いわれなき罪で解雇された少女は、実力を認めてくれた紳士の手をとり新たな職場を見つけました
その日の仕事を終えた夕方、リッタは突然告げられた。
「リッタ、きみ、今日で王都薬剤院の勤務は終りね。明日から来なくていいから」
「は?」
「は、じゃなくてさ。きみねぇ新人いびり凄かったんでしょ? 君がいるならみんな辞めるって言うんだよねぇ。困るんだよね、そういうの。だからきみに辞めてもらうよ」
「あー……あぁそういうことですか。判りました。今日までの給金はいつ貰えますか?」
「すぐ金のはなし?きみ本当に最低だね。金なら販売所の方でこの用紙提出してもらっていって。二度とここに来ないでね」
「もちろんです。お世話になりました」
リッタは上司、いや元上司に頭を下げれば差し出された紙を奪い取りその場を後にした。
ここは国の王都。王様が住む城や貴族の屋敷もあるから商店などのお店も大変賑やか。夕方から灯る店の明かりはとっても綺麗だ。
リッタはここで、薬草を薬にしたり調合したりする薬剤院で働いている。いや、働いていた。
給料は高くはないけど一人で生活するには十分だし、なにより病気で苦しむ人たちが自分の作った薬で回復してくれるのを見ればやりがいを感じていた。
だけど、今年入った後輩たちは最初こそしっかりメモを取り、学ぶ姿勢を持っていたのに、だんだんそれが無くなってしまった。それはそれでも構わないとリッタは思っていた。ちゃんと仕事をしてくれていれば。
だが、彼らの仕事は最悪だった。
陽に当てたら効果のなくなる薬草をガラス棚の中に置く。それを使って作った薬はただの草の味のする粉なのに。
他にも数え上げたらきりがない、そのたびに注意した。
間違った薬を患者に渡し、それこそ悪化させたことだってあった。
虫刺され用の軟膏だった。製法はさほど難しくなく家庭でも作れるようなものだ。だけど注意点があり、それは必ず沸騰させてから5分煮詰める事、それだけだ。
なのに後輩の一人はそれを怠った物を患者に渡してしまった。それを塗った患者の皮膚はただれ、リッタが王都病院に呼び出された時、苦痛でうめくその姿に足がすくんだ。
顔の右頬はただれて赤黒く染まっており、リッタはそれが軟膏の煮詰め不足による炎症だと気付いた。
病院では正規の薬剤院で出された薬にそんなミスがあったなんて思っていなかった。だから知識も経験も豊富なリッタが原因究明に駆り出されたのだ。
リッタは薬剤院の軟膏が原因であることを伝え、患者に謝罪した。男の婚約者からは花瓶を頭に投げつけられた。未来の夫がこんなに醜くなってしまった、どうしてくれるのか! と。
怒りはもっともだと思った。
治るはずの薬で悪化させたのだ。リッタはその後も仕事に関係なく皮膚のただれを少しでもきれいにするため、美容によい薬草や成分などを研究しては自分に試し、効果のあったものを患者に渡した。
数か月後、退院する頃には最初の頃よりは良くなっていたが顔に痕が残ってしまっていた。
最初の軟膏にミスがなければ三日も経たないで綺麗に虫刺されも回復したのに。リッタは悔しかった。
これは大きな事件だったが、後輩たちの小さなミスは日常茶飯事だった。そのたびにリッタは先ほどの上司に怒られた。
この軟膏事件があった時はさすがに責任を取って辞めろと、上司に言われた。確かに後輩の指導はリッタの責任だった。患者にも酷い迷惑をかけた。だから仕方ないと思ったリッタを、後輩たちが庇ってくれた。
彼女は悪くありません。自分たちがしっかりしていなかったからです、と泣いた。
ああ、失敗は成功のもと、彼らは心を入れ替えて働いてくれるんだ、そうリッタは思った。だけど後輩たちの態度は変わらなかった。
リッタはただの防波堤。リッタが居れば上司はリッタを怒るから、自分たちは泣いて許しをこえばいい。
「貴方たちが失敗しなければ、怒られないのだけど」そうリッタも言ったことがあった。そうしたらそんな風に泣いて上司に頭を下げなくていい。
だけど後輩たちには「先輩の教え方が悪いんじゃないですかぁ?」と返されたので、もう何も言うのをやめた。
そして、今に至る。
彼らのために辞めなければならないのかと思うと悔しい。でもそれ以上に心配だった。
彼らの仕事は以前よりも酷くなっている。確認などはまずしない。あの上司は経営担当で実際の薬の製造はしない。
結局のところ、薬草の管理も調剤も最終確認もリッタが一人でやっていた。朝は誰よりも早く来て、夜は誰よりも遅く残って帰った。
後輩たちがやっていたのは機材の洗浄と片付け、薬草を売りに来た商人からお菓子や自分たちが欲しいものを手に入れるための、調子のよい交渉だけだ。
「まあいいわ。私が考えても仕方ないし、次の仕事を探さないと」
仕事ばかりしていたから、多少は蓄えがある。いっそ、王都を離れて地方に行ってもいいかもしれない。ここは情報が早いが地方は地方でそこにしかない薬を調べるのも楽しいだろう。
「ごきげんようリッタさん。薬剤院に行ったら帰られたと聞いたので追いかけたのですが、貴女歩くのが早いんですね」
「え? あ、フラードさん。どうされたんですか? 確か帰郷されたって」
後ろから声をかけられて振り返れば、シルクハットを目深にかぶった紳士が立っていた。右頬が火傷の痕のようにただれている。それを隠すために帽子を深くかぶっているのだ。
「ええ、戻りました。そして婚約者から正式に婚約解消を申し込まれ、手続きが終わったので戻って来たんです」
「それは、そのお怪我の所為ですよね。申し訳ありませんでした。あの、私、薬剤院を辞めたのですが皮膚を治す薬の研究は続けます」
リッタは道を少し戻り、フラードの前に立つ。フラードより背の低いリッタからは帽子のつばは顔隠しの効果がない。ああ、少し、目立たなくなってきてる気がする、リッタはそう思ったが。
「すみません。私たちのせいで婚約者さんを悲しませました」
「いいえ、貴女たちのお蔭で彼女の本性を知ることが出来ました」
「え?」
「お恥ずかしながら、私は彼女がお金や私の見た目だけを目的としていたと、気付いていなかったんです」
「そんな事は、ないのでは……?」
「いいえ、はっきりわかりました。彼女は私をお気に入りのアクセサリーか何かだと思っていたようです。傷のついたものは恥ずかしくて隣にも置きたくないと言われましたよ」
「そんな……」
「だから、感謝しています。そのお礼に薬剤院に、貴女に会いに行ったのですが……辞めたと聞きました。貴女にあそこの仕事は天職のように見えましたが」
「私もお恥ずかしい話なんですが、解雇されたんです。後輩たちが私の指導が厳しいって上司に言ったみたいで、先輩失格です。次は先輩後輩のない職場を見つけたいと思います」
「それなら丁度良かった、リッタさん私の妻になりませんか?」
フラードが手を差し伸べ、リッタの左手を取る。
リッタは何を言われているのかわからずに、きょとんと見上げた。
「あの、フラードさんのお家で薬剤師が必要なのでしょうか?」
「私の傷を見てくださる方を探してはいますが、婚約破棄もされてしまいましたし妻になってくれる方を探しているんです。終身雇用になりますがよろしいですか? 贅沢とまではいきませんが、寝る場所と食べる事には生涯困らせません」
「あ、ええと……その、まだよく存じませんのでさすがに結婚はどうかと」
「私は貴女の献身的な姿に恋をしました。でも貴女は私を知らない、その通りです。では婚約というのはいかがですか? 仕事は私の郷里に薬剤院を開くか、病院に勤務できるように紹介しましょう」
「!!! 本当ですか!!」
「ええ、貴女の技術は入院した三か月で見知っています。紹介も自信を持ってできますよ」
「ありがとうございます!!」
「では明日、私の郷里に参りましょう。仕事がないのでしたら大丈夫ですよね? そして私の郷里で生活すると決めたら、こちらの家を片付けに来ましょう」
「はい! ありがとうございます!」
「では誓いの口付けを」
そういうとフラードはリッタの左手にキスをした。
街中の明るい通りで、シルクハットの紳士が町娘の手にキスをする。そのちぐはぐな様子に道を歩いていた恋人たちや、店先で酒を飲んでいた男たちが歓声を贈った。
その日の夜、リッタは明日の出立準備をして、急転直下からの急上昇の自分の運命が信じられないと思いながら眠りについた。
さらに翌日信じられない事態が起きた。
ひとつは元上司が戻ってこないか、いや、解雇は取り消しだ! と朝からリッタのアパートに来たことだ。
後輩たちが全員、薬剤院で死んでいた。
その状況から、勤務の後に酒盛りを薬剤室でしていたらしい。飲みすぎたからか酔い覚ましの薬を飲んだ。それがいけなかった。
彼らが飲んだものは酔い覚ましに使う実に似た猛毒の実が使われた薬だった。
見分け方は簡単だ。実についているヘタの形を見ればいい。だけどそれがついていないと見分けるのは困難なのだ。なんでそんなミスを……とリッタは思ったが、後輩たちならしそうだ、と相手を思えば納得できた。
そしてもう一つの信じられない事は、引き下がらない元上司すらも黙らせたフラードの馬車だった。
そこには北方辺境伯、今の王様の弟君を表す家紋が掲げられていた。王都に住む者は王族や各貴族の家紋を目にする機会は多い。
だから勿論リッタも見知っていた。
「やあ、リッタさん。お待たせしたね、行きましょう」
馬車から降りたフラードは帽子をかぶっておらず、陽の元で見た彼の笑顔にリッタは頬を染め、その手を取った。
その後、薬剤院では金品を受け取っていた商人から、ヘタのない酔い覚ましの実を買っていたと発覚する。その他にも提供した薬で死者が出たなどの不祥事が続き閉鎖される事となった。
それは北方辺境伯の二男、フラード様の奥方様はどんな病気も治す聖女である、という噂が王都に届くのと奇しくも同じ時期であった。