第十六話 そして婚約式の朝が来る
漆黒のリボンをティアラみたいに結んで、胸元にコロンを落とし、オリハルコンのドレスを纏って、黒レースの手覆いを付け、黒いベルベットの靴を履く。
生まれてきてから今までいちばん可愛らしい姿で、わたしは仮初めの婚約を執り行う。
婚約を誓うのは、教会ではなく空中庭園。
誓いを見届けるのは、破門された司祭さま。
客は誰ひとりとて、祝福を持ち合わせていない。
聖人と聖女の像が立ち並ぶ、そう広くはない礼拝堂。花一輪さえ飾り付けされていないけど、わたしが歩くところには古代ダリヤーイェ・ヌール王朝の絨毯が敷かれている。
ディアモンさんにエスコートされ、ゆっくりと歩いていく。
立会してくれるのは、カマユー猊下だった。
幼い顔立ちに、不快の感情を前面に押し出している。
エグマリヌ嬢だって複雑な憂い顔だった。
ディアモンさんくらいだけどね。瞳をきらきらさせて嬉しそうなのは。
でも仕立てたドレスの出来に喜んでいるだけで、わたしとオニクス先生を祝福しているわけじゃなさそうだ。
祭壇の前にオニクス先生が佇んでいた。
漆黒のマントを羽織って、漆黒のローブを纏っている。クラバットだけが白い。その黒さはあまりに完璧な黒さで、あらゆる色を含んでいるのか、それともあらゆる色を拒絶しているのかも分からなかった。
さすがディアモンさんの仕立て、オニクス先生に似合っている。
似合いすぎてて、黒幕オーラが醸されているけどな!
あんなの絶対、悪の宮廷魔術師じゃん。
王様とか大臣を裏で操って、王宮を支配しているタイプ。一目で倒さなきゃいけない敵だって分かる。戦闘に入るとえげつない魔術を放ってくるぞ。
脳内で勝手に戦闘BGMが流れてきた。
オニクス先生は杖を持っていない。それどころか鉛色の手枷を架せられていた。鎖にはドロップ形の赤い宝石がいくつも揺れている。芯まで赤くて、零れ落ちる光は朱色。ルビーにそっくりだけど、ルビーじゃないな。
何かを封じる護符だろう。
しかし先生が武器を携えていないのは、好都合だ。
わたしは先生の元に歩いていく。
歩くたびに軽やかに揺れるオリハルコンのドレス。
罪人の手枷をつけた先生は、わたしを隻眼に映した途端に皮肉な笑みを浮かべた。
「まるで生贄だな」
「生贄なのは、オニクス先生ですけどね。あなたがわたしに捧げられた生贄です」
「そうらしい」
隻眼を細め、光を見上げた。
小さな採光口から、軟水で漂白されたような朝日が差し込んでいる。
「奴隷の造った礼拝堂、破門された元司祭、罪人の婚約者。まったくきみの婚約は、洋々たる門出だな」
「ええ。先生が隣にいるんですから、最高です」
微笑みかけると、先生ってばそっぽ向いてしまった。
先生はいつ行動を起こすつもりだろう。
わたしが誓約書にサインをすれば、財産が相続できるようになる。サインをしてから後、どのタイミングで行動するか。
今すぐなのか。
それとも数日後なのか。
いつでも先生の動きに応えられるように四肢に気を漲らせて、どれほど後でも疲弊しないように関節から力を抜いて。
真鍮のペン皿が恭しく運ばれてきた。
乗っているペンは、鵞鳥の羽根から削って作った鵞ペンじゃない。鷲馬ヒポグリフの羽根だ。金褐色の艶やかな羽根に、わたしは目を見張る。
そっか、ここは空中庭園だもんね。鵞鳥や白鳥の羽根より、鷲馬ヒポグリフの羽根の方が手に入りやすいんだ。
テュルクワーズ猊下が儀式ばった言葉を紡ぎ、羊皮紙にサインを求める。
先生は『オニクス』とだけ綴った。
祖名はない。
鵞ペンならぬ鷲ペンを受け取ったわたしは、名前と祖名を綴る『ミヌレ・ソル=モンド』。
よしよし、すっごく綺麗に書けた。
練習の甲斐があったぞ。
「頼みがある」
低い囁きが、やたら近い。
先生を見上げた途端、抱き締められた。わたしの背中の後ろで、手枷の赤い宝石たちがたまゆらを奏でる。
唇が重ねられた。
舌が入り込んでくる。
ふえっ? ええっ? 婚約式って誓いの口づけってやらないよね。
やだ、恥ずかしい。エグマリヌ嬢もいるのに。
友達の前でキスされるの、思った以上に恥ずかしくて、顔が真っ赤になってくる。
「ん……っ」
先生の舌が、わたしの舌に絡みついてきた。
チリン、と口の中で硬いものがぶつかる。
なんだ?
歯がぶつかったのかと思ったけど、違う。これは石だ。
滑らかに研磨されている硬質な石で、フランボワーズの実くらいの大きさ。先生の舌と違って、ひんやりしている。
石が口移しされた。
魔力を込めても、すんなり馴染む硬度と純度。これは間違いなく良質な呪符の素材。
媚熱が離れた。
わたしの口許から伝う唾液を、先生の舌先が舐めとる。熱い舌先が、耳元にくる。
「私に、自由を」
熱っぽい囁きが、わたしの鼓膜に達した。
これは懇願だった。
わたしに、頼んでいる。
先生が、わたしを、戦力のひとつに数えている!
ああ、嬉しい。
排他的で皮肉屋で誰より強いひとが、わたしを頼ってくれるなんて。
心臓が高鳴る。
いや、早鐘打つのは心臓じゃない。わたしの胸に宿る一角獣の破片。獣のかけら。
高ぶる体温と一緒に、四肢に広がっていく魔力。
構成され、展開され、魔術になる。
「【一角獣化】」
あなたに自由を。
「オニクス! 『一角獣から離れろ』」
カマユー猊下の命令が【制約】として発せられる。
【制約】は物理的に出来ないことを、命令できない。
だから。
わたしは額の角を、エストックとして振るう。
先生の下肢を貫くために。
生ぬるい抵抗感が、額の角から脳髄に伝わる。血が噴出して、漆黒のマントを染めて濁らせた。
「そう、最適解だ。私をまず行動不能にする」
最初にすべきは、【制約】が発動できないようにすること。命令を受け付けないほどの負傷では、何も実行できない。そして人間の反射速度など、一角獣は容易く凌駕する。
太ももを無残に貫かれ、先生は不敵に笑う。
戦闘不可能なレベルの深手だけど、わたしが後でキスして治癒すればいい。
先生は両足を貫かれて血も止まらないけど、それでも両腕はしっかりわたしにしがみついてくれていた。まだ腕に力があるうちに逃げ切らないと。出血は意識を削ぐ。
足元の絨毯が浮き上がる。わたしたちを絡め取ろうとしていた。
一度、わたしは絨毯に絡め取られたことがある。
同じ手を二度も食うと思うな!
蠢く絨毯から跳び、わたしは聖人像の頭を蹴って駆ける。
脆くなっていた聖人像の頭部が砕けた。
ひややっ、罰当たりですみません!
神さまは信じてないけど、テュルクワーズ猊下の眼前で聖人像を無下に扱うのはちょっぴり罪悪感だ。
高く跳び、天井を蹴って、天窓を潜り抜けた。
一気に礼拝堂を跳び出す。
目指すは、空中庭園の崖っぷち。
礼拝堂の東側だ。予知だと落ちかけたわたしを、パーティーメンバーが助けてくれるイベントがあるのだ。
つまり落下するには最適ってこと!
蹄が火花を散らすほど勢いよく駆ける。
礼拝堂の周りには、騎士が配置されていた。だが剣は抜いていない。わたしを傷つけるなと厳命されているのだろう。獣属性【蜘蛛】だの反風属性【鳥籠】などで縛ろうとしている。
わたしが何に転じているか、騎士たちは分かっているのだろうか?
わたしは無垢に屈して、清廉にかしずくもの。
わたしは獰猛に抗いて、暴虐といさかうもの。
囚われの屈辱には、敵か己の死をもってして終わらすのみ。
わたしが何か、知るがいい!
すべての魔術を振り払って、駆ける。駆ける。ただ駆ける。
血気盛んな騎士たちが前と後ろから、同時に襲い掛かってきた。狙いは先生だ。先生をわたしから落としてしまえば、わたしは速度を緩めるだろう。
躱せる。けど、あまり時間をかけるとまずい。
わたしの腹の横に、先生の血の生暖かさが滴っていた。
水晶色の反射が、視界に入る。
クワルツさんだ!
「神出鬼没の幻想曲とは吾輩のこと! 怪盗クワルツ・ド・ロッシュ見参!」
高い岩場に登って、朗々と名乗りを上げる。
ほんとおまえ今までどこいた?
選び抜かれた騎士でたちの視線を奪うほどの、突拍子もなさだった。
クワルツさんは岩から飛び降りながら延髄蹴りをかまして、騎士を一人を吹っ飛ばす。着地すると同時に、手近にいた騎士の首を鷲掴みにした。途端に意識を失って、崩れ落ちる騎士。
流れるような動きで、騎士をふたり減らしてくれた。
騎士たちの隙を作ってくれて大感謝!
「おい、怪盗!」
オニクス先生の叫びに、クワルツさんが腰のポーチから硝子の小瓶を引っこ抜く。香水瓶くらいの細くて小さな瓶。それを予備動作ゼロで投げ渡してきた。
中身は、透明な水?
先生が瓶を受け取る。
考えている暇はない。わたしは駆け抜け、東を目指す。朝日の目映さに突進していった。
「雨水だ」
受け取った先生が、絶えそうな息の隙間から呟く。
「あの怪盗に依頼して、星智観測所から盗んでもらってきた。一度も地に触れたことのない雨水」
その手には、雨水入りの小瓶、それから褐色の羽根があった。
婚約書に名を綴るため使った、鷲馬ヒポグリフの羽根だ。
わたしは人間の姿に戻って、手のひらに宝石を吐き出す。
日長石だ。
半透明なオレンジ色で、湖面の乱反射を思わせる金粒が秘められている。太陽に透かした瞬間、生き生きと輝きを放った。
魔術インクは雨水。
媒介は鷲馬ヒポグリフの羽根
素材は日長石。
揃った。
同時に魔術騎士団にも取り囲まれたんだけどね~
よくもまあ少数精鋭の騎士を、これだけ揃えたもんだな。暇なのかよ。
でもここってさ、落下イベントの地点なんだよ。
なんでゲームで、わたしが落下したか。
ここ、落盤するからだよ。
鎧を着た騎士たちが踏み込んだせいで、もともと脆かった地面に大きな亀裂が入る。
空中庭園の高度じゃ【飛翔】は使えない。反土属性【浮遊】を唱え始める騎士たち。だけど【浮遊】は上下移動が専門。誰かを追跡する機動性は無い。
空中庭園では、風属性の呪符が作れない。
風の加護が皆無だからだ。
「頼むぞ。私は賢者の許しがなくば、新たに呪符は作れん」
「離さないで下さいよ」
わたしがそう囁くと、先生は皮肉な笑みを唇に含む。手錠された手でわたしを強く強く抱きしめた。
「婚約者を信用したまえ」
足場は崩れ落ちた。
落石たちと急降下していく。
でも怖くない。
【浮遊】の練習で、わたしはすっかり落下に慣れていた。
それにオニクス先生に抱き締められているんだ。なにを恐怖することがあるんだろう。
なにひとつ怖くない。
ぐんぐん落ちていくと、風の加護が強まってきた。これなら風属性の呪符が作れる。
先生の腕の中、鷲馬の羽根に雨水を浸し、日長石に呪文を綴る。
「我、魔力を宿せし羽根の導きを願う
我、雲をねぐらにする水の誘いを願う
飛ぶ翼よ、翔ける風よ」
地面に衝突する前に、呪文を綴り切れば勝ち。
負けてもいいけどさ。
だって二人そろって地面にぶつかって、熟した果実がぺちゃんこになるみたいに潰れたら、それはそれで楽しい。だってオニクス先生と心中するみたいだからな。楽しいよ。わくわくする。
駆け落ちも心中も、どっちだって恋は成就する。
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、さらに纏うことを求む」
だけど多少の義務感が、わたしの筆を急がせる。
世界鎮護の魔術師がふたり死んだら、世界どうなるのかな。大陸が崩壊したら、エグマリヌ嬢やディアモンさんに申し訳が無いので頑張るよ。
「飛べよ、翼が有るが如くに、雲を得た如くに 【飛翔】」
呪文の末尾が結ばれ、日長石が魔術を宿した。
わたしは【飛翔】する。
烈風にドレスがうねり棚引いた。
このオリハルコン蚕のドレス、プリーツの伸縮性が富んでいるから、一角獣化してもどこも裂けていないし破けてもいない。わたしが獣でも人の姿でも、しなやかに従う。
ライカンスロープに打ってつけのドレスだ。
さすがディアモンさんの仕立て。可憐かつ着心地良く、自由に一角獣になれる。わたしの想像を凌駕した、まさに理想のドレス。
ベルベットの靴だけは蹄に対応できず、どこかで脱げてしまったけど。
もしかしてこのドレス、わたしが逃げることを想定して仕立ててくれたんだろうか?
「……あっ、クワルツさん回収しそこねた!」
「あの怪盗はなんとかなるだろう」
血を流しているくせに、血も涙もない発言をかます。
「ええッ! ちょっ、ダメですよ、置き去りなんて!」
わたしは上昇する。
多少は昇れたけど、これ以上は難しい。風の加護が薄いせいで、魔術の構成展開が飛散して、落下と上昇を繰り返すバグみたいになる。
空中に人影がよぎった。
クワルツさんが下りてきたのかと期待したが、違う。
岩石に佇むのは、赤銅じみた肌を持つ初老の騎士。
魔術騎士団長だ。
「吼えよ、我は獣 翼はばたきて天翔ける獣」
朗々と詠唱される呪文。
この構成は獣属性。
しかも最強のライカンスロープ術【飛竜羽化】だ。
「鱗を纏いて、尾を生やし 汝を狩りて砕くもの 【飛竜羽化】!」
騎士団長の姿が、爆発するように大きく膨れ上がる。
やっぱこいつ強キャラ!
っていうか、ボスなんじゃないの?
わたしの最強装備オリハルコンのドレスは、物理攻撃をすべてミスらせるけど、ボスには通じない。たぶん物理攻撃が当たっちゃうぞ。
クワルツさんに申し訳ないけど、一刻も早く離れなきゃ。
わたしは【飛翔】の高度を下げて、とにかく彼方へと飛ぶ。
羽ばたきと咆哮が、すぐ後ろに迫っている。
なんていっても飛ぶ竜なんだ。人間の能力限界を超えるのがライカンスロープ術だ。飛行能力はあっちが上か。
こうなったら勝負をしかけるか。
一刻も早く先生を治癒したいけど、このままじゃどん詰まりだ。
【土坑】で上空のオリハルコン鉱山を砕いて、落盤で攻撃するしかない。
背後で衝突音が響いた。
なんや? この大事故っぽい音は?
振り向けば飛竜が二匹になっていた。お互いに翼を大きく広げて、取っ組み合いになっている。
赤銅色の飛竜が騎士団長。
新しくやってきた飛竜には、翼に傷があった。空中庭園まで連れてきてくれた飛竜さんだ。
なんて義理堅いんだ!
単に縄張り争いしてるだけの可能性もあるけど、わたしは拝んでおく。
飛竜さんが作ってくれたチャンスに乗じて、わたしは【飛翔】にありったけの魔力を込めた。
「先生。どこに行きます?」
わたしの魔力は無限大。尽きることは知らない。
先生が望むなら、砂漠を越えて東方大陸にまで飛んでいこう。
「温泉……」
「物騒なこと言い出さないでください!」
「違う。大山脈の温泉地帯だ」
婚前旅行は温泉か。
それは素敵じゃないか。
「了解しました!」
わたしは東西大陸を分断する大山脈を目指して、思いっきり飛翔した。




