第十九話(前編) 夢魔の女王は斯く語りき
永久回廊。
冠する名に背かず、白亜の回廊が永遠に続いていた。
途切れなく終わりなく果てなく、ひたすら白亜が続く。
回廊には影絵の蜻蛉が飛び、金属のカエルが鳴き、真珠鱗の小魚たちが水音を奏でていた。鉤爪だけの猛禽が、存在してない翼を羽ばたかせている。銀線細工めいた蜜蜂が、時折わたしたちの視界を横切った。
「作り物にしては……生命力があるな」
「時間のない世界の生き物は、金属的だったり鉱石的だったりするんでしょうかね」
この子たちは穏やかに生息しているだけ。
わたしたちが近づいてくると、カエルは水滴となって霧散し、小魚はタイル張りの床に波紋を描いて沈み、影絵の蜻蛉は壁に吸い込まれるように掻き消える。
「回廊をもっと進むと、地球には存在しない魔獣たちとエンカウントします。一番危険なのは、四つ目の蠍ですね。まず滅多に出現しないんですが、攻撃を喰らった瞬間にゲームオーバーです」
「ゲームオーバー? つまりどうなる?」
「さあ?」
予知が乙女ゲー風味だからゲームオーバーだったけど、実際はどうなるんだ。死ぬのか。
回廊を進む。
静かだ。
波紋も影も鳴き声も羽音も、いつの間にか回廊から消え去っていた。
ギャギャャアアア……
突然、金属質の鳴き声が、鼓膜を劈いた。
漆黒のワタリガラス『幻と乱舞する影』。
永久回廊にしか存在しない闇の魔獣だ。
「ワタリガラスは幻です! 本体は壁や床にある影……」
言うが否や、クワルツさんが瞬時に跳び、ワタリガラスの影を蹴り飛ばす。クリティカルヒットで闇色の翼が散って、消滅した。
金属の断末魔が迸る。
「まだまだ来ますよ!」
「ハッハッハ! 吾輩の活躍が多くて愉快だな」
ワタリガラスの断末魔は前奏曲だ。
卵孕む蜥蜴『悪夢を抱卵する爬虫』が蠢き、機械仕掛けの百足『堕ちたる星蟲』が這いずり、艶めく黒蝶貝『溺れる貝殻』が舞い飛び、侵入者を迎え撃つ。
「あの蜥蜴が産む卵は、闇魔術【恐怖】と【睡眠】がランダムで……」
「せいっ!」
「百足は間合いを取ると飛礫を放って……」
「とぉっ!」
動きが、説明するより早い!
すべて一瞬でクワルツさんが撃破する。
さすが全キャラ最速!
「ハッハッハッ! 敗れることなき疾風の牙とは吾輩のこと!」
心強いな~
わたしは後ろでドロップアイテムを採取~
「不死鳥の羽根!」
いわずもがな伝説の不死鳥フェニックスの羽根!
死を克服する魔術に使用するのだ。
朱金に輝く羽根を振れば、ちらちらと火の粉みたいな光の粒が散る。
「マンティコアの毒針!」
魔獣マンティコアの尻尾の毒針だよ!
砂漠の古代王朝と一緒に滅んだ幻獣だ。
「植物の幽霊!」
どっから見ても枯れた薔薇にしか見えないけど、植物の星幽体結晶だよ!
クワルツさんが敵を倒すたびにドロップしまくる超絶レア素材たち。
うへへ。
レア素材がざっくざくだよ。
たまにわたしの方にも魔獣たちがやってくるけど、最強装備のオリハルコンドレスで滑って攻撃が届かないのである。暢気に採取できるぞ。
足元にも何か光ってる。
宝石かな?
拾おうとした瞬間、わたしは硬直した。
四つの眼球を持つ蠍『魂を毀すもの』。
指輪ほどに小さな蠍こそ、永久回廊最強の魔獣だ。
なんといっても攻撃を受けた瞬間、強制的にゲームオーバーになるからな!
予知ならゲームオーバー。
なら、現実では、攻撃されたらどうなる?
知りたい。
目の前のすべてを投げうつ好奇心が、わたしから正常な思考を奪っていた。
四つの眼が、わたしを映す。
「ミヌレくんっ!」
まさに黒い疾風だった。
クワルツさんがわたしを引っ張り、『魂を毀すもの』を蹴り飛ばす。
あまりにも小さくて素早い『魂を毀すもの』は、目で追えない。だけどクワルツさんは攻撃を躱して、的確に追い詰めていった。よくあんな小さくてすばしっこいの、目で追えるな。
ああ、クワルツさんの予知か。
彼の視力は、先読みを持っている。
ついに『魂を毀すもの』を踏みつぶして、仕留めた!
アイテムドロップする。
「夢解きのアマンディヌス石!」
「ミヌレくん」
「邪眼のアンティファティス石!」
「ミヌレくん」
「狂気癒すアントセロマヌス石!」
「そろそろ先に進まないか?」
「悪霊招くアナキティドゥス石ぃい!」
「ミヌレくん。この神殿は来た道を戻れば、目的地にたどり着けるのだろう」
「ふへっ? 何故ご存じなのです!」
回廊を戻れば、永久回廊の終点、窮極の間に辿り着く。
それがこのダンジョンのシステム。
ゲーム中に気づくまで、ずっとぐるぐるぐるぐる先に進んでいたんだよ。うっかり戻ってボスの間に到着して、即時全滅した記憶がある。記憶じゃない、予知。
「壁に書いてある」
クワルツさんが指さしたのは、白亜の壁。
何もないと思っていたけど、壁に触れると、細かな凹凸があった。
「なにか、刻まれてる……」
芥子粒より小さくて複雑な模様が、みっしりと綴られていた。
これ、エメラルド牌に刻まれていた神聖文字だ。
同じ文字のかたちが二度と出てこない未解読の文字だ。エメラルド牌を見ていなければ、模様だって認識していたかもしれない。
帯模様の下に、音楽記号みたいな文字があった。
ラピス・ラジュリさんのミュージックディスクの歌詞だ。
さらに帯模様の下、足元近くに、また違う形態の文字が刻まれていた。
三種類の文字が刻まれている。
「原始エノク文字だ」
クワルツさんが呟いた。
「読めるんですか?」
「神学校を卒業した人間なら、だいたい読める。古代文明紀の聖書はこの文字で書かれているから、必須科目でな。ざっくり眺めていたが、たぶんこれは『来た道を戻ると目的地に着ける』って意味ではないか?」
「その通りです……」
「では戻らねば」
「ぅうーん……ちょっと待ってください。ボス戦用の護符を作りますから。この不死鳥の羽根からは、即死キャンセルが作れるんですよ」
朱金の羽根を振り、わたしは護符を制作した。
護符を作る音だけが、永久回廊に響く。
わたしたちが黙っているせいか、動かないせいか、おとなしい生き物たちが微かに鳴き始めていた。
蜜蜂が飛ぶ羽根音、小魚が跳ねる水音。
「ボスはわたし一人で戦いますから、クワルツさんはこの素材を持ってさきに帰還して頂けますか?」
「何故?」
「クワルツさん。恋と殺しはしないでしょう。わたしが求めているのは、ボスの心臓ですからね」
手元だけ見ながら喋る。
護符を作ってる最中ってのもあるけど、クワルツさんの目を真っすぐ見れない。
「ここまで来てきびすを返す吾輩だと思うか? きみを一人で行かせるほど薄情ではないつもりだが」
それは怪盗の声というより、大人のひとの声だった。
あんまりにも落ち着き払っているから、わたしが我儘ぬかす子供みたいな気分になる。
「本音はボスのところに行きたくないのだろう? そんな場所に独り立ち向かうのを、吾輩にただ見守れと言うのか?」
「行きたくないなんて、そんなことないです」
否定するわたしの声が、やけに震えていた。
「ミヌレくん。きみはあの教師を助けるためにここまでやってきた。なのにひどく足踏みしている」
「周回していたのは、貴重なアイテムが手に入るからです」
わたしの発言に対して、クワルツさんは黒仮面を外した。
怪盗の姿で、仮面を外した?
思わず顔を上げてしまう。
色素の欠いた裸眼が、わたしを映していた。
物理的には虚弱で、魔術的には強大な水晶体。
「本当にそれだけか?」
行きたくないわけじゃない。
進みたい。
だけど恐ろしいものが待っている。
「わたしはあそこに何が待っているか、知っています。取り乱してしまうかもしれません。そんな姿、他人に見られたくない」
「見ない」
返答は即座だった。
「きみの都合の悪いことなど、この瞳に映さない。だからお供させてくれ」
この先にあるものを目の当たりにして、わたしは取り乱してしまうかもしれない。でもクワルツさんがいれば、虚勢くらい張れるだろう。
わたしは頷く。
「そのボスと、ゲーム……じゃなくて、予知で100回以上は戦ったことがあるんですが、まず【胡蝶】っていう、物理攻撃を躱しやすくする弾幕みたいな魔術が張られています。その蝶々を粉砕していると【恐怖】【睡眠】【混乱】などの闇魔術を連発してきます」
なので魔術耐性があるクワルツさんじゃないと、味方が即お荷物になる。
彼だけが唯一、女王の闇魔術に屈しない。
高度な護符でがっちがちに固めれば、エグマリヌ嬢も戦えるけどさ。
「弱点は物理攻撃。【胡蝶】さえ粉砕すれば、物理防御は貧弱です、ただしミスが発生しやすい……躱されやすいですね。まずクワルツさんが蝶の弾幕を粉砕してください。女王の武器は錫杖で、多少は物理攻撃できますがクワルツさんなら耐え切れます」
錫杖から繰り出される物理攻撃が、そこそこ強い。
「クワルツさんはこの護符を装備してください」
わたしは作ったばかりの護符を差し出す。
【断末消滅】の護符だ。
螺旋貝の化石の破片に、不死鳥の羽根の粉。
レアアイテムを消費するのに、30%の確率で破損します。
「これは『夢魔の女王』の最強呪文を無効にできます。その隙にわたしが、刺します」
ここのボスって問答無用の即死蘇生してくる。
窮極の間にいる生きた人間を即死させ、死んだ人間を蘇生させる魔術。
時魔術【尾咬蛇】
螺旋貝の化石の破片がひとつきりしかないから、当然、護符のひとつきり。
これはクワルツさんが持っていればいい。
「夢魔の女王は、窮極の間の大階段のてっぺんの玉座にいます。台詞がありますが、無視して突貫しましょう」
台詞は物理でスキップだ!
「口上を無視するだと? それは人として如何なものだ?」
「先生を助けるためなら、悪魔にでもなりますよ。さ、行きますよ、永久回廊の窮極の間」
わたしたちは二匹の獣になって、窮極の間へと足を踏み入れた。
白亜の謁見室。
きざはしの最上段には玉座がひとつ。
真珠と月長石を蕩けさせたような玉座だけと……主が不在だった。
……空っぽ?
ボスが、いない?
「ふへっ?」
えっ、えっ、なんでいないの?
ゲームだったら、あの玉座にボスである『夢魔の女王』が腰を下ろしているのに。
「だれ? 蕎麦の出前は頼んでないけど」
玉座の陰から暢気な声が聞こえる。
蹄を進めてみれば、玉座の裏側で誰か胡坐をかいていた。頭からすっぽりと被っている蝶々柄のヴェールは、全身を覆うほど長く、彼女の輪郭しか見えないほど濃い。
その奥には、ばかでかいディスプレイと、ゲーム機。
白い窮極の間に、やたらカラフルな画面が目立つ。
なんでゲームやってんだよ!




