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第十話 (後編) オペラ座の魔術師



 詠唱されているのは、闇魔術【睡眠】だ。

 呪文にオンブルさんは顔を上げたが、魔力圧が波紋した途端にあっけなく寝た。

 このひと、マジで耐性ゼロだな。


「よく分かったな」


 翳が震え、闇が蠢き、影が揺れた。 

 オニクス先生が【幻影】を解く。

 片隅の椅子に腰を下ろし、ワタリガラスの仮面は膝に乗せている。

 魔術を解いたにも関わらず、漆黒を纏う姿は輪郭が淡くて、今にもオペラ座の闇に溶け込んでしまいそうだった。

 オペラ座に来るかなって低い可能性に賭けたけど、わたしの読みは当たったらしい。

「香りがしたんです」

「そうか。迂闊だったな」

 迂闊だと思ってない淡々とした口調だ。

 久しぶりに聞けた先生の声に、わたしの頬が緩む。

「オペラ座に来るかもしれないって思ってましたが、ボックス席にいるとは予想外でした。どうやって入ったんですか? ここチケットがないと、従僕さんがカギをあけてくれないのに」

「姿を消したまま、土間桟敷からボックス席に【浮遊】した」

 事も無げに言う。

 ボックス席は密室かと思いきや、姿を消して飛べる魔術師なら入るの簡単だ。

 密室殺人向きなひとだな。

「先生、オペラが好きなんですね」

 魔術を多用してまでくるとは、相当だ。

 わたしが思った以上に好きだな。

「おそらく好きなんだろう」

 いや、めちゃくちゃ沼ってるジャンルだろ。

「きみの予知形態はゲームだったな。私の多重予知は、芝居だった。観劇のたびに変化する芝居だ」

 芝居か。

 それなら毎度、上演内容が変わっても不思議じゃない。

 オペラと違って、芝居は庶民の娯楽だ。

 話題性が最重要。

 悲劇が流行ればバッドエッド採用するし、喜劇が流行ればコメディタッチにする。オペラも世相によって結末を変えるけど、芝居はそのスパンが短い。朝と夕では違う芝居なんてザラだ。ちょいちょい台詞が変わったりアドリブが入ったりするし。

 クー・ドゥ・フードル曲芸団なんて、今いちばん話題の『騎士と怪盗』の寸劇をやってるしな。

「予知を繰り返すためには、予知の主体に負担をかけてはいけない。魔法は無意識を斟酌する。私の予知形態が芝居だったなら、私自身どこかで演劇を好ましいと思っているのだろう。ならば気分転換のひとつとして嗜むのも悪くはない」

 そして先生は緩慢に、幕が下りている舞台を眺めた。  

「………これが建前だ」

「ふへっ?」

 わりと建前かなって思っていたけど、それを即時肯定されるとは思わんかった。

 だって好きなら、途中で眠らないだろうし。

「オペラ中、眠ると安らぐ」

 変わったご趣味だな。

「何かするたびに、過去の記憶が私を侵食する。奴隷時代に面白半分で受けた辱めも、教団にいたころ興味本位で行った実験も、ペンを置いた瞬間、立ち上がった瞬間、思い出す。フラッシュバックほど強くはないが、絶えず記憶から蘇ってしまう」

 先生は語る。

 独白めいた呟きに、生半可な相槌は打てなかった。

 黙ったまま耳を傾ける。

「苦痛と罪悪を絶え間なく思い出すが、ここだけは例外だ。蝋燭たちが灯って、美しい音楽が響いている。幻想的な空間だ。そんな中で微睡んでいると、夢も現実も曖昧になってくる。オペラの最中でうたた寝をしているときだけは、悪夢も罪悪も感じずに済む」

 そうだったのか……

 掛ける言葉が思いつかなくて、わたしは何も言えなくなってしまう。

 幼い頃の屈辱と、若い頃の過ち、それらからのひとときの逃避所として、オペラ座を揺り籠にしているんだ。

「最近はひとつ、悔むことが増えた」

 隻眼がわたしを射る。

「図書迷宮の第七層」

 その呟きが、何を示しているか分かった。

 図書迷宮。

 魔力が枯渇した先生に、わたしが供給した。

 魔術的には魔力の供給に過ぎないし、房中術という東方魔術だけど、世間一般では性行為と呼ばれる。

「私は世界鎮護の魔術師で、死ぬわけにはいかなかったし、自殺も【制約】されていた。だがきみが世界鎮護の魔術師になれるなら、私の行為は何だったのだろうな」

「あれは合意の上ですよ」

「未成年から合意を引き出すこと、そのものが罪深い」

 己自身を憎むように、声を絞り出した。

 図書迷宮での出来事は、わたしの無茶が引き起こした結果だ。先生は巻き込まれただけなんだから、罪の意識を感じてほしくない。むしろわたしを責めるべきなんじゃないか。

 わたしが手を伸ばすと、触れる前に先生は立ち上がった。振り払われたような気分で、わたしは手を引っ込める。

 先生は佇み、緞帳の下りている舞台を眺めていた。

 シャンデリアの輝きが、先生の黒い輪郭をきらきらと縁取る。

「きみが大人になれば、子供とは幼いものだと知るだろう。そして私の成した行為を忌み、恨むだろう」

「わたしは後悔なんてしませんし、先生を厭ったりしません」

「いや、きみは私を恨む。汚らわしく思うだろう。それが正常な成長だからだ」

 なんだよ、もう。

 そりゃ先生は「…いつか悔む日がきたら、私を恨むといい」とか言ってたけど、悔む日が来たらってことじゃん。わたしは悔まないもの。たしかに世間的には良くないけどさ。

 なんでこう今更ぐちぐちと。

「オニクス先生はひとに嫌われても平気なわりに、わたしに恨まれるのは嫌なんですか」

 ちょっとしたケンカ腰だった。

 なのに、隻眼が見開かれてわたしを凝視する。

「……ぁ」

 ひょっとして、まさか、図星か。

 わたしに恨まれればいいと思っていたのに、恨まれたくなくなったのか。

 先生は無言で仮面をかぶり、【幻影】と【飛翔】を唱える。

「ふへっ? 待っ、どこに行かれるんです?」

 制止するより早く、先生がボックス席から桟敷へ飛び降りる。

 一緒に飛び降りたら大騒ぎだ。わたしはスカートを抱えて持ち上げ、ボックス席から飛び出して階段を降りる。

 土間桟敷の扉まで急いだ。

 だけど視界に映るのは絹や宝石の輝き。鼓膜に届くのは、たくさんのひとの足音と吐息、会話、衣擦れ。

 休憩時間だからごった返している。

 狭い密室なら嗅ぎつけられるけど、こんな場所じゃ聴覚や嗅覚では辿れない。

 わたしは猟犬や狼じゃねぇんだぞ。

 

 狼……

 そういえばクワルツさん、以前、「ド近眼であるからして、見えるものは逆に幻術だって分かる」って言ってたな。 


 目を閉じる。

 視界から物理レイヤーをオフにして、魔法レイヤーだけにする。

 

「………いた」

 先生だ。

 なにかぽわっとしているものが動いている。あれがきっと【幻影】で姿を消している先生だな。

 暗がりへ暗がりへと進んでいってしまう。

 わたしは先生に駆け寄る。

 欄干にぶつかった。

「げふんっ!」

 そうか、目を瞑ったまま走ったら危ないな!

 せっかくアプデした能力なのに、使いこなせてねえな。

 目を開いて、現在位置を確認。

 ここは渡り廊下だ。

 眼下には、地下一階の特別階段室が広がっている。あそこは年間契約している顧客専用の馬車玄関だ。

 先生を見失ってしまう。

 こうなったら切り札だ。 


「プラティーヌ殿下が、オプシディエンヌなのでしょう!」


 空虚に響くわたしの切り札。

 叫びの反響に剥ぎ取られるように、オニクス先生の【幻影】が解けた。

 黙ったまま、わたしへと視線を送る。


 ……ああ、正解なのか。

 この沈黙で、肯定しているのが分かる。

 プラティーヌ殿下が、魔女オプシディエンヌなのか。

 先生はあの女のために、いのちを賭すのか。

 


「どこで、それを知った? ……いや、きみなら嗅ぎつけてもおかしくないか。だが口外はしない方がいい」

「王族と敵対してるなんて、言えませんよ」

「オプシディエンヌのことは私が終わらせる。きみは安全な場所にいなさい」

 先生はわたしに背を向けて、渡り廊下から地階へと飛び降りた。

 わたしが追いかけられないと思っているな。胸や肩口が詰まっていて、一角獣化できないからな、このドレスじゃ。

 ふへへ、だがまだ奥の手がある。 

 ここは人がいないから、気兼ねせずに奥の手を出せるぞ。

 靴とストッキングを脱いでポケットに突っ込み、ステップを踏んだ。 

 魔力をすべて閉じる。 

 わたしの下肢が蠢き、揺らぎ、冴え渡り、爪先は偶蹄へと変化した。


 一角半獣ユニタウレ化!


 わたしはスカートをたくし上げ、四つ足で欄干を蹴る。

 地階特別玄関室へと飛び降りれば、暗闇と大理石に響き渡る蹄の音。

 追いついたぞ。

「………どうしてそうなった」

「フォシルに監禁されましてね。こうなりました」

「下半身がそんな風になるほどの監禁だと……」

 ワタリガラスの仮面をつけていても、先生の蒼褪めっぷりは分かった。

 なにか不名誉な誤解をされている気がするぞ。

「いや、そこまでひどい監禁じゃなかったですね。馬用の拘束具を付けられたくらいで。それにフォシルの監禁はきっかけで、こうなった原因は別にありますから」

「本当か?」

「ええ、そしてその原因があったから、プラティーヌがオプシディエンヌだって悟ったんですよ」

 会場の方のざわめきの流れが変わった。

 もうすぐ休憩時間が終わるんだ。

 第二幕が始まってしまう。

 クワルツさんは戻ってくるか分からんが、ディアモンさんは確実にボックス席に戻ってきちゃうな。

「詳しい話が聞きたい」

 そう呟いたオニクス先生が、【幻影】を詠唱した。わたしの姿が宙に描かれて、浮かぶ。

「きみの身代わりに幻を置いておこう。途中から眠る動作を入れれば、話かけられまい」

 ボックス席へとわたしの【幻影】を歩かせていく。劇場従僕は恭しく頭を下げて、扉を開けて、【幻影】を入れた。

 今宵のオペラの登場人物はウソつきばかりだけど、観客のわたしまでも紛い物か。

 先生は突然、わたしを抱きかかえる。

「重くありませんか?」

「花束を重いと感じる程、私は貧弱ではない」

 素っ気なく呟く。

「気障ですね」

「きみからスズランの香りがするからな。無害そうな見た目をしていながら猛毒。きみそのものだ」

 貶しているのか、褒めてるのか、どっちだ。

 どっちでもなくて単なる皮肉か?

「婚約式のときの柑橘系より似合う」

 コロンを付けてたの、覚えてくれていたんだ。

 胸元に一滴落としただけだったのに。

 なんとなく照れくさくて、頬が火照ってしまう。

 わたしはオニクス先生に抱えられ、オペラ座の闇深い奈落へと降りていった。


 

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