第六話 (前編) このゲームはエロゲになりました
昼過ぎの『引かれ者の小唄亭』は、暇な冒険者とか暇なチンピラとか暇な穀潰しで、それなりに賑わっていた。ちなみに冒険者とチンピラの区別は、冒険者ギルドに所属しているか否かです。ロックさん談。
暇な冒険者であるロックさんは、この酒場の二階に宿を取っている。
はずなのだが、何故か皿洗い場から出てきた。
「よお、嬢ちゃん。仕事の依頼か?」
「ペンダントを自慢するので、このペンダントを褒めて下さい。似合うは禁止です」
「え、それが依頼?」
「あいさつ代わりの雑談です」
「えっ、ええぇ、だっておれ、アクセサリーは興味ねぇもん……悪ぃな。でもそれアレだろ。嬢ちゃんが廃坑の幽霊を食い殺して、手に入れた宝石だろ。なんかよく分かんねーけど、良かったな」
独りで勝手に納得して、頷いている。
このペンダントを褒めてくれというとるのに。
「神作家がわたし一人のために自作してくれたんだぞ。もう少し自慢させてくださいお願いします」
「そうか。うん、綺麗なんじゃないか?」
棒読みだ。
むむぅ、やはりこういう話題はお洒落に生きてるひとに振るべきか。
わたしが腕組みすると、新しく客が入ってきた。ラピス・ラジュリさんたちだ。食事休みに来たらしくて、カウンターでご飯を注文している。
「こんにちは。ラピス・ラジュリさん! 唐突ですが、このネックレス素敵だと思いませんか?」
青と金の瞳が、大きく見開かれた。
「まあ、なんて精緻な彫金細工。こんなきめ細やかで立体的な造形ができるひとがいるのね。さすが王都だわ」
わたしは鼻穴をでかくする。
ふふん。やっぱ分かるひとには分かるのだ、この卓越した技術とデザイン性の圧倒的素晴らしさが!
「ちっちゃなお姫さま。あのかっこいい保護者さん、今日はいないのかしら?」
「残念ですが、先生はこういうところ好きではないので」
「あらそう」
途端に興味を失ったみたいだった。あっさり離れていく。
ロックさんが未練がましそうに後姿を見つめているけど、皿洗いしていたくらいだしお金ないんだろうな。
「本題ですが、ロックさん。これ捌いて下さい」
「おっ、例のブツか。へっへっへっ、ありがてぇ」
光の護符である。
虹の滝で採取してきた石と、鱗粉の余りを使って作った護符だ。
光の護符は街の人でも冒険者でも欲しがる。売れ筋なのに、慢性的に品薄。ロックさんに卸すと、冒険者ギルドが買い取ってくれる。そして手数料引いて、わたしに小遣いが入ってくるという仕組みだ。
ドライフルーツ買おう。
「で、依頼のお話というか、耳寄り情報があります」
「耳寄り情報?」
問いかけに、わたしは声を潜める。
「図書迷宮の扉が開く日が決定しました」
その名を聞いた途端、ロックさんの顔色が変わった。
図書迷宮。
過去にあるすべての技術と、これから未来に生み出される知識すべてを宿した迷宮だ。王家直轄領にあり、詳しい情報は秘匿されている。
湖底神殿、空中庭園、図書迷宮は、我が国の三大ダンジョンとして名前だけは知れ渡っている。あと隠しダンジョンの幻想大樹と、クリア後ダンジョンの永久回廊があるけどね。
「どこから耳にしたんだ」
ゲームシナリオです。
毎年、図書迷宮の扉が開かれる日は違う。一年目は情報を聞くのが閉門日過ぎてからだけど、今なら行ける。と思う。
わたしが口を噤んでいると、ロックさんは笑った。
「情報源を明かさないのは鉄則だよなあ。んで、駆け出し冒険者のおれにどうしろって?」
「探査団が入りますよね。後ろをこそこそついていけば、モンスターに遭うのは最小限で済みます。もちろん深部までは行きませんよ。地下一階あたりでヘリオドールやアクアマリンを、こっそり採取していくんです」
「王家直轄だと盗掘……あ、それを嬢ちゃんが護符に加工するって寸法か」
「加工してしまえば、原石の入手経路は不問です。その後ロックさんから右から左に流して、濡れ手に粟です」
「いいね、おれ、濡れ手に粟って好き」
話は決まった。
森を抜ければ、深淵の崖。
深さは絶望的だけど、幅は現実的だった。ここから半日かけて西へ行けば、吊り橋がある。
「対岸まで、20メートル弱ってとこか」
ロックさんが目測する。このゲーム、現実と単位が一緒で分かりやすい。
「嬢ちゃん。索道作るからちょっと待ってな」
荷物からロープを出して、大振りの石を結いつけた。
凪ぎが訪れた刹那、石を投擲する。
石は崖を越え、ロープが木に巻き付いた。こっちに残ったロープの端を木に括りつければ、ロープウェイの完成だ。
ロックさんはダガーを鞘ごと抜いてロープウェイに引っ掛け、そのまま滑空する。
「嬢ちゃん」
わたしはロープを解き、荷物に結び付けた。
【浮遊】の呪文を唱える。
浮いたわたしと荷物を、ロックさんが引っ張ってくれた。
「いやあ、【浮遊】って便利なもんだな」
荷物を背負い直したロックさんが感心してくれる。
「幽霊食い殺して手に入れただけはあるな」
ロックさんのなかで、わたしに『幽霊喰い』の称号が冠されていた。
『幽霊喰い』か。ちょっとカッコイイなって思ってしまう。
難所はいくつかある。
けど、ロックさんの山道を進む技術に、わたしの【浮遊】が合わさって、かなり移動時間を短縮できた。
ひたすら狭くて窮屈なけもの道を昇っていく。ロックさんが手振りだけで、止まるように指示してきた。
「騎士団が風上の方で行軍してる」
「分かるんですか」
「音で。鋼製の鎧で、足並みがそろい過ぎてる。傭兵だと足音が雑だ」
静かに近づいていくと、ロックさんの言う通りだった。
人数は百人くらいかな。
藪から顔出して、ロックさんが観察する。
「中隊規模だな。歩兵が六十、歩兵長が六名。馬に乗れる身分になると騎士だ。補佐する騎士が五名と隊長の騎士。伝令兵一人、書記が一人、治癒魔術師一人。これで中隊だ」
「ロックさんって軍隊上がりじゃないですよね?」
キャラブックには「北方山間部の出身で、成人してすぐ冒険者になった。天涯孤独」って書かれていたぞ。
「じいちゃんが志願兵だったから。戦争のこと、酔うとたまに喋ってたからさ」
祖父を語る眼差しは、普段のロックさんより子供っぽい。
「あれ? おっかない旦那も居るじゃん」
「ほ、ほげぇ……」
騎士たちのなかに、オニクス先生の姿もいた。
たしかに図書迷宮の攻略は魔術師必須だけど、なんでよりによってオニクス先生が随行するんだよ。そこはもっと他に人がいるだろ。わたしの顔を知らない魔術師なら誰でもいい。
「嬢ちゃん。保護者に黙って来たのかよ」
ロックさんの笑い声に、わたしは呻きしか上げられない。
オニクス先生が何もない空間に触れる。
いや、なにかがある。質量とはまた別の、触れないし見れないけれど、あそこになにかある。
「汝はあらゆる術の鍵、開きもすれば閉じもする いかなる術も汝がなくば成就能わず」
手から塩を撒く。
詠唱時に媒介を必要とする魔術。
「我はあらゆる術の鍵、開きもすれば閉じもする いかなる術も我がなくば成就能わず」
塩が大地と反発する。
海の塩だ。疑似的に大地と大海を繋ぎ合わせ、境界を造っている。
「鍵穴無き錠よ、扉無き門よ、開け、叡智を玉座に帰還せしめんがために 【境界融合】」
何もない空間に、巨大な扉が出現した。
岩塩めいた扉には、どこの言語でもない文字が刻み込まれている。神々が使ったと伝えられている神聖文字だ。
あれこそ図書迷宮の扉だ。
迷宮の入口である扉は、物理的には存在しない。魔法的に存在する。
扉という魔法を、魔術によって物質化することで図書迷宮へ入れる。って習った。
騎士と歩兵、そしてオニクス先生が扉へと入っていく。十人の歩兵と、歩兵長がひとり、留守番を任される。
思ったより見張りの人数が多いな。ゲーム画面だと、二、三人が見張りしてるだけだったのに。いや、でもたぶんいける。ロックさんにこの方法で見張りかいくぐれますよって、太鼓判を押しちゃったし。
わたしは体内の魔力を練る。
ペンダントの浮遊石が呼応した。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、大地の加護をひととき返上せん 【浮遊】」
歩兵全員に、【浮遊】をかける。
いきなり浮いて動揺した瞬間、全力でダッシュした。後ろからぎゃあぎゃあ喚かれているけど、扉に滑り込む。
革鎧と鉄鎧じゃ、速度が違う。ダンジョンの暗闇深くまで入り込めた。
「……ねえ、嬢ちゃん。これ、出るときも同じ方法使うの?」
「もっといい方法が思いついたら変えますよ」
「名案浮かぶといいな」
しれっと答えたわたしに対して、ロックさんは明るく笑った。
図書迷宮は群晶の世界だった。
床も天井も壁も、見渡す限りが群晶。その色の限りないことといったら、息を呑むほどだった。
海の一瞬のきらめきを孕んで、お澄まし顔で輝く水色。お日様のかけらを宿して、生き生き光る金色。暁の空を写し込んだように、恥らいがちに灯る薔薇色。完全な無色透明もあれば、目まぐるしく色を変える石もある。
こんな巨大な石なんて、持って帰れない。
だけど地べたには、小粒の宝石がざくざく転がっていた。
濡れ手に粟ならぬ、両手に宝石!
特にアクアマリンとヘリオドールがあたりいっぱいに転がっている。透明無垢なゴーシェナイトも、薔薇色のモルガナイトもあった。レッドベリルだって木苺摘みよりよく採れますよ。
なるべく良質な宝石を選別して、革袋に詰めていく。中には羊毛を入れてあるので傷つかない。
足場は悪いけど、【浮遊】の魔術で段差も楽に進める。
「嬢ちゃん。騎士の足音だ」
わたしは浮遊を唱える。
ロックさんと一緒に浮かび上がって、群晶の陰で息を殺す。
騎士が歩兵を引き連れて、進んでいる。先頭近くには、オニクス先生の姿もあった。威風堂々な行軍だ。
「分隊から侵入者があったと報告がありました。二名だそうです」
「初日に入られるとは珍しいな」
オニクス先生が呟き、足元に視線を下ろす。
「我は水の恩恵に感謝するがゆえに、さらなる水の加護を希う 【水】」
腰に帯びている黒蝶貝の呪符が、淡く反応した。
魔術に導かれ、空気中の水分が、純水として凝る。
ひとすくいほどではない。先生を中心にして、周囲に大量の水が一瞬で生じた。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、大地の加護をひととき返上せん 【浮遊】」
オニクス先生がさらに魔術を重ねた。
水は大地の加護から切り離されて、大粒の水滴となって空中を舞う。
「がぶっ……!」
傍らにいたロックさんが呻いた。
口内に、水の塊が入っている。
無重力状態の水が喉に詰まって、溺れかかっているんだ。飲み込むことも吐かせることも出来ない。たったひと掬いの水が、ロックさんを溺死させようとしている。
どうすればいい。
以前、オニクス先生に告げられた台詞が、脳裏に過る。曰く「物理は魔術に従うが、魔術は物理にも従う」のだ。
魔術がなくても、手段はある。ロックさんから水を奪わなくては。
蒸発? 吸収?
そう、水は零したら、拭けばいい。
わたしはスカートの下から、自分のペチコートを引っこ抜いた。雑巾みたいに絞って棒状にして、ロックさんの口に突っ込む。
吸水性のいい綿のペチコートは、水をみるみる吸い込んでいった。
魔術の水でも、物理に従う。
「げほっ」
ロックさんが大きく息を吐いた。
水は排除できた。でも音で騎士団に見つかった。
しかもオニクス先生にまで。
不機嫌極まりない形相で、わたしを睨みつけている。いやあ、これは洒落にならん。尻叩きじゃ済まねえレベル。
「逃げますよ!」
【浮遊】の魔術は上下にしか動けない。
でも固定されているものを蹴れば、推進する。
ロックさんの脚力で思いっきり群晶を蹴れば、飛ぶのと同じ効果になる。浮遊酔いするけど、仕方ない。
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、さらに纏うことを求む」
後ろから響いてくる詠唱は、【飛翔】だ。
先生、追いかけてくるつもりか?
「飛べよ、翼在るがごとくに、雲得た如くに 【飛翔】」
発動した風の魔術は、空中の水たちに掛けられた。水の追尾弾だ。
口と鼻を塞がれたら死ぬ。
「おっかねぇなあ!」
「何が怖いかって、これで攻撃魔術は一切使ってないってことですよね」
基礎中の基礎の水魔術と、高度な移動魔術を組み合わせているだけだ。
ひょっとしてオニクス先生って、実戦経験が豊富なひとか? なんでそんなひとが学院の教員やってんの?
興味がわくなあ。
このオニクス先生は、キャラブックで経歴不明だった。他のキャラクターは趣味から家族構成、果ては卵の茹で方の好みまで書いてあったのに。
しかも冒険に連れていけないから、ステータスウィンドも開けない。ステータス見せろ。
「我は水の恩恵に感謝するがゆえに」
肌で感じる魔力量が桁外れだった。
津波の前みたいに、空間の粒子が運動を減少させる。
まずい。
絶対にマズイんだけど、逃げ道は一本きりだ。
「さらなる水の加護を希う 【水】」
目の前に、圧倒的な水量が生まれた。
プールいっぱいくらいある。しかも重力の軛から外された水。
後ろからは水が迫ってくる。
この目の前の水、無重力状態を解除できないかな。自分が解除しているときと、同じ感じで………
ばしゃんっと、水に取り込まれた。
無理だった。
いや。
わたしの身体に内在している魔力が、水と呼応する。ああ、そうか。これはキスしてる状態と同じ。体内の魔力が使える。
水に口づけをする。
お姫様の眠りを醒ますように、王子様のカエルの姿から解放するように、他者の魔術を、わたしの魔力で打ち消す。
解除を。
途端、水がすべて地面の窪に落ちた。大量の水が、溢れて、溜まり、水面を作る。
群晶の世界に波紋が広がる。
そして亀裂も。
そっか、水ってけっこう、重いよね。
「ッ! 早く飛べ」
先生から怒声が飛ぶ。分かってるけど、ロックさんを助けなきゃ。ああ、けっこう離れたところに浮かんでる。
ロックさんの腰ベルトを掴んだ瞬間、水底の亀裂が深くなった。
崩壊は一気にくる。
だけど、【浮遊】は間に合った。
足元の奈落へと、大量の水が流れていく。
「上!」
オニクス先生の裂帛で、視線を上げる。
巨大な結晶の柱が、わたしの方へと傾いてきた。そりゃ土台に亀裂が入れば、壁も崩壊する。当然だ。
どこへ逃げるべきだ?
一瞬の迷い。
わたしの身体を、オニクス先生が抱え込んだ。
潰そうとする結晶の柱から逃げるため、下へと沈む。水と一緒に落ちてくる大量の結晶。
「最悪だ!」
オニクス先生の罵声が響く。
「教員試験なんか受けるんじゃなかったァアアッ!」
これきっと、心の底からの本音だな。
やけに冷静な気分で、わたしたちは奈落へと落ちていった。