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第十八話(後編) 時間障壁


 漆黒の空間、金銀真砂の星々。

 ラーヴさまの力によって、わたしたちは宇宙を翔けていた。翔けているだけじゃない。人体に有害なエーテルからも、膜状の魔法によって守られている。

 宇宙へ採取に行けるなんて、すごい。

 宇宙って闇と星だけだって思っていたけど、オーロラが揺れてるし、銀や蒼の星たちが瞬いている。

 球体型に光が遮られているところは、仮想惑星だろう。物理的には存在しておらず、霊視でしか観測できない魔法の惑星だ。

「大陸って、竜のかたちをしているのだな」

 クワルツさんは腕組みしながら、地球を眺めている。

 両翼を大きく広げて伏す竜の姿だ。

 全世界地図で見る姿より、もっとはっきりと竜の形をしている。

 翼は大陸、背骨が山脈。とぐろまいた尾の内側には砂漠。ラーヴさまの上であらゆる生命が産声を上げて、生きて生きて生きて、死ぬのか。

「あれが起きれば、人類が亡ぶ。世界が気まぐれの上に成り立っていたとはな」

「クワルツさんほどの魔力だったら、賢者連盟に入れるんじゃないですか? 月にいれば大陸崩壊しても安心ですよ」

 ちょうど月を横切った。

 水の無い海と、風の無い陸。象牙の塔は裏側にあったらしく、残念ながら拝めなかったな。

「月には象牙の塔しかない。予告状を一度しか出せんし、木を植えても育たんではないか。つまらんな」

 クワルツさんにとってはそういう問題なのか。

 でもそういうことを問題にしているからこそ、わたしといっしょに宇宙を飛んでいるのだ。彼にとって重んじるべきは、己の怪盗倫理と犯罪哲学だけなのだ。あと農業貢献。

 不思議な音楽が聞こえてくる。

 讃美歌をハープで奏でているようなメロディが、宇宙の隅々まで優しく満たしていた。どこまで翔けても、ささやくように鳴り響いていた。

「これは誰が鳴らしているのだ? 天使か?」

「天球音楽です。惑星の球層が動くことによって、竪琴をかき鳴らすような音が宇宙に響くんです。地球上だと聞こえない音楽なんですよ」

 星智学で習った。

 地球上では聞けないけど、わたしの魔法空間にサントラはある。

 でも生演奏の方が、ずっと身体に響く。音を聞くっていうより、音に包み込まれているみたい。

「ひとは死ぬと肉体や星幽体が分解されて地球に還り、『高位の構成要素』が生まれ変わるため天に旅立ちます。その時にこの音楽を聴くそうですよ」

「そうか。なら死ぬのも案外、悪くはなさそうだな」

 クワルツさんが独り言ちる。

 沈黙の中、宇宙が奏でる天球音楽。

「歌ってもいいか?」

「是非!」

 クワルツさんが、天球音楽に合わせて讃美歌を歌う。


 天使が歌う

 星の数ほど

 天使が謳う

 こころとからだ滅びたあとも

 ひとのいのちは永遠だと


 天のいただき行き着くならば

 神はあなたのものになるだろう

 あなたは神のものではなく

 神があなたのものだと知るだろう



 う、上手い…

 喉のどこから出てんだ、この高音と声量。

 喉仏のある男のひとの歌声にしては、高音域だ。カウンターテナーだったんだ。

 ラピス・ラジュリさんの情感の籠ったソプラノとは違う。規律正しく透明感のある歌声だ。水晶で調律された時計のように、狂いのない音律。

 これ無課金で聞いたらダメだろ!

「素晴らしいです! クワルツさんの体内に大聖堂があるみたいに、荘厳な響きと確かな音律! まさに水晶の歌声! 課金させてください!」

「ハッハッハッ、これでも子供の頃は聖歌隊に入っていたからな!」

 伸びやかな歌声が続く。

 いっしょにこの宇宙を旅してくれてよかった。独りだったら、あれこれと気を揉んでいたに違いない。考えても仕方ないことを考えるのは思考負荷だ。クワルツさんがいると気が紛れる。

 赤錆色の火星を通りすぎ、茶褐色の木星が近づいてくる。


「誰かいるぞ」

 クワルツさんが硬質な呟いを吐いた。

 

 カマユー猊下だ。

 深く暗い色合いのローブが、宇宙と溶け合って輪郭を無くしていた。刺繍された壁面四分儀座や測程索座や日時計座たちが、エーテルにそよがされて揺らぐ。


 そういえばこのひと、木星に肉体を下ろしているんだったな。

 わたしが来ることが観測したんかな?

「『夢魔の女王』。それと『未来視の狼』か」

 濃淡のきつい眼差しでわたしたちを見据えた。

「遠路はるばる土星まで物見遊山、といった雰囲気ではないな」

「猊下。わたしは必ず帰ってきます」

「オニクスのためか?」

 肯定しなかったが、カマユー猊下はわたしの顔色を読んだらしい。

「【制約】がある以上、すぐ助けを求めると思ったが、なしのつぶてだ。オニクスの枷を壊すために、何かを成し遂げにいくんだな」

「先生の【制約】を解いてくだされば、おとなしく致します」

「解ける術じゃない。あれは不可逆性の獣属性に近い術式だ。肉体を変形させるように、精神の一部を合意の上で組み替えている。強めることや足すことは出来るけど、弱めたり減らしたりすれば……【精神破壊】と同じ現象が起きる」

「では、わたしはこの先に進みます」


 わたしは障壁の先に進む。

 先生の時間を巻き戻すために。

 大賢者たるカマユー猊下と敵対したって、突き進んでやる!


 眼に力を込めたけど、カマユー猊下は表情を緩めた。

 濃淡の瞳が、等しく翳る。

「ぼくがどうしてこんな子供のナリをしているか、知っているか?」

「ご趣味ですか?」

「だったら良かったんだけどね。時間障壁に触れたせいだ。時間流に溺れかけてこのザマだよ」

 六歳児の顔立ちに、年老いた自嘲を浮かべる。

「そう、ちょうど五十年前、ぼくは時間障壁までやってきた。触れた瞬間、過去と未来の記憶が入り込んで、自分がどの時間に存在しているか見失って……ぼくの時間軸が歪んでしまった」

「それはなんのデメリットがあるのだ?」

 クワルツさんが疑問を発した。

 たしかに気になる点だけど、率直だな。

「研究中だ。なにしろ事例がぼく一人だけだからな。一応、魂が転生できなくなると仮説が立っている。検証はぼくの死後だ。観測できなくて口惜しいよ」

 強がりでなく、本気で言っている。

 魂の完全消滅より、貴重なサンプルを追跡研究できない方が苦痛みたいだ。

 自分が死ぬより、新刊読めない方がつらいオタクかよ。

 ま、魔術師なんて学問オタクですな。

「未来視の狼。あんたは賢者連盟に入る気はないのか?」

「犯罪者を勧誘するのか?」

 クワルツさんって犯罪者って自覚あったのか。

「あんたの行いは罪じゃないよ。少なくとも賢者連盟からすればね」

「盗みは罪にならんと?」

「十年前まで奴隷制だった王国の人間が、倫理を語るか?」

 カマユー猊下の痛烈な皮肉に、わたしの心臓が縮こまった。

 空中庭園がある飛地では、鉱山奴隷が働いていた。 

 そして飛地はエクラン王国の領地だ。

 なら、エクラン王国は、奴隷制だったのだ。

「窃盗の定義とはなんだ? 奴隷主から奴隷を盗むのは窃盗か? 奴隷にされた我が子を取り返したら窃盗か? オニクスが参内して奴隷制を撤廃させるまで、エクラン王国は罪人を奴隷として使い潰し続けていたが、賢者連盟がそれに介入したか? 奴隷制も窃盗も姦通も、世俗の罪。月の賢者が関心を抱くことは無い」

「オニクス先生が奴隷制を廃止させたんですか?」

 わたしの問いに、カマユー猊下の濃淡の瞳がきょとんと丸くなった。一瞬だけほんとの六歳児になったみたいだ。

「知らなかったのか? 奴隷制の完全撤廃。それを強行したのも、宮中で嫌悪されていた理由のひとつだがな。とはいえ、あいつが善行したわけじゃない」

「奴隷制で甘い汁吸ってる虫を叩きのめして、溜飲が下げただけですね」

「よく理解している」

 カマユー猊下は幼い顔立ちに、かび臭い笑みを浮かべた。


 善行ではない。偽善でさえない。

 オニクス先生は誰かを救うためでなく、殴る相手を求めただけだろう。

 だが心の持ちようがどうだと言うのだ。

 闇の教団で行った人体実験に、情状酌量の余地などない。それに等しく、奴隷制撤廃の功績を損なってはいけない。


「『夢魔の女王』、これを持っていくといい」 

 カマユー猊下は何か小さなものを投げてきた。

 螺旋貝の化石の破片だ。

 これはわたしがフォシルくんに貰った石じゃないか。寮室の引き出しにしまってあったはずなのに。

「どうして……」

「木星と月は、古代魔術の絨毯で多重層空間を作っている。届けてもらった」

 絨毯の魔術か。

 持ってきた方法を聞いたんじゃなくて、なんで勝手にわたしの私物持ってんだって疑問だったのだが。わたしの私物、賢者連盟に差し押さえくらってんのかなあ。

「時間が無くなる領域に、化石は羅針盤となる。けして離すな。自分がどこの時間から来たのか忘れてしまえば、時間流に溺れる。完全に溺れてしまえば、星幽体が宇宙に還るぞ」

「では行くことを許してくださるんですか?」

 カマユー猊下は鼻で嗤う。

「オニクスのことは赦さない。憎悪も変わらない。だが『夢魔の女王』、あんたを足止めしてもきっと無駄な気がしたからね。ならお守りを渡した方がよっぽどマシだよ」

 わたしはカマユー猊下に深く一礼した。

 さらに先へ進む。

 化石を握りしめ、幾千億万の星の合間を翔ける。

 ついに土星が見えてきた。

 キャラメルやショコラみたいな色が入り交ざった惑星で、飴細工めいた環を纏っている。七惑星のうち最も外側に位置し、死を抱擁する求心力を宿す惑星だ。

 土星を越えれば、時間障壁だ。

 

「行きますよ」


 わたしは右手でクワルツさんの手を握り、左手で不可視の壁に触れる。

 ラーヴさまが与えてくださった魔法が、時間障壁を波紋させる。揺らぎ、震え、さざ波だつ障壁。

 障壁に厚薄が生じる。

 シャボン玉の虹色を思わせる色合いが、宇宙に波及していった。

 狙うは、もっとも薄くなる箇所。

 虹色が移ろい、艶めき、色が淡くなる。その薄くなった一点に、わたしたちは飛び込んだ。  


 極彩の万華鏡が広がる。

 

 刹那ごとに移り変わる鮮やかさ。

 これはわたしの過去と現在と未来が、五感に広がっているんだ。音も彩も象もひとつに混ざり合って、ぐるぐると聴覚や刺激する。


 ――でも嬢ちゃん。おれがここに残ったら、最高にかっこいいじゃん? ――


 砂嵐めいた雑音と共に、脳に過るロックさんの笑みと声。

 知っている記憶どころか、知らない記憶でさえ、わたしの脳に押し流されてくる。


 ――ミヌレ、おまえが文字を覚えたい? だからおまえは馬鹿なんだ、覚えられっこないのに、そんなことを――


 ――ミヌレ一年生、エランを助けてくれてありがとう…――


 ――あなたがオニクス教員を、下劣で愚かな男にしたのよ――


 ――おじょうちゃん……あんたは闇に抱かれたね。もうこの婆では占えんよ……――


 ――ミヌレちゃんの髪ってブリリアントね。見繕い甲斐があるわ――


 ――自分がどこの時間から来たのか忘れてしまえば、時間流に溺れて、星幽体が四散するぞ――


 弛むな、狂うな、溺れるな!

 己の時間軸を調律しろ。

 現在は聖暦1617年凍雨月だ。場所は時間障壁だ。オニクス先生のためにここまで来た。自分の存在すべき時空間を見失ってしまったら、時間流に溺れる。

 本能的に手の中にある、螺旋貝の化石の破片を握りしめる。

 過去の積み重ねが形になったもの。

 何億年もの時間が圧縮された石を指針にして、わたしは時間軸を調律する。

 

 意識がはっきりした瞬間、現在の感覚だけがわたしを包む。

 クワルツさんはどうなった?

 手の繋がった先には、クワルツさんがいた。だけど色彩と輪郭がぶれている。

 まるで影絵芝居が幾重にもなっているみたいだ。幼い姿、今よりもっと成長した姿、年を取った姿。色んな年齢のクワルツさんが重なりながら、ぼやけて、透けている。

 時間に溺れかけているんだ。

「大丈夫ですか、クワルツさんっ!」

 わたしの裂帛で、クワルツさんからにじみが消えた。

 水晶の瞳が開かれる。

「……ぁ…う、ああ。多重予知みたいな感覚だな」

「分かりますか、今は何年?」

「……聖暦1617年の凍雨月」

 よし。

 時間障壁を突破した。

 極彩の万華鏡から抜け出した途端、わたしたちは落下する。

 落下?

 宇宙の外へと落ちていってる!

 悲鳴が自分にさえ届かない速度で、発見されていない惑星たちの間を通り抜け、落ちて、落ちて、暗闇に吸い込まれるようにどこまでも落ちていく。

 もはや天球音楽も聞こえない。

 静寂と停滞の闇。

 星の光さえ届かなくなってきた頃、白い光の粒子がひとつ見えてきた。 


「……ミヌレくん、あれが目的地だな」 


 時間が届かない領域に、白亜の神殿が建っていた。

 荘厳で清楚な神殿だ。

 大理石の円柱に取り囲まれており、壁はモザイクタイルで彩っている。すべて白のタイルだ。虹色光沢の柔らかな真珠貝、しっとりとした半透明の雪花石膏、冷やかな陶磁、煙りながら硬く透ける石英、それから白珊瑚、白御影……

 白以外は存在しないのに、無数の白さが存在する。

 零であり無限の象徴だ。


「ええ、あれこそ永久回廊」


 『夢魔の女王』が統べる、時間さえも果て絶えた領域。

 


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