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第十一話(中編) 逢瀬


 不意に、力強い両腕がわたしを抱きしめた。

 息苦しいほどの強さで、微かな身もだえも出来ないくらい。

 絶え絶えに息を吐いて吸えば、先生の匂いが肺腑に満ちた。

 心臓が鼓動するたびに、先生の匂いがわたしの血液に解けて、指先から爪先まで行き渡ってく。

 ああ、頬が火照って熱い。

「私に愛想を尽かさないのか? 私はきみひとり甘やかせないほど甲斐性の無い男だぞ」

「そんなこと言う前に、先生こそオプシディエンヌに愛想尽かした方がいいですよ」

 先生は低く呻いた。

「空気を吐いて吸ってる邪悪って分かってるんでしょう」

「あ、ああ……」

「わたしに言うの、無駄だって理解しました?」

「そうだな。どうしようもないな……」

 先生は深く項垂れ、わたしの首筋に顔を埋めた。

「……オニクス先生?」

 騙し絵の小部屋で、鈴蘭と月下香の匂いが混ざり合っている。

 一瞬、情事みたいだと思ったけど、情事の名残りにしては清楚すぎる。この香りには、汗も涙もないから。

「頼みがある」

 わたしの耳朶に、呟きが落ちた。

 優しく囁かれたけど、浮かれるほど能天気じゃなかった。

 たぶんこれはきっと泣きわめく幼児に、玩具かお菓子を与える行為だ。

 もう少しマシな例えするなら、お手伝いしたがる子供を火元と刃物から遠ざけるため、安全なバター搗きやカブ洗いを頼むようなものだ。

 わたしを安全地帯に追いやれないと判断して、次善策に切り替えたか。

 それでもいい。

 先生を最後まで見届けられる位置を得られるなら、なんだっていい。たとえノイズと言われたって見届ける。

「オプシディエンヌを完全消滅させるための呪符を取り戻したい。【破魂】の指輪だ」

 先生はわたしの髪を撫でながら語る。

「【精神破壊】の魔術では下位の要素しか破壊できんから、死後に転生可能だ。だが【破魂】は高位の要素をも滅する術だ。転生や憑依さえ出来なくさせる」

「なんつー、オーバーキル魔術だ」

「思いついて研究したら完成した」

 普通は思いついても研究できないけど、闇の教団の副総帥さまに歯止めは無いからな。予算も、倫理も。

 道義なき研究と実験を繰り返して積み重ね、オーバーキル魔術が完成したのか。

 人間ではなく、魔女を殺すための魔術だ。

 正気の人間では、けしてたどり着けない領域の魔術か。

「大聖堂の地下納骨堂に封印されているはずだったが、【破魂】の指輪がないのだ。別の場所に封印されてるかもしれん。オプシディエンヌが所持しているかもしれない」

「そんなに危険なら、すでに破壊しているのでは?」

「きみは自分の呪符が破壊されたことがないのか」

 無い。

 呪符を廃棄処分するのは結構たいへんで、内部に込められた魔力を消滅させる必要がある。

 魔廃処理にかけないと被害がでるのだ。

「作り出された呪符が本人にしか使えないのは、呪符が魔術的には術者の延長線にあるからだ。呪符は肉体に匹敵する。星幽的義肢と表現した魔術師がいるようにな」

「毀されると痛いんですか?」

「いや、痛覚に干渉するほどではない。ただ知覚できる。私の【破魂】はまだ毀されていない」

「わたしがオプシディエンヌだったらとっとと毀してますよ。じゃなかったら人類の手に届かないところに封印とか……」 

「研究素材とみなしたら、どれだけ危険でも所持する。そういう女だ」

「なら学院の監督生室には?」

「地下納骨堂を抜け出して、すぐに学院に忍び込んでみたが、そこにもなかった。王宮にあるかもしれん」

 仮説に仮説を重ねてる。

 不安定な予測だ。

 もしかしたら先生は、オプシディエンヌに【破魂】の指輪を持っていてほしいんだろうか。恋している女性が自分の指輪を持っているなんて、ロマンティックな理由で。

 【破魂】を作り直すことは出来ないのかな。

 作り直しが視野に入ってないってことは、相当、素材や媒介がレアなんだろう。

 魔術は真理へ深く踏み込むほどに、素材が稀有なものになってくる。

「参考までに【破魂】の素材をお聞きしてよろしいですか?」

「作り直せんぞ。あれは闇魔術の至宝石、アマンディヌス石、アンティファティス石、アントセロマヌス石、アナキティドゥス石が必須だ。地球上どころか宇宙さえ滅多に存在しない……」

「持ってます」

 わたしの返事に、先生は硬直した。

 数拍後、やたらゆっくりとかぶりを振る。

「どうやら私は疲れているようだ。幻聴が聞こえた」

「ぜんぶ持ってますよ、闇の至宝石」

「どこで手にいれたァ!」

「時間障壁の向こう側です」

「は、え?」

 素っ頓狂な声。

 ひょへへ、先生のこんなボイス、めっちゃレアじゃないですか。

 わたしは身を乗り出して、先生の耳元に唇を寄せる。

「先生の【制約】解く呪符を作ったじゃないですか。素材採取のために、偉大なる竜のお方の魔法で時間の外まで飛ばしてもらいまして、そのついでに色々採取してきましてね。えへへ」

 オニクス先生が呆然としていた。

 隻眼の焦点が合ってねぇぞ。

「私は至宝石を手に入れるために、三つの部族を滅ぼしたぞ。ちなみにそのひとつが星智魔術のご老体の一族でな」

「重い話題に雑談の皮を被せないでください」

 カマユー猊下に撒かれた憎悪の種が多すぎる。

「で、あと必要な素材はなんですか?」

「魔術インクとして、まずマンティコアの毒針から抽出した毒がいる。すでに絶滅した魔獣で、もはや……」

「持ってますよ」

 わたしの言葉に、先生は一瞬だけ固まった。

「マンティコアの毒を一滴、高純度オリハルコンの器で汲んだ弱水に入れて……」

「純度の高いオリハルコンの器だったら、クワルツさんが持ってます」

「媒介に千人の胎児を殺した隕鉄のクリス・ダガー」

「それはさすがに持ってないです」

「ほっとした」

 何故か胸をなでおろしている。

「……私のクリス・ダガーは、王宮の武器展示室にあるはずだ」

「結局、王宮に潜入するんですね」

 王宮潜入。

 クワルツさんに依頼できないな。

 怪盗クワルツ・ド・ロッシュなら王宮に忍び込めそうなんだけど、予告状を出すことを絶対としている。王宮にそんなお手紙を出されたら、プラティーヌに筒抜けだ。

 隕鉄のクリス・ダガーは、わたしと先生で手に入れるしかない。

 プラティーヌの巣に潜入する。

 ぞっとするけど、方法はそれ以外無さそうだった。  






 先生と打ち合わせを終えて戻れば、舞台は第二幕のクライマックスだった。

 女庭師が詐欺師の逃亡を助け、ひとり屋敷に残っている。

 たったひとり孤独に残され、それでも女庭師は誇らしげに恋を歌い上げていた。オペラ座いっぱいに響き渡る、超絶技巧のコロラトゥーラ。



 わたしは【幻影】で姿を消して、桟敷席から先生の【飛翔】で飛ばしてもらう。これでバレずにボックス席へと戻れるはずだ。

 まだバレてねぇよな……?

「いや、妙だね。ミヌレさんみたいに好奇心と無関心の塊みたいな性格が、初めてのオペラで寝るのか……?」

 オンブルさんの低い声がした。

 好奇心と無関心の塊とは……?

「そうよね。いっつもニック寝てるからうっかりしてたけど、ミヌレちゃんが寝るのはおかしいわよね」

 ディアモンさんも頷いている。

 ふたりとも【幻影】に対して疑いをかけていた。

 まずいな。

 バレてねえけど、バレる寸前じゃねーか。さっさと入れ替わらないと。

 クライマックスなんだから舞台に集中しててよ。

 わたしはボックス席を乗り越え、うたた寝している【幻影】に近づく。

 って言うか、なんでわたしの【幻影】は涎垂らして寝息立ててんの? あれは女の子の寝顔っていうか、図々しさを極めた野良猫の寝顔だぞ。オニクス先生のなかで、わたしはどういうイメージなの?

 さっさと消したいけど、ここで慌てて物音立てたら全部ご破算だ。

 そっとだ、そっと。

 衣擦れさせないように慎重に動いていると、ボックス席の扉が開いた。

 クワルツさんだ。

「すまんが、吾輩は帰らねばならん。ハッピーエンドの前に退場するのは名残惜しいが、急用でな」

 色素の薄い瞳に【幻影】を映して、思いっきり首を傾げた。それから分厚い眼鏡をずらして、ボックス席を見回す。

 【幻影】で姿を消しているわたしに、焦点を結ばれた。

「そっちの姿が消えている方が、本物のミヌレくんか」

 クワルツさんの視線に、オンブルさんとディアモンさんの視線まで集中した。

 うええ。

 ディアモンさんがショールを鞭のように振るった途端、掛けてもらった【幻影】が壊れた。

 わたしは姿を現してしまう。

「……ミヌレちゃん。この【幻影】の精緻さは、ニック以外ありえないわよね」

「はい、オニクス先生といちゃいちゃしてました」

 何か聞かれる前に、わたしは速攻で暴露する。

 やたら静かになるボックス席。

 舞台のクライマックスが終わったせいで、よけいに静まり返っている。

「偶然会ったの? それとも……」

「先生と偶然会えたから、いちゃいちゃするために抜け出しましたッ!」

 オペラ座に満ちる拍手喝采の中、わたしは大きく返事した。

「ニックと何を話して……」

「婚約式のときのコロンより似合うなって言われたりして、髪を撫でられたりして、いちゃいちゃしてましたッ!」

 はきはき素直に答える。

 ディアモンさんは頭を抱えていた。

「何かこう、ニックの潜伏先とか……」

「すみません。マジで本当にいちゃいちゃ以外してないです」

 真顔で嘘つく。

 ディアモンさんは視線を逸らして考え込み、オンブルさんはため息をついて、クワルツさんはめちゃくちゃ眉間に皺を寄せていた。

 わたしから先生の情報を漏らさねぇぞ。

 重苦しいボックス席で最初に口を開いたのは、クワルツさんだった。

「吾輩は緊急に実家へ帰らねばならんが……その、ディアモン……帰りの護衛は……」

「帰りは空飛ぶ絨毯があるわ。馬車より安全よ」

 古代魔術を研究しているディアモンさんは、空飛ぶ絨毯を操れる。

 行きはまだ明るいから、空飛ぶ絨毯を使えないんだよな。

 物理的に使えるんだけど、法律的には使えないんだ。住宅地は基本的に飛行禁止なのだ。 

「脱走に関しては、アタシのショールに捕縛能力があるから大丈夫よ」

 ディアモンさんから物騒な発言が飛び出した。

 わたしは犯罪者かな。

「そうだ、クワルツさんって、高純度オリハルコンの器を持っていましたよね。それを貸して頂きたいんですが……」

「呪符を造るのか?」

 クワルツさんの問いに、ディアモンさんの眦が裂かれた。

 わたしは慌てて首を横に振る。

「いえ、ディアモンさんって砂漠の帝国に関係しているものが好きだから、見せたら機嫌を直して頂けるかなって魂胆です」 

 わたしは面の皮を千枚張りにして、嘘をついた。

 【破魂】の素材を集めなければ。

「ならオンブルに届けてもらうといい。あいつの部屋に置きっぱなしだからな」

 そう言って、クワルツさんは急ぎで帰ってしまった。

「また報告書、書かなきゃ」

 ディアモンさんは沈痛な面持ちで呟いた。

「大変ですね」

「ミヌレちゃんも書くのよ、連盟が手配中の魔術師に会ったんだから……」

 わたしも連盟に就職内定してるから、提出義務はあるよな。

 学費を出してもらう予定だしな。

「全年齢版官能小説って感じになりますよ」

 わたしの発言に、ディアモンさんの沈痛さが鎮痛剤のいるレベルになった。

「カマユー猊下の血圧が上がりそうよね」

「あのひと、星幽体なのに血管切れそうですよね」

 喋っている間に、オペラは第三幕が始まった。



 大賢者だろうと誰であろうと、オニクス先生の願いを邪魔させない。

 だから報告書にはプラティーヌのことを省いて、誤魔化し……いやいや、わたしの創作能力をフルスロットルさせよう。

 先生×わたしの同人誌だ。

 依頼されたアンソロの原稿の責任感で、ばっちり執筆させて頂きます。


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