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第十三話(前編) 彼は魔王ですか? いいえ、囚われの姫君です

 

 遠く彼方から、狼の遠吠えが響いた。 

 クワルツさんが先生の匂いを発見したのだ。

 急いで行かなくちゃ。 

 

「嘶け、我は獣」


 わたしの詠唱と同時に、ディアモンさんの絨毯が大きく波打った。足場が保てない。

 焦りをねじ伏せ、詠唱を続ける。

 この絨毯を角で貫いても、駆けてやる。


「蹄を持ちて走駆せし獣」


 絨毯がわたしを包む寸前、大気が震えた。

「ほへっ?」

 地震だ。

 なんだこの大地震。

 オリハルコン鉱山さえ共鳴している。

 この世界の大地と大気が、打ち震えながら咆哮している。まるで大地が巨大な生き物になって、暴れているみたいだった。 


 ディアモンさんが、わたしから視線を外している。

 その視線の先は、カマユー猊下だ。

 星幽体でここに来ているカマユー猊下が、一見して狼狽していた。なにひとつ被害を受けない身でありながら、その視線は大地のあちこちを見下ろしていた。

「観測結果、睡眠深度2! オニクスをたたき起こす準備をしろ!」

 その単語の意味を考えるのは後だ。

 わたしはわたしの魔術を完結させる。


「角を宿して、毒を清め、汝を貫き裁くもの 【一角獣化】」 


 わたしは一角獣となって、跳びあがり、狼の咆哮を追う。

 空中庭園の坑道のひとつに入った。

 暗闇の中、漆黒の狼が待っている。瞳だけが存在するように輝いていた。

 クワルツさんに先導され、わたしはひたすら照度ゼロの坑道を走っていく。


 魔術師たちの狼狽はなんだったんだ? 

 地震。

 観測。

 睡眠深度。

 先生を起こす。

 カマユー猊下が先生を起こす理由は、たったひとつしかないだろう。

 世界鎮護の役目を果たさせるためだ。

 『邪竜』をどうにかするためだ。

 

 まさか『邪竜』って、地震のこと……?


 地震そのものだったら、物理で倒せないもんなあ。

 とはいえ、闇魔術で地震をどうするつもりなんだ?

 震源地の特定を、先生が霊視するのか?

 催眠系は生き物相手じゃないと通じないからな。ガーゴイルとかゴーレムのように、精神を持たない対象に闇魔術は無意味だ。

 

 生き物。

 『邪竜』が、大地震を起こすほどの生き物だとしたら……?

 もしそうだとしたら催眠系闇魔術を使えるけど、そんな恐ろしい幻獣が存在するってことになるぞ。

 

「ミヌレくん、匂いが近いぞ」

 

 息苦しい坑道から、広い空間に出る。

 大きな天窓から、朝の光が差し込んでいた。

 礼拝堂だ。

 岩石以外は何もない。祭壇も階段も蝋燭窓もすべて、赤銅色の岩を掘って造ってあった。

 壁の両側には、石彫りの聖人像と聖女像が林立している。


 鉱夫たちの祈りの場所だ。


 いちばん天に近い鉱山で働く鉱夫たちが、僅かばかりの余暇を祈りのために使っていた。

 身体を休ませるためでなく、信仰のため。

 どの石像も、素朴ながら眼差しや指先に統一感があって生き生きとしている。魅力的な作品だ。人生のために信仰する人間より、信仰のために人生を捧げる人間は綺麗だ。 

 林立する像たち。その間に、巨大な六角水晶が煌めいていた。外からの光の差し込み加減は淡いのに、この水晶は輝いている。日光の反射じゃない。魔力の光だ。

 これは巨大な護符。

 蹄でノックすれば、六角水晶は透き通った。

 硬質な輝きの奥底に、オニクス先生が眠っている。先生の寝顔は妙に安らかだった。

「囚われのお姫さまみたいじゃないですか」

「吾輩には封印されている魔王にしか見えんのだが」

 突っ込みを無視して、わたしは人の姿を取る。

 この水晶を撫でまわしてみて分かったけど、物質じゃない。防御魔術だ。魔術式の構築が複雑で、土属性なのか水属性なのか分かりにくいな。護符による複合式かな?

 どちらにせよ魔術なら解除できる。

 六角水晶に口づけた。


 わたしの唇は、石化を解き、宝石の呪いも解き、怪我も病魔も癒す。

 

 六角水晶の輪郭が崩れ、温度の無い水のように霧散していく。

 先生が倒れ込んできた。

「ひゃわっ?」

 心臓が跳ねあがった。

 先生だ。先生の匂いがする。複雑な甘さの月下香。

 匂いを嗅いでいると、隻眼が開かれる。

 闇みたいな虹彩に、わたしの鉱石色の髪がきらきらと映った。

「先生! ご無事でしたかっ?」

 わたしの問いと同時に、大きな手のひらが胸に触れてきた。

 一角獣に獣化しやすいよう、わたしが纏っているのはフード付きマントだけ。マントの下の素肌に触れられる。

「ふへ? ………え、あの、先生? なにをするんです?」

 硬くて大きな手が、わたしの胸のかたちを確認するように撫でまわしてくる。逃げようと思って身を捩ったら、首筋を撫で上げられて、耳の下をくすぐられた。

「……ひゃっ、あ」

 先生の指先が胸の脇を通って、下へ降りていった。

 あ、その触り方は、ぞくぞくする。

 震えていると、太ももの付け根を撫でられる。

「先生、ぁ、やだ、先生、いきなり」 

「安定の仕方が異常だぞ」

「え?」

 真剣な瞳で覗き込まれた。

「きみの経絡が、恒常的に活性化している。【一角獣化】の呪符が、循環状態で安定して………いや、虚実が逆なのか。違うな。どちらとも虚像化している? どういうことだ?」

 わたしの膚を撫でまわしながら、眉間に皺を寄せる。

「まさかずっと一角獣状態だったのか?」

「はい。しばらく一角獣のままでした」

「どうやって人の姿に戻った?」

「狼にハラワタを喰わせて、治ろうとする魔力を利用したんです」

 説明した途端、先生の顔から一気に血の気が引いた。

 へえ~、人間ってこんなに一瞬で顔色が変わるのね~

「大丈夫です。無茶したのは最初の一回だけです。次からちょっと皮膚を傷つけるだけで、人の姿に戻れるようになれましたから」

「私が目を離すたびに、とんでもない状態になるんじゃない!」

 ふへへ、叱られちゃった。

 背後から、足音が響く。

 礼拝堂に踏み入ってきたのは、魔術騎士団とカマユー猊下御一行さまだ。

「この蛇蝎! 彼女に何をしている!」

「なんだ? 私は生徒を診察しているだけだが、ご老体にはどう見えた」

 相変わらず挑発と皮肉しか行動選択肢がないらしい。

 そんなことしてる場合じゃない。

「先生! 逃げましょう!」

 そのために空中庭園まで来たんだ。

 可及的速やかにとんずらするぞ。

「逃げる?」

「はい。先生はわたしを癒してくれたんですから、わたしは先生を助けたいんです」

 そう言い切ったら、先生は首を傾げた。

「きみは私と婚約したくないのか? 私はそのつもりだったが………」

「そのつもり?」

「きみと婚約しても構わん」


「…………せ、先生が…先生が洗脳されてるゥウウウ!」


 大絶叫が礼拝堂に轟いた。

「誰だァアアッ! 先生の脳みそをパンケーキにしたやつ! 出てきなさい! ぶちのめす!」

「落ち着きなさい。婚約を歓迎しているわけではないが、許諾してもいいと思っているのは本心だ」

「嘘だァアア! わたしがほかの男と結婚したら、こんな風に抱き締められない~とかほざきながら甘やかしてたひとが、どうして婚約してもいいとか社会的人間みたいなこと言い出すんですかァアアッ? 先生が自覚してないだけで、きっと洗脳されているんですよ。わたしが術者ぶちのめして、元通りにさせますからご安心を!」

「オニクスに催眠系が通るわけないよ」

 忌々しそうに言ったのは、カマユー猊下だった。

 たしかに。

 先生の闇耐性は高い。

 よし。落ち着いて考えよう。

 そもそも催眠系で干渉しようが、先生はわたしと婚約するなんて口が裂けても言わないよね。

 むしろ死んでも言わない。 

 ………ひょっとして、もう、死んでる?

 ここでわたしを抱きしめている先生は、抜け殻?

「【屍人形】……?」

「何故、結論が悪化した?」

「ウアアアアア! 先生を殺して、脳みそに蜂蜜を詰めやがったな! 全員、脳みそ耳から引きずり出してやる!」

「まず落ち着きたまえ。こんなに精巧な【屍人形】がいるわけない」

「いますよ! ラピ………ひぐっ」

 ラピス・ラジュリさんのことを言いかけた途端、先生の指が口の中に突っ込まれた。わたしの口内を無遠慮にまさぐる。

 だめ。口の上の方くすぐられると、ちょっと気持ちよくなってしまう。

「体温もあるし、脈もあるだろう。死んでいない」

 暖かい。

「うい」

 わたしは先生の指を咥えたまま返事した。

「きみの幸せを考えた。平均的な女性が取りうる選択は、経済と人格が安定した異性と結婚することだろう。それは知識としてある。だがこの知識をきみに合わせるのは浅慮だった」

 マジでおっしゃる通りです。

 浅慮だよ。

 腹立ってきたので、先生の指を甘噛みする。

「きみという人格の幸福を熟慮すると、魔術師として生きることだと思い至った」

 まことにおっしゃる通りです。

 さすが先生。

 嬉しくなってきたので、先生の指を吸う。

「だから私と正式に婚約をすれば、私に何かあった場合、魔術師として有益な財産がきみに遺される。分かったな」

 そう言って、わたしの口から指を引っこ抜いた。 

「先生の財産……?」

「職員棟の私室にあるもの、博物標本と魔術書すべてだ」

 先生のお部屋の標本と書物、ぜんぶ。

 原石に裸石、珊瑚に貝殻、琥珀へ変わっていく過渡期の松脂、翡翠色した卵の殻や、そばかす模様の小さな卵。絶滅怪鳥の骨格や、猛禽の剥製たち。そして細やかな花の群生めいた角を宿す、奇形の鹿の頭蓋骨。

「ひぇっ」

「それから書斎机と椅子も私物だ」

「あのトレス台付のかっこいい机もですか!」

 オニクス先生は無表情に頷く。

「私に万が一があった場合、遺産は国庫に召し上げられて競売にかけられる。金に飽かせた収集家や研究家の手に渡るより、きみに使ってほしい。その方便としての婚約だ」

「でも、お姉さんに相続権は………」    

「私の出自を忘れたか? 血縁など教会簿にも記載されていないし、申請もしていない。法律上は無関係だ」

 ははーん。

 なるほど、ふむふむ、先生の考えが読めた。

 先生はきっと脱獄して、その後に自分の死を偽装するつもりだ。

 どういう方法で偽装するのか、どうやって死体を用意するのか、そこまで予測できない。

 でも自分が死んだことにすれば、賢者の牢獄からは逃れられる。ほとぼりが冷めるまで逃避行するより現実的だ。

 わたしという後釜がいる以上、賢者たちは血眼にはならない。カマユー猊下はどうか知らんけど。

 死を偽装するなら、いいタイミングかも。

 だけど偽装でも死亡してしまえば、この世にふたつとない博物標本や魔術書が散逸してしまう。そうならないように、死んでいる間の財産管理を、わたしにさせようって魂胆だ。

 先生の蔵書を自由に閲覧できるなら、維持管理賃として申し分ない。

 ウィンウィンである。


「婚約式を挙げましょう!」 


 わたしは満面の笑みで承諾した。

  

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