう続かないことを確認すると、隣りの雪成も口を開く。


「同じく先代の頃からここにいる。鬼の雪成だ」


 雪成は大柄な篁よりもさらに頭ひとつ分大きく、優に七寸は超えているように見えた。まさに筋骨隆々という表現の相応しい横幅も大きな彼は厳しく荘厳な雰囲気を持っているが、小さな瞳は同じくらいの穏やかさも湛えていた。


「彼らは儂の父、先代の隊長のことも慕うてくれとった、信頼に値する副隊長じゃ。隊員の中でも篁と雪成の強さは秀でておる」


副隊長の2名の紹介が終わると、さらにその横に並ぶ班長たちを1人ずつ紹介し始める。

 

「そして、彼らは各班の班長たちじゃ。力と考え方、人となりのすべてに信頼のおける者を任命している。壱の班と弐の班の班長は任務のため今は不在じゃ。

彼は参の班の班長、狐と人間血を引く月臣。続いて、肆の班班長で鬼の幸志郎、伍の班の班長、ぬらりひょんの詩乃助、陸の班班長、烏天狗の操じゃ」


ひとりひとり雰囲気が随分異なり、それぞれが印象的だった。

月臣は前で分けられた前髪の間から覗く切れ長の目が狐らしく、色白で長い睫毛を持ち、中性的な空気を纏っていた。他の隊長と比べ、幾分若い見た目をしている。素も狐らしい顔つきをしているのにも関わらず、狐面を首から下げていた。

清春たちの所属することになった肆の班の班長、鬼である幸志郎は父が生きていたら同じくらいの年だろう。或いは、父と共に戦ったこともあるのかもしれない。年相応の貫禄を持つ丈夫そうな彼を、清春はどこかで見たことがあるような気がした。だが、明瞭に思い出すことはできない。

 詩乃助は小柄で大きく長い頭を持つ。顔に刻まれた多くの皺は彼が老齢であることを物語っているが、その眼は活き活きとしており、少年か青年のような印象さえ受ける。

 操は広がる銀色の長髪を束ねることもなく無造作に流しており、服装も着流しに草履といった軽装であったが、その姿でも整った雰囲気を漂わせる人物だった。その体格に調和し、背中の羽はやや細めであるように感じるが、鋭く美しいものだった。

 彼らが一言ずつの挨拶を終えると、近衛に目で促され、並ぶ新人6名の右端に立つ清春は続いて口を開いた。


「時枝清春です。よろしくお願いします」


 清春の名前を聞いて、班長たちが僅かに表情を変える。その反応に、どのように捉えられたのだろうかと不安になり清春はたじろいだが、かけられた言葉は温かかった。


「君は清鷹の息子か。......よく来たな」


 ちょうど清春と向き合う位置に立っていた幸志郎は大きく骨張った手で軽く清春の肩を叩く。そこからは熱い何かが伝わってくる気がした。幸志郎は再び頭を下げる清春を真っ直ぐに見て頷き返す。そして清春と同じ色の目と髪を持つ天音に目をやった。


「ならば隣の君は」


 目が合うと、いつもの弁えた態度で天音が答える。


「時枝天音といいます。時枝清鷹の実の娘で、時枝誉の義理の娘、清春とは双子です。よろしくお願いします」


 一度は幸志郎へ、そしてさらに一度全体へ向けて、天音は続けて2回礼をする。


「2人揃って……。決して安全な場所ではないが歓迎する。また清鷹や誉と仕事ができるようで嬉しい」


幸志郎は貫禄のある顔に優しい表情を浮かべ2人を見ていた。

 その理由は明確には分からないままだが、天叢雲で父や継父のことを知る者が2人に向ける目は穏やかで優しいものであり、そこに父たちの人柄が現れているようで、清春は嬉しかった。天音も同じように感じていた。


 名前と簡単な挨拶を述べるだけの6人分の自己紹介が終わると、近衛は副隊長の2人に労いの言葉をかけ職務へ戻るよう促す。2人は恭しく頭を下げると、全体に向けても会釈を行いながら一言告げ、速やかに退室した。


「まずは何から説明しようかの」


 そう言って近衛は勿体つける素振りを見せるが、あまり考えることはなく、言葉を続ける。


「昨日も同じことを話したが......

 我々はここで定められた規律、心の在り方を重んじておる。我々の目的を果たすためには、相手を思い遣り慈しむ心は少なくとも必要じゃ。

他者の不幸を己の幸福とする者がおる。傷付けた者の上に立つことで己を保とうとする者もおる。嘆かわしいことに、生き物とはそういうものじゃ。傷付き傷付けられ、奪い奪われ、見下し見下され、そのような繰り返しの中で生き辛さが生まれてくる。時には有無を言わせぬ命の奪い合いが起こる。

それを止めるために必要なのがここ天叢雲の規律に定められておるようなことじゃと儂は考える。己の心に忠実に判断し、誠意を持って行動せよ」

 


 “ 1つ、己を律し、他者の尊厳を重んじ、寛大な心で物事を捉えるべし。

 1つ、秩序を守り、己の良心に背く行いをすること勿れ。

 1つ、いかなる場面においても万物に対する礼を忘れるべからず。

 1つ、知識は持つのみに非ず、学びより思い、言動に移すべし。

 1つ、他者を信頼し、他者から信頼される存在であるべし。”


 

 近衛が繰り返し伝えるそれは、長い間一語一句変えられることなく伝えられてきた規律だという。これまで見てきた継父や義姉の姿を思い浮かべると、天叢雲でもこの規律に従順な模範のような隊員だったであろうことは想像に堅くない。そう考えると、なんとなく、清春は誇らしく嬉しくなった。


「昨日も言ったように、守れんと思う者は入隊させておらん。硬くならずそなたらの心に誠実に動いてみなさい」


 途中で口を挟むことを許されないような空気を放ちながら真剣に語っていたかと思えば、そこでまた悪戯っぽく笑う。


「他に取り急ぎ伝えておかねばならんものといえば......そうじゃ、昨日渡した勾玉じゃが」


 清春は結界の調査で使用した勾玉に目を落とす。失くならないよう、元々通されていた組紐を他の紐と繋ぎ、義姉と同じように首にかけていた。


「昨日はここへ出入りするために必要じゃと話し、先程手伝うてもらった時にも説明を受けたじゃろうが、それはここで長年所有する鏡と呼応しておる。

 そなたらも気付いておるように、昨日そなたらの過去を映した鏡は不思議な力を持ち、その力の1つでこの本部周辺に結界を張っておる。結界を通り抜けられるのはこの勾玉を持つ者とそれに連れられてきた者だけじゃ。つまり、この建物に部外者が入ってくることはできん」


 昨日は庵に連れられて来たため、清春たちは勾玉を与えられる前にも違和感なく内部に入ることができ、結界の存在には気付かなかった。

 組織自体を守るため、結界は本部が建てられた当初から張られているらしい。本部の他、壮和に数ヶ所存在する屯所にも同じ結界が張られているとのことだった。屯所にもそれぞれ本部の鏡の力を分け与えられた鏡が1つずつ置かれていると教えられた。


「また、それだけではない。あの鏡は勾玉の持ち主の姿を映し出すことができる。それはどれだけ離れておっても、勾玉を身につけておる限りは可能じゃ。鏡にできるのは姿を映し出すことのみであり、鏡を見る者が声を届けたりその場へ行ったりするようなことはできん。じゃが、遠くの隊員の状況を把握するためには大変役立っておる。時間、力の限界など、制限はあるがな。

 昨日のようにその他にも様々なことが可能じゃが、それは追い追い知ることになるかもしれんし、知らぬままかもしれん。必要があるならば、その機会も巡って来るじゃろう」


 勾玉は仁を司り、鏡は知を司る。それらは互いに共鳴し、数種類の不思議な効果を生む。近衛の家系に伝わってきた宝であり、現在は天叢雲の秘宝となっている。


「基本的にそなたらに鏡を使用させることはないが、万が一の時にはこれを守ってもらわねばならん。鏡の保管場所を教えておく。着いてきなされ」


 案内されたのは本部中央の建物の奥、近衛の部屋だった。質素だがどこか風格のある書院造りの部屋は、近衛の同席がない限り立ち入り禁止とされている。それは先程の話に出てきた鏡が保管されているためであり、その鏡を操ることが許されるのは天叢雲の代々の隊長のみである。清春たちはさらにその奥の鏡があるという部屋へと案内される。

 静謐な部屋の奥に敷かれた布の上に鏡は横たえられていた。その姿に少しの畏怖を覚えるが、鏡が今映しているのは薄暗い部屋の天井だけだった。

 必要がない限り移動させることはないこと、近衛のみが取り扱うこと、使い方を誤れば災いをもたらすと言われていること、この場が何らかの理由で脅かされることとなった時には優先して守ってほしいこと―――――。

一通りの説明を聞き終えると、これで本日伝えておきたいことはすべて伝えたと告げられた。この後は班長4名と新入隊員6名で敷地内の主要な場所の確認を行うこととなり、近衛を部屋に残し、10名は元来た方向へ歩き出した。


 

 

 


「儂もどこまでも狸じゃの」

 

 誰もいなくなった部屋で、近衛は1人呟いた。

 

 

 

 

 

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