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第五話 (後編) サントラ未収録のBGМ



 オンブルさんが笑顔で佇んでいた。

 きちんと梳いた蜜褐色の髪には、革製の狩猟帽。てかっている羊毛サージの服を着て、使い込まれた革鞄を下げている。園丁の作業着だから、冒険者酒場でも浮いてはない。でも姿勢とか服の色合わせとかダンディで、ちょっと客層と違う感じ。

「どんな飲み物なんだい?」

「アルコールを飛ばした蜂蜜入りワインを、ボスコップの実のジュースで割って暖めた飲み物です」

「私もそれを」

 オンブルさんの注文に、オヤジさんは陶器のジョッキたちを茶巾で磨いて、暖炉の予熱台に置き、ジュースをエール暖め器に流し込み、手鍋にワインと蜂蜜を入れた。流れるような動作だ。

「オヤジさん、『俗物仕切り』は空いてますか?」

「ああ、好きに使いな」

 わたしはオンブルさんと一緒に『俗物仕切り』に入った。これは低俗な酒場にある仕切りだ。

 身分ある人間が、下町に出入りすべきではないってのがこの世界の常識。

 だけど、入りたがる貴族はいる。

 大っぴらにできない仕事を冒険者に依頼するため、あるいは下町の料理や雰囲気を楽しむため。理由はさまざまだけど、貴族だってこういう酒場に足を運ぶこともあるのだ。

 そういうお忍びの方のために、他の客から見られない仕切り席が作られている。

 『引かれ者の小唄亭』では椅子なんて気取ったものはないけど、ここだけ椅子というお上品な調度がある。それに床も板張りで、清潔さが保たれていた。

 ディアモンさんはようやくほっとして、口許からショールを外す。

「はじめまして、ディアモンです。オンブルさんのことはクワルトスくんから伺っているわ」

 中性的な美貌から放たれる低い声。

 誰でもびっくりするだろう。

 だけどオンブルさんは、紳士的に微笑んだだけだった。

「私もクワルトスから聞いているよ。最高にして唯一のクチュリエだと」

 ふたりは初対面だったけど、クワルツさんっていう共通の友人がいるから、会話はスムーズだった。 

 ホットワインの香りが漂ってきて、ミヌレ・オリジナルが出来上がる。

 陶製のジョッキになみなみと赤いホットジュースが入っている。湯気まで果物の香りが満ちていて、幸せな気分になってきた。

 わたしはワインの何年物が美味しいとかさっぱり分かんないけど、これは好き。

 オンブルさんもディアモンさんも美味しそうに飲んだ。

 俗物仕切りの外から、また即興唄が聞こえてくる。捕まった怪盗を小馬鹿にする歌詞だ。

「腹が立ちますね!」

「怪盗の扱いなんて、そんなものだよ」

 オンブルさんはクワルツさんの親友だ。

 わたしよりもっと腹が立っていてもおかしくないのに、眼差しも挙措も落ち着き払っていた。

「わたしは腹が立ちます」

 大衆は身勝手すぎる。元々、嫌われていたなら兎も角、怪盗のこと応援していたのに。

 オンブルさんは余裕綽々って感じで、口角を上げた。

「すぐ楽しくなる」

「は?」

「あいつならすぐに脱獄するからだ」

「何か計画が?」

 身を乗り出した途端、わたしを射すくめたのは蜜褐色の瞳だった。

 拒絶に近い色を帯びている。

「ミヌレさん。あいつのことは助けなくていい。そもそも余計なことに首を突っ込んだのはあいつだからね」

 オンブルさんは柔らかい口調だったけど、きっぱり断っていた。

「そもそも発端はきみの問題じゃなくて、あいつがしゃしゃり出たんだろ。ああいう仕事というか、趣味というか、道楽をやってる以上、こうなるのは時間の問題だった。そうなったら手を差し伸べない。それが約束だ」

 俗物仕切りの中でも、オンブルさんは用心して単語を選んでいた。

「でも犯人は先生だったんです」

「あ? その教師が、騙った犯人だったのか」

「先生の呪符の七割が国庫召し上げになってるんです。その呪符を取り返しにきて、あわよくば怪盗に罪を擦り付けようとした次第です」

 わたしは懐からフルスキャップ紙を取り出す。

「こういう悪の魔術師完全体になってました」

 先生の姿をデッサンしたのだ。

 だってすっごくかっこよかったんだもの。

 あんな短時間じゃデッサンに足る観察はできなかったけど、ムービーギャラリーに記録されていたのだ。記憶して、現実で描きました。

「………ぅわ」

 何故か妙なうめきを上げるオンブルさん。

「最高にかっこよかったです」

「良かったね」

 オンブルさんってば棒読みだった。

「ミヌレちゃんはデザイン画でも食べていけるわよ」

 ディアモンさんは心の底から褒めてくれている。

 褒められるのは嬉しいけど、そこじゃない。

「かっこいいですよね?」

「ニックのセンスは………………独特だから……」

「婚約者の前で具体的なコメントは差し控えるよ」

 オンブルさんは温和な微笑みで、ディアモンさんは視線を逸らして、同時に陶器のジョッキに口をつける。

「そうなんです。わたしは先生の婚約者なんですから、今回の件に一抹の責任はあるのでは?」

「大丈夫だよ、ミヌレさん。あいつはこういう事態も想定していた。すでに布石を打っている」

 布石ってことは、逮捕される前から脱獄の準備を整えていたのか。

「私の役目はあいつが戻ってくるまでのアリバイ証人になること。きみの役目はあいつとの関係を隠すこと。それだけだよ」

 オンブルさんがそう言うなら、そうなんだろうな。 

 数か月前に出会ったわたしより、ずっと怪盗の指針にも詳しい。

「オンブルさんのおっしゃる通りにします」

 ふたりとも、わたしの言葉にほっとしたようだった。

「あいつの逮捕より、私が気がかりなのはこっちだな」

 オンブルさんは色んなギルドが発行してる新聞を出す。

 新聞なら、朝さんざんエグマリヌ嬢に押し付けられたんだよなあ。

「怪盗を茶化している記事もあるが、基本は騎士への賛美一色だ。どこかがプロパガンダしている気配がある」

「そりゃプロパガンダするにはちょうどいい素材ですから、するでしょうよ」

 見た目の良い騎士が活躍したんだ。

 貴族としても喜ばしい話題だ。古来からの身分制度を肯定するために、どっかが動いてもおかしくない。

 わたしの言葉に、オンブルさんは一番紙質の悪い新聞を出した。石版画が多くて、活字が大きい。

「………検閲印がない」

「裏町でまき散らされている低俗ゴシップだ」

 違法な新聞だ。

 こんなの出版した奴はもちろん、所持していても処罰されるぞ。

 検閲してない文章を振りまくのは、貨幣偽造と等しく国家反逆罪だ。そして国家反逆罪は殺人より重罪だ。

「こんなの子供に診せちゃダメでしょ」

 ディアモンさんが血相変えて取り上げる。 

 たしかに検閲無いと、卑猥な単語も載ってるからな。つまり18禁である。

「内容を要約すると、騎士を賛美せず、手柄は帝国からの魔導銃の威力だと風刺している。こんなまともな意見、扇情主義な低俗紙らしくない」

「らしくないんですか?」

 低俗紙って手に入らないから分かんない。

「こういう低俗紙は、誰かがもてはやされると、隠し子だの捨てられた女のコメンタリーだの捏造して部数稼ぐのが定番だ。どこかでコントロールされている気がする」

 オンブルさんは髭を撫でながら、小さく呟く。

 大規模なプロパガンダね。

  

 仕切りがノックされた。


「ミヌレちゃんにお客さん。カウンターにいるよ」

 女将さんに声をかけられて、仕切りの覗き硝子に目を押し付ける。

 目深に被った帽子に、黒いひげもじゃで、黒い蓬髪。

 それに憲兵の赤いケープ。

 遠目から見ても憲兵だって識別できるように、彼らは赤に金縁取りのケープを纏っていた。赤は染料が高いから、雑踏のなかで彼らのケープは目立つ。

 一瞬、心臓が跳ねあがった。

 だけどひげもじゃの黒さにしては、肌が妙に白い。色素が薄い膚をしていた。

「どうぞ、入って下さい」

 『俗物仕切り』の内側に案内する。

 赤いケープの彼は、サイズが合わない帽子を取った。

 黒い蓬髪をかき上げ、濃い髭を撫でる。一瞬で透けて輝き、いつもの水晶色の髪に戻った。


「ただいま、オンブル、ミヌレくん。それにディアモン?」   


 朗らかな声。

 憲兵服を纏ったクワルツさんだった。

 準備してあるとはいえ、脱獄の相談するための集まりで戻ってくるとは思わんかったぞ。

 脱獄相談会が、脱獄お祝い会に早変わりだ。

「おかえりなさい、クワルトスくん」

「ディアモンがこんな下町に入るとはびっくりだな」

「ミヌレちゃんの付き添いだもの。ブリリアントな場所じゃなくても仕方ないわ」

「びっくりしたのは、わたしですよ。ああ、憲兵をぶちのめして服を手に入れたんですね」 

「吾輩の服、取られてしまったからな。ディアモンがいるのはちょうどいい。また頼む」

「今、ミヌレちゃんのドレスが立て込んでるから、後になるわよ」

 隅っこでオンブルさんがごそごそやってるから何してんのかなって思ったけど、革鞄から肌着とフランネルのシャツとスラックスを引っ張り出していた。いつ脱獄してもいいように、服を持ち歩いていたのか。長年の親友は年季が違うな。

 『俗物仕切り』の中で、クワルツさんは着替える。

 クワルツさんの瞼が切れて腫れていた。それに肩には痣も残っている。

「怪我。まさかサフィールさまが……」

「いや、あの騎士は礼儀正しさのお手本だった。これは看守だ。わざと煽って、ぶちのめされて治癒魔術師を呼ばせたからな」

 治癒魔術師を呼ぶのが、クワルツさんの脱獄計画のひとつだったのだろう。

「サフィールさまの命を救ったのに、なんだか納得いきませんね……」

 予知によって助けた相手に、逮捕されるなんて。

「未来を変えられた。吾輩はそれで十分だ」

 クワルツさんは晴れ晴れした笑みを浮かべていた。

 強がりじゃない。水晶みたいに澄み切っている。

「先生からの傷は……」

「ああ、ミヌレくんの応急処置のおかげで、血がそれほど減らなかったからな。吾輩は怪盗であるが、魔法使いの端くれでもある。血肉の増幅は手慣れたものだ」

 心臓、魔法で塞げたのか。

 肉体制御に関しては、わたしより経験を積んでいる。

「でも心臓を回復させたら、おなか減ってますよね。わたしもクワルツさんに喰われた時、すっごくおなか減りましたし」

「あらあら、ミヌレちゃん。アタシはその話知らないんだけど」

「ミヌレさんが一角獣から戻れなくて、クワルトスが喰って再生の勢いで人化したんだよ」

「ワインも頼む。酒場ならばワインはあるのだろう?」

「ここにあるのは、クワルツさんの実家みたいな上等なワインじゃないですよ」

 わたしは注文窓を開く。すぐ用意できる日替わりスープと、ナッツの盛り合わせ。冒険者タルト。それから赤ワインのボトルを注文した。

「グラスは白鑞製か」

「冒険者酒場に、硝子の食器なんてありませんよ」

 乱闘が日常茶飯事だもの。 

 基本は白鑞と木製。陶器がせいぜいだ。

 クワルツさんはグラスに対してやや不満そうだったけど、一息ついて臙脂色の酒をゆっくり堪能した。

「名を騙られたのは業腹だったが、おもしろいものも見物できた。吾輩、召喚魔術は初めて見たぞ」

 クワルツさんの発言に、オンブルさんが不思議そうにわたしを見た。

「幻術系です」

「鴉は召喚ではないのか?」

 違うのだ。

 召喚の定義はな、別の世界か遠方から、対象物を術者の前に呼び寄せるってことだ。つまり時魔術の範囲になる。そして時魔術はいまだ実戦には程遠い分野だ。

 そもそも召喚は魔力の多さだけじゃなくて、サイコハラジック特異体質じゃないと発動できないのである。

「あれは幻術と催眠を組み合わせた高レベル魔術ですが、召喚ではありません」

「む? ややこしいな」

 ややしこくない。

 召喚は物質か形質化で、幻影は実体を持っていない。

 ちなみに賢者連盟所属の魔術師ディアモンさんと、魔術学院の聴講生だったオンブルさんも、ややこしくないって表情をしていたが、突っ込みはしなかった。

 クワルツさんはスープとタルトを平らげて、空きっ腹を膨らませる。

「では吾輩は実家に戻る。ぶちのめした憲兵が起き上がる前に戻った方が賢明だろう」

 クワルツさんは勝手口を借りて、『引かれ者の小唄亭』から出ていった。残された憲兵服は、オンブルさんが小さく畳んで鞄に押し込んでいる。

 ボトルに半分残ったワインは、大人ふたりが飲んだ。わたしはナッツを食う。

 酒場では『しばり首の歌』が歌われている。調子っぱずれなメロディで。

 とっくに脱獄しているのに、滑稽だな。

「この歌も、悪くはないだろう?」

 怪盗の親友は、まるでオーケストラに耳を傾ける姿勢で、ワインを味わっていた。



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