第四話 (後編) 悪の魔術師は絶滅危惧種
クワルツさんが跳ね、先生の太ももを蹴り飛ばす。
「うぐっ!」
治りきってない傷を不意打ちされ、先生は体勢を崩した。
銃口から放たれる魔弾。
狙いは正確だったけど、魔弾が穿ったのは頭蓋骨の眉間だった。
サフィールさまは間合いを取るため後ろに下がる。すぐさま装弾しようするが、腰に手を当てて蒼褪めた。腰に装備していた魔弾盒がないのだ。
「ほう。これが魔弾か」
クワルツさんの手のひらには、魔弾盒が握られていた。興味深そうに蓋を開き、鉛製の魔弾を指先で弄ぶ。
いつの間に盗んだんだ?
先生を蹴り飛ばして、すぐに魔弾盒を奪いに走ったのか。黒髪黒服の状態だから、闇に紛れて奪ったんだろうが、それにしても早い。
クワルツさんが髪の毛をくしゃっとかき回した瞬間、元の水晶色に戻った。
えっ、何だその現象。
あっ、獣化の応用だ。
クワルツさんは黒狼だもんな。
ライカンスロープ後と体毛の色が違うのを応用して、変装に活用しているのか。
わたしもそれやりたい。でも一角獣状態とそこまで色彩変わらないんだよなあ。
「月下駆ける孤狼とは吾輩のこと! 怪盗クワルツ・ド・ロッシュ見参!」
神学生の制服の下から現れたのは、黒革のコルセットと、スリットが入っているスラックス。
ディアモンさんの新作衣装だ。
露出は減ってるのに、過激になってきてるのはどういう理屈だ。すごいな。
「そこの騎士と教師! 吾輩の名前を使っての刃傷沙汰は許さんぞ」
クワルツさんの獅子吼に、サフィールさまは蒼い瞳を動かした。表情に動揺も困惑もない。騎士として端正な面持ちのままだ。怪盗の発言と、呪符をフル装備している先生で、事態を正しく理解したらしい。
先生が呪符を取り返すために地下納骨堂に忍び込んだこと。
罪をすべて怪盗に擦り付けようとしていること。
先生は俊敏に動いた。すでに【飛翔】と【浮遊】を纏っている。
エストックを奮う。
サフィールさまは間合いを取ろうとするけど、先生の方が早い。
そしてエストックの先端が、血をぶちまけた。
クワルツさんの心臓を貫いて。
は?
なんでクワルツさんを刺した?
「騒がせた詫びだ。きみが怪盗を捕縛すれば経歴に傷もつかん」
オニクス先生は口許に冷笑を浮かべて、エストックを引き抜いた。クワルツさんの背中を蹴り飛ばす。
「がは……っ」
容赦なく床に伏して、血を飛ばす。
先生は悪の魔術師に戻っていた。
学院の先生じゃない、闇の教団の副総帥だった。
わたしはクワルツさんに駆け寄って、背中の傷口に唇を触れさせる。わたしの口づけは魔法。ひとを癒すことも、呪いを解くことも、幽霊を喰い殺すこともできる。
大丈夫だ、死んでいない。
心臓は貫かれているけど、魔力で血液循環させている。
魔法による肉体制御は、クワルツさんのお得意だ。
「詫びだと……?」
サフィールさまの声が、納骨堂の闇に響く。
ここにいる頭蓋骨たちにも出せないような低く冷たい声だった。
「ああ。私の誠意だ。受け取りたまえ」
「貴兄の誠意など、汚穢でしかない!」
「では私も怪盗も逃がすか? きみの名誉が損なわれて、妹君が虐められなければいいがな」
エグマリヌ嬢のことを持ち出された途端、蒼い瞳が戸惑いに揺れた。
なんて卑怯な。
この場にいないとはいえ、エグマリヌ嬢を人質にするなんて。
わたしもついさっきエグマリヌ嬢の話題で、サフィールさまの気を逸らしたけどさ!
「クラスのみんなエグマリヌ嬢のことが好きですし、もしそんな奴が現れたら返り討ちにするの手伝います!」
「ひとはすぐ好意を翻すぞ」
先生は言葉から皮肉を拭って、わたしに語り掛ける。
世界真理を語る口ぶりだった。
「さあ、騎士の若造。勝てるかどうか分からん私を追うより、怪盗を捕まえて名誉を保ちたまえ。ほら、迷っていると、そこのとんでもない魔力の娘が、怪盗の傷を癒してしまうぞ」
わたしに嘲笑を送る。
サフィールさまは押し黙ったまま、クワルツさんの方へ足を勧める。
硬い足音が、納骨堂に響いた。
傷ついた怪盗を捕まえる気?
サフィールさまは爪先で、魔弾盒を蹴り上げた。
空に浮く魔弾盒。
屈むことなく弾薬入れを手に取り、滑らかな手つきで魔弾を装填する。
その標準は、先生。
だけどオニクス先生からは、さっきから金臭い気配がしていた。すでに攻撃呪文を紡いでいる。
「我は汝を忌むがゆえに、呪を紡ぐ。福音であり、呪詛たるもの。人や獣は汝に苦しみ、花や水は汝を知らぬ」
サフィールさまは引き金に指をかけた。
魔術の結びと、引き金はほぼ同時。
「さあ、死肉啄む姿を借りて、いざうつつに炳焉と舞え! 【乱鴉】」
納骨堂に金属質の鳴き声がこだました。
次の瞬間、闇より漆黒のワタリガラスたちが産まれ、狂ったように飛び交う。数十、否、百匹に近いワタリガラスは、羽根を散らして嘴と爪を繰り出してくる。
高レベル闇属性催眠系【乱鴉】だ!
そう。催眠だ。
鴉の幻影を投射しつつ、対象者に過去の『痛み』を脳内で再現させる。
この術の厄介なことは、鴉は幻影に過ぎなくて、痛覚と連動していないってこと。鴉を振り払おうが、切ろうが、逃げようが、痛覚は催眠によって生じているのだ。
それを分かっていないと、躱しているのに被弾する状況に戸惑うんだよなあ。
被弾したら、メンタルにダメージ食らうんだよ。メンタルが耐え切れなくなったら、肉体に影響がてできる。
ステータス的に言えばMPめっちゃ減る。そんでMPが無くなったら、HPが減るのだ。
あと幽霊にも効く。
わたしとクワルツさんは闇耐性が高いし、魔力内蔵量も常人以上。
だから通らない。
耐性ゼロでMP3のサフィールさまは、めっちゃダメージ喰うけどな!
引き金もすでに引かれている。
魔導銃の標準はぶれなかった。
狂乱するワタリガラスの幻影の中、オニクス先生の呻きが混ざった。
命中したのか!
この乱れ飛び交う鴉の中で。
だが鴉は増える。増える。どこまでも増える。
金属質で耳障りな鳴き声を響かせて、羽根をまき散らして羽ばたく。
わたしの瞳にはワタリガラスが幻影だって分かるけど、降り重ねられて、積み重ねられたまぼろしは、現実の光景も阻害してくる。鼓膜打つ羽ばたきのせいで、足音も声も雑音交じりだ。
ワタリガラスが闇に融けて消えていく。
先生の姿も、消えていた。
鴉の幻影に隠れて立ち去るとか、悪の大魔術師じゃねーか!
完璧すぎだろ。
あそこまで完璧な悪の魔術師なんて絶滅危惧種だから、もう逆に保護すべきでは?
「怪盗クワルツ・ド・ロッシュ、貴兄は窃盗罪で手配されている。逮捕する」
魔弾を装填された銃口が、クワルツさんのこめかみを狙っていた。
地下納骨堂の素材は、骸骨と石。
【土坑】じゃ逃げ道を穿てないぞ。
「ミヌレ!」
エグマリヌ嬢が駆けてきた。わたしに抱き着く。身動き取れなくなるくらいしっかりと。
「良かった、怪我してない?」
「エグマリヌ嬢!」
「起きたらきみはいないし、兄は寝てるしびっくりしたよ!」
気絶させたサフィールさまを起こしたの、エグマリヌ嬢だったのか……
熟睡してるからって油断した。
そのうちに何人もの騎士が駆けつけ、クワルツ・ド・ロッシュに手枷を喰らわせる。囚人の手首にはめる一枚板の無骨な手枷だ。
「……!」
クワルツさんはわたしを一瞥して、淡く笑む。
共犯であることは言わないように、念を押されてしまった。
「ハッハッハ、これはやられてしまったな。だがこの程度の手枷で、吾輩を戒められると思うか?」
笑いながら木製の手枷を捻り潰した。
闇の中、木片となる枷。
魔法で腕力強化しているクワルツさんには容易いが、騎士たちは唖然とする。
「もっと頑強なものを用意したまえ」
鉄の鎖と、木製の手枷、ふたつ付けられる。
「怪盗。手枷をつけた以上、きみの仮面は不要だろう」
サフィールさまは銃を突き付けたまま、微動だにしない。近くにいた騎士が弾道を遮らないよう迂回して怪盗に近づき、黒仮面を引っぺがす。
全員が息を飲んだ。
わたしもだ。
クワルツさんは顔だけを、狼化させていた。
器用な……
このまま狼化して逃走するんだろうか。
否。
怪我をしている上に、サフィールさまの魔弾がある。
しかも現在位置が最悪だ。
地上へ上がるための階段は、ひとつきりで一直線。そんなところを駆け上がれば、撃って下さいと言わんばかりじゃないか。
クワルツさんは観念したとばかりに静かだ。
死という未来からサフィールさまを救ったのは、クワルツさんなのに。
釘を刺されている以上、待機していた護送馬車の檻に、クワルツさんが詰め込まれるのを見送るしかなかった。
もちろん現場に居合わせたわたしにも、事情聴取というものがある。
とはいえ相手は、サフィールさまとエグマリヌ嬢のみ。身内感のある空気で、形式上って感じだ。
サフィールさまは聴取の書類を綴る。
「ミヌレ嬢はどうして納骨堂に?」
わたしが地下の納骨堂にいた理由。
「見たいなって思ってこっそり忍び込みました」
「ミヌレ嬢は豪胆だ」
「さすがミヌレ。知的好奇心の塊だね」
おい、待て、なんで納得するねん!
ふつー、女の子が真夜中に納骨堂を見たくて、独りで忍び込むとかやらねーよ。
クワルツさんを助けた理由。
「ああいう自由人って憧れなんです」
「そういえば怪盗クワルツ・ド・ロッシュを見たくて、夜間外出してたもんね」
「ミヌレ嬢の謹慎エピソードのひとつか」
おい、待て、なんで納得するんだよ!
サフィールさまとエグマリヌ嬢の兄妹は、わたしに対してなんの疑いもない。
ただ突拍子もない行動をする女の子だと思ってるのか。
善良過ぎる……
この王子さまルックスのおふたりは、少しは他人を疑った方がいい…わたしが怪盗を手引きしたんですよ……共犯者ですよ……
「わたしを疑わないのですか?」
肺腑が罪悪感に押しつぶされ、疑問から口から飛び出る。
サフィールさまはほんの一瞬、微笑みを途切れさせた。エグマリヌ嬢はもっと長い時間、憂いを浮かべる。
手元の書類を遠ざけて、ペンをペン皿に戻した。
公式文書にしない、という態度だ。
「きみがオニクスを手引きした疑いか」
ああ、そっちか。
疑い方向はそっちだよなぁ、婚約しているわけだし!
でも怪盗の方なんだよ、手引きしたの!
「オニクスのことは公表できない」
「すべて怪盗クワルツ・ド・ロッシュに罪をかぶせると?」
「ああ。オニクスは仮にも、先代国王が叙勲した人物だ。そんな人間が罪を犯したなんて知れたら、国王の不謬性が疑われる。王権は神から賜ったものだ。過ちは許されない」
「………この国は絶対王政じゃないはずですよね」
「ミヌレ嬢。絶対王政に戻る日が、いつか、くるかもしれない」
サフィールさまの蒼い瞳は、凍てつくほど冷たい。
これは王国に忠誠な騎士の瞳だった。
これは王家に従順な貴族の瞳だった。
エグマリヌ嬢がわたしの髪を切ったときの目だ。王族の命令なら、サフィールさまはわたしの頸動脈を掻っ切れるんじゃないか。何の迷いも躊躇いもなく。
「きみがオニクスを手引きしたのかい?」
触れられてもいないけど、喉がざわつく。
殺意ではないが、強い威圧がある。
ラーヴさまと比べたら大したことは無いが。
「いいえ。もし先生の呪符を取り戻すなら、わたしひとりで行います。オニクス先生の手を煩わせるまでもない」
背筋を伸ばし、答える。
「一角獣になれるきみなら、容易いかもしれない」
穏やかな口調だけど、空気は硬いままだった。
「だがオニクスが来ることは知っていたんだろう。きみには予知がある」
「予知は万能ではありませんよ」
「本当に?」
サフィールさまの瞳は冷たいまま。
そんな言葉で誤魔化しきれる相手じゃなかった。
「わたしが予知で知ったのは、サフィールさまが地下納骨堂で殺されることだけです」
瞬間、エグマリヌ嬢の顔色が青ざめた。
サフィールさまの表情は分からない。
項垂れて額を手で覆っている。サフィールさまの表情は肝心なときに読めない。
「それは、私が、たとえ魔導銃を持ってしてもあの男には勝てない、と。そういうことか」
問いかけだ。
ただの質問でしかない言葉なのに、わたしは足元が危うくなったような感覚になる。問いに対する答えを間違えた途端、どこか奈落へ落ちそうな危機感。
早く言葉を紡がなくちゃいけない。
遅くなればなるほど、奈落が近づいてくる。
「人類の誰が勝てるんですか? オニクス先生は【隕石雨】が使えるんですよ。呪符をぜんぶはぎ取ってから、人類最強まで極めないと勝てませんよ」
「そうか。そうだろうな」
納得した口調だ。
だけど納得したのか、それとも自分を納得させようとしてそんな声を出しているのか、わたしには見当もつかなかった。




