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お迎え

作者:

 次第に道路の幅が広がり、車の音がいくつも聞こえ始める。人とすれ違いながら小さな花が置かれた交差点を渡っていった。かつて陸上部だった男は休みなく走り続ける。段々と周囲が賑やかになっていくことに気が付かないまま、彼は病院から徒歩で二十分ほどという少し離れた場所にあるその駅に楽々たどり着いた。

 彼は妻を迎えに来たのだ。




 数日前、彼がいつもの駅に、いつも通りに迎えに行った彼の妻は、いつも通りに姿を現してはくれなかった。駅の階段から落ちて、今は生死の境をさ迷っている状態だ。


 彼の妻が生きるのか死ぬのか、今夜が峠だと医者は言う。

 しかし、それまで妻に付きっきりだった男はやつれていた。駆けつけた妻の両親姉妹は妻より先に死にそうな顔をした彼に、少し休んでこいと言って病室から追い出した。


 だが彼には行くあてはない。寝不足でひどい顔をしている自覚はあったため、ひとまず病院から一歩外へ踏み出した。しかしそれ以上はどうしても足が動かない。


 彼の思考は妻のことで一杯だった。ほんの数日前まで笑っていた彼女が死ぬかもしれない。その恐怖を受け止めきれていなかった。


 ――どうしてこうなったんだ。


 行き場のない怒りに拳を握ったその時、ポケットのスマホが振動した。力を抜いて、彼は画面を見た。一つのメッセージが届いている。


 お迎えよろしくね。


 それは妻が階段から落下した日に送られてきたものと一字一句違わぬ言葉だった。





 寝不足の体は少し重たかったが、彼の走りに影響はなかった。駅の前で息を整えた彼は、複数ある中でも一番大きな、いつも妻が出てくる改札口へ歩いていった。


 だが、広々とした改札口で彼は困惑して足を止めた。空はオレンジ色に染まり、少しずつ藍色が後を追いかけている。駅の中に(たたず)む彼の後ろでは置き去りにされた喧騒が、周囲には文字にならないたくさんの音が充満している。


 しかしそこには彼以外の誰もいなかった。


 確かに感じる大勢の人の気配と、僅かな夕日が差し込む、ブラックライトのような紫色の灯りに照らされた改札口。そして彼にとって見慣れた、帰宅ラッシュで行き交う人々の姿はどこにも見えなかった。


 彼は妻を迎えに来ることばかりで、この駅を利用したことはない。しかしこの異様な状態は初めてのことで、疲れた頭でも奇妙だと気が付いた。


 駅を間違えた……ということではない。いくつもの出口がある大きな駅など、この辺りには他にない。

 そうでなければ、本当はいるのに、大勢の人が自分には見えていないだけなのだろうか。妻の家族に心配されるほど疲れた顔をしているのはわかっていたが、いるはずの人の姿が見えないほどとなると、自分が思っている以上に疲れているのだろうか。


 彼がまとまらない考えをなんとか捕まえようとしていた、その時。


「藤高さまですね?」


 改札の駅員室から聞こえた声だった。彼――藤高一志(ふじたかひとし)は驚いてそこを見た。

 一人の壮年の、男性駅員がいた。人の姿に安心した藤高は駅員の元に駆け寄った。


「あの、ここは森高駅で合っていますか?」

「ええ、合っていますよ。駅の中に奥さまがお待ちです」

「中に?」


 藤高の妻であるみのりは、いつもであれば改札口の前に待つ彼の元へやってくるはずだ。どうして今日は来ないのかと藤高は不思議に思った。


「奥さまは事故に遭いまして、階段から動けないそうです。ぜひお迎えに行って下さい」


 駅員にそう言われて彼は思い出した。事故に遭った。だから彼女は帰ってこないのだった。


「じゃあ入場料を払いますね」

「いえ、それは結構です。このままどうぞ」

「いいんですか? ありがとうございます」


 男性駅員に見送られ、藤高は初めて森高駅に足を踏み入れた。そして途方に暮れた。

 森高駅は複数の線路を繋ぐ大きな駅である。それゆえにとても広く、複雑な構造をしている。藤高は妻の利用している電車を知っているため、初めは案内を読んで駅のホームに向かう途中で妻を見つけられると考えていた。しかしブラックライトのような灯りに照らされた駅の中に書かれた言葉は、藤高の疲れている頭に全く入ってこなかった。


 次に、誰もいないように見えていたが、ほんの数人だけ乗客たちを見かけた。

 一人目は改札口から離れてすぐに出会った、未成年らしき男だ。シャツにジーパンの、黒いボストンバッグを持っている彼はとても不機嫌そうな顔をして藤高を睨んでいた。


 浪人生だろうかと藤高は考えた。ひょろひょろに痩せて眼鏡をかけた姿からガリ勉という言葉が浮かぶ。だがギロリと見られるのは落ち着かない。

 そう思っていると、その表情そのままの声色で呼び止められた。


「おい、あんた! 髪の長い女、見なかったか!?」

「知らないよ。今駅に来たばかりだ」


 不機嫌に声をかけられた藤高は少しムッとしつつも答えた。


「じゃあ見たら言って」


 それだけ言うとガリ勉男は去っていった。誰が教えるか、と藤高は不機嫌になりながら、とりあえずガリ勉男とは違う道に進んでいった。


 二人目と三人目は小さな子供たちだった。その後ろ姿はまだ小学生低学年くらいかと藤高には見えた。広い通路を使ってサッカーボールを二人で蹴り合っている。親は一体どうしたのかと呆れていると、足音に気が付いたのか二人とも藤高の方に振り向いた。


「あ、もしかしておじちゃんがお姉ちゃんを迎えに来た人!?」


 藤高は驚いて立ち止まった。


「お姉ちゃん、あっちの階段にいるからね!」

「電車を待つところの向こうだよ! 早くお迎えにいってね!」

「あ、ああ……ありがとう」


 藤高はなんとか返事をして先を急いだ。妻はお姉ちゃん呼びなのに同い年のはずの自分はおじちゃん呼ばわりであったこと、妻がこの先にいること、それとも――


 ――振り向いた二人が紫色の灯りの下とはいえ、顔が影で一面真っ黒に隠され、ほとんど見えなかったこと――


 ――それらのどれにショックを受けたのか、判断はつかなかった。


 そのあとも何人かと言葉を交わした。ホームの椅子に座る、中学校のものらしき制服を着た少女には引き返すように言われた。彼女は電車の来る気配のない線路に散らばった、たくさんの本のかけらを集めて直しているようだった。次に出会った声の大きなビール瓶を持った酔っぱらいの男には階段を上れと教えられ、礼を言いながら藤高は妻の元へ向かった。紫色の薄暗い灯りでは、なぜか案内は一文字も読めなかった。一人の顔も見えない乗客たちの助言はありがたかった。




 ふと藤高は、改札口では聞こえていた人々のざわめきも、電車の音も聞こえない静かな中を歩いていることに気が付いた。五分以上歩いているが、小さな階段は見かけるものの、まだ大きな階段は見つからない。何ヵ所目かの小さな階段を上り、何かの電車のホームにたどり着いたが、電車も電車を待つ人もなく、風ひとつ吹いていなかった。


 静かだった。


 自分一人だけが存在する、自分の足音だけが聞こえる中で、疲れた頭は数日前のことを思い出していた。




 その日は何も変なことはなかった。藤高夫婦は勤め口も、勤務時間も少々違っていたので、夫である一志が先に帰宅する。遅れて帰ってくる妻の迎えに行くのが日課だった。あの日も、いつも通り届いた妻からのメッセージを確認して家を出た。

 妻も、電車を降りたところまではいつも通りに過ごしていたはずだった。だがこの日、森高駅で事件が起きた。痴漢である。


 その痴漢は一人の女性に触った。とたんに叫ばれ、あっという間に周囲に発見され、被害者を始めとする複数の追跡から逃れようと慌てて走った。

 そして、階段でぶつかった藤高の妻もろとも落下した。




 藤高はホームを歩き、幅の広い階段を上り始めた。自分が駅のどこにいるのかはもうわからないが、とにかく妻を早く見つけたかった。直前に出会った乗客の話ではこの先にいるはずだった。たくさんの通路がある森高駅だったが、乗客たちが声をかけてくれるおかげで藤高はあまりあちこちをさ迷うことなく進んでいけた。とはいえ時間はかかってしまっている。

 少し焦るも、やつれた体は階段を上りきったところで限界を訴えた。藤高は立ち止まる。なんとか息が楽になったところで、先に続く通路を歩き、――さらに違う階段が現れた。

 その一番下に、妻のみのりが腰かけていた。


 藤高は安心したように笑う彼女のもとに駆け寄った。もう見られないかもしれないと思った笑顔の妻が、あの日の朝と同じ服装で待っていた。縛っていたはずの髪がほどけて肩より下でくるりとしているのが違うくらいだった。


「ごめんね、ここまで来るのは大変だったでしょ?」

「事故はお前のせいじゃないだろ?」

「そうだけど、心配かけちゃったからちょっと落ち込む気持ちになるの!」


 病院にいるはずの彼女がなぜこんな薄暗い駅にいるのか、そもそもこの妙に人気のない駅の不気味な雰囲気はなんなのか、藤高の抱えていた疑問は全て消える。あの日には出来なかった、いつもとは違うがお迎えがようやくできた。一緒に帰ることができる。藤高は喜びで満たされていた。


「……いた……!」


 低い声が上から聞こえてきた。思わず二人で階段を見上げた。


「このくそ女!!」


 怒りに表情を歪めた、駅で遭遇した最初の乗客のガリ勉男がそこにいた。

 呆然と見ているうちに、歪んでいるという状態ではなくなっていく。口が鼻や耳を隠すほどにめくり上がり、歯ではなく牙のような白く太いものが飛び出し、目は血走り、顔全体が肥大化した、頭でっかちな、憎しみの叫びをあげる何かに変化した。


「てめーの……」


 藤高はその低い声を聞いて我に返り、力が抜けたように動けないみのりを抱き抱えた。


「てめーーのせいだああああ」


 真っ赤なでこぼこの風船のような頭になったガリ勉男が飛び上がった瞬間、藤高は恐怖で叫びながら走り出した。火事場の馬鹿力というやつか、両手に抱えたみのりの重さは感じないまま通路を駆け抜け、階段を全速力で降りる。


「待ててめーーーーーー」


 でこぼこ風船男の体はひょろひょろのままだったが、後ろから聞こえる激しい足音を聞いた藤高は死に物狂いでホームを走った。寝不足の体はすぐに苦しさを覚えたが恐怖が上回った。

 ホームを出て、小さな階段を飛び降りるような勢いで通路に飛び出す。ビール瓶を持った人影がこちらを見ているのがわかったが、何かを言う余裕はなかった。疲れの出始めた藤高と違い、背後の足音は緩む気配もない。生きた心地がしなかった。このままでは追い付かれるとわかる。


「てめーーが階段にいなけりゃ――」


 ゴトン。べちゃっ。


 背後から大きなビンが倒れたような音と、何かが地面に打ち付けられたような音がして、叫びと足音が聞こえなくなった。角を曲がろうとした藤高の視界に、何も手にしていない人影が手を振るのが見えた気がした。


「…………くそがああああ!!」


 数秒だけ聞こえなくなった叫びと足音をまた耳にしながら、藤高は階段を駆け上がる。もう呼吸は弱々しいものだった。なのに背後からは疲れを感じさせない荒々しい存在がどんどん近づいてきているのが恐ろしく、足を止めることはできなかった。先ほど藤高が迷いこんだホームで出会った制服の少女がカバンを持って通路に出てきたが、逃げろと言えない。


「てめーがいたから俺まで落ちて――」


 バササササと少し重さの感じる音と、パラパラという軽いものが宙で舞うような音が聞こえ、その数秒後に地面に何かが落下したような音と滑るような音が聞こえた。


 べちゃっ。……という聞き覚えのある音に続けて聞こえた、空を切る音と鈍い音は、制服少女の手にあったカバンがなくなっていたことと関係があるのかもしれない。


 広い通路を、なんとか真っ直ぐ走る。もう最初のスピードは出せないが、次の角を曲がれば改札口だ。駅から出さえすれば大丈夫だと自分に言い聞かせて必死に進んでいく。それにしても体はひょろひょろのままなのに、またしても聞こえてきた足音は勢いをなくすことなく迫ってくる。どこからあの力が湧いてくるのかわからないが、せめて自分の体調が万全だったらと思った時、またしても咆哮(ほうこう)のような叫び声が聞こえ、また追いつかれかけていることに気が付いた。もう階段はないため、ひたすら走るだけだが、だんだん足音が大きく聞こえてくる。


「逃げる邪魔さえしなけりゃぐばっ!!」


 不意に藤高の前方の通路から何かが飛び出し、藤高の横を通りすぎて背後でバシン! と大きな音と呻き声が響いた。小さな通路の中で跳び跳ねて喜んでいる小さな影があった。

 一瞬だけ足が止まったでこぼこ風船男がまた一歩踏み出した瞬間、今度はその後ろから足にサッカーボールが飛んできて、アンバランスな体だからかあっさりと男は尻餅をついた。その様子を藤高は見ていなかったが、足音が止まったことはわかっていた。最初にガリ勉男と出会った場所も通りすぎて、たくさんの機械が並ぶ改札口にたどり着いた。


 改札口は最初と同じく紫色の灯りに照らされていたが、整列していたはずの機械の列の真ん中がどかされ、ぽっかりと空いたそこはただの通路のようになっていた。息も絶え絶えだったが、そこにあの男性駅員が待っているのを見た藤高は最後の力を振り絞って歩いていった。


「ここから出てください! 早く!」


 駅員が呼ぶ声に引き寄せられ、妻を抱えたまま踏み出すと、またしても激しい足音が迫ってくるのが聞こえてきた。しかしもう足が重く、走ることができない。自分にしがみつく妻を抱き締めて、一向に近づかない空間へ進むことしかできない。


「まてええええええ」


 無駄に広いとしか思えない改札前のスペースを必死に歩いていく後ろから、無情にも叫び声が追いついてくる。


「お前の、お前の、お前のせいで俺が――」


 しかし、体が追いつく前に男性駅員が足払いをかけた。男はまたでこぼこの頭から地面に倒れていった。大きな頭が邪魔なのか、体を起こすのに時間がかかっているようだ。


 あと五歩で藤高は外へ出られる。


 膝をつき、下半身を支えたところで頭を上げようとしたでこぼこ頭を駅員が踏みつけた。


 あと三歩で出られる。改札の機械と横並びになる。


「くそっ……邪魔だ!!」


 駅員の足をなんとか振り払い、でこぼこ風船頭は立ち上がったが、今度は後ろから首もとを掴まれ地面に投げられた。


「邪魔するんじゃねえ!!」

「いい加減にしなさい」


 でこぼこ男より大きな声ではなかったが、とても低い声が響き渡った。


「何もかも自業自得です。しかも逆恨みして本来のお客様ではない方を駅に閉じ込め、そしてあなたご自身もこの駅に居座り続けた。ようやく私がいる改札口まで出てきてくれてよかったです。さあ、お帰りください」


 改札口の向こうでの出来事に、力尽きて倒れた一志とみのりは息を飲んだ。男性駅員に鷲掴みにされたでこぼこの真っ赤な頭が、だんだんと小さく、白く、丸く、人の形に戻っていった。眼鏡のなくなったガリ勉男は駅員を睨み付けていたが、どうしてもその手を振り払えない様子だった。


「まだ生きているくせに、人の形からこうも変わるほど恨むとは。この状態ではまだ死んでもらっては困りますね。あなたはまず自分の行いについて考えてください。しばらく出禁にしますので。では」


 自然な大きさに戻ったガリ勉男の頭を掴んだまま、駅員は歩き出した。よろよろと歩くガリ勉男が連れていかれるのは、藤高たちから離れた、(はし)にある機械であった。そこから半ば蹴り飛ばす勢いで外に投げ出すと、ガリ勉男は立ち上がれずに倒れた。そして(まばた)きをした時にはどこにも姿が見えなくなっていた。


 一志とみのりはその一部始終をぼんやりと眺めていたが、「大変、ご迷惑をおかけしました」と駅員が頭を下げてきたため冷静さを取り戻した。


「立場上、この場所から離れることができず、奥さまを助けることができずにいたのです。藤高さまがいらっしゃって本当に助かりました」

「いえ、僕はこの駅をよく知らなくて、色んな人に助けてもらったんです」

「ええ、他のお客様も奥さまを心配してくださり、彼と出会わないようにたくさんのご協力をいただきました。こうして無事に奥さまを駅の外に連れ出すことができて本当によかった」


 ふと藤高が駅員の後ろを見ると、人影がいくつかそこにあった。何事もなかったかのように大きなビンを持つガタイのいい人影、たくさんの本を抱えているやや小さな影、通路に繋がる入り口にはこちらを覗きこむとても小さな頭が二つ見える。他にもまだ何人か、藤高は出会わなかった人々もいるようだ。


「もう改札口を出ましたので、奥さまはすぐにでも病院に戻られるはずです。あ、もう姿が消えてきましたね」


 駅員の言葉に藤高は妻を見た。妻はまだそこにいた……しかし、存在感がなくなっていた。そしてなんとなく、薄い。


「……私、病院に運ばれているんだね」


 考えていなかったという顔で彼女は呟いた。


「ごめんね一志、せっかく迎えに来てくれたけど、私このまま病院に行っちゃうみたい」

「え?」

「たくさん走って疲れているのはわかっているんだけど、もう一回迎えに来て」

「え、おい、また俺、走るの?」

「うん。ごめん」


 会話している間にも彼女の体は段々と薄くなり、向こう側の景色が透けて見えている。


「ね、ちょっと休んだら迎えに来て」


 無邪気に笑う彼女に、まだ立ち上がれないほど疲れていてもついつられて笑って答えてしまう。


「わかったよ。またあとでな」

「うん。のんびり待ってるよ」


 彼女を見送り、とうとう姿が消えるまで、藤高は地面に座り込んでいた。ふと気が付くと、周囲には姿の見えない人々の気配で溢れていた。少し落ち着かないものの、しっかり立ち上がれるまでは回復していた藤高は、頭を深々と下げる駅員や手を振る人影たちに頭を下げ、背を向けた。


「ありがとうございました。またいつかお会いしましょう」


 そう言った駅員の言葉に振り向いたが、蛍光灯の灯りに照らされて活気づいた帰宅ラッシュの駅が代わりにあっただけだった。




 二人の患者が目覚め、病院は慌ただしかった。男の方が下敷きになる形で階段から落下した二人は、怪我の具合は違ったもののなぜかそろって意識が戻らず、医師たちを悩ませていた。


 このままでは危ういと言われた女性の容態が落ち着き、目を覚ましたことに家族は喜んだ。その時席を外していた女性の夫は戻ってくるなり安心したように眠ってしまい、病室は温かな空気に包まれた。


 一方で、女性を巻き込み階段から落下した十代の少年の怪我は重たいものだった。ここからさらに裁判や、リハビリが待っている。彼が己のしたことの一つ一つにどう向き合うのかはまだわからない。だが、彼はまだ数年は死ぬことはない。あの駅員に「出禁」にされたというのは、死に拒絶されるということを意味している。

 あの赤いでこぼこの怪物にまたなってしまうのかは、「出禁」が終わったときにわかるだろう。




 妻が退院したあとで、藤高は改めて森高駅にやってきた。ブラックライトのような不気味な灯りなどどこにもない、どこに行っても活気に溢れた大きな駅である。

 なんとなく、彼らにまた会うことはもうない気がしていた。だから彼はただ駅の改札口に向かって頭を下げた。せめて、あの男性駅員にだけでも感謝を伝えられるだろうかと思う。

 顔を上げても、そこにはいつも迎えに来るときに見ていた明るい空間が広がっているばかりだった。それを確認して藤高は立ち去った。できればしばらくはブラックライトを見たくないなと思いながらも、その足取りは軽く弾んでいた。

お読みいただきありがとうございます。

感想大歓迎です!!!!

というかくださいな!!!!

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[一言] 主人公の想いがこれでもかと伝わってきて、異質な駅へと入るなりドキドキハラハラして、いろんな方の助けを借りながら奥さんと一緒に危機を乗り越えて……ホラーな物語ではあるんですが、同時に人情ものと…
[良い点] ホラーと書いてあってドキドキしながら読んだのですが、ホラーだけど心温まる後味の良い作品でした! 途中からハラハラしながら夢中で読んでましたw タイトルから、最初もしかして旦那さんが既に死ん…
[良い点] 旦那さんが奥さんを諦めずに抱えて守りきったところ。 よくある小説の主人公でもない、普通の男性が大切なひとを抱えて守るって、そうそうできる事ではないのに、この旦那さんがそれをやってのけたのは…
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