第十三話(後編) 彼は魔王ですか? いいえ、囚われの姫君です
「さっそく教会に行きましょう!」
「待って、ミヌレちゃん。ニックをここから出すのは猊下たちもお認めにならないわ」
「ここで婚約のお式するんですか? じゃあ空中庭園まで司祭さまがいらっしゃるんですか?」
聖職者と魔術師。
信仰と探求。
相容れないわけじゃないけど、利害一致しないと友好関係を築けない間柄だ。
巡回司祭さまを呼ぶのかな?
「元司祭で賢者のテュルクワーズ猊下が立ち会ってくれるわ。教会から破門されて、魔術師をやっていらっしゃるの」
「ふへっ? 破門されていて大丈夫なんですか?」
「叙聖の撤回は無い」
先生が端的に教えてくれた。
へえ。聖職者に叙任されたら、破門されてもその資格は奪われないんだ。
「資格剥奪されないなら、なんのための破門なんです」
「見せしめだ。破門された司祭が婚姻や葬儀を執り行うと、式は認められるが司祭は教会から罰を受ける」
「じゃあ教会に司祭さまが訴えられちゃうじゃないですか」
お式を執り行ってくれる司祭さまが罰されたら、後味が悪い。たとえ罰金でも嫌だ。
「わざわざ教会が、連盟にケンカを売ってくるものか」
「じゃあやりたい放題ですね」
「やりたい放題だ。ちなみに聖職者は破門後も、免税特権が保持されている」
免税特権。
聖職者は税金が取られないという超破格待遇のことである。
「なんですと! まさか魔術師に転向しても非課税……?」
「その通りだ。司祭に叙聖されてから魔術師に転向すると、どこの国でも合法脱税できるぞ」
嗤うオニクス先生だけど、その後ろでディアモンさんは眦を吊り上げる。
「ニック。テュルクワーズ猊下に失礼なこと申し上げないで。それにミヌレちゃんに先入観を吹き込むものじゃないわ。魔術師の目に色眼鏡を掛けさせるのは、忌むべきことよ」
ディアモンさんがすかさず突っ込み、先生は肩を竦めた。
わあ……ニックって呼んで、先生が反応している。マジで友人だったのかよ。二割くらいしか信じてなかった。
「たしかに私に非がある。司祭に関しては、租税回避と表現した方が的確だったな」
その口調、非なんて一粒も感じてねぇな。
オニクス先生は封印解除されても、全方向自動的ケンカ売り機だった。
しかし破門された元司祭さまか。
賢者連盟に在籍しているってことは、破門された理由が不品行じゃなくて、神の奇蹟を研究したのかな?
教会が奇蹟って謳ってる現象って、だいたい魔法だ。
神のお告げは、信仰心の篤い人間が視た予知夢や遠視。
神の癒しは、魔力夥多による治癒。
水の上に立つとか、水を割るって奇蹟も、【水上歩行】の魔術を魔法として振るえるくらいの人間が存在したってだけだ。魔力が多くて、水属性の適性が高ければ起こりうる。
天使が現れて助けてくれたって奇蹟も、サイコハラジック特異体質によるものだって研究結果があるのだ。
死者蘇生は……時魔術が発展したら出来るようになるんじゃない?
「ニック、そろそろミヌレちゃんを離してあげて」
わたしは先生にずっと抱っこされたままだった。
先生はわたしを離そうとするから、逆に抱き着く。だって離れ難かった。せっかく苦労してやっと会えたのに、引っぺがされるなんていやだ。
わたしがぎゅっとすると、先生はそれ以上、引き離そうとしなかった。
「ほら、ミヌレちゃん。婚約式前にお風呂に入らなくちゃ。あったかいお風呂」
お風呂、何日も入ってない。
あったかいお風呂という単語は誘惑的だ。
「さっきの地震で落盤の危険があったから、エグマリヌちゃんは王都に避難してるわ。元気な顔を見せてあげましょ」
エグマリヌ嬢が心配してるなら会いに行きたい。
でも、このまま先生から手を放して、また会えなくなったら嫌だ。
「ディアモンさんは賢者が一枚岩ではないとおっしゃいました。先生の排除派が強硬策を取ったらどうするんですか?」
離れたくないという感情を、理論武装させる。
「大丈夫よ。ミヌレちゃんがニックがいなくても世界鎮護のお役目を果たすって決意してくれてるのは嬉しいけど、実際にニックがいなくなったらどうなることやら。心が折れて後追いするかもしれないじゃない」
穏やかに縁起でもないことを語られる。
これはわたしに言い聞かせるっていうより、カマユー猊下への牽制だな。
オニクス先生は優しい手つきで、わたしの乱れた髪を梳き、肩を撫でた。
「無用な心配をするのは、愚者の所業だ。いくら機微に疎い賢者とて、世界鎮護の魔術師のご機嫌を損ねたくはない。せいぜいきみの見ていない隙に、私がいびられる程度だ」
「なんて陰湿な………」
わたしと先生の会話に対して、カマユー猊下とディアモンさんが同時に呻いた。
苦々しい呻きを切り上げ、カマユー猊下は先生を睨む。
「オニクス。現時点では睡眠深度3だけど、さっきまでは深度2だったよ。安定するまで観測してくる」
瞬間、カマユー猊下の姿が掻き消えた。
「ようやく消えたか、ガキの皮を被った老い耄れが」
「ニック」
咎めるような短い呼びかけに、オニクス先生は舌打ちで返事した。
先生はわたしを抱っこして、すたすた歩いていく。
「きみは王都に一旦、帰るといい。無理をし続けるんじゃない」
「ういうい」
素足をぶらぶらさせて運ばれる。
先生の腕の中にいることが嬉しくなってきて、顔をちらっと見上げる。
「オニクス先生、顎下に剃り残しありますね。珍しい」
「最後に剃ったのは、きみが一角獣に刺された後、予知発狂で躁鬱になっている時期だぞ。気もそぞろになる」
ぶっきらぼうに呟いた。
オニクス先生はいつも几帳面にお髭を剃っている。レポート採点の山に埋もれていても無精ひげなんか生やしていない。なのにわたしが心配で、髭もろくに剃れなかったのか。
そう思うと、ちっちゃな剃り残しが、たまらなく可愛らしくて愛しくなってきた。あの剃り残しにキスしたい。
でもキスするのも恥ずかしい。
先生の顎下に、わたしの頭を摺り寄せる。先生の剃り残し、好き。大好き。
「何をしている?」
「懐いてます」
「一角獣が懐く対象ではないぞ」
「いまは一角獣化してないから、いいんです」
ぐりぐりと頭を寄せる。
「ミヌレちゃんにずいぶん甘いのね。ニック」
ディアモンさんのからかいに、先生が長ったらしい舌打ちで返事した。
「刺繍遣い。コレから目を離した瞬間に「どうしてそうなった?」という事態に陥って血反吐が出る」
「そんなに目が離せないのね」
「生徒だからな」
「あらあら。ミヌレちゃんって、アナタの受け持ちではないハズよ」
ディアモンさんから冷やかされて、先生はそっぽ向いた。
なんか、おもしろくない。
たぶん嫉妬。わたし意外に恋愛脳だった。
「さっきの地震。ひょっとして邪竜が目覚めたからですか?」
会話に割り込む。
ふたりに割り込める会話内容なら何でもよかったんだけど、思った以上にこの話題は効果てきめんだった。
ディアモンさんの両目と、オニクス先生の隻眼が、わたしに突き刺さってくる。
「誰が教えた、その件を!」
「ニックじゃないの?」
「馬鹿な。私には情報漏洩禁止の【制約】がかかってる!」
怒鳴ってから、隻眼が私を見据える。
「私の過去を、読んだのか?」
「誤解です!」
全力で首を横に振る。
「タイトルだけです。『邪竜の覚醒』ってタイトルだったじゃないですか。ハッタリかましたらカマユー猊下がぺらぺら口を滑らして、あと「睡眠深度」っておっしゃってましたし」
「そうか。私は【制約】で肯定も否定もできん」
「ミヌレちゃんの推察通りよ」
ディアモンさんが肯定しながら、スカートのポケットから何か出す。多色刺繍のハンカチだ。手をふくためじゃなくて、貴人に手紙とか手渡しするときお盆代わりに使うアレ。
ハンカチが広げられる。
精密な刺繍画で、地図が描かれていた。
世界地図じゃなくて、全世界地図だ。
だいたい世界地図っていうのは、わたしたちの住まう西の大陸のみ描かれる。東の大陸を含む地図は、全世界地図と呼ばれる。
「西と東、山脈で分断されてるでしょう」
話の着地点が見えないまま、わたしは頷いた。
西大陸と東大陸。
地続きであるが北は大山脈に分断され、南は砂漠が広がっている。砂漠の帝国が亡んだあと、東西交易は基本的に海路だ。
「大山脈って、生きているのよね」
「活火山ってことですか?」
「そうじゃなくて、それが『邪竜』なのよ。この大山脈丸ごと、古代竜の背骨なの」
「んん?」
その事実を呑み込んでから、わたしはもう一度、地図を睨んだ。
東西の大陸を分断する大山脈。
この山脈そのものが、竜?
「で、両翼が西大陸と東大陸ね」
「んァアアン?」
「身じろぎだけで大地震。千年前に尻尾が動いたせいで、砂漠のダリヤーイェ・ヌール朝は滅んだわ。もし飛び立ちでもしたら、東西の国家はすべて海の藻屑よ」
「これを? このでかいのをどうにかするんですか! わたしが?」
「【睡眠】で眠らせるだけよ」
ディアモンさんはあっさりのたまってくれた。
「だけ? だけってなんですか? こんな巨体に【睡眠】通るわけがな……先生は成し遂げたんですか」
先生へと視線を向ければ、冷笑を口端に浮かべる。
「私は処刑されていない。それが答えのすべてだ」
大陸になってる竜を降したのか。
このひと、魔王かよ……
「崩壊するのは世界じゃなくて、大陸だけよね。世界鎮護って肩書きは大げさな気もするけど」
「いや、大げさではないですよ!」
世界最大の大陸が崩壊して、海の底に沈む。
国が亡びるってレベルじゃない。西大陸の総人口は、えーと、たしか3億だったから、ざっくり考えて6億人ほど死ぬ。
大袈裟でもなんでもねぇよ……
ああ……そうか。
『邪竜』がいるゆえに、賢者たちは月に座しているのか。
万が一に邪竜が目覚めてしまっても。
人類と文化が滅び去ってしまっても。
魔術と魔術師たちだけは、月で生き残れるように。
空中庭園の坑道を進むと、極彩色の絨毯が敷き詰められた空洞に辿り着いた。
異国の絨毯だ。
「行き止まり、ですよね?」
オニクス先生がわたしを下ろす。
素足に絨毯が触れた瞬間、魔力が伝わってきた。
この絨毯にもオリハルコン糸が使ってあるのかな?
てっきりケーブルカーで帰ると思ってたけど、空飛ぶ絨毯に乗って帰るの? それはそれで楽しいぞ。
「これも空飛ぶ絨毯なんですか?」
「空飛ぶタイプじゃないけど、これも古代帝国ダリヤーイェ・ヌール朝の魔術の粋で織られた絨毯よ」
ディアモンさんは語りながら、さらに奥へと足を進める。
ひときわ真っ赤な絨毯が、壁にかかっていた。
灼熱の真紅に、金で鍵文様が織り込まれている。真紅は夕焼けの朱色へと移り変わり、縁取りは宵闇めいて青みが潜む黒だった。
「捲り上げてみて」
いたずらっぽく瞳を輝かせるディアモンさん。
びっくり箱になってるのかな?
垂れ下がっている絨毯を持ち上げた途端、わたしは絶叫しかかった。
居間がある!
光をたっぷりと含んだ花窓のステンドグラス。そのステンドグラスからの万華鏡めいた多彩の日差しに照らされているのは、壁の額縁に飾られた手編みのレースと、棚に飾られた世界中のシルク。
ここ、王都にあるディアモンさんの仕立て屋だ!
信じられない。
「幻影……?」
「いいえ、本物よ」
誇らしげに胸を張るディアモンさん。
「この魔術で古代ダリヤーイェ・ヌール朝は、広大な砂漠を支配していたのよ。古代魔術って偉大でしょう」
「空間移動の魔術が再現されたんですか」
時属性の魔術は実用されるにしても、あと五万日は先だって話は聞いたことがある。
なのに、もう実際に使えるレベルになっているなんて。
「正確に言うとこのアトリエが多重存在しつつ、空間同一性を保持しているの。多数の空間を一点に収縮してるんだけど……時魔術の多重層世界論は分かる?」
首を横に振る。
何を言われても、ちんぷんかんぷんだぞ。
「とにかく時魔術は偉大なのよ。だからこそ実用化はまだまだ先なの。魔術は復元しただけで、再現じゃないもの。古代遺跡の絨毯を修繕できたけど、一からこの絨毯を織れるのはまだずっと先のことね」
「それでも……時属性が復元できてるなんて」
「ミヌレちゃん。連盟に入ったら、いくらでも研究レポートが閲覧できるわよ」
な、なんという甘美な誘惑だ。
でも入学したばかりの頃、時魔術の魔術書を読んだことある。読むというより、文章を網膜に映しただけ。難解すぎて網膜から脳に届かなかった。今読んでもたぶん一行だって理解できない。
あれを理解するには、数秘学も星智学も修めないと。
月に迎え入れられても、わたしには基礎が出来てない。
「連盟のレポートより先に、入門書を読んでおくべきだな」
オニクス先生がアドバイスしてくれる。
もったいなくもありがたいアドバイスだけど、時魔術の基礎の基礎っていうなら、『時空間魔術の位相入門』のことだよね。プラティーヌ殿下が読んでいたすんごい難しい魔術書だ。
「『時空間魔術の位相入門』なら、ちんぷんかんぷんです」
「それは古代魔術を現代魔術の理論で証明したからだ。翻訳に翻訳を重ねている状態だから、かえって迂遠で粗雑になっている。駄文だな。きみだったら『オリハルコン賛歌』と『砂漠魔術図案』から入った方が理解が捗る」
隻眼をディアモンさんに移す。
「『オリハルコン賛歌』の抄録なら持っているだろう。貸してやってくれないか?」
「そうね。ミヌレちゃんは美的センスがあるから、古代美術からとっかかりつけた方が早いかもね」
ディアモンさんが頷く。
それはわたしに貴重な書物を読ませてくれるってことだ。
やったね。
空飛ぶ絨毯の魔術とか、オリハルコン糸とか、時魔術とか、新しいことがいっぱい学べる。どきどきしてきた。
好奇心がわたしの心臓のリズム、探求心がわたしの心臓のメロディ。
新しい知識を手に取って、わたしは踊りたくなる。
それにもっと嬉しいことがある。
オニクス先生は、わたしをどう導けばいいか理解しているんだ。
このひとがわたしを教え導いてくれる。
今は囚われのお姫さま状態だけど、必ずあなたを自由にします。
待っててくださいね、先生。
……あれ?
クワルツさん、どこいった?




