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第十話 (前編) オペラ座の魔術師


 王族を暗殺。

 

 先生がプラティーヌを暗殺しようとしているなら、今からでも可能だ。

 むしろとっくにしている。

 大聖堂地下納骨堂で姿を見られた時、騎士団の報告が宮廷に上がっているはずだ。もし魔女オプシディエンヌがプラティーヌ殿下なら、その報告を知って警戒させてしまう。

 最善手は騎士に目撃された時点で、宮廷に即座に移動。報告が届く前に、プラティーヌの暗殺だ。

 【幻影】で姿を消して、近づいて刺し殺せばいい。


 でも先生はまだ暗殺をしていない。


 何故だ?

 プラティーヌ殿下が魔女オプシディエンヌってのは、わたしの思い込みか?

 だけど【封魔】の護符を扱っていた以上、本人じゃなかったら弟子だ。

 どっちにしろ危険だ。





 

「あ、あの、診察終わりましたよ、『夢魔の女王』ミヌレ・ソル=モンドさま」

 

 わたしの目の前に、気弱そうな笑みがあった。

 元司祭のテュルクワーズ猊下だ。

 ここはディアモンさんのアトリエで、わたしの診察にわざわざテュルクワーズ猊下が足を運んでくれたのだ。この方は獣属性の権威、治癒系では最高峰のお方だ。

 ぼんやり思考しているうちに、検査が終わったみたいだ。

「肉体の視力は、光に反応する程度ですね。これで本当に日常生活に支障がないとは……常時の霊視で補っているのは……驚きです」

「自覚がないだけで、そういうひとって意外に多いかもしれませんね。わたしは魔力を封じられるまで、視力が霊視で補われている自覚無かったですから」

 わたしは窓越しに空を眺める。  

 朝焼けの薔薇色に染められた空、灰がかった柔らかなそうな雲、金の光。淡くて美しい色彩たちがわたしの瞳に届いていた。

 眼球に魔力が漲っているから、わたしは世界を見ることができる。

「報告が少ないだけで、実際は、多い。ええ、まあ、獣属性の分野でありがちとはいえ、さすがに常時霊視は魔力が枯渇しますよ」

「わたしは魔力無限大だから、霊視の自覚が無かったと」 

 テュルクワーズ猊下は頷く。

「今のところ問題ありません……いえ、これを問題が無いと言うのはおかしいんですけど、ミヌレ・ソル=モンドさまは、強大過ぎる魔力で、肉体の不具合をねじ伏せているんですよね」  

 わたしの魔力って脳筋なのかよ。

 いや、きっとわたしの使い方だな。

 わたしの望みのまま、視力を補い、未来を示し、怪我を癒し、わたしを幸福へ導こうとしてくれる魔力。

 大切な力だ。

 魔力のお陰で、わたしは勉強できたし、友人とも出会えた。 

 ……友人。

「エグマリヌ嬢!」

 びっくりするくらいでかい声が出た。

 自分のことで手一杯で、エグマリヌ嬢のことすっかり忘れてた。なんて友達甲斐の無い人間なんだ。

 エグマリヌ嬢はプラティーヌから目を付けられている。

 仮定が合っていれば、魔女オプシディエンヌに目を付けられているってことだ。

「わたしの餌にするために、エグマリヌ嬢が危険に遭ったら……ッ」

「そっちも大丈夫よ、賢者同盟がこっそり護衛つけているから。ね、テュルクワーズ猊下」

「え、ええ、一応、私の直弟子であるウィユ・ド・シャと、イヴォワールが交代で護衛についています」

 テュルクワーズ猊下のお弟子さん?

 魔術の専門は、獣属性治癒系だ。

 治癒魔術師とか魔術医とか調薬師とか、そういう系統だよね……?

「ええっと、私の弟子は、その、もともと……兵士、というか」

「昔、『妖精の取り換え仔』を暗殺者として養成していた組織があってね、そのふたりはテュルクワーズ猊下が組織から救助したのよ。だから影になって潜んでいるのは得意なの」 

 言葉を濁すテュルクワーズ猊下に対して、ディアモンさんはあっさりと説明する。

 元暗殺者とは、凄惨な過去だな。

「お弟子さんは闇魔術に対しても耐性がおありですか?」

「もちろんです。本人たちも耐性がありますし、護衛時には【抗狂】や【抗魅】の護符も付けさせていますから」

「賢者たちがニックをこき使って作らせた護符よ」

 オニクス先生謹製の護符か。

 そういう経緯と装備なら、お弟子さんたちの護衛を信じていいのかな。

「テュルクワーズ猊下。食事をご用意致しましょうか?」 

「すみません、あの、本日は孤児院を視察する予定でして……急いで帰ります」

 テュルクワーズ猊下は遠慮してるわけでなく、素早く鞄に医療器具を片付けていった。

 この方は獣属性治癒系の研究以外に、『妖精の取り換え仔』の保護と支援と自立という慈善にも精を出しているからな。多忙この上ない身の上だ。

 絨毯の時空魔術で、テュルクワーズ猊下は転移していった。

「クワルトスくんは朝ごはん食べていく?」

 ディアモンさんの問いかけに、扉の陰に潜んでいた黒狼が姿を現す。

 クワルツさんはわたしが監禁から抜け出してから、ずっと傍に控えていてくれたのだ。

 魔狼のライカンスロープを解いて、青年の姿に戻る。

 怪盗の衣装も伸縮して、鍛えられた身体を包み込んだ。肩口と腰ひもを直して、色素の薄いかんばせに黒仮面を付けた。

「ありがたく頂戴するが、ディアモンの朝食は朝食前の軽いおやつだ。朝食とは認めんぞ」

「わりとクワルトスくんって大食いよね」

「きみが少食すぎる」

 クワルツさんって果樹園で剪定だの納屋や柵の修繕だの、小作人さんたちと一緒にやってるからな。農夫も怪盗も体力仕事だし、食事も多そうだ。

 ディアモンさんがシロップ入りミルクと、サブレを用意してくれた。

 サブレに真っ赤なジャムがついている。

「寮母さんがお土産に渡してくださったの」

 ワインジャムだ。

 サブレに乗せて、ジャムを味わう。ワインの香りはそのままで、アルコールが飛んでいるから食べやすい。ワインの香りが過ぎ去ると、生姜やシナモンやナツメグの風味が上品に広がる。舌に残る心地よい刺激は、黒胡椒かな。

 うん、糖分と香辛料で気力が回復してきたぞ。

「ふむ。このジャムは品が良い上に、ワインの力強い味わいを生かしている」

 クワルツさんも絶賛する。

 しっかし朝の光が満ちるキッチンで、怪盗姿のクワルツさんと食事しているのはなかなかにシュールだな。マジで朝陽が似合わん姿だ。

「ひとつ疑問があるのだ。あのテュルクワーズという魔術師の弟子が腕利きならば、世界鎮護の魔術師へ最優先に付けるべきではないか? もちろん伯爵令嬢に危害が及ばぬ配慮は喜ばしいが、優先順位の判断基準が分からん」

「それね……ウィユ・ド・シャ魔術師とイヴォワール魔術師、ふたりともニックに恨みを抱いているからよ」

 ディアモンさんが率直に事実を突きつけた。

 そうか。オニクス先生への恨み骨髄だから、婚約したわたしに対しても複雑なんだろうな。もしかしたらわたしのことまで、忌み嫌っているかもしれない。 

「そもそもニックに恨みを持ってなくて、護衛役できる魔術師なんて希少よ。っていうか存在するの?」

「そこまで言いますか」

「ええ。なんでかっていうと、戦闘能力を擁している魔術師や魔術騎士は、闇の教団討伐の折に身内や同門がニックに殺されているか、さもなきゃ検体にされて今も寝たきりよ」

「……ぁ、あ、ああ」

 思わず呻きの断片が喉から出る。

 フォシルに拉致された時に、先生に恨みを持っている魔術師が賢者連盟にいるんじゃないかって予測はしていた。

 カマユー猊下なみに、殺しても飽き足らないような憎悪を持っている魔術師。

 しかし恨みを持ってない方が希少って言われると、胸に苦しみが差し込んでくる。やった非道を考えれば当たり前だけどさ。  

「だからクワルトスくんに専属護衛を務めてほしいのよね」

「ミヌレくんを護衛するのはむしろ望むところだが、賢者同盟に与するつもりはないぞ」

「……こういう意見は偏見って思われそうだけど、正直、魔術師は魔術師の社会の方が生きやすいと思うわ」 

「吾輩はそう思わんよ」

 クワルツさんは口許を和らげた。

 でも親友のオンブルさんだって、魔術学院の聴講生だった。魔術師じゃなくても関係者だよな……

 わたしだって親友はエグマリヌ嬢だしな。

 レトン監督生は魔術ど真ん中で生きてるし、ロックさんはアウトサイダーだから社会枠とはまた別の存在だし、サフィールさまはエグマリヌ嬢を魔術学院に入れたくらいだから理解はおありだし。

 わたしも結局、魔術社会のなかで生きてる。

「吾輩は怪盗だ。魔術や魔法はそれに付随する一部に過ぎん」 

 怪盗クワルツ・ド・ロッシュはきっぱり言い切った。

 わたしはクワルツさんのようには言えない。

 魔力はわたしそのもの。この視力さえ魔力の恩恵なのだから。

 

 


 軽い朝ごはんが終わって、わたしとクワルツさんで皿洗いする。

 怪盗が横で洗い物してるの、さっきの数億倍シュールだな……

 ディアモンさんは外出のため、ショールを羽織っている。

「ドレスをクリーニングに出してくるついでに、雑用片付けちゃうから遅くなるかもしれないわ」

 語尾に溜息があった。

「すみません」

 ディアモンさんのドレスをひどい目に遭わせたのは二度目なので、ほんと申し訳ない。

 一度目は婚約ドレスな。最強装備なのに汚れ耐性は無かったらしい。クリーニング中なのだ。 

「違うの。溜息はミヌレちゃんが原因じゃないの。オペラの席がもったいなって、考えてたのよ」

 唐突な単語だったけど、そういえばディアモンさんはオペラ鑑賞が趣味だったな。

 わたしの監視と縫製ばかりで、純粋な息抜きってのが無いのは辛いよね。

「王立オペラ座のチケットあるんだけど、ニックが行方知れずになったせいで行きづらいわ。ついでにキャンセルしようと思って」

「先生と観劇する予定のオペラですか?」 

「そうなのよ。せっかくのボックス席貸し切りなのに」

「……は? ふたりっきりで、ボックス席貸し切り……?」

 どう考えてもデートである。

「だってニックって途中で寝ちゃうもの。アタシがゆっくり鑑賞したくてエスコートしてもらっているから、そこは文句言えないし。寝るんだったらボックス席貸し切った方がいいじゃない」

 寝ちゃうんだ。

 もったいない。

 オペラ鑑賞、我慢して付き合ってるのかな?

 でもオニクス先生、ほんとに嫌だったら観劇しないよね。採点だの論文だの実験だので忙しいんだし。

 オペラが好きじゃなくても、相手がディアモンさんだから付き合いで鑑賞してたという理由は却下である。わたしの嫉妬がとぐろまいて燃え盛るので、その理由だけは絶対やめてほしい。

「その演目って、先生も観たがっていたんですか?」

「ニックは話の内容より、演奏家で選ぶタイプね。ニックが贔屓してる指揮者よ」

「……」

 贔屓の指揮者がいるって時点で、オニクス先生もオペラが好きだ。

 そして、たぶん、ディアモンさんがキャンセルすると思っている。

「ミヌレちゃん? どうしたの?」 

「オペラ座へ行きましょう。先生が好きな演奏、わたしも聞きたいです!」

「そりゃアタシも行きたいけど、ニックくらいのひとにエスコートしてもらいたいし」

「吾輩がいるではないか」

 クワルツさんが腕組みしたまま言い放つ。

「……そうね。ミヌレちゃんも宮廷作法を学ぶなら、オペラ座に行くのもいいかもしれないわ。そうしましょう。さっそく大事なことに取り掛からないと」

「大事なこと?」

「アナタの観劇用ドレスよ!」

「それは大事だな!」

 何故かクワルツさんが即答した。

  

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