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第五話 イベント数が多すぎる


 久しぶりに惰眠を貪ってしまった。

 だって朝起きたって、朝ごはんが食べられないんだもん。

 しかし飯も本もないってのは地獄よなあ。

 やっぱ塵芥じゃねぇよ。

 わたしは渋々起き上がって、ブラウスに袖を通す。ひざ上のストッキングを履いて、ひざ下をガーターリボンで縛った。ガーターリボンがだいぶ擦り切れかけている。肌着まで新調する余裕はなかったからなあ。

 木綿のペチコートを履いて腰ひもを結う。それからもう一枚、レースが縁どられたペチコート。

 ペチコートは二枚以上。校則で決まってる。ペチコートを重ねていないとお尻や太もものラインが浮かび上がって、淑女として失格だからである。

 淑女の恰好するのは、下着から面倒臭い。

 ゲームだったら、くるりんぱってミヌレの衣装チェンジできるのにさあ。

 さて、あとワンピース着なきゃ。

 トントン、と窓硝子がノックされた。

 そこにいたのは御者のフォシルくんだった。ちなみにここ三階。

「ええっ?」

 これもイベントにある!

 だけど、恋愛値を30%以上にしないと、『クエッチの実の差し入れ』イベントは起こらないのに。

 恋愛値………あっ、夜行蛾がいっぱい取れるとこに、案内してもらったな。夜間でこっそりふたりきりで、せっせと蛾を取ってた。そのせいかな。

 わたしはめっちゃ驚きながら、慌てて窓を押し上げた。 

「ミヌレ。あの宝石じゃらじゃら女のせいで、飯抜きされてるんだってな」

「決定したのは学院長なんだけど………」

「だからクエッチの実。食うだろ」

 紫に熟したクエッチの実たち。

 親切では、断れない。

 空腹には、抗えない。

 これが露骨に下心を見せられたらお断りできるんだけど、フォシルくんは純粋だった。それが純粋な親切ではなく、純粋な恋心だと知っているから、対応に困る。

 いや、心を鬼にして断ろう。リアル悪女は御免だ。

 ただでさえこいつ、自動的に恋愛値が上昇する奴なんだし。

「あと、魔法使いって色んな石を集めてんだろ。こういうの要るのか?」

 ポケットから、小石が出てきた。

 小石、じゃない。

 古代螺旋貝の化石の破片。

「レア素材!」

 私有林の崖から採石できるレア素材じゃありませんか!

 これめっちゃ低確率なの! 売ればかなりの資金になるし、持っていれば高度な呪符作りに使用できる。

「くれるの?」

「あ、ああ。じゃあな」

 フォシルくんは素っ気なくそっぽ向いた。雨樋を足場にして、するすると降りていく。

 やった。古代螺旋貝の化石の破片を手に入れたぞ。

 棚に置こうとして、鏡が視界に入る。

 そういやわたし、シュミーズとペチコートのまんまだったな。

 ………これでフォシルくんの恋愛値が、爆上がりしてたらどうしよう。いや、下着姿くらいで……でも荷馬車に便乗するだけで、微妙に上がっていく相手だぞ。

 呆然とするわたしの手には、化石の破片はやけに重かった。

 




 試験休みで、ほとんどの生徒が帰省しているから静かすぎる。

 里帰りしてる使用人もいるから、やっぱり静かだ。

 復習したり臨書したりと、時間を過ごす。

 そういや成績どうなったかなあ。

 はあ、綴りさえ完璧なら、絶対わたしが首席なのに。

 もうすぐ昼の時刻。

 ノックの音がまた響く。

 次は扉からだった。



 入ってきたのは、エグマリヌ嬢だった。旅行用のマントを靡かせて、アクアマリンと銀のブローチで留めている。家紋である『薄雪草(エーデルワイス)と一角獣』が浮き彫りになっていた。

「エグマリヌ嬢。申し訳ありませんでした! 譲って頂いた教材を、売りさばきました」

 わたしは頭を思いっきり下げる。

 教材を使わないなら、試験のために譲ってほしいと申し出た。きっと練習に使うんだろうと思われたんだが、わたしは誤解させておいた。そこは卑怯だと思う。

「………ああ、うん、謹慎だってね」

 エグマリヌ嬢は困ったように、短い髪を掻きまわした。男の子みたいな仕草だ。

 やっぱりわたしが貰ったもん売り払って、試験に挑んだって皆に伝わったんだろうな。どこから伝わったか知らんけど。

 わたしは椅子を勧め、自分も寝台に腰かけた。客用の椅子なんてない。

「これ、実家から送られてきたショコラ……食べてくれ」

 エグマリヌ嬢は憂い顔だった。

 用件は差し入れのお菓子だけじゃない。

「ミヌレ。ボクはきみを友達だと思っているよ。浮ついたお喋りに付き合わなくていい、学問の話を楽しめる貴重な友人だ。でも今回の件は、なんとなくきみに…釈然としないっていうか……」

「裏切られたような?」

「そこまでは思っていないよ!」 

 凛々しく断言する。

「そこまでは……思わない。だけど、この気持ちを兄に相談してもいいだろうか。こういう相談内容だからきみが不名誉に感じるなら、控えるけど」

「構いませんわ。エグマリヌ嬢のお兄様であれば、きっと人品優れた方でしょう」

「そうなんだよ!」

 勢い込んで叫ぶエグマリヌ嬢。

「兄はすごく立派で。ボクが髪を切ったときに祖父が癇癪起こしたけど、兄がとりなしてくれた。祖父はさっさと嫁に行けっていったけど、兄がこの学院に入れるように手はずを整えてくれた。剣術の教師も、兄の部下たちで……部下にも慕われてて、世界でいちばん信じられる」

 瞳をきらきらさせて、自分の兄を語る。

 敬意と信頼が籠った瞳だ。

「いつだって兄に色んなこと相談してきた……」

「頼もしいお兄様なのですね」

 わたしの言葉に、エグマリヌ嬢はえくぼを作る。

 いつもの王子さまな笑顔より、ちょっぴり幼い感じ。きっと妹って立場だからだろう。

「そうだ。ボクはね、実技試験で【水】を作ったんだ。水差し借りるよ」

 エグマリヌ嬢は空っぽの水差しを持って、呪文を唱える。胸のアクアマリンが煌めいた。やっぱ課金アイテムは強い。

 乾ききった陶器のなかに、円やかな水音が響く。

 単純に水を生じさせる魔術だ。

「いいですね。水の魔術あると、冒険に水筒もっていかずに済むんですよね」 

「………そうだね」

 一瞬、エグマリヌ嬢の顔に翳りが出来た。

「じゃあ、ミヌレ。そろそろ迎えの馬車がくるから」

 エグマリヌ嬢は去っていく。

 もしかしたらもう仲良くできないかもしれない。

 浮遊石を無理に作ろうとした反動か。

 ゲームシステムの裏をかいたりすると、どこかでしっぺ返しがくるのかもしれない。

 反動。

 良い方向かもしれないし、悪くなるかもしれない。

 でもおとなしくゲームシステム通り動いていれば、大きな反動はない………なんて、保証はないし。

 ああ、また思考がこの世界への疑問に行き着く。

 わたしは、どうして、此処に存在している?

「パターン4」

 どちらも幻想世界。

 水槽の脳。つまりSF。システムエンジニアのミスかバグかで、わたしは魔法のない世界から、魔法のある世界へ移行してしまった。

「……ダメだな。これ、パターン3が人為的になってるだけだ」

 まあ、でも神さまが存在するより理性的な仮説だ。

 この自我が水槽の脳かもしれなくても、わたしはわたしのやりたいことをするだけだ。


 

 そして三日目の夕方。 

 やけに赤すぎる太陽が、世界を暮れ泥ませていた。



 ノックの音が響く。

「ミヌレ一年生。お客様ですよ。大階段室でお待ちです」

 寮母さんに呼びかけられ、わたしは首をかしげる。

 これはまったく心当たりが無かった。

 大階段室は、その名の通り大階段がある大広間だ。大階段の両側には椅子や小さな卓があり、保護者とかの面会はここでする。

 まあ、イベント通りとは限りない。

 そういえばミヌレの両親って、どんなんだっけ。資料に無いよね。

 階段を降りていく。

 真鍮めいた髪が、西日に照らされていた。

「レトン監督生…!」

「やあ、謹慎お疲れさま」

 夕焼けの中、白皙と病弱がうまい具合にブレンドされて、儚げな風情がある。

 椅子を勧められて、腰を下ろした。 

 寮母さんが薬草茶を運んでくる。喉に優しいお茶、それからお茶請けにベニエまでついていた。

 ドーナツみたいな揚げ菓子で、おやつなら中身はジャム、軽食なら中身は野菜やお肉が入るの。ベニエの食感は大好き。

「このお茶請けはきみが食べるといいよ。僕は油物を食べられないんだ」

「ありがとうございます」

 思わずがっついてしまったけど、レトン監督生が病弱なのは有名な話。幼い頃に手術したせいで、運動も禁じられている。

 寮母さんが揚げ菓子を出すのはおかしい。

「監督生。わたしに譲るために、食べられないお菓子を所望したんですか?」

「謹慎理由がよほど悪辣でない限り、伝統的に監督生が菓子を差し入れたり、お茶会に呼んだりするんだけどね………」

 女生徒の監督生は、プラティーヌ殿下である。

 あの姫さまが差し入れとかするわけねぇよな。

 いや、ほんとはもう一人、女子監督生がいるのだ。

 監督生は複数選ばれるのが伝統だけど、あの殿下が仕事してないので、一人でやっているらしい。特に試験後の監督生は、雑務に引っ張りまわされる。謹慎中の一年生にかかずらっている暇はないだろう。

「幸いなことに男子生徒は、マイユショー監督生がまとめ上げている。僕はこうやってお茶を飲む時間が取れるんだ」

 レトン監督生は品よくティーカップに口を付けた。礼儀作法のお手本みたいな動き方だな。スチルだと動きが分からないけど、目の当たりにすると想像の何倍も行儀が良い。

「ミヌレ一年生。用件はきみの成績に関してだ」

 試験の結果発表はまだ先。でも彼は監督生だ。下級生の試験の監視補佐を務め、採点作業には雑用として働く義務がある。

 わたしの成績もご存じだろう。

「成績って………散々だったでしょう」

 緞帳破って落下。

 無断夜間外出で謹慎。

「ああ。散々だった。でも正直なところ、僕としては減点を疑問に思っている。そもそも開始時点で実技試験官のシトリンヌが配慮にかけていた。これで公平な採点を謳うのは、道義に反する。だが異議申し立ては通らなかった。すまなく思う」 

 潔く頭を下げられてしまった。

 監督生は悪くないのに。

「非の無い方に謝罪されても困ります」

「関わっている以上、無関係ではない」

「課金勢が強いのは当然ですよ」

「………?」

 レトン監督生は頭を上げて、不思議そうな顔をする。

「えっと、兎に角、わたしは気にしてません。次の試験で巻き返しますよ。次はですね、【水中呼吸】の呪符を作りたいですね」 

 効率厨ですので。

 水中でも呼吸できるアイテム。これがあれば虹の滝の滝つぼから、レア素材が入手できるのだ。湖底神殿にも行けるようになるし、人魚とのイベントもある。無理してでも序盤に欲しい。

「あれは獣属性だ。三年で解剖学を学ばないと、書物の閲覧さえ禁止されている」

 【水中呼吸】とは、呼吸器官を人魚化する魔術だ。体の一部、あるいは全身を獣に変化させる魔術は、獣属性である。ちなみに自分の体液を蜘蛛の糸にする【蜘蛛】も、同じく獣属性。

 だから獣属性の魔術は、解剖学が必須。

「そうですねえ、現実的に考えるとせいぜい【水上歩行】程度ですね」

 わたしの言葉に、レトン監督生は笑った。

 さっきの微苦笑より健全な笑みだ。

「せいぜいか。威勢がいいね。【水上歩行】も二年生にならないと出来ないはずだけど、きみならやり遂げるかな。だけど行動する前に誰かに相談するといい。せっかく素晴らしいものを作っても、認められなければ意味がない」

「べつに認められなくてもいいです。わたし、作りたいだけなんで」

 途端、レトン監督生の笑みが、消えた。

 無表情になったのはほんの一瞬で、また柔らかな笑みに戻る。

 会話選択肢、失敗した………!

 レトン監督生は生まれつき病弱。だからこそ学力や品性で、父親に認められたいってひとだ。わたしの発言は迂闊だった。

 たしかに恋愛値を上げたくはないけど、だからといって嫌われたいわけじゃない。

「作りたいだけ、か。それこそ魔術の本分かもしれないね」

「わたしは我儘なんです。レトン監督生のように無関係のわたしにまで配慮できる人格者になるべきだとは思いますが!」 

 早口で畳み掛ける。

「でも、たぶん我儘さこそ魔術師としての才能だろう。オニクス先生みたいに」

 わたしはあのひとに似てるんかい。

 レトン監督生はローブの下から、小さな袋を出した。

「わたしの浮遊石ちゃん!」

「オニクス先生から返却するよう、お使いを申し渡されたんだ。じゃあ戻るよ。まだ雑用が残ってるからね」

 レトン監督生は席を立つ。

 見送りもそこそこに、わたしは小袋を開いた。あれ、浮遊石以外にもなんか入ってる?

 手のひらに石を落とす。


 わたしの浮遊石は、ペンダントになっていた。


 華奢な銀の鎖。それから蜻蛉の羽根めいた銀細工が、月長石を包み込んでいる。

「ぅ………うわあ、うわあ」

 語彙力が吹き飛んだ。

 だってこんな素敵な状態になってるってどういうこと?

 わたし『語彙力が無くなる』って表現嫌いなの。だって好きなものに対して、表現を諦めたってことじゃない。でも自分の言語が根こそぎ吹き飛ぶ瞬間がある。

 なにひとつ言葉にならず、魂が跪く。

 手の中のペンダントに、涙が落ちた。涙ごと握りしめると、わたしの体温が移ったみたいに温かい。

 ああ、わたしはこのデザインを目にするために、この長い長い夢を見ているのかもしれない。

「ありがとうございます」 

 祈るように、呟いた。





 謹慎が明けた早朝。

 ゲームの中にいるという長い長い夢は醒めていない。わたしの意識は、この愛しい世界に存在している。

 だったら絶対に最優先で成さねばならぬことがある。わたしは急いで服を着て、寮の部屋を飛び出した。

 やるべきこと。

 それは神作家に感想を送ること。

「おはようございます、オニクス先生!」

 職員棟にあるオニクス先生の研究室をノックする。不機嫌そうな顔のオニクス先生が出てきた。

「朝っぱらからなんだ。私はこれから寝るんだぞ」

「大好きです!」

 わたしはペンダントを握りしめて伝えた。

「このデザイン、大好きです。陳腐な言葉を使うのは失礼だと思ったんですが、それでもやっぱり感想をお伝えしたくて! この羽根の繊細な透け感も好きですし、月長石が揺れる細工もぐっときます。羽化していく蜻蛉の魂みたいな雰囲気で、神秘的な空気を感じました! もう目にした瞬間、魂が屈したんです!」

「そんなことを言いに来たのか」

「はい! ………ご迷惑でしたか?」

 先生の顔を覗き込むと、そっぽ向かれてしまった。

「きみの護符が壊れただろう。その代わりだ」

 一瞬なんのことか分からなかったけど、あれか、空の護符か。占いのおばあさんから貰って、すぐ役に立った。

「あれはタダで手に入れたアイテムですよ」

「そんなことは知らん。私のごたごたに巻き込まれて、きみの護符が壊れた。だからそれを作った。以上だ」

「わたしめっちゃ得してますね」

 口許が緩んでくる。

 逆にオニクス先生の口許は、不愉快そうに歪んでいた。

「してない。寝るから帰れ」

「はい」

「あと生徒番号320。自室にドライフルーツを常備しておくといい。謹慎中でも、脳に糖分が行き渡って勉強が捗る」

「はい!」

 オニクス先生は扉を閉める。

 感想を伝えたんだけど、わたしの浮かれた気分は収まらない。

 踊りたい。飛び跳ねたい。

 朝のひかりはきらきらしていて、色硝子に透けて鮮やかな影を描いている。くるくる踊りながら歩いていると、色硝子の窓の向こうに知ってる人影が歩いていた。 

 御者のフォシルくんが、馬の手綱を引いて歩いている。

「フォシルくんっ!」 

 わたしは窓の硝子を押し上げ、窓枠を飛び越える。

「ねえ。このペンダント、素敵でしょう」 

「ああ、うん、ミヌレにスゲーよく似合ってると思う」

 そこはどうでもいい。

 わたしに似合うかどうかより、デザインの素敵さを見てほしかったのに。見る人が見れば闇系魔術のデザインだけど、知らないとシンプルな金線細工系に見える。普段使いできる絶妙なバランス。 

 ま、いっか。

 興味ない話題をオタトークされても、フォシルくんも困るだけだし。わたしは害悪オタになりたくない。

「仕事中ごめんね。じゃあ、また」 

 もっと自慢したい。

 でもオニクス先生が作ったってのが見抜かれたら、贔屓って思われるかも。ひとりの生徒を依怙贔屓してるなんて勘違いされたら、ご迷惑極まりないよね。

 わたしの脳裏に、気さくな冒険者の顔が過る。

 そーだ。ロックさんだ。

 あのひとなら自慢したって問題ない。

 街に行かなきゃ。

 その前に浮遊石でいろいろやってみよう。昨夜はデザインに感動して、眺めたり拝んだり、感想を脳内でまとめたりしてるだけだったし。

 

「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、大地の加護をひととき返上せん 【浮遊】」

 

 身体にかかる浮遊感。

 思いっきり地面を蹴ると、視線がどんどん上がっていった。学院の建物が小さくなる。森のなかできらきら反射しているのは、湖だ。朝日を浴びて、表面に金粉がまかれているみたい。

 森の向こう側から風が吹いてきた。お城や教会の尖塔が見える。

 もっともっと彼方がある。

 世界には果てがない。

 

 そしてわたしは最悪なことに気づいた。 


「………どうやって降りるの!」

 

 これは大地の加護を断ち切る魔術だ。

 下がろうとすると、階段を踏み外す直前の感覚に襲われる。たぶん高度を下げようとしたら、バランス崩して落下する。

 そのうち誰かに見つけられて、何とかなるかなって思ったけど、生憎わたしは高く浮遊しずぎたし、今日はまだ試験休み中なのだ。

 まさか授業のある日まで、このままとか?

 とりあえず靴を脱いだ。これを落として、気づいてもらおうって作戦である。

 下の方で、動いているものが見えた。

 わたしは靴を脱いで、投げる。

 落下してきた靴に、誰かが気づいてくれたみたいだった。よし。

 淑女寮の窓から、寮母さんが顔を出す。

「ミヌレ一年生! すぐに【浮遊】を使える人を連れてきますから、そのままお待ちなさい!」


 ………浮遊使えるヒト。

 

 三十分後、めちゃくちゃ不機嫌なオニクス先生がやってきました。

 寝間着の上に化粧着を着ているし、髪もぼさぼさだ。完全に寝てたところをたたき起こされた状態。

「ぅへへ……ご迷惑おかけします」

「落ちろ」

 ストレートな罵声だった。

「いやあ。それはさすがに死んじゃうんでご勘弁を」

「この高度なら再発動に丁度いい。いいか、落ちるときのコツは上を見て落ちることだ。地面が気になるだろうが、顔を下にすると口に風が入ってきて、呪文が唱えにくい。特に虫が飛び込んでくると詠唱不完全で事故る」  

 それだけ言い切って、オニクス先生は自身の【浮遊】を解除した。

 わたしを睨みながら、自由落下していく。

 落下の最中に、呪文を唱え【浮遊】を再発動する。慣れた所作で着地した。

 なるほど。

 落下して再発動か。

 わたしは眠るときみたいに手を組んで、空を仰ぐ。

 魔術を解除した瞬間、地の加護によって身体が地面へと引っ張られた。

 解放感でドキドキする。


「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに、大地の加護をひととき返上せん 【浮遊】」


 まるで水面に叩きつけられた衝撃が走る。

 落下中に発動すると、けっこうな負荷が内臓にくる。

 物理的衝撃じゃない。落下という大地の束縛を無理に切ってるから、魔術反動が来るのか。

 痛いけど、地面に衝突するよりマシだ。

 わたしの身体は、魔術を解除しても大丈夫な低さまで下がっていた。衝撃がすごいけど、スリルがあって面白かったな。

「【浮遊】は下がる方が難易度が高い。まず下がる練習をしろ」

 オニクス先生が教師っぽいことを言う。

「浮遊酔いもしている」

「浮遊酔い…?」

「ミヌレ一年生。顔がむくんでいるの分かりますか」

 寮母の指摘で顔に触れると、ぶにぶにしてるのが分かった。顔の皮膚の下が変な感じだ。

「【浮遊】は大地の加護を絶つ魔術です。人間の体液も大地の加護に従って、循環しているんです。長い時間使うと体液の循環がうまくいかなくなって、顔がむくんでくるんですよ。浮遊酔いしていると、突然、吐くこともあるんですよ」

 へぇー。

 妙に感心してしまう。 

 寮母さんはわたしの脈拍や体温を測り、オニクス先生は尊大に腕組みした。

「生徒番号320。魔術とは『魔力法則、すなわち魔法を広く使えるようにした技術』。これは教本の序章に載ってるな?」

 魔法と魔術の違いは、基本中の基本である。

「では『魔力法則』の定義は?」

「『魔力がないと発動しない法則』です」

「では逆に『魔力がなくとも発動する法則』とは?」

「『物理法則』です」

「『物理法則』具体例を挙げられるだけ」

「慣性の法則、作用・反作用の法則、質量保存の法則、万有引力の法則………」

 なんだこの質疑?

 脳が正常に機能してるかの確認かな?

「そう、万有引力の法則だ。『魔法』と『物理』は、常に共存している。魔術を使った状態でも、物理法則はある。万有引力の法則に別の法則を上書きしても、身体は万有引力の世界に調整されたままだ。その齟齬が『浮遊酔い』として出る。物理は魔術に従うが、魔術は物理にも従う」  

「つまりですね、ミヌレ一年生。効果が持続する魔術は、物理齟齬による反作用があるんです」

 寮母さんが補足する。

「魔術を身に纏うならば、物理と法律を学ばねばならん。私に遵法精神は欠けているが、それなりに根拠のある法律も少なくはない。なぜならば幾多の術者の失敗から成り立つ法律もあるからだ」

「へぇ」

「商業ギルトの伝書鳩と衝突して、損害賠償で人生詰んだ術者もいる」

「ほげぇ」

「だから【飛翔】には、航空禁止区域が存在する。きみの才能なら【浮遊】どころか【飛翔】を作ることも、発動させて制御することも可能だろう。しかし反作用や過去事例を学ぶ前に魔術を使用するのは、教師として推奨できない」

「ぉ、おぅふ……」

 まったくもってその通りなんだけど、ぶっちゃけ、悪の幹部みたいな見た目の人間が教師してる驚きのほうがでかかった。

 なんでこのひと、こんな外見なんだ。

「だがその向上心には感服している。周りの馬鹿と怠惰どものレベルに合わせて遅々として進まん授業はうんざりするだろうが、まず基礎を固めるといい」

「いえ、そこまできっついこと思ってないです………」

 先生はそうだったのかな?

「周りに合わせるつもりはないですし」

「なるほど」

「さ、救護室に行きますよ」

 わたしは寮母さんに引きずられて、救護室に連れていかれてしまった。

 謹慎の次は絶対安静。

 ゲームだったらあり得ないスケジュールだぞ。

「ミヌレ一年生。【浮遊】を習得する二年生にならないと教わらないことですが………」

 寮母さんは微かに言い淀む。

「月経中に自身に【浮遊】をかけると、たいへん恥ずかしい状態になります」

「は、い………」

 生理中じゃなくて、よかった。

 次、授業でやってない呪符作るときは、きちんと過去事例と反作用を予習しとこ。




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