第十七話(中編) 邪竜、目覚める
我が師、ラーヴ?
この竜が、先生の師匠?
「人間じゃなかったのかよ……」
呻きが漏れる。
そりゃ、オンブルさんに名簿を探してもらっても見つからないはずですよ。
「私がどうして人間なぞに師事せねばならん?」
「ごもっともです」
全人類にケンカ売るなよ。
大地が蠢動した。
≪何を申す、我が弟子よ。人類は素晴らしい、まこと素晴らしいぞ≫
からからと笑い、眼球を泡立てるラーヴさま。
まるで溶岩が噴火する寸前の光景だった。
恐怖と敬意が、矛盾なくわたしの胸を満たす。
≪人類はまこと眺めるに足る存在よ! 天馬ペガサスや鷲獅子グリフォンは風の魔法で天を翔け、人魚は水の魔法で深海を統べる。火蜥蜴が炎を吹くは、火の魔法。石眼牛がその眼で敵を石と化させるは、土の魔法。だが人は魔法を、剪定し去勢したのだ。魔法の矮小化! どの種族も成し遂げなかった偉業である。なんとまあ愉快なことを成したのだ! 愉快でならぬ! 魔術とは!≫
ラーヴさまがからからと笑うたびに、地震が起きた。遠くの方で、間欠泉がめっちゃ高く噴いてるし。
震度3かな。
先生は伏したまま、手足が崩れ、倒れる。
「オニクス先生っ?」
【制約】の文様だ。先生を締め付けるように文様が広がっていき、眼球にまで黒い戒めを蔓延らせていく。
≪闇魔術【制約】だのう。今はまだよいが、夜が更ければなお苦しむことになるぞ≫
「ラーヴさま。どうかオニクス先生を助ける方法をお教え下さい」
≪【制約】の術者の元に帰ればよかろうに≫
「先生はそこから逃げてきたんです」
≪逃げた? 逃げたとな? 賢者と名乗るものたちから、こやつめは逃げてきおったのか?≫
「はい。先生は自由を望まれました」
今も鼓膜に残る先生の嘆願。
――私に、自由を――
≪異な事よ、まこと異な事よ。こやつは贖罪を選んだ。償いなどできぬと知りつつ、茨の道へと足を踏み入れたのだ。なにを思うて、翻意したのか。まあ、よい≫
溶岩色の輝きが増す。
あたりの雪が朱金に染められ、温度もなく輝きはじめた。ここだけが落暉に照らされているみたいだ。先生の身体にも、朱金の光が纏わりつく。漆黒の文様が薄まっていく。
≪その場しのぎに過ぎぬが、こやつに取り巻く法則を緩めた≫
先生は薄皮一枚ほどの朱金の輝きに包まれていた。
呼吸も顔色も、元通りになっていく。
だけど、その場しのぎ。
「どのくらい保つのです?」
≪さて、どうであろうな。ワシがまた眠りにつけば、魔法は終わる。その程度だのう≫
「ラーヴさま。どうすれば、完全に解除できますか? この【制約】を」
自由を。
完全な自由を。
無限の自由を。
わたしが先生に捧げたいのは、なにひとつ瑕疵の無い自由!
≪そうだのう。では、そなたの胎に転生させるのはどうであろう?≫
「どうであろう、じゃねぇよ!」
思わず叫んでしまう。
倫理観と死生観がかけ離れてるのかよ、そりゃ古代竜だしな!
地響きが足元を揺らした。
≪然れども救いとは作麼生?≫
激しい咆哮だ。
怒りではない。怒ったならこんな振動では済まされないだろう。ラーヴさまが感じているのは怒りに満たないほどの苛立ちだけど、それでも大地を奥底から揺らす。
震度3かな。
≪聞け、娘よ。こやつは罪を犯した。犯すだけならまだしも、悔いてしまったのだ。改悛は美徳か? されど悔いれば過去の記憶はこやつを苛む。いっそ今生の記憶を灌ぎ、愛してくれる女の胎より生まれいでしことほかに救いありしや?≫
地面は振動して、針葉樹から雪が滑り落ちていく。揺れているのは大地だけじゃない。大気までもが震えていた。
苛立っても笑っても、震度3が起きるんだ。
覚醒していることそのものが危険。そりゃ賢者たちだって、ずっとラーヴさまを眠らせておきたいよね。
地震と間欠泉が鎮まって、白銀の針葉樹林に静寂が舞い戻る。
わたしは雪まみれになりながら、膝をつき、頭を下げた。
「礼を逸した物言い、申し訳ございません。ですがわたしたち人間にとって、転生は死と等しいのです」
≪ならばワシに成せることなど、もはや果てておる≫
傲然とした響きが、雪を揺らす。
≪娘よ。こやつの精神と肉体を損なわず、刻まれた魔術だけを消す。そんな繊細な作業、魔法に向くと思うておるのか? ワシは因果に干渉し、時間を繰り、転生を視れるが、精緻さを求むるでない。ワシには出来ぬ≫
出来ないのか。
偉大な存在でさえ、【制約】を解除できない。
≪娘よ。その小さき足でも僅かばかり北へ歩めば、岩室に辿りつける。そやつが以前、ワシの元に参った折のねぐらよ。行く場所がなくば、そこで夜を明かすのも悪くはなかろうて。ここの夜は、人の身にはつらいぞ≫
「ありがとうごさいます、ラーヴさま」
わたしは【飛翔】を使って、北へと向かった。
白い雪に覆われていたけど、岩室だけがぽつんと覗いている。
洞穴を岩で補強してあるだけの空間だ。雨風は防げるし、いちばん奥は少しだけ暖かい。最奥には細長いアルコーブがあって、その壁にくぼみがあった。くぼみの上部に煤があり、黒曜石の火打石が置いてある。
これ、もしかしてアルコーブベッドなのかな?
先生のマントを脱がせて敷き、アルコーブに横たわらせる。サイズがぴったりだった。先生の長ったらしい足がきちんと収まる。
わたしは脱いだドレスを先生の上にかけた。プリーツドレスは掛布団にしては心もとない見た目だけど、オリハルコンシルクは見た目以上に保温効果がある。
わたしは一角獣化して飛び出す。四つ足の蹄で岩場を駆けて、細い小川を跳ね渡る。
針葉樹の枝を取りに来たのだ。
雪の中に香る常緑の息吹。
マントだけより柔らかな針葉樹を敷き詰めた方が、身体に負担が無さそうだ。
飛竜の巣みたいに、いっぱい緑を重ねれば居心地がよくなるだろう。わたしは傷ある飛竜の巣を思い出す。素敵な愛の巣だった。あんな風にできればいいな。
針葉樹から柔らかな部分を折っていく。暗くて寒くなる前に、先生の寝床を作らなくちゃ。あと枯れ枝、蔓とか、滑らかな石とかも。
こういうのはロックさんが教えてくれた。
山の幸を道具に利用する方法。
折ったばかりの柔らかな針葉樹と、折れて乾ききった針葉樹。
これで寝床と焚火ができる。
意気揚々として帰路につく。
のどを潤そうとして小川に立ち寄ると、鹿さんがやってくる。
一角獣の角はすべての毒を打ち消すから、草食む獣は一角獣のあとに水を飲むんだよね。
ちっちゃな鹿がいた。
可愛いごはんだ。
でも熟成させてないジビエって、寝起きに食べるのには重いかな? 狩ったばかりの獲物ってまだ生命力が強いから、胃のこなれが悪いかもしれない。でもあるものでなんとかするのが家庭料理の基本だし、仕方ないよね。
わたしは小さな鹿を一撃で仕留めて、岩室に持ち帰った。
ざっくばらんに捌くのはいいけど、細かい作業は角じゃ難しいな。
そうだ。
名案を思い付いた。わたしは岩場まで行って、角を繰り出す。
黒曜石を採取~
古代には矢じりやナイフとして利用されていた宝石だ。
よし包丁が手に入ったぞ。やったね。
先生が寝ている間に、ごはんの支度をしよう。
なんか新婚っぽいな。
ふへへ。
先生いない。
うわうぅぅう?
岩室のアルコーブベッドから、先生の姿が消えていた。
あっ、足跡!
足跡あるぅっ!
やった、追跡できる。
雪の上の足跡がなかったら、わたし泣いてたぞ!
先生の方が地の利と判断力があるんだから心配なんてしないけど、行方を暗まされたら心細くなっちゃうじゃないか。うえーん。
心の中で半べそになって、幅の広い足跡を追う。歩調からして具合は悪くなさそうだな。
小川の下流の方に、足跡は向かっていた。
岩場から湯気が煙っている。
「温泉だ!」
岸の岩場から噴き出している温水が、浅い小川へと流れ込んでいる。冷水と熱湯、ふたつの水がほどよく交わるところで、先生は天然温泉を満喫していた。
このおっさん、わたしに黙って温泉入ってる!
なんたることだ!
「………めぇ」
恨みがましく呼びかけると、先生はわたしを一瞥して前髪をかき上げた。
濡れた前髪にちょっとドキッとした。大人の色気というやつかもしれない。
「きみも入るか? 温水が噴出している岩棚は高温だ。間抜けになりたくなかったら、湯加減に用心することだな」
先生の口調はいつも通りだ。
わたしは気が抜けて、湯の熱さに用心しながら温泉に入った。




