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第六話 (後編) 一角獣は曲芸がお好き


 開幕の呼び込みしてる男の子は、サイズの合ってないピエロの衣装に、素朴な素顔がいかにも見習いって感じ。

 わたしたちはけばけばしい色のテントに入る。

 エランちゃんは特等席に案内された。いちばんの特等席には、エランちゃんの人形たち勢ぞろい。それからエランちゃんとご家族。

 わたしやエグマリヌ嬢の招待客。

 客席の脇には、上級使用人たち。奥様の侍女とか乳母やとか、家政婦と客間女中たち、御者。侍医。いわゆるご家族さまたちと口を利ける身分の使用人たちだ。

 エランちゃんの我儘ついでに、使用人たちの慰安も兼ねているらしい。

「執事さんがいないですね」

 まだ働いているのかしら。

「執事と従僕頭は、下級使用人たちと一緒に夜の部を見物するそうだよ。ハメを外し過ぎないようにだって」

 レトン監督生が教えてくれる。

「それ慰安じゃなくて仕事じゃん……」

「でも執事の気持ちは分かる。僕だってマイユショー監督生がいなかったら、実家に帰るより下級生の指導をしていたい」

「将来、過労死しそうな発言だな」

 本音が口から飛び出した。

「あいにく過労死できるほど、身体が強くない。たぶんその前に風邪をひく」 

 レトン監督生は生れつき病弱だ。

 限界を出せるほど身体が強くない。


 話している間に、サーカスの舞台に淡く灯る光。

 アコーディオンの音色に合わせて、女ピエロが踊りながらやってくる。バレエのように巧みに高らかに足を上げ、優雅につま先立ちする。

 豊かな髪は金貨色と銀貨色と銅貨色の三色に染められ、魔術ランタンの光に照らされて硬質さを増している。踊るたびに硬貨色の髪は揺れて輝き、ピエロの衣装に飾られたポンポンも揺れる。

 女座長ポンポンヌだ。

 ゲーム中に名前は登場しないけど、設定資料に書いてある。

 ポンポン大量につけてる女キャラだから、ポンポンヌって安直だなって思ってた。このひとはポンポンヌって名前だから、ポンポンをトレードマークにしてるのかな?


「さぁさぁ、稲妻の如く現れ、一目ぼれの如く心に残る。曲芸団クー・ドゥ・フードルをとくとご覧あれ」


 女座長は朗々と口上を響かせ、くるくると爪先だけで踊る。

 バレエは歌を伴わないのに、すごい肺活量だな。オペラとバレエが枝分かれする前の時代の踊りみたいだ。

 

「岩男の炎の戯れ、いたずら妖精の玉乗り、蜥蜴男のナイフ投げ、そしてまずは蝶の踊り子をご覧あれ!」 


 女座長が両手を広げると、舞台の天井から、細長いシフォンが一斉に降りてきた。

 鮮烈なライムライトが舞台を照らす。 

 【灰光】の魔術だ。

 光が灰色だからじゃなくて、石灰を魔術インクに混ぜるからからこの魔術名になったらしい。もともとは戦争の夜間狙撃のために開発されたそうだけど、今は舞台ライトとして利用されている。

 シフォンの帳の奥から登場したのは、女の子だ。


 彼女の背中には蝶の羽根が付いていた。


 ステンドグラスみたいな羽根だ。

 だけど作り物の羽根じゃない。

 背中の筋肉と繋がっているし、手足が人間にしては長すぎる。

 首と、耳と、指も、異常に長い。

 

 踊り手だけじゃない。


 メンバーの大半が『妖精の取り換え仔』だ。


 魔力が暴走。

 獣属性の方向に暴走して、異形になって戻れなくなってしまったひとたちだ。

 辺境には、妖精に子供を取り換えられたら、ひどい扱いをすれば本当の子供を帰してくれるだろうって迷信がある。酷い扱い。その末路を、医者や巡回判事は事故として処理する。

 サーカスにいるのは事故が起きなかった、あるいは事故から生き延びた『妖精の取り換え仔』たち。

 この世界をゲームだと思っているうちは気にしなかった。

 でも、この身に宿る魔力が予知って形態を取らなかったら、わたしは観客席じゃなくて舞台側にいたかもしれない。このサーカスのテントの内側だけが、生きる範囲だったかもしれない。

 それを思うと身につまされる。


 ステンドグラスみたいな羽根を揺らして、彼女はふわりと浮き上がる。【浮遊】の魔術を誰かが、舞台袖からかけたな。

 踊り手はシフォンの中を、移り気な蝶のように舞う。

 反土属性【浮遊】は自由に浮く術じゃない。ただ大地の重力から解き放たれるだけで、その中で優雅に踊るのは難しい。

 わたしも最初使った時は、シトリンヌに突っ込んだしな。

「【浮遊】でこれだけ軽やかに動けるんですね」

「体幹が鍛えられてるからだね。筋肉の付き方も綺麗だ」

 エグマリヌ嬢が解説してくれる。

 結局、魔術もフィジカルを鍛えんと、十全には使えんか。

 だけどわたしの物理ステータスって、上がんないんだよなあ。カンストさせても最弱ですよ。

 ああ、でも、浮遊して一角獣化すれば強いかも。

 空中機動一角獣。強いぞ。


 突如、音楽とライムライトが消えて、サーカス会場は薄暗さに沈む。

 太鼓の音だ。

 いきなり炎が踊りだした。

 炎に照らされるのは、トロールみたいな岩肌の大男たち。灼熱のトーチをいくつも回転させているんだ。魔術の光と違って制御されていないから、生々しく不安定な炎だ。

 炎が生き生き踊って、火蜥蜴が宿っているみたい。

 ファイヤーダンスだ。


 ダンスが終わったら、軽快な音楽と、パステルのライムライトに満ちる。

 玉乗りしながらやってきたのは、下半身が驢馬の少年。蹄足でタップを踏みながら玉乗りして、さらにボスコップの実をお手玉。

 果物売りの扮装した蝶の踊り子が、舞台袖からやってきて、少年にポスコップの実を投げつける。それも受け取って軽々お手玉だ。

 このボスコップの実、どんどん投げつけられて増える。まだ増えるのかよ、もう限界だろって思ってもまだ増える。

 これ以上ムリだろって思った瞬間、逆立ちした。

「ヒィ」

 びっくりして喉から声が出る。

 逆立ちして、蹄足でジャグリング。

 

 ボスコップの実が落ちる。


 そう思った瞬間、ボスコップの実にナイフが突き刺さった。

 蜥蜴の鱗の青年が登場した。

 ナイフ投げして、ボスコップの実へ命中させていく。全弾命中だ。

 これはロックさんの方が上手かな。 

 そんな失礼なことを考えていたら、次は目隠しだ。

 籠からボスコップの実を出す蝶の踊り子。

 まさか目隠ししたままナイフ投げか。

 ナイフを投げ、蝶の踊り子が持っているボスコップの実に当てていく。

 

 何もかもドキドキする。

 彼らは見世物フリークじゃなくて、曲芸団サーカスだ。

 物珍しい姿かたちを見世物にしているんじゃなくて、曲芸を売っている。

 生まれ持った姿かたちを、凌駕している。

 自分の生まれで備わっているものを乗り越えたら、それって運命を乗り越えたったことじゃないかな。

 わたしはずっと胸をドキドキさせながら、曲芸を眺めた。


  

「童話だった! すごく童話だったわ!」

 エランちゃんはきらきら輝く笑顔だ。

 曲芸の部が終わると、ボンボン売りが来る。そばかすの男の子だ。

「シュガーボンボンだよ、シュガーボンボン。アニスにローズ、ミントにレモン、ブランデーは秘密の味」

 どんぐりくらい大きな飴だ。

 こういうの高いけど買っちゃうよね。わたしはさっきのクレープのお礼に、エグマリヌ嬢の分のボンボンも買う。

 そばかすの男の子は、たくさんの瓶に詰まってるシュガーボンボンをトングで出す。わたしが手を出すと、砂糖がまぶされたシュガーボンボンが手のひらに転がった。

「直接、手に貰うんだ」

 エグマリヌ嬢がカルチャーショック受ける。

 彼女の階級だったら、高級店で綺麗な箱入りのお菓子を買うか、使用人が硝子の器に入れてくれるもんだしな。

「エランも! エランの手にもちょうだい!」

 ひとつ乗せられても、もっとねだるエランちゃんを、レトン監督生が窘めていた。



 シュガーボンボンを味わっていると、二部の寸劇がはじまった。

 女座長が怪盗に扮してバレエを踊り、背の高い男の人がレイピアで剣舞する。 

 バレエと剣舞、ふたつの踊りがひとつになっている。

「『さあさ、今宵これにて汝の悪行も終い。いざ尋常にお縄に付け』」

「『そなたのような強き騎士と巡り会うとは、これこそまさに我が身の不運』」

 台詞は舞台の後ろで、誰かが読み上げている。

 ヒーローショーか。たぶんこれヒーローショーだ。


「兄の役をやってる舞台俳優さん、きちんと剣術を習ってるね。レイピアの持ち方はバギエ公国式で、足さばきも安定している」

 エグマリヌ嬢から解説が来た。

「あのひと、お強いんですか」

「演劇用のパフォーマンスが多すぎて、強いかどうかは分からないよ。でも基礎は身についているし、レイピアさばきの切れもいい。風きり音が綺麗だから、刃がきちんと立っている。体力もありそうだ」

 有段者がヒーローショーやってるようなもんかな。

 ちなみにサフィールさまは直視できずに項垂れているし、クワルツさんはその横で爆笑してる。

「大活躍だな、騎士どの」 

「剣で戦ってはいないのだが……」

「ハッハッハ! 些細なことではないか!」

 クワルツさんは笑いながらサフィールさまの肩を叩く。

 おまえは賞賛も侮蔑の承知で怪盗業やってるけど、サフィールさまは違うんだから手加減してやれよ。

 怪盗バレしても知らんからな。



 三部のアクロバットダンスショー。

 全員集合のダンスだ。華やかな衣装にチェンジしている。

 岩男たちが蝶の踊り子や小妖精を投げ、空中で回転しながら着地する。綺麗で激しいアクションが続きっぱなしで、どきどきが止まらない。

 いつ拍手していいのか分からない。

 だって大技が次々繰り出されるし、これでクライマックスかと思ったら、さらにすごいのを見せつけられる。

 

 きらきらと輝くショー。

 ああ、永遠って言いたくなる。

 長い時間見ている感覚じゃない。今この瞬間に、過去も未来も干渉しない。時間を忘れる。それが永遠だ。

 だからこのショーは、永遠を眺めている気分になる。


 でもやっぱり時間には限りがある。永遠を感じたのは刹那の幻想。紙吹雪のなか煌びやかなショーは終わり、大喝采で幕を下ろす。

 さすが人気の曲芸団。見ごたえたっぷりだったな。

 エランちゃんもにこにこ顔で拍手して、椅子から転がり落ちた。

 びっくりするより先に、レトン監督生が受け止める。

「体力尽きて寝ちゃったんだよ」

「寝つきの良さが天才的だな……」

「思いっきり遊んだ日は、だいたい行き倒れしている」

 乳母やがエランちゃんを抱きかかえていった。子守女中がやってきて、お人形さんたちを回収していく。

 わたしは満たされた気分を抱いて、屋敷へと戻った。




 サーカスの後、わたしたちは晩餐室で、晩餐会を受けた。

 レトン監督生ルートで『お茶会へのご招待』ってイベント何度も見たけど、晩餐会は初めてだな。『お茶会へのご招待』と『オペラ座の夕べ』のイベントが混ざってパワーアップしている感じ。

 そこにクワルツさんとサフィールさまが揃ってるのが豪華だな。

「サフィールどのには武勇伝をもっと聞かせて頂きたい。吾輩は農園暮らしで、刺激とはとんと無縁であるからな!」 

「私にさしたる武勇伝などありませんよ」

「ハッハッハッ、ご謙遜を」

 もうあれ正体バレして、泳がされてるんじゃね?

「ではボクが兄と狩猟に行ったときの話を………」 

 エグマリヌ嬢はお兄さんの良いところを喋れるから、氷色の瞳を輝かせていた。

 こっちは絶対に、怪盗の正体バレてねーな。

 わたしは聞き役に徹して、帆立のオレンジ煮を味わった。



 エグマリヌ嬢とサフィールさまは、明日は仕事で早いらしく先に帰られ、わたしのお目付け役としてクワルツさんだけ残る。

 食後のお茶を味わっていると、レトン監督生がやってきた。

「ミヌレ一年生、帰る前に渡したいものがあるんだ」

「吾輩は席を外した方がよいか?」

「お祝いの品を渡すだけですから、同席を願えますか」

「お祝いって……?」

 レトン監督生から祝われることがあったっけ?

 わたしたちは応接間から、廊下を歩いていく。でかい花瓶や絵画なんかの装飾品が少なくなってきたから、私的な空間かな。もちろん調度品は紫檀だったり大理石だったりして、上質さは保たれている。

 真っ白で大きな鸚鵡の剥製が、護符の造花に止まっていた。

 やけに白さが目を引く鸚鵡だ。

 あの剥製、どっかで見かけた記憶が……

「ミヌレ一年生。手紙を読んだよ」

 手紙……ああ、わたしが婚約したお知らせか。

 オニクス先生の事情を知りたがっていたから、婚約の経緯を綴った手紙を実家留めで出しておいたんだ。

「形ばかりの婚約ですけどね」

 婚約相手が不在なのだ。

 今だけじゃなくて、永遠に。

「クワルトス氏は詳しい事情をご存じなのかな?」

「吾輩は婚約式の出席者だ」

 嘘かどうか微妙なラインの発言だ。

 いや、オニクス先生っていう新郎側に招かれているんだから、出席者カウントしていいのか?

「エグマリヌ一年生からも式の様子は少し聞きました」

「うむ。前代未聞だったな」

 怪盗と騎士団と大乱闘は、たしかに前代未聞だよな。

 レトン監督生の居間に入る。

 うっわ……金持ちが学術趣味爆発させたお部屋じゃねーか。

 右側の本棚には古めかしい魔術書がずらっと、左側の飾り棚には鉱石標本や穀物標本がずらっと。中央にある机には揃いの筆記用具と、顕微鏡が置かれていた。顕微鏡が素敵なの。瀟洒な細工が施された真鍮製で、覗く部分は象牙だ。

 それから窓辺に小さな温室箱。

 硝子の箱庭に咲いているのは、野ばらっぽい。魔術インクや魔術薬に使うアルケミラの薔薇かな。

 いいなあ、こういう知的空間ってわくわくするよね。

「オニクス先生のお部屋にちょっと似てますね」

「あの部屋に憧れたからね。先生と違って、自分で巡検したものじゃなくて、買ったものばかりだけど」

「買うにしたってセンスが問われますよ。収集ってのはテーマ性とか美学とかセンスが、露骨に透けて見えますからね! ここは博物的秩序で整った素敵な空間です。風系と水系、治癒というより防疫がテーマですか」

「ああ、僕の趣味もあるけど、基本は魔術公衆衛生だよ」

 席を促されて、わたしは安楽椅子に腰を下ろした。

「婚約のお祝いを受け取ってくれるかな?」

 なんだろう。

 婚約祝いに友達から贈られるものっていったら、室内履きスリッパとか、ハンカチセットかな。あとはペーパーナイフ。

 レトン監督生はベルベットの小箱を、机の鍵付き引き出し取り出す。

 鍵付きにしまってあるってことは、高価なものだぞ。 

 もしかして銀の指ぬき?

 指ぬきはどっちかといえば結婚祝いっぽいけど、指ぬきも可愛いよね。針仕事は苦手だから、指ぬきだったら飾っておく。

 ベルベットの小箱を開ければ、美しい光沢が瞳に届いた。


 真珠だ!


 大粒の真珠がふたつ、並んでベルベットの小箱の収まっている。

 淡水真珠と海水真珠。

 どっちもエクラン王国ではとびっきり高価な宝石だ。だって真珠や珊瑚は、内陸国のエクラン王国では採取できないもの。

 いや、海産国家だって庶民の手が届くものじゃない。

 この世界には養殖真珠は無い。

 運だけで採取される水の加護そのもの。

 しかも光沢といい大きさといい最上級だ。

 淡水真珠は雫形というか、細長いかたちをしている。照りは虹色がかって、色合いは銀っぽいけど、微かな蒼の息吹を感じさせる。まるで蒼い虹のしずく。こんなに神秘的な色合い、この世に存在していたんだ。

 海水真珠は完璧に近い球。こっちの照りは深みある乳色だ。全体的には濃い乳色なのに、角度を変えると淡い薔薇色に艶めくんだ。真珠層の奥に薔薇が咲いているみたい。妖精が飼ってる雌牛のミルクって、こんな感じかな。

「王族が身を飾るレベルの第一級品だな」

 クワルツさんの呟きで、我に返る。

「レトン監督生。たいへん素晴らしいものを拝見させて頂きましたけど、それはそれとしてわたしへのお祝いの品はどれでしょうか?」

「これだよ。ミヌレ一年生、以前【水中呼吸】を作りたいって言ってたからね」

「マジかよ! 高価過ぎます! 怪盗クワルツ・ド・ロッシュの賞金より高いですよね!」

 わたしは叫んでいるっていのに、横に立ってるクワルツさんは楽しそうに笑った。笑い事じゃねーよ。

「新しい王妃さまに献上しなくていいんですか?」

「きみに受け取ってほしい。エランを誘拐犯から助けてもらったのに、お礼を受け取って貰えそうになかったからね。これなら絶対に受け取ってもらえると思って、前々から手配していたんだ」

「喉から手が出るほど欲しいですけど……」

「父も頷いてくれたし、義母もシトリンヌ教師を驚かせられるから小気味いいと言っていた」

「いいんですか」

「ああ。進級試験に使ってほしい」

 必要な魔術インクは人魚の涙、媒介は人魚の髪。

 春の終わりにある進級試験には、ありとあらゆる媒介とインクが用意されている。

 【水中呼吸】の呪符が作れるんだ。

「以前、僕は【水中呼吸】の生物宝石より、石英系で利益率を上げることを勧めたね」

 レトン監督生は小さく呟く。

 懐かしい話だ。

 あれはもう半年近く前だったかな。

「前言を撤回するよ。ライカンスロープ術が使えるほど獣属性に適性があるなら、生物宝石の研究は向いている。ただ正直、きみが妹だったら反対するかな。獣属性は危険だから」

「マジで危険ですよねえ。わたしライカンスロープ術の戻り方わかんなくて、しばらく一角獣のまんまでしたもん」

 笑うと、レトン監督生は蒼褪めた。

「すでに事故ってるのか」

「なんとか戻れましたので大丈夫ですよ!」

「……渡して良かったのかな」

 微かに漏れる小声。

 これ本音だな。

 でも絶対返さねーぞ。

 


 居間に執事さんが入ってきて、ディアモンさんが迎えにきたことを教えてくれる。わたしの護衛というか見張りというか、行き帰りだけはディアモンさんの付き添いがある。

 長い廊下を歩いて、正面玄関に向かう。

「素晴らしい屋敷だな。予告状を出したら愉快そうだ」

「やめて下さい」

 小声に対して、さらなる小声で返す。

 怪盗の騒ぎの隙にエランちゃん脱走第三弾が起こって、レトン監督生の心労がMAXだよ。

 予知したわけじゃないけど、絶対に脱走するぞ、あの幼女。

「では別の屋敷にするか。週末に予告を出すつもりだが、きみも一緒にどうだ?」 

「わたしは魔術師ですよ」

 観劇のお誘いみたいに、軽く犯罪行為を誘うんじゃない。

 一度は手引きしたけど、あれはオニクス先生絡みだったからだ。

「怪盗でも魔術を使える」

「魔術を使う実戦場だったら、採集がてらの冒険に出ます。クワルツさんの下さった【土坑】に合わせて、【水中呼吸】を使えば、もっと面白い効果になりそうです」

 【土坑】に【水】をぶち込んで水路にして【水中呼吸】で進むとかな。

 即席水堀を作って、そこに潜むのもいいな。

 わたしの魔力なら即席要塞が築ける。

 思考を巡らせば、最高のコンボが組めたりしないか?

 うへへ。

 わくわくしてきた。

「よだれ」

 クワルツさんの指摘で、わたしは口許の涎をふく。

「やはりきみは魔術が好きなのだな」

「大好きです。魔術を使うと、こころに翼が生えた気分なんですよ。まさに自由って感じです!」

「……自由か。きみは自由なのか?」

「今は程遠いですね。ディアモンさんに手厚い保護をされている上に、呪符が没収されてますし」 

 早く手元に戻ってきてほしい。

 わたしの愛しい【浮遊】【水】【水上歩行】【防壁】【庇護】。

 【水】くらいならもう一度作ればいいけど、オニクス先生に作ってもらった装具は返して欲しいんだよな。

「そんな瑣事を言っているのではない」

「瑣事じゃねぇよ……」

 思わず呻いてしまった。

 オニクス先生のお手製だぞ。世界にたったひとつだぞ。

「瑣事だ。そうではないか? 『ゼルヴァナ・アカラナ』」

 喉元に突き付けられた言葉は、未来のわたしを、過去のひとたちが称えた名だった。

 クワルツさんは眼鏡を外す。

 整った顔立ちが、何にも遮られずに光を受けた。

 その硬い表情は、怪盗クワルツ・ド・ロッシュでもなく、農園の跡取りクワルトスでもない。 

 クワルツさんなのに、知らない男のひとみたい。

「ミヌレくん。舞台でしか生きられんサーカス団員と、永久回廊に囚われる女王と、そこにいかほどの違いがあるというのだ。赤い葡萄と緑の葡萄ほども違わん」

「あれはわたしが望んだ結果、いいえ……掴み取った未来です」

 刹那、クワルツさんは表情を変えた。

 どう変えたかは分からない。すぐ眼鏡をかけて顔を覆ってしまったから。

 正面玄関へ出れば、車宿りに箱馬車が待っていた。

 春の宵の風は優しいけど、暖かくはない。わたしは箱馬車にさっさと駆け寄って、ディアモンさんのエスコートで乗り込む。

 クワルツさんは佇んだままだ。

「吾輩はいい。自力で帰った方が早いからな」

 そりゃクワルツさんが屋根の上を全力疾走すりゃ、プレニット農園まですぐだろうな。

 水晶色の輪郭は、街灯の届かないところへと歩いていった。 

「ん?」

 羽ばたきが聞こえた。

 曇った星空を見上げれば、白い鳥が飛んでいる。

 こんな暮れに珍しい。フクロウにしては輪郭がほっそりしているな。

「ミヌレちゃん。夜風は冷たいから閉めましょう。風邪は魔術で癒せないわ」 

 ディアモンさんに優しく促され、わたしは馬車の窓を閉めた。


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