第十九話(中編) 夢魔の女王は斯く語りき
「待っててね。これも仕事なのよ。わたしの予知ってこういう状態でしか使えないの」
『夢魔の女王』はコントローラーを操作する。
うるせぇ、おまえの台詞はスキップだ!
わたしは突貫した。
きざはしを蹄で駆け上がり、角を向ける。
「きゃふんっ?」
弾かれた。
ふわっと柔らかいものに弾かれた。
「この【胡蝶】のヴェールは、絶対防御するのよ。絶対防御が発動中は、わたしからも攻撃はできないし動けないけど」
『夢魔の女王』は語りながら、コントローラーのボタンを押していく。
機械的なBGMと、人工的な光の明滅。しばらくして画面から縁起の悪い音が鳴り響いた。画面を見ていなくても分かる。あれはゲームオーバーの音だ。
余韻が消えた後、彼女はコントローラーを無造作に置いた。
「お待たせしたわ。あなたたちの相手をしましょうか」
彼女が立ち上がると同時に、ヴェールから蝶たちが舞い上がる。
いや、蝶がヴェールだったんだ。
幾千万の胡蝶が空間を飛び交い、『夢魔の女王』の容貌が露わになった。
長い髪が鉱石のように輝き、すらりとした肢体を添うように垂れ流れていく。プリーツだけで構成されたドレスが、真珠めいて艶めき、裾は波打つように揺れた。
そして、その顔。
銀のサークレットが似合う整った顔立ち。
『夢魔の女王』は、紛れもなくわたしだった。
ミヌレは四年生になってからやっと成長期が訪れ、ヴィジュアルが一気に大人びる。これは、その時の姿だ。
いつか訪れる未来の姿。
わたしの背後で息を飲むクワルツさん。
「クワルツくんは、この状況、把握しているかしら?」
『夢魔の女王』が優雅に嘯く。
声色も挙措もすべて女神の優雅さだから、やっぱりこれはわたしじゃないんじゃないか?
「はじめまして。わたしは『夢魔の女王』。この永久回廊を統べる前は、『ミヌレ』と呼ばれていたわ」
やっぱりわたしか。
一秒で希望を砕きやがった。
「未来のミヌレくんだな……」
女王は頷く。
だけど、これは、いつのわたしだ?
「悪いけどそれは答えられないわ」
『夢魔の女王』はわたしを見据え、優しく告げる。
わたしが考えていることを読み取ったのか、それともいま何を考えているのか覚えていたのか。
「未来を知れば、因果律が狂うもの」
つまりわたしが因果律の中に戻ることが、確定しているのか。
未来にわたしが夢魔の女王と化する。
パターン1 数年後 わたしが四年生になってから
パターン2 十数年後 ゲームの予知限界を越したあたり
パターン3 数百年後 魔術で長生きした果て
仮説としてはこのくらいかな。
どのパターンか知らんけど、女王化するのはたぶんわたしが死んだ後だ。
だって永久回廊って、『クリア後ダンジョン』なんだよね。つまりわたしが人生クリアして、エンディング後に辿り着ける場所。だから死後。
とはいえ、いつ死ぬんだ、わたしは。
「パターン0 あなたがわたしを殺すことで、あなたがわたしになる」
彼女の囁きに、背筋が凍る。
その仮説が正しければ、この女王を殺した途端に、わたしはこの永久回廊に囚われてしまうってことだ。
「どうする? それでもわたしと戦う?」
「その場合でも、あなたの心臓である角をクワルツさんに渡せば、呪符の素材は手に入ります。先生を先生のまま助ける手段があるのに、おめおめ引き下がるわけにはいきません」
わたしは答える。
一角獣の嘶きに、『夢魔の女王』は微笑みを返した。
「あなたが帰れないのに、助けるの?」
「わたしは先生に助けて頂きました。その恩義に報いるためにここにいます。帰れる帰れないの問題じゃない!」
先生に自由を。
一点の曇りもない自由を。
「……そう、なら」
『夢魔の女王』のサークレットが繙かれる。
淡い光を纏いながら、サークレットが錫杖へと姿を変える。三日月めいた装飾に、環がいくつも連なっており、そのひとつひとつに影を殺すほど澄んだ光を宿している。
「全力でいかせてもらうわよ、ミヌレ」
錫杖は掲げられ、高らかに環が鳴った。
クワルツさんが飛び出して攻撃をしかけるが、舞う胡蝶たちが攻撃を弾く。ひとひらひとひらは爪ひとつ牙ひとつで霧散するが、なにせ蝶々は幾千と舞い飛いんでいる。
「我は無窮の混沌 汝は循環の秩序 つがいて永遠に座するもの」
初手から即死蘇生術?
予知で視たみたいに、小手調べの闇魔術は無しか。
わたしとクワルツさんじゃ、闇魔術は通用しないもんな。
「汝は聖俗に等しく恵み、正邪に等しく報いる」
女王の呪文に従って、玉座の後ろの壁に漆黒の輪が浮かび上がる。
瀝青のように蠢き、鋳鉄のように艶めいた。
巨大な蛇だ。
蛇は頭上に緩慢と舞い上がり、己の尾を咬み円環となる。
「流転せよ! 循環せよ! 却来せよ! 幽明は境を異にすることなく、断末魔と産声を繰り返し……」
【胡蝶】の羽ばたきが、わたしの行く手を阻む。
圧倒的な面的質量だ。
線の動きである蜘蛛の糸と違って、一角獣の俊敏さが通用しない。
鱗粉は視界をずらし、羽ばたきが聴覚を狂わせる。ひとひら、またひとひら、四肢に絡みついて幻惑してくる胡蝶たち。
「いざ輪廻せよ! 【尾咬蛇】」
『夢魔の女王』の呪文の末尾が結ばれる。
漆黒の円環が、窮極の間に満ちた。
「クッ……」
クワルツさんが立ち上がる。
彼に装備させていた【断末消滅】の護符が、【尾咬蛇】の効果を打ち消したのだ。
死んだ刹那を消滅させる時魔術。
蝶たちが涸れていく空間に、クワルツさんが駆ける。
錫杖を構える夢魔の女王。
彼女の攻撃より早く、わたしの角が彼女の背中を貫いた。一角獣の白い毛並みに、女王の血が垂れる。
手ごたえがあった!
この暖かい抵抗感へ、一歩深く、踏み出す。
蹄で床を蹴り、角で深く貫く。
【尾咬蛇】は初見殺しだけど、知っていれば対策は簡単だ。
発動の瞬間、わたしは舌を噛み切って自殺したのだ。
生者は即死し、死者は蘇生される。
なら最初から死ねばいいよね!
「啼け、我は獣」
『夢魔の女王』が唇を開き、血と呪文を垂らした。
わたしは女王の心臓を穿てなかったのか。
なんの呪文だ?
最後まで聞きたいけど、誘惑を振り払って角で抉る。
「あまつちわだつみ統べる獣」
血を吐きながら、詠唱を続ける。
なんて根性だ。
角を抜いてもう一撃……
ぬ、抜けない!
筋肉に締め付けられて角が抜けない。いや、これ、筋肉じゃない。体内の魔力で拘束されている。蹄で蹴ってもびくともしない。
「角を宿して、魂清め 尾を靡かせ、星泳ぎ」
クワルツさんの回し蹴りが、女王の腹を蹴飛ばす。
角が抜けた。
だがそれでも女王の詠唱は続く。
先に喉を抉っておくべきだったか!
「汝を殺し愛すもの 【磨羯神化】!」
呪文も末尾が結ばれて、女王の輪郭が繙かれる。
変貌する『夢魔の女王』。
きざはしの頂きに佇むのは、怪物。
上半身は変わらない。美しくうら若い女性の姿のまま。
だけど臍から下は獣だ。山羊の下肢になっている。
ケンタウロス状態かと思ったけど、山羊の腹から下はさらに変じて、人魚になっていた。うろこのない魚体は、イルカに似ている。
美女と山羊とイルカの化け物。
神話の怪物の如き、異形の美だった。
「変身するのかよ!」
「どうしてボスが二段階変身しないと思ったの?」
正論言われたァ!
はい、そうですね!
ボスは変身するのがセオリーですね!
おまけにわたしが加えた一撃まで、回復してやがる。
変身してHP全快かよ。
『夢魔の女王』は錫杖を構えなおし、ほんとうに幸せそうに微笑んだ。
「さて、これでわたしは呪文詠唱可能かつ、身体能力が爆上がりしたわけだけど、何か対策は練ってきた?」
練ってきてません。
ゲームだったら、装備とかスキルとかアビリティとか見直して出直す状況だよな。
だけど現実はリトライ無しだ。
「ミヌレ。予知の影響で、思考の詰めが甘いの。あなたの敗因はそれ」
「まだ負けていません!」
叫んだ瞬間、後ろから、わたしの首が掴まれた。
「……えっ?」
わたしの頸動脈を触れているのは、クワルツさんだった。
捉えられているのは、頸動脈じゃない。さらにその奥の魔力経絡だ。
瞬間的に経絡を締められ、わたしの意識と思考は闇に沈んだ。




