第六話 (中編) このゲームはエロゲになりました
奈落の底には、浅く水が溜まっていた。
光の護符は周囲を照らしてくれる。
わたしも無事だし、呪符に損傷はない。荷物も手近にある。ロックさんは気絶してたけど一応、怪我はなさそうだ。呼吸や脈拍を確認する。
先生は離れた場所に腰を下ろしている。
「ところで先生」
こっちに反応しないけど、聞こえているだろう。
「なんで教員採用試験を受けたんですか?」
オニクス先生は不機嫌な無表情だった。なんで表情筋をいっさい動かさずに、不機嫌さを伝えられるんだ。
「国家の将来を担う人材に【魅了】や【恐怖】の対抗魔術を教え、国政を精神魔術から守るためだ」
めっちゃバレバレな嘘つかれた。
「それは国からの要望でしょう」
「それより生徒番号320、どうやって図書迷宮の場所と開門日を知った。偶然ではあるまい?」
「情報源を明かさないのは鉄則ですよ」
めっちゃ胡散臭いことほざいた自覚はある。
「それはともかく先生。どうして侵入者がいると分かったんですか?」
「足元に散らばっている宝石が、上質なものだけ無かった。侵入者があったと考えるに足る状況だ」
なるほど。
先生は渋い顔で何か考え込んでいた。
居心地悪い沈黙だ。群晶の響きで耳鳴りがしそうなくらい静か。
「かなり下の階層ですよね」
「第七階層だ」
即答された。
「きみの右側を見ろ」
光の護符を掲げた。
魔術の冷たい光を受けて、壁一面が透明な緑色の輝きを放った。
はるか頭上まで続く緑の壁。表面には、芥子粒より小さくて複雑な模様が刻み込まれている。
これは模様ではない。神聖文字だ。
「エメラルド碑文………」
天と地にあるすべての法則と、過去と未来に在るすべての技術、それが刻まれている。
古代文明紀どころか、創世紀より以前からあると伝えられている碑文。
「第七章の文章だった」
「まさか解読されているんですか?」
「してないが、十二章までは暗記している」
「えっ……十二章って、人類臨界点じゃないですか」
「ただの丸暗記に過ぎん」
「同じ文字が二度と出てこない碑文ですよ。丸暗記できる量じゃ……」
「共同研究者の専攻だったからな。それより戻ることを考えるぞ」
七階層だもんなあ。
昇っていくと途中にミノタウロスがいるんだよなぁあ。青銅のミノタウロス。今のレベルと装備じゃ、絶対に無理だな。
「上まで昇って、あの結晶の柱を浮かせば……」
「【浮遊】を使うか? 唱えてみろ」
「いや、こんな地底じゃ、大地の恩恵を断ち切る術は使えないでしょ。知ってて意地悪を言うのやめてくださいよ」
「勘づいていたか」
長ったらしい舌打ちされた。
勘というか、知ってますよ、このダンジョンの特性くらい。1000回とはいわないけど、何百回と攻略したんですから。
第三階層まで下りると、反土属性の【浮遊】とか【土坑】とかが、使用不可になるんだよなあ。大地の加護が強すぎる。
「先生が【飛翔】で上昇して、【浮遊】で柱石をどかす手順が理想的ですか?」
表層域なら、【浮遊】が使える。
「私の魔力が枯渇してなかったら、とっくにしている」
「どのくらいで回復………」
「しない」
「は?」
「しない」
素っ気なさの権化みたいな態度に対して、わたしは挙手をする。
「聞き取れなかったわけじゃなくて、どうして回復しないんです?」
「現状、私はこの迷宮の扉を開く鍵になってる。贄というか饌というか、開門のために魔力を消耗し続けている」
先生の顔色が悪い。
ひょっとして光の青白さのせいだけじゃない?
そうか、ふつーの人間ってMP制限あるから。
この主人公のミヌレは、MP無限なの。
もっとずっと先のイベントで、このダンジョンに潜れるようになる。でも扉を開いても、魔術は使いたい放題だ。
困ったもんだ。
わたしの魔力は膨大だけど昇れる魔術はないし、先生は昇れる魔術はあるけど、魔力はすっからかん。
「そのわりに魔術を大判振る舞いしてましたね」
「七層まで落ちると思わなかったからな」
忌々しそうに、わたしという原因を睨む先生。
わたしが諸悪の根源であることは否定できない。
「それに【飛翔】分だけでは足りない。【幻影】も必要だ」
【幻影】ってどこに要るんだ。
首を傾げたわたしに対して、先生はやたら長ったらしい舌打ちをした。
「きみは学院の生徒だぞ。きみの存在が騎士団に見つかったら、私からバレたと思われる。情報秘匿能力に欠けると思われるのは、我慢ならん!」
そっか。
わたしはゲーム情報だけど、客観的に見たら、先生が口を滑らせるかなんかしてわたしが感づいたって思われるのか。最悪、先生がわたしに国家機密を教えたと思われる。それは先生の社会的信用度がガタ落ち懸案ですな。失職ものだ。
【飛翔】が消費MP30で、【幻影】はMP50、【浮遊】消費MP20だったな。ミヌレは制限ないけど、他キャラはMP制限あるので一応覚えてる。
「MP100回復すればいいんですね」
「……MP?」
「こっちの話です」
水音が響いた。
「ん、なんだ……」
ロックさんが起き上がった。胡乱だった眼差しが、わたしを映してはっきりする。
「大丈夫か、嬢ちゃん。どっか痛いところないか?」
わたしを案じてくれた。
「にしても旦那。すげーな、殺意まったく無いから反応できなかった。腕利きだな」
「殺意など愚かしい。私は殺意で人を殺したことなど一度もない」
人を殺したことはあるんだ。
あの先生が「人を殺したことなんてない」って主張する方がびっくりするけど。
「で、ここどこ?」
「ここは第七階層です。ちなみに【浮遊】は使用できません」
「じゃ、なに? 徒歩で上がってくの? 下層だし、やばいモンスターうようよ………って、モンスターよりおっかない旦那がいるじゃん! じゃあ安心だな!」
瞳を輝かせて、先生に笑いかける。
天真爛漫って感じの笑顔だけど、先生は渋すぎる顔になった。
「あいにく私は今、魔力が枯渇してる」
隻眼は鋭くなった。
ロックさんを睨んでいるわけじゃない。闇の深いところを睥睨していた。
光の届かないその奥に、なにかが蠢く。
宝石製のガーゴイルだった。
グラフィックで見たときはキラキラして、綺麗なだけ。だけど実際に目の当たりにすると、周りは薄暗いのに、ガーゴイルは半透明の宝石製だからめちゃくちゃ視認しにくい。
わたしは荷物からミルクパンを引っ張り出す。
ロックさんはすでに動いていた。駆けながら鉈状のナイフを抜く。鈍器じみたナイフの峰の返しで、力いっぱい振りかざせば、ガーゴイルに亀裂が入った。
僅かな亀裂だ。
「旦那、魔法使えねぇのかよ」
「だから、魔法ではなく魔術だ」
先生はゆるりと立ち上がって、わたしの肩に手を置いた。
「しばらく私の杖になってくれ」
どういうことなのか。
先生は柄飾りの蜥蜴をひねり、引き抜く。
支柱部分が抜け、刀身が姿を現した。
レイピアに似てるけど、刃がついていない。とても太い鋼の針というか、細い錐というか。
「エストックか」
ロックさんは叫びつつ、ガーゴイルに鉈を振りかざす。
エストックって武器は、どのファンブックにも掲載されていなかった。刃がないってことは、純粋に突きだけの武器なのか。
「引き付けつつ、私の方へ下がれ」
先生の指示通り、ロックさんは下がる。
ガーゴイルの羽を、エストックの先端が突き砕いた。
割れて砕かれ散っていく結晶。宝石の飛沫だ。
「綺麗………」
場違いすぎる感想だ。
咄嗟に口を押えたが、先生は笑った。
思った以上に、その横顔は若々しい。生き生きしてる。
「血しぶきより美しい」
笑いながらエストックを回して、蜥蜴飾りの柄でガーゴイルの脳天を叩き割った。間髪入れず襲い掛かってくる他のガーゴイル。先生が仮面をつけている死角からだ。だけど視線を合わせもせず、貫いた。
「見えてるんですか………」
「私の片目は地獄にあるからな。地獄で見通せんものなどない」
比喩なのか自虐なのか。
だけどわたし中二病好きなので、こういう台詞をかっこいいボイスで言われるときゅんきゅんします。
「わたしもアラサーになろうが、先生みたいな台詞を堂々と言えるオタクなりたいです」
「生徒番号320………うっすら馬鹿にしてないか?」
「心外な! 敬意の塊ですよ!」
「………」
先生は疑わしそうな色を浮かべつつ、片手でガーゴイルを一突きする。
亀裂を入れて、叩き割る。
ガーゴイルの動きは、ひたすら単調だ。ふたりともコツを掴んだのか作業めいてくる。
だいぶ減ってきた。
「剣術はコスパが悪いな。魔術なら秒で片付けられるのに」
忌々しそうに舌打ちした。
このひとにとって戦いは勝つか負けるかって話じゃなくて、どれだけ理想的な勝利を収めるかってレベルなのか。
「だが、後顧の憂いなく虐殺できる。悪くはないな」
邪悪な嗤いだ。
ほんとうにこのひと、悪役が似合うなあ。
わたしはミルクパンをぎゅっと握る。
「離れるな」
引き寄せられた。
さっきからわたしの肩に、体重がかかっているわけじゃない。わたしがいなくても、大丈夫なのでは?
ひょっとして先生は、わたしを守ってくれているの?
それほど時間が経たないうちに、ガーゴイルは全滅した。
崩れた宝石たちの中、オニクス先生はため息をつく。静寂の群晶に染み渡るほど、深いため息だった。
「強ぇえなあ。飛地戦争帰りって、そりゃ強いわ」
能天気な声が、ため息を塗り替える。
「飛地戦争って………」
わたしの呟きに、先生が視線を向けてくる。
「歴史でまだ習ってなかったか? 飛び地における領土戦争聖暦1594年」
習ってないけど、それは公式ガイドブックで読んだ。
聖暦1594年勃発、1603年終結。わたしが生まれる前に終わった戦争だ。飛び地だから本土に被害は皆無。もちろん人的被害はあって、エグマリヌ嬢のお父上や叔父さんや従兄たちは騎士として出兵して、軒並み戦死している。
先生も出兵していたのか。
「私は休む。魔力を回復させたい」
エストックを杖の状態に戻して、先生は暗がりへと身を隠した。ローブにくるまって、隻眼を伏せる。
しばらく沈黙していると、寝息が聞こえてきた。
見渡す限りの群晶と水。そしてエメラルド牌。
周囲を照らす光は青白くて、余計に寒々しく感じた。
「あの武器は、飛地戦争の武器なんですか?」
「飛地戦争の徴収兵に支給された武器だよ」
「普通の剣じゃないんですね。えーと、普通っていうのは両刃や片刃って意味です」
素人考えだけど、針みたいな武器って使い勝手が悪そうだ。
「刃がついている方が、野宿や狩猟にも使えて便利じゃないんですか?」
「ナイフってのはさ、刃があると脆くなるんだよ。刃をぶつけ合うと、けっこう顔まで破片飛ぶ。刃がない方が耐久性もいいし、手入れも楽」
「へぇ~」
「あと兵士って鎧じゃん。革鎧でも下に鎖帷子を着られていると、刃物じゃ太刀打ちできない。でもエストックなら鉄板ごと貫ける。あれは敵国の兵士を殺す武器なんだ」
武装兵士を殺すための武器。
その武器を携えて、前線に立っていたのか。
「って、おれのじいちゃんの受け売り………」
ロックさんの言葉が止まって、視線が一瞬、先生へと移った。
「思い出した。そうだ、オニクス。隻眼のオニクス。じいちゃんの所属していた部隊の隊長だ」
「隊長?」
「そう。弱冠十四歳の部隊長。ちょうど年齢もそんなもんだろ」
「十四歳? 部隊長になれるもんなんですか?」
「なれないよ。普通は。でも終戦近くだと指揮官が不足したせいで、代行していたってさ。正確には部隊長代行」
「それから? おじいさまは一緒に戦闘を?」
「じいちゃんは隻眼のオニクスの部隊に組み込まれた後、負傷しちゃったんだよ。んで、除隊したからあと知らない。あっ、名誉除隊だからね」
部隊長代行。
そこでなにをどうしたら、闇の魔術を修めて、王立学院の教員になるのだろう………
疲れ切った先生の寝顔を盗み見る。
「じいちゃんが名誉除隊できたのは、隻眼どのが本土に申請書類を書いて、推薦状を付けてくれたからだって。感謝してた」
「名誉除隊って、そんなにありがたいんですか………うちの地方は戦争と縁遠かったので、詳しくないんです」
「ふつーの除隊より、傷痍年金が加算されるの」
「それは素直にありがたい話だな」
貰える金は多ければ多いほどいいもんな。
「ガキのころは山で自給自足だったんだけどさ、年金に余裕があったから識字と四則を習えるようにしてくれた。出世した時に読み書き得意じゃないと、出世した甲斐がないからって」
「先見の明があるおじいさまでしたのね」
「ああ。それに名誉除隊だと葬式代も墓石代も国持ちだから、じいちゃんの葬式は盛大にできた。冒険者ギルドに入るのだって助かったよ。直系親族に名誉除隊者がいると、実績無くても申請が通りやすいんだ」
豆知識が手に入った。
「そうか、あのひとが、じいちゃんの言ってた『隻眼どの』か………」