第六話 (後編) このゲームはエロゲになりました
しばらくして先生が起きると、見張りをロックさんと交代した。
ロックさんが仮眠をとる。
オニクス先生の顔色は戻っていない。つまり魔力回復してないんだよ。
わたしは無力だ。
そもそもシステムの裏をかけるからって、【浮遊】ひとつでこのダンジョンに挑戦したのが間違いである。低レベルクリアには、中身の実力が伴わないと駄目なのに。
無茶やって詰むとか、馬鹿だ。
いや、ミヌレはヒロインなので、裏技がある。
キスだ。
これぞヒロイン無双、主人公補正。
わたしの魔力をこめたキスで、絶体絶命イベントが解決する。今回だって、ヒロイン特権を振りかざせばなんとかなるのでは。
「先生。わたしが口移しで、魔力を譲ります」
わたしの発言に、先生は一瞬ぎょっとした。露骨な動揺をあらわにしたのは刹那で、すぐに不機嫌な無表情に戻る。
「大河の一滴に過ぎん」
「一滴だけでも、魔力枯渇からは助けられますよ」
オニクス先生は微かに呻き、天を仰いだ。
先生の視線の先には、群晶以外なにもない。幾千億万の結晶は、お互いに映りこみながら輝きを反射し、煌めきを乱反射している。
「人工呼吸を頼む」
わたしは先生の頬に触れた。
体温が下がっている。かなり魔力が無くなってるみたいだ。
唇が触れる。
先生の舌が入り込んできた。
なんかぬるっとしている。キスって別に気持ちいいわけじゃないな。あ、でも口内の上の方を舐められるのは良いかも。
キスしながら髪を撫でられる。梳かれるような、あやされるような、優しい手つきだ。
「………っは」
唇が離れた時には、先生に血色が戻っていた。
少しは回復したみたいだ。よし。
キスは気持ちよくなかったのに、唇が離れたことが名残惜しかった。
「多少は、マシだな。全回復には程遠い」
………多少か。
「案があるんです」
ゲームプレイしてるとき、考えていたことだ。
ミヌレはキスで呪いを解除したり、病気や怪我を治癒できたりする。なら、キス以上のことをすればどうなるのか。
「発言を許可する」
「結局、先生が魔力回復すればいいんですけど、口移しじゃ微々たるものですよね。もっと率直な方法で、魔力のやり取りをすれば手っ取り早いのでは?」
「………」
「つまり性交……」
「言うな!」
奈落に響く、先生の叫び。怒声っていうより、悲鳴に近いな。
「机上の空論だとおっしゃいますか?」
「いいや、可能だ。東方大陸系の魔術で、房中術として発展している」
「じゃあ出来るんじゃないですか。やりましょうよ! どういうやり方なんですか? 呪文は必要なんですか?」
わたしが先生に魔力をあげて、先生が魔術を使う。ウィンウィンである。
「断る!」
「なんで?」
「倫理観!」
即答された。
隻眼に睨みつけられる。
「生徒番号320、きみは己自身が判断能力を持った大人だとでも勘違いしているのか?」
「そこまで言われるとムッとしますよ」
「良いか。どのような事態であれ、子供を搾取する行為など肯定できない。狂気だ!」
「命の危険にさらされても?」
「救助を待つべきだ」
悠長なことをおっしゃいますなあ。
皮肉が口から出そうになったけど、気力で飲み込んだ。
「そもそも先生は扉の鍵になっているっておっしゃってましたが、それはどれだけ維持できるんですか?」
「ずっとだ。消費と回復が拮抗しているからな」
「もし鍵役の魔術師が、内部で死んだ場合、どうなります?」
「扉は消滅する」
「では騎士団が救助に来る可能性と、撤退している可能性。どちらが高いですか?」
「隊長判断に依るが、部下を危険にさらす方針は取らんだろうな」
先生はわたしから視線をそらしつつ呟く。
撤退してるかもしれないって言えないんかい。
「じゃあわたしの魔力を使ってくださいよ。そもそもわたしが無断侵入したのが原因ですし、わたしが責任を負うべきでは?」
「責任だと? 大口を叩くな、子供に責任など早い」
「では何日、待てばいいんですか。こんな状況で。食料は二人分ありますが、先生の分は無いですよ」
「無いのか」
「何故あると?」
「………」
先生はなにか考え込んでいた。
いつまで問答を続けるつもりなんだろう。わたしは早く戻らないと、授業に間に合わないのに。
沈黙が続いた。
時折、水音が波紋する。
長ったらしい静寂が過ぎ、先生はマント留めを外した。毛織のローブを脱いで、麻のシャツのボタンを外す。
その気になったのか?
「この忌まわしい身体に触れる勇気があるのか?」
先生の胸板が、光の護符に照らされる。
そこには魔術の呪文が、刺青のように刻み込まれていた。
「すごい! 生きた肉体に直接?」
魔術ってのは普通、宝石に刻む。
なんでかって言うと、単純に宝石がいちばん魔力を刻みやすい性質なのだ。
最も刻みやすい物質が、硬度の高い宝石。
次いで鉱石と金属が魔力を刻みやすく、その次は真珠や琥珀などの生命宝石。それから植物製のもの、木材や綿や麻、樟脳。難しいのは革や絹や骨。
最難関は動物。
人間そのものに魔術を刻むのは、理論上は可能だけど現実は不可能って、公式ガイドブックに書かれてた。
どういうことだ。
「彫ったんですか? それとも魔術的インクで染めて? 何人かがりですか? 触っていいですか?」
好奇心を御す。
見せてくれたからって、断りもなく触っていいわけがない。でも触ってみたい。
「忌まわしいと……思わないのか…」
「興味深いですね! こんなレアケ、拝見させて頂きましてありがとうございます!」
やっぱり触っちゃダメなのかな。
触りたいなあ。
「これは【制約】の魔術だ。殺せない罪人に刻まれる」
「【制約】って闇魔術でも、最高難易度じゃないですか!」
闇魔術【制約】は、ゲーム中には登場しない。設定資料集だけに載ってるレア魔術。
この魔術は「なにかをしてはならない」と行動に制限がかけられる。
たとえば「旅先で出された料理を断ってはならない」「火を使ってはいけない」「名前を名乗ってはいけない」など、実行可能な行動に制限がかけられる。心臓を動かしてはならないとか、眠ってはならないとか、実行不可能な行動は制限できない。
こんなレアなの、逃がしたら二度とお目にかかれない。
「きみには学術的探究心しかないのか!」
「他になにがいるんです!」
「倫理観と警戒心!」
「気が向いたら取得します。っていうか、そこ羞恥心じゃないんですね」
「そんなもの持ってどうする。感情は人間性を奪う。そもそも羞恥心なんて、魔術でどうこうできる程度のものに左右されるな」
感情は人間性を奪う?
ぎょっとしたけど、たぶん、先生の言い様だと「悟り」の概念に近いな。
感情っていっても、いいものばかりじゃない。加虐とか、憎悪とか、恐怖とか、絶望とか。加虐に引きずられず、憎悪に惑わされず、恐怖に屈しず、絶望に諦めないことが、先生にとっての人間性かもしれない。
闇の底で、先生は迷っていた。
先生はわたしから視線を逸らした。遠くの闇を眺める隻眼には、疲れと諦めが混ざっている。
「私がきみくらいの年頃には、己をまともな判断ができると思っていた。周りの大人たちを愚物だと侮蔑していた」
隻眼は揺らいでいるのに、凪いでいた。
「あの若造から聞いただろう。私は幼い頃、兵士だった」
わたしは頷く。
「戦術的最善手を取らない騎士たちを、甘いと見下していた。味方ごと虐殺すればいい、包囲して燃やしてしまえばいい。だが今から思えば騎士たちは正しかったよ。彼らは政治的な視線を含みつつ、戦場で最善手を打とうとしていた。国家間の戦争とは勝利を目的とするのではなく、いのちを浪費する外交手段のひとつに過ぎなかったのだから。政治的配慮がなければ、戦後に勝利を活用するのは困難になる」
オニクス先生は杖を握る。
「私がきみの魔力を得ることは、この場所では確実で、安全だ。最善に思える」
なら、それでいいじゃないか。
「だがこの手段は、緊急時を脱した時に重い枷になるだろう」
「それは脱してから考えましょう」
微笑んで、わたしは先生に抱き着いた。
心地よい月下香の甘さ。
「誰にも内緒にすれば、大丈夫ですよ」
「誰にも秘密になどできない。私ときみが知っている。きみは後悔するぞ」
「行動しなければ、後悔できる明日も来ません」
「………いつか悔む日がきたら、私を恨むといい。それが条件だ」
いろいろあったが割愛して、先生は魔力が全回復した。
先生は【飛翔】で上昇した。塞いでいる石柱を【浮遊】によって浮かせて、隙間からにじり上がる。
柱石近くには、若い歩兵が佇んでいた。
「ご無事でしたか、オニクス魔術師! ご帰還されて幸いです」
「ああ。残念ながら賊は取り逃がした」
わたしたちは物音を立てないように、群晶の地べたに這いあがる。
先生がかけた【幻術】のおかげで、わたしたちは兵士の目には映らない。物音に気を付けていれば大丈夫だ。
「私を捜索する部隊を組むという愚など、犯してないだろうな」
「もちろんです。隊長は「戦場の蛇蝎が、あれしきで死んだら苦労しない」と太鼓判を押していましたよ」
いやいや、それは太鼓判なのか。
悪口じゃないのか?
「隊長は? 報告がある」
「天幕におります」
「ちょうどいい。案内してくれ」
【幻術】の効果が消えないように、先生につかず離れずついていった。
門を通れば、真夜中の世界が広がっていた。頬を撫でる風がびっくりするくらい冷たい。
そのまま森へと入る。
わたしの目には真っ暗で何も見えないのに、ロックさんは昼間とあんまり変わらない速度で歩いていった。
「そろそろ光の護符を使いましょうか?」
「ありがと。でも巡回してる歩兵が居たらヤバイし、もうちょい月明かりを楽しもうか」
暗くて表情はよく分からないが、ロックさんは楽しそうだった。
「それより嬢ちゃん。身体は平気か?」
「え、ええ、まあ」
よんどころ無い事情で、わたしの下半身はちょっと痛いのである。ロックさんには落下の時に打ったと誤魔化しておいた。
【浮遊】を使っているから重くはないだろう。ひょっとして魔術を使わなくても、ロックさんなら軽々運ぶかもしれない。筋肉がすごいし。
ロックさんと比べたら、先生は痩せていた。でもわたしよりずっと厚みある体つきだ。
それに手のひらが、すごく大きい。
あれは男の人の手だった。
『戦争の徴収兵』
『隻眼のオニクス』
『十四歳の部隊長代行』
『殺せない罪人』
『戦場の蛇蝎』
先生の手がどんなことを成してきたのか、わたしは知らない。
でも、わたしには優しかった。
とても優しい抱擁と愛撫だった。