表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/533

第十七話(前編) 邪竜、目覚める



 わたしは飛ぶ。

 魔力すべてを注ぎ込んで、空を飛んでいく。


 世界は赤い荒野から、白の山岳へと変わっていく。

 雪化粧した針葉樹が連なって、白銀の風景が果てしなく続いていた。冬の日差しが、きらきらとした光を乱反射させている。


 ああ、ここが大山脈温泉地帯か。

 ゲーム中じゃ……いや、予知では来れなかった場所だ。

 黒曜石の産地って設定資料集の地図には載ってたけど、行けなかったエリアなんだ。そこに今やってきている!

 心臓がない胸が、高鳴ってきた。

 高鳴りに背中を押されて、わたしは【飛翔】の速度を上げる。

「……11時方向に修正してくれ」

「ういうい!」

 わたしが翼、先生が羅針盤。

 無敵になった気分だった。 




「うーん」  

 最初はめっちゃ綺麗だと思っていた風景だけど、雪の輝きが眩しすぎる。眼球の奥まで突き刺さってくる感じ。痛みさえ覚える輝きだ。

もう少し高度を上げよう。

 山脈の斜面と雪面のせいで、空間識失調してしまうかもしれない。

 わたしは【飛翔】を制御して上昇した。

 上がりすぎると風の加護が薄くなって、速度が落ちる。ほどよい高さを保った。

「緻密で素直な構成だ。無駄がない。しかも安定してるな」

「この前、先生が抱っこして、飛んでくれたじゃないですか。魔術は一度見ればわかりますよ」

「一度見れば、か。それが出来る魔術師など、私の知る限り数えるほどしかいないが」

 先生はわたしの頭を抱きしめてくれた。

 おっ、これはひょっとして褒められているのかな。嬉しいぞ。ふへへ。 

 手の中の日長石をぎゅっと握る。

 そういえば先生はどこから持ってきたんだ。この日長石。

 ディアモンさんは真珠の一粒どころか、貝殻さえ使わなかった。徹底的に呪符の素材は遠ざけられていたのに。

「先生。日長石なんて、よく手に入りましたね」

「奥歯に宝石を仕込んでいたからな。いざという時の備えとしてな」

 淡々と答えてくれたけど、用心深いってレベルじゃねぇぞ。

 賢者に捕まる前から、奥歯に仕込んでたってことだ。

 このひと精神が戦場に常駐してんのかよ。

 針葉樹が開けてきた。

「先生、地面に空があります!」 


 針葉樹が開けている地面に、ぽっかりと丸い青空がある。

 異空間の穴が開いているみたいだ。


「あれは湖だ」

「湖? めっちゃ真っ青ですよ!」

「温度が高すぎて微生物が棲めずに澄み、空の色をそのまま映している。ここは温泉地帯だ。湖も高温になっている」

 途端、真っ青な湖から、勢いよく雲が吹きあがった。

 雲じゃない。

 噴水みたいに、水が噴き上がっているんだ。

 でも空みたいな湖から吹きあがっているから、雲の生まれる場所みたい。

「間欠泉だ。大山脈の下5000メートルには溶岩が鼓動している。ここには大小合わせて二百近い間欠泉が吹きあがって、間抜けは不意打ちを喰らう」

「オニクス先生は喰らったことあります?」  

「己が飛べない区域を、初心者に運んでもらおうとは思わんな」

 皮肉な笑みを浮かべたけど、その顔色は芳しくない。土気色だ。

 わたしが貫いた太ももは、先生がいつの間か応急処置している。手錠されているのに、ほんとにいつの間にかだ。さすが戦場育ち。右足にはクラバット、左足にはサッシュを巻いている。最上級のシルクだけど、真っ赤に染まっていた。

 空中庭園からずいぶん距離を稼いだ。

 そろそろ治癒するか。

「一度、降りましょうか」

「ああ。【飛翔】で最も難関なのは着地だ。それから必ず乾いた場所に着地してくれ。ここは泥水も熱湯になっている」

「了解しました」

 わたしは忠告を胸に抱き、針葉樹の銀世界に降りた。

 無垢な雪を踏めば、ぽすりと気の抜けた音をひとつ上げる。世界が静けさに包まれる。雪がすべての音を吸い込んでいるせいだ。

 先生を横たわらせた。応急手当の布をほどこうとしたけど、硬く結ばれている。

「私が解く。まず鎖を砕いてくれ。赤い護符に触れるなよ」

 わたしは一角獣に転じて、角で鎖を砕いた。鉛の鎖が千切れて、真っ赤な宝石たちが雪に落ちる。赤い雫のなかに、黒い粒が内包されている。これ、八面黒結晶インクルージョン内包の赤色スピネルか。

 レア素材だ。

 でもなんの護符だろ?

「その護符は【封魔】だ。それに戒められれば、経絡が滞る」

 ……【封魔】の、護符

 信じられない単語を耳にして、一瞬、理解が遅れた。

「装備すると魔術が使えなくなる護符ってことですか!」

「そうだ」

 魔術そのものが使えなくなる護符?

 護符は常時発動しているから、魔術師じゃなくても使えるし、制限時間もないってことだ。

 非魔術師が、魔術師を完全に無力化できる。

「設定資料集でも見たことねぇぞ!」

「【封魔】の護符の術式は、流布されていないからな。月の魔術師しか知らんはずだ」

「先生はご存じなんですか? 作り方」  

「開発者だ」

 めっちゃあっさり言われた。

 護符の開発ってマジかよ。護符って、呪符よりも制作するのは簡単だけど、開発するのは難しいんだぞ。魔術史に名を刻むレベル。

「私一人の技術ではない。正確に言えば、オプシディエンヌと共同開発した魔術だ」

 オプシディエンヌ。

 先代国王の寵姫にして、稀代の魔女。オニクス先生を愛人にしていた美女。

 おもしろくない名前だ。

 先生はわたしの顔を見て、小さく笑った。

「きみは存外、嫉妬深いな」

「何にも言ってません」

 わたしが嘯くと、先生は呻きだか笑いだか分からん声を漏らした。

「魔術師を人体実験するなら、魔力を封じて拘束しておくと安心だからな。呆れるほど邪悪な理由で開発した術だ」

「その魔術で魔力を封じられていたとは因果応報ですね」

「処刑台を作ったものが処刑されるのは世の習い。作っているときは何故か気づかんがな」

 先生は手首をほぐしてから、応急手当の布の結び目を解く。

 出血がひどいのに、わたしより手の力があった。鉄臭い布を取り払うと、傷口が空気に晒される。

 わたしが貫いて穿った傷だ。

 螺旋状の角で穿たれたせいで、肉が抉られている。

 わたしは猫がミルクを飲むように、傷に唇を這わせ、キスをした。血が溢れる。湧いてくる血を舌で舐めとり呑み込む。ちゅぅ、と吸い取れば、生臭い鉄の味が鼻腔にまで広がる。

「……っ」

 苦しそうな吐息。

 わたしが見上げると、先生は思いっきり顔を顰めていた。

「痛いですか?」

「きみは私が痛覚遮断さえ出来ない能無しだと思っているのかね?」

「でも、苦しそうですよ」

 わたしが問うと、先生は眉宇に皺を寄せて俯いた。

「愚問を発する暇があるなら、魔力の供給だけしたまえ……あと血を飲むのは勧められん。血は、催吐性がある」

「もったいなくて」 

 先生の太ももの内側を撫でる。

 ここらへんに魔力の経絡が通っているんだよね。早く良くなりますようにって気持ちを込めてマッサージしながら、傷口に魔力を吹き込んでいく。

 先生の自己治癒力を促している。だけど肉が抉られたから、回復に時間がかかりそうだ。

「……ッ」

 先生が呻く。 

 喉をのけぞらせ、吐くように痙攣した。

 痛覚遮断しているはずなのに。

 シャツを緩ませようとして、手をかける。喉仏の下には漆黒の文様が這い上がってきていた。毒蛇の如く煩悶し、羽虫の如く顫動し、先生を蝕んでいく。

「【制約】? この距離でも発動するんですか?」

 かなり距離を稼いだのに。

 馬鹿な。こんなに離れても発動するんだったら、わざわざカマユー猊下がリコルヌ領までお出ましになるはずがない。

「するはずが、ない……だが、私を封印している間に、魔術式を書き換えたか?」

 漆黒の文様は、首筋から頬へと這い上がる。

 喉仏をすっかり覆いつくして、まるで首輪だ。

「どうりで追手が甘かったわけだ……すでに細工済みとはな」


 わたしは先生の唇に口づける。

 【制約】を解くために。

 

 だけど、先生に肩を握られ、乱暴に引きはがされた。

「……無駄だ。【制約】は、私と賢者の合意によって構成されている。属性としては闇魔術だが、魔術式の構成は獣属性ファミリア系に近い……外部からの干渉は……」

 不可能だと、唇は単語のかたちを作っているのに、音は出てこなかった。

 掠れるような息だけが吐かれて、隻眼が閉じられてしまった。  

 どうしよう? オニクス先生を助けるためには、賢者のところに戻らなきゃいけないの?

 ああ、あの賢者ども!

 婚約させてわたしの機嫌を取ろうとしていたけど、先生の手綱はしっかり握ってやがった。わたしに渡す気なんてさらさらないってわけだ。

 【制約】という首輪が、先生に架せられている。

 逃げても、無駄。


「先生、わたしは、あなたに自由でいてほしかったの……でも、わたしじゃちっとも役に立たない……」

 

 わたしは泣いていた。 

 どうして泣くんだろう?

 この涙は無意味以下だ。体力が消耗する、体内の水分が減る。

 無様だ。

 こんなに無様なことってない!

 わたしは無力で無知だ。それでも自分に失望したら、すべてが終わってしまう。

 前に進むことを、考えろ。

 わたしを塞ぐ壁が立っているなら、壊す方法を、潜る方法を、越える方法を、見つけなくては。なんでもいい。止まるな。些細な事でいい。思考を進めろ。

 手の中の日長石を強く握る。

 先生が隠しもっていた石。

  

「どうして……先生はこの地にやってきたんです…?」

 

 質問に対して返ってきたのは呻きだけ。

 でもわたしは確信できた。この地に、何か目的があるはずだ。奥歯に呪符素材を隠しもっているほど用意周到なひとが、行先をあてずっぽうにするはずがない。

 もしかしたらどっかの岩場に、強力な呪符を隠しているかもしれない。素材なり、武器なり。

 あるいは……


「ラーヴさま?」


 オニクス先生の師匠。

 ひょっとしてこの地に、隠遁しているとか……?

 

 青空色の湖から、間欠泉が噴き上がる。

 そして地面が揺れた。

 奥底から揺れ動き、わたしたちを突き上げる。

 地震だ。

 ここは火山があるんだから、地震だって起きる。

 湖から離れた方がいいのか?

 地学に詳しくないから、地震が起こった場合の間欠泉の状態なんて知らないもの。ああ、まったくほんとわたしは無力で無知で、うんざりする。自分に腹が立ってきた。


 真っ青の湖が、夕焼け色に染まった。

 

「……えっ?」

 

 空はまだ青いのに、湖は明るい朱色に染まり、金の輝きを放っている。

 いや、これは夕焼けじゃない。

 溶岩だ。

 煮えたぎる溶岩の中に、黒くて細長いものがちらちらと動いている。その黒いものが泳いで、わたしの方に向かってきた。岸から上がる様子はない。

  

≪……逃げるでない、娘よ≫


 声が谺する。

 地響きめいた声は、若いのか年寄りなのか、男なのか女なのか分からない。どれにでも当てはまるみたいで、どれにも似ていない。

 呼びかけに一拍遅れて、魔力が伝わってくる。


 その刹那、わたしの膝が地べたに付く。立っていられない。

 震えが止まらない。

 嫌な汗が滲んでくる。

 いやだ。この場から去りたい。


 だって、この魔力、わたしより強大だ。

 

 この山脈全土に魔力が広がっていて、範囲も深度も把握できない。

 いや、思考を放棄するな。

 少しでもいい、手探りで相手の居場所を探すんだ。逃げの一手しか打てないけど、相手がどこにいるか分からないと話にならない。

 わたしは魔力の根源を探す。

 そして夕焼け色に揺れる湖へと、振り向いた。


「それ、目なの……?」


 溶岩じゃない。あれは虹彩だ。

 黒くて細いもの。あれは瞳孔だ。

 この広大な湖が、眼球ひとつ?


≪然り≫


 茜色の湖面が盛り上がる。黒い瞳孔がぬらぬら蠢き、わたしに焦点を結ぶ。

≪ワシは時間をねぐらに、空間を飛ぶもの。因果を呼吸し、星気を喰らうもの。生命と創世の記憶を宿すもの。もっとも古き竜……そなたら魔術師が『邪竜』と呼ぶもの≫


 『邪竜』が目覚めた。


 何故?

 いや、疑問より『邪竜』をなんとかしなくちゃ。

 こんな巨大な魔力を宿す存在に【睡眠】をかけるなんて、途方もない。無理だとは言えないけど、月まで徒歩で往くような無謀さだぞ。

 先生はこれを眠らせた。

 人類に出来ないわけじゃないけど、呪符があればこそだ。

 でも邪竜が起き上がったら、全人類が亡ぶ。死に絶えてしまう。やるしかない。魔術でなければ、魔法で。

 


 わたしの腕のなかで、先生が身じろぎする。 

「ん……」

 微かな呻きと共に隻眼が開き、夕焼け色を映す。 

 即座にわたしの腕を振りほどき、先生は『邪竜』の瞳へと駆けた。

 まさか呪符無しで再封印するの?

 無茶だ。


 オニクス先生は湖畔で膝をつき、手をつき、深く頭を下げた。

 へ?

 先生が、土下座してる?

 

「御身の尊き眠りを妨げた不始末、まことに釈明しようがございません。すべて私の不徳の致すところでございます」  


 声を震わせながら、額を雪に沈める。

   

「ですが、どうかこの娘はご寛恕を。我が師ラーヴよ」






 ………………は?



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ