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第十一話(前編) 逢瀬


 オニクス先生は暗がりを歩いていく。

 右に曲がり左に曲がり、足音が地下へ地下へと呑み込まれていくばかり。

 もう見えるものは何もない。

 闇だけだ。

 わたしが感じられるのは、先生の香りと体温、それから低く澄んだ声。

「このオペラ座はピエール6世から10世の間にかけて建築されたものだ。完成後もピエール11世が気に入った女優を個人的に呼ぶため、ロイヤルボックス近くから誰にも見られずに楽屋を行き来できる通路を作らせた。その後、五度の失火に見舞われ、つぎはぎに建築。表面は整然と取り澄ましているが、内部は混沌として美しい」

「お詳しいんですね」

 設定資料集にも書かれていたけど、適当に相槌を打つ。

「老王……先代の国王に幾度か連れられてきたからな。護衛のひとりとしてな。先代は私が宮廷人としての教養を得るよう、歌劇に供をさせたが、当時の私の興味は歌劇より、この建築の探検にあった」

 わたしの相槌に促されたのか、過去を語る。

 宮廷で調子こいてた時代というと、十六歳か十七歳くらいだったな。

「その時にこの部屋を発見した。ロイヤルボックス側からは完全にふさがれているが、楽屋側の通路が半分つながっている」

 闇しかない世界の階段を上り、扉を開ける。

「ここが、ピエール11世が使った逢瀬の小部屋だ」

 壁に備わっていた光の護符が、音に反応して小部屋を照らす。


 わたしの目の前に広がるのは、花が咲き乱れる庭園。


 これ、騙し絵(トロンプ・ルイユ)だ!


 窓のない小部屋なんだけど、天井には青空が描かれて、壁には庭園が描かれている。幾重にも垂れ下がるリラやミモサ、綻ぶダリアとアザレア、足元には紫紺のムスカリや勿忘草。

 今にも花びらが散りそうなほど生き生きしている。内側の扉まで、絵の具の花たちが咲き誇り、葉を茂らして、蔓を伸ばしていた。

 絵画が精緻な分、香りの無さが違和感だった。

 視力が無かったわたしは、ちっちゃな頃から花を香りで覚えてきた。ここに描かれた花たちは綺麗だけど、馥郁としていない。

「香りの欠けた庭園ですね」

「……香しさなら、きみがいる」

 つまりこの小部屋は、花の香水を纏った女性が入って完成するのか。 

 ふへー。そんでどんな花より、きみが香しいとか言って口説くのか。

 なるほど。

 部屋には大きな肩袖型寝椅子がひとつ、置かれていた。挽物脚の上には、渦巻き型の古典的な木枠装飾が施されている。くつろぐためというより、愛を語るための寝椅子だ。

 先生はわたしを寝椅子に下ろして、床に膝をついた。ワタリガラスの仮面を外すと、先生のつむじが見える。レアな光景だな。

「どの足が痛い?」

「ふえっ? す、すみません。あれは嘘です」

 小声で呟く。

 足の痛みを案じてくれたから、わたしを抱き上げてくれたんだ。暢気に甘えちゃって申し訳ないな。

「先生がボックス席にいると分かってから、残りたくて。足は痛くないんです」

「なら、いい」

 短く呟いて、先生も寝椅子に腰を下ろす。

 隻眼がちらちらとわたしの蹄を見つめていた。ユニタウレ化に興味あるのかな。

「触りますか?」

 ちょっと……いや、すっごく恥ずかしいけど、先生は診察とか後学のために触りたいだろうし。触診なんだから気恥ずかしくなる必要はない。

 わたしはペチコートごとスカートを、おへその上までたくし上げる。

 一角獣の四つ足が、青白い光に照らされた。

「どうぞ」

 先生は一瞬だけ凝視して、そっぽ向いた。

「いらん」

「この症状、珍しくないんですか?」

「後天性チェンジリングは症例として確認されているが、数は少ない。普通は幼少期に発症する。稀有だ」

「なら触ります?」

「羞恥心が正常になったのだろう」

「は、恥ずかしいです。でも嫌じゃないんですよ……」

「それより本題を」

 そっぽ向いたまま、早口で喋る。

 触診より問診が先か。

 わたしはスカートを綺麗に直して、本題に入ることにした。

「先週、フォシルに監禁されたんですが、ヴァンドノワールに助けてもらいました」

 先生の愛馬の名前を出す。

 その名で空気が緩んだ。

「あれは賢い馬だからな。姉の馬は、姉より聡明だ」

「ヴァンドノアールって、先生の馬ではないのですか?」

「仮釈放に過ぎん罪人が、乗馬用の馬を持てると思っているのか? 私が世話をしているが、名義は姉だ」

「そのわりに【飛翔】は所持できるんですね」

「私は法律的に飛べないことになっているから、没収する法的根拠がない」

「ちょっと意味が……?」

「私が隻眼だから、水平計器付きのゴーグルは付けられんだろう。だから【飛翔】による飛行免許が限定免許でな。法律的に私自身は【飛翔】してはいけない。無生物移動に限定されている。ゆえに【飛翔】を没収する法的根拠がない」

「杜撰じゃね、その法律……」

 法律がすべて完璧ってわけじゃないし、抜け道あるだろうけど、さすがにその杜撰さは何なんだ?

「それよりその半獣状態の経緯を述べてくれ」  

「フォシルがわたしに、【封魔】の護符を付けやがったんですよ! クソがッ! 魔力封印されたんですが、先生はわたしの人間の姿も一角獣の姿もどっちも『虚』って言ってたから、全部塞ぐと良い感じになると思って経絡を塞いだら、良い感じになりました!」

「【封魔】の護符だと」

 先生が色めき立つ。

「そうなんですよ、そこです! どこから入手したか問いただしたら、プラティーヌ殿下って言うじゃないですか!」

「それでプラティーヌがオプシディエンヌだと推理したのか?」

「あのクソ殿下にセクハラされたことあるんです。中身が魔女なら、言動に納得ですよ。あと今、先生が殿下の名前を呼んだから、オプシディエンヌなの確定ですね」

「……」

 先生はもの言いたげな無言で、またそっぽ向いた。

「オニクス先生」

 そっぽ向いたまま、長ったらしい舌打ちが返ってきた。歯と歯の隙間から息を吸う舌打ちだ。

 しばらく黙っていると、先生が浅く息をつく。

「オプシディエンヌがきみに関与してきたとはな。前々からきみに目を付けていたのか。おそらくは【憑依】の器のひとつとして」

 闇魔術【憑依】。

 自分の記憶も星幽体も保持したまま、他の肉体に移る術だ。

「オプシディエンヌは霊視や【屍人形】の他、さまざまな研究をしていたが、いちばん打ち込んでいたのは不死だ。今の器であるプラティーヌは魔力と身分は申し分ないが、予備としてきみをストックしておく腹積もりかもな。あるいは無限の魔力を持っているきみで、なにか研究したいテーマがあるかもしれん」

「クソ魔女~」

 髪の毛だけじゃなくて、お次はわたしそのものを素材にするつもりだな。

 初見で倒しておくべき敵じゃねーか。

 倒せないけど。王族だし。

 そう。中身が魔女だろうが毒婦だろうが、プラティーヌという存在は王族なのだ。


「王族殺しをするんですか?」


 王族殺し。

 実行犯は八つ裂き刑。

 血縁や配偶者は国外追放だ。

「きみに累は及ばん。賢者連盟が後ろ盾なら、婚約者であっても保護してくれる。きみの望む教育を受けさせてくれるはずだ」

「ええ、学院は教育カリキュラムを作ってくれている最中ですし、ディアモンさんはドレスを張り切って仕立ててくれます。ありがたいですよ」

 本当にありがたい。 

 わたしが渇望していたすべてが手に入った。

 まっとうな視力、最高の教育、優しい友人たち、おまけに素敵なドレス。

「だけど望むものが手に入ったのは、先生がわたしを正気に戻してくれたからです。だから先生の願いを手伝わせてください」

「きみはまだ子供だ。素直に教育を受けていなさい」

 オニクス先生ってば、先生ぶって。悪の魔術師なのに。

「プラティーヌ殿下は【屍人形】を造っているんですよ。教会法に反した行為です」

「彼女をギロチンに追いやれと?」

「ギロチンでも火あぶりでも修道院収監でも何でもいいですよ。なにはともあれ宮廷はあの女の巣でしょう? のこのこ飛び込むより、どこかに引きずり出したほうが罠に引っかからなくてよいのでは?」

「気に喰わんな」 

「どこか不合理な点でも?」

「……エクラン王国は、不文律の王権が大きい。王族が【屍人形】を造っていたともなれば、悪いのは本人でなく魔術だと転嫁されるやもな。その結果は、魔術師全体の地位の低下だ。下手をすれば魔女狩りの再来。賢者連盟が最も避けたい事態だ」 

 わたしは静かに拝聴する。

 王族ではなく、魔術そのものに責任を負わせる。

 この王国ならありうる話だよな。危惧すべき想定であり、回避すべき問題だ。

「でも、先生。ほんとにそれって先生が気にしてることですか?」

 魔術師全体の地位の低下。

 魔女狩りの再来。

 そんなこと気に病むひとだっただろうか?

「ああ。建前だな」

「本音は?」

 幾秒かの沈黙を経て、先生は唇を開いた。


「……この破滅は、私とオプシディエンヌだけのものだ。きみはノイズでしかない」  

 

 雑音。

 わたしの案は、いや、伝える言葉さえも、オプシディエンヌしか見えてない先生にとって雑音なんだ。

 呆気に取られる感覚と、癇癪を爆発させたい感覚、ふたつが同時に頭に満ちる。

 周りには物が置かれていないけど、なんでもいいから手当たり次第に何か投げつけて、喚いて泣いて、先生の横っ面を引っ叩いてやりたかった。

 さすがに癇癪起こすほど赤ちゃんじゃない。

 だけど泣き喚いて暴れたい気持ちが、肺腑の輪郭でぐるぐるする。

「……ミヌレ」

 わたしの頬に、先生の手が触れた。

 寂しそうな隻眼。

 なんでそんな苦しそうな顔してるの?

 ひどいこと言われたわたしより、ひどいことを言った先生の方が苦しそうだった。

「どうして私などを愛した? きみは愚かだ。こんな冷酷な男を愛するべきじゃなかった。もっと誠実で、もっと清廉で、きみの一途さに報いられる人間を愛するべきだった!」

 身も世もなく、苦悩をそのままぶちまける。

 絵の具の花さえ散りそうな叫びだ。

「私はオプシディエンヌを愛しているし、罪を犯し過ぎた! 十六歳だった私の元に、きみは現れてくれなかった! 手遅れだ。もう、私など忘れるがいい!」

 身勝手な事を言い切って、オニクス先生は深く項垂れた。

 十六歳だった先生。

 先代の老王にオペラ座に連れてこられた時代の先生。

 わたしと釣り合う年齢だったなら、あるいはオプシディエンヌに出会う前だったなら、わたしを選んでくれたの?

「手遅れじゃありません。十六歳の先生に会える方法はありますよ」

 わたしの呟きに、先生はゆっくり顔を上げ、視線を合わせた。

 疑問の色が浮かんでいる。

 十六歳だったオニクス先生には会えないけど、十六歳のこのひとに会うことはできる。

 方法はある。

 たったひとつ。

「偉大な竜のお方の力をお借りすれば、可能ですよ。わたしの胎に生まれ変わればいいんです」

 生まれ変わって幸せになっても、それは自分じゃない。

 転生に救いを求めるなんて、わたしの信念に悖る。

 ラーヴさまの前では反射的に否定してしまったけど、オニクス先生がその選択肢を考えるなら、わたしは信念に背いても、魔力も子宮も未来もすべて費やしても、構わない。

 自由に。ただ自由に。

 生きることも、死ぬことも、生まれ変わることも、あなたの心のままに。

「先生が望むなら、十六歳のあなたを愛します」

 トロンプ・ルイユの空間は沈黙した。

 遠く遠くの舞台から、ワルツの三拍子が伝わってくる。それほどの静けさ。

 先生は何を考えているのか。

 叱咤か、拒否か、あるいは罵倒なのか。

「悪かった……」

 ようやく唇を開いて零したのは、謝罪だった。

「私が馬鹿なことを言ったせいだな。失言だ。私を許してくれるなら、どうか忘れてくれ。頼む」

 苦しそうにかぶりを振る。

「……ミヌレ。きみには幸せになってほしい」

「ありがとうございます。でも先生がいない以上、それは難しいですね」

「私がいなくても幸せに。せめて、健全な人生を。どうか賢者の庇護下にいてくれ。すべてが片付くまで、安全な場所に……」

「どのみち近いうちにわたしは参内します。宮廷魔術師長にご挨拶するために」

「断れ。仮病でも何でもいい。きみは世界鎮護の魔術師になる人間だ。万が一きみの肉体が乗っ取られたら、賢者連盟はオプシディエンヌに従うしかなくなるんだぞ」

 その言葉に、背筋が凍った。

 闇の教団なんか立ち上げる魔女が、賢者連盟の象牙の塔に君臨したら?

 悍ましすぎてわたしの想像では追いつかない。

 だけど。

 それでも。


「わたしはあなたの死を特等席で見届けますよ」


 それだけは譲れない。


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