第十二話 鍵
「ええ、わたしが世界鎮護の魔術師になります」
カマユー猊下を睨み上げながら、宣誓する。
動揺を悟られないように、笑って。
内心はめっちゃビビってる。
今すぐ処刑命令とか、やめろよ。
カマユー猊下の気を引かないと駄目だ。星幽体だから攻撃は一切効かない。
嘘でもハッタリでも、なんでもいい。言葉を駆使して、わたしに意識を引き付けなければ。
「『邪竜』をなんとかすればいいんでしょう」
気が引ける分からない。
一か八か、わたしは聞きかじっただけの単語を口にする。
『邪竜』という名詞に、エグマリヌ嬢は首を傾げたけど、カマユー猊下の顔は青ざめた。
「馬鹿な、どうしてその名前を……!」
どうやらわたしの推測は正解らしい。
「『邪竜』は世界を滅ぼすかもしれないのに、倒せないのは大変ですよねえ」
『邪竜』
カマユー猊下は狼狽えたが、なんのことはない。情報源は小説化された先生の過去だ。一巻は『戦争の梟雄』、二巻が『闇の教団』、そして三巻が『邪竜の覚醒』。
一巻はほとんど読んでしまったから、内容は知っている。飛地戦争を勝ち抜くため、えげつない戦略を使っていた少年時代。
二巻はカマユー猊下からの暴露話だろう。闇の教団での副総帥時代。
そして三巻だ。
三巻のタイトルは『邪竜の覚醒』。
以前、学院でプラティーヌ殿下が「飛地戦争の勝利の立て役者、闇の教団を壊滅させて……世界を救った話は、王宮機密だったわね」って言っていた。
たぶん「世界を救った」イコール『世界鎮護の魔術師』だ。
その件はきっと三巻目に書いてあるだろうし、そのタイトルが『邪竜の覚醒』なら言わずもがな敵は邪竜だろ。
世界鎮護ってのは、邪竜をなんとかすることだ。
なんとかだ。
倒すことじゃない。
オニクス先生は「私以上に魔力が高く、私以上に闇の魔術を扱える」ってのが、鎮護条件って言っていた。
闇魔術は大別してふたつ、霊視系か催眠系。
霊視によって邪竜を探索する。
あるいは、催眠によって邪竜を従わせるなり、眠らせるなりする。
もしくは、両方。つまり霊視して催眠だ。
少なくとも賢者連盟は、邪竜を倒せない。倒せないのか、倒したらどこかに悪影響があるのか、そこまで絞り込めないけどね。とにかく闇魔術で邪竜に対処するしかないのだ。
「誰から聞いた! オニクスには口外できないよう【制約】させたはずだぞ」
「ひょっとするとわたしのキスで、先生の【制約】が解けたのかも」
「馬鹿な……ッ! 【制約】は誰にも解けん! 絶対に!」
濃淡の視線が、空中庭園の廃坑に向けられる。
ああ、あそこらへんに先生が監禁中か。
カマユー猊下は動揺していた。ブラフじゃなくて本当に動揺している。
このひと、あまり戦場慣れしてないな。
捕獲すべき相手の前で狼狽している暇なんてないのに。
露骨な隙をついて、わたしは魔力を練る。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに」
魔力によって魔術を構築、呪符によって魔術を展開、呪文によって魔術を発動させる。
「大地のひと掬いを返上せん」
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、空気の波紋、弦の唸り」
わたしの唱える呪文に対して、遠くの岩陰から呪文が谺する。
やっぱり魔術騎士団が何人か隠れて、成り行きを見張っていたな。
唱えられている呪文は、予想通り【静寂】だ。
「すべてを静め鎮めて沈み賜え 【静寂】」
さすが魔術騎士団、凄まじい練度の高さだ。向こうの呪文の方が末尾の結びが早い。
世界が【静寂】した。
すべての音を失った領域で、もはやわたしは無力だ。
わたしは島の縁を目指して走る。崖っぷちのぎりぎりまで駆けても、まだ【静寂】の有効範囲内か。馬鹿みたいに効果範囲が広い。
崖下には、赤い大地が広がっていた。
虚空に飛び降りる。
危険だけど、こうするしかない。
【静寂】は一定の範囲に掛ける魔術。その範囲外にさえ出てしまえば、呪文は唱えられる。あるいはわたし自身を人質に、【静寂】を消させるかだ。
風の唸りが、鼓膜を震わす。
世界に音が戻ってきた。
構成しかけた【土坑】の魔術は、保持できている。
よし、いける。
「穿たれ、空虚に還り賜え【土坑】」
わたしの全力が、空中庭園を穿つ。
落盤してくる岩たち。
オリハルコン含有量が多い岩は浮遊しているままだけど、少ない岩は重みに引きずられて落ちてくる。
「嘶け、我は獣」
わたしは【一角獣化】を唱える。獣になって、落下してくる岩を階段にして跳ね上がればいい。
一角獣の脚力と俊敏さがあれば、難なくこなせる。
島まで駆け上って、クワルツさんと合流しよう。
突如、極彩色が眼前に広がった。
「ふへっ?」
なにこれ。
なんの魔術が思いつくより早く、分厚い布がわたしをぐるぐるまきまきする。
足元がふわふわして、力が入らない。
なにこれ、なにこれ。
こんな魔術、知らない!
落ち着け、感触は羊毛だ。よくこなれた羊毛でふかふかに包んでくれている。心地いいくらいだ。
わたしが抵抗を緩めると、羊毛の布は束縛をやめた。
広がって、太陽のひかりを受ける。
わたしを包んでいた極彩色は、絨毯だった。
単調な色ばかり見続けていた眼球には鮮やかすぎるほど、絨毯は彩を凝らしてあった。薔薇紅に宵闇紺、雪白に金蜜。色のひとつひとつに躍動感がある。絢爛を縦糸に、豪奢を横糸にして織りなした、異国の絨毯だ。
「………飛んでる!」
ふわふわと絨毯が浮かんでいた。
空飛ぶ絨毯!
「こんな魔術、あったの?」
「砂漠の古代帝国ダリヤーイェ・ヌール朝の魔術よ。オリハルコン糸を織り込んであるの」
驚きに答えてくれたのは、男のひとの低い声。
声の方向を見上げれば、顔見知りの美人が佇んでいた。
王都の仕立て屋、ディアモンさんだ。
「ディアモンさんっ? ふへっ? ………ま、まさかディアモンさんが、七賢者のひとり…?」
「アタシが七賢者なんて、恐れ多い。アタシは大賢者パリエト猊下の二番弟子なのよ。パリエト猊下は古代魔術の再現実験で手が離せないから、アタシが名代を務めているの」
大賢者パリエト。
たしか『生命宝石総覧』にその賢者のことも書いてあったな。専門は、古代魔術と、羊毛とか絹とか動物繊維への魔術付与。
ディアモンさんはふわっとした所作で、空飛ぶ絨毯に降り立った。
立て襟型ワンピース。密に織られた硬い臙脂色の生地に、スリットから覗くアンダースカートは軽やかなシフォン。硬く濃い生地と、柔らかく淡い生地の対比が、それぞれの生地の良さを引き立ている。
目も綾な刺繍が施されているけど、今は賞賛する余裕がない。
ディアモンさんは輝く瞳でわたしを見つめる。
「ね、ミヌレちゃん。ニックを助けにきたんでしょう」
ニック?
………って、誰?
わたしの名前、ミヌレの愛称はミーヌだ。
クワルツさんは本名がクワルトスで、愛称がクワルツになる。
エグマリヌ嬢は、マリヌ。
ちなみにサフィールさまは、フィル。
このディアモンさんは、アモン。
そんでもってオニクス先生がどういう愛称になるかというと、ニクスか、ニック。
「………は? 先生を、愛称呼び?」
信じられない事実に震撼する。
オニクス先生を、愛称である「ニック」と呼ぶ存在。
「ニックとは友達なのよ」
「ともだち! 先生に! ありえない! このひと絶対わたしを騙すつもりだ、裏切られたッ!」
「ホントのホントに友達なの。だからアタシはニック解放派で………」
「騙さないで!」
オニクス先生だぞ。
「宮廷の蛇蝎」とか「戦乱の梟雄」とか「悪の大幹部」とか「子飼いの暗殺者を抱えていそうな顔の男」とか呼ばれるのは心の底から同意する。でも友達なんて信じられない。
「ホントなのに………」
「なら、ラーヴさまってご存じですか?」
わたしは先生のお師匠さまの名前を口にする。
「いいえ。ニックと親しい方かしら? アタシとニックはお互いにプライベートに踏み込まないから、友情を保っていられるのよ」
「じゃあ先生の好物は?」
わたしの叫びに、ディアモンさんは瞳を瞬かせる。
「えっ? 好物? ………そうね、ワインとドライフルーツかしら? その組み合わせでよく呑んでるもの」
ハズレだ。
だけど、たぶん、それ正解。
先生は『引かれ者の小唄亭』でワインにこだわっていたし、ドライフルーツを勧めてくれた。そもそも、その組み合わせでよく呑んでるって知ってるってことは、食事を何度も一緒に取ったってことだ。かなり親しいぞ。
スイカはいくら好物でも季節限定だし、おそらく普段はワインとドライフルーツを好んでいるんだろう。
つまり先生とディアモンさんは、と、も………ともだ…ち……
ハンクラ仲間!
オニクス先生は彫金が趣味で、ディアモンさんは服飾を愛している。つまりはハンクラ仲間。
よし。
「ギリギリ了解しました」
「何がギリギリだったのかしら?」
ギリギリである。
呑み込めたけど、胃のこなれが悪い事実だ。先生に友人がいるなんて。
カマユー猊下が島から降りてきた。濃淡の瞳に先生への憎悪を燃やしている。こういう敵は何人いたって、疑問なく頷けるのに。
ディアモンさんは細く吐息した。
「ミヌレちゃん。賢者って言っても一枚岩じゃないわ」
――七賢者のうち、五人と折り合いが悪くてな――
以前、先生がそう言っていた。
折り合いが悪くない賢者が、二人もいるってことか。すげーな。
「過去の罪より、未来の世界。そういう意見もあるの」
わたしは適当に相槌を打った。
もろちんカマユー猊下は声高に異論を叫んでいる。星幽体じゃ物理干渉できないので、音声を無視すれば何のこともないが。
「だからね、ミヌレちゃん。ニックと結婚式を挙げましょう」
「はへ?」
なにやら、トンチキな単語が聞こえたぞ。
幻聴か?
わたしが聞き返すより早く、カマユー猊下が口を開いた。
「どういうことだ、ディアモン魔術師! ぼくはそんなこと聞いてない!」
「カマユー猊下は会議終了前に、会議室を出て行かれたせいでしょう。そのあとの話し合いで、世界鎮護の魔術師たる『夢魔の女王』の夫として、ニック……いえ、オニクス魔術師に席を与える結論に達しました」
「馬鹿な! 誰がそんな道理に外れたことを!」
「詳しくは公文書を御覧くださいませ」
結婚式。
夫。
わたしの、配偶者として。
「結婚式……」
「ええ、分かっているわ。ミヌレちゃんはまだ未成年だもの、結婚できないわよね。でも婚約式なら挙げられるでしょう。司祭さまの前で誓う正式な婚約式よ」
ディアモンさんはきらきら輝く笑みを浮かべた。
どうして彼が笑っているのか理解できない。
「ミヌレちゃんの婚約ドレスは、あと微調整だけよ! アタシの自信作!」
ぐらり、と視界が揺れる。
喉の奥に圧迫感があった。吐くものが無いときの吐き気に似ている。
「………そんなの、先生が、望むはずがない」
声を出せば、喉が痛くなる。
目頭まで痛くなってきた。
「わたしは先生を自由にしたいだけです! わたしに世界鎮護させるために、婚約なんて! そんなの生贄じゃないですか!」
牢獄の鍵が、賢者からわたしへ譲られるだけ。
先生は結局、檻のなか。
ちっとも自由じゃない!
わたしの恋心が消えてしまえば、先生は罰せられる。婚約相手に媚びなければ、死か、あるいは死に近い罰が下される。地獄だ。そんな悍ましい境遇に、愛しいひとを追いやるなんて、誰が望む?
誰も望まない。
「あなたたちは信じられない!」
許さない。
絶対に許さない。
殺そうとするカマユー猊下も、生贄にしようとするディアモンさんも、わたしはどちらも許せない!