ミニャルディーズは幸せに 5
ぼくとアルは緊迫しているけど、太っちょ貴族は悠々とやってきた。
笑顔で手を振る。
「わあ、ニケルくんもいる。お嬢さんもいっしょなんだね、大きくなったね」
「お久しぶりです、コランドンさん」
ニケル氏が席を立って挨拶する。
親しさに驚いたけど、驚いた顔をしないように椅子から立って、上流階級の真似をする。こういう所作を真似ないと、スフェール学院でやっていけない。
「カイユーくんたち。ぼくの兄のコランドンだよ、宮廷司書を務めている」
ラリマー編集長の兄?
じゃこの人類の極限まで肥大化した貴族が、ふたりいる兄の仲の良い方?
顔の輪郭も鼻も膨れ上がっているけど、たしかにラリマー編集長と髪の色は同じで、太眉や目元が似てる。
「コラン兄さん、この子はスフェール学院に受験している子と、その友達だよ」
「後輩予定か。がんばってね」
にこやかに励ましてくれる。
穏やかそうだけど怖い。セラを付け回した張本人なんだから。
早くセラを逃がしたいけど、どうすればいいんだ。
女給さんふたりかがりで、二人用の椅子を持ってくる。コランドン氏は腰を下ろした。椅子に座っただけで、腰回りや足の贅肉が潰れる。立っている時はギリギリ人間の輪郭を保っていたけど、座ったらもう人類としての鋳型からは外れてしまった。首回りの贅肉も圧迫されて、三重顎になる。
「犬の散歩ってけっこう疲れるねぇ」
「ちょうどいい運動だよ。出不精を極めた兄さんが、どういう心境の変化?」
「実はねぇ、もう一度、会いたい子がいてねぇ。探してるんだけど、見つからなくて」
「探そうか?」
ラリマー編集長は、軽く言う。
国外まで情報網を持っている新聞社のトップが、人探しを請け負おうとするの、ちょっと怖いな。
「あのね、陶磁器人形みたいに可憐な女の子なんだ。腰より長い金髪に、瞳は青磁色。13歳くらいでねぇ」
「……兄さん?」
年齢を耳にした途端、ラリマー編集長とニケル氏から不穏な威圧が放たれた。
「ちがう、ちがう! 変な意味じゃなくて、その女の子、初恋のエマちゃんにそっくりなんだ」
「コラン兄さんの初恋の相手? ……現実に存在するんですか?」
「うん、ずっと昔の話だよ。エマちゃんっていって、勿忘草みたいな可憐な子だった。あれは雨の続く春……」
「兄さん。短めにお願い」
「……えっと、ぼくと付き合ってたけど事故で死んじゃってねぇ。お墓参りしたくても、父上に子爵家の子息が庶民の墓参りなどみっともないって、お葬式も墓参りも許してくれなくて。どこの教区に埋葬されたさえ教えてくれなかったんだ。でも、この前ここで会った女の子はすごく似てるから、妹とか姪とか従妹だと思うんだ」
コランドン氏は瞳を潤ませながら語る。
セラとセラの母親は、姉妹みたいにそっくりだ。
まさかとは思うけど……もしかして話の流れ的にぼくたちが突き止めようとしていた『父親』は、コランドン氏なんじゃないか。
「容疑者の自白か?」
ニケル氏が頬杖を突いた。
「兄さん。他人の空似なんじゃない?」
「絶対に血縁だよ! ぼくはエマちゃんの睫毛の数まで覚えているよ!」
すごい剣幕で言い切る。
「その初恋のご婦人に最後に会ったのは、何年前?」
「14年前」
計算が合ってしまう。
沈黙してしまったけど、コランドン氏の剣幕がヒートアップする。
「何年経っても、ぼくがエマちゃんを忘れるはずない! ……父上はもう亡くなったし、せめてエマちゃんのお墓に参って、盛大に追悼ミサを挙げたい」
「ところでコラン兄さん。そのご婦人が亡くなった事故、どんな事故だったの」
「馬車事故って聞いたよ」
「聞いたってことは兄さんは事故の瞬間どころか、後日、その現場へも行かなかったってこと? 新聞か、先代子爵以外から裏取りは?」
「場所も教えてもらえなかったんだよねぇ。庶民の区域だから話題になってないから、新聞も探せないし」
「それで先代子爵の話を鵜呑みにしたの?」
「鵜呑みって、父上がそう言ったんだよ」
「あのろくでなしの言葉を?」
「………え、だって、父上がそう言ったんだもん」
コランドン氏がぷるぷる震える。贅肉がぷよぷよしていた。
隠れているセラを一瞥し、アルもセラをこそっと小突いる。
「おい、セラ。お前の母親の名前は?」
「エマイユだよ!」
叫びながら、勢いよく立ち上がる。
きらきらとした金髪が舞い上がって、白磁の顔立ちが春の日差しを受けて、コランドン氏の瞳を奪った。
「エマちゃんだ!」
「セラです」
強張った顔で訂正する。
「エマは母の愛称です。ちなみに母は一人っ子で、いとこもいません」
「え?」
「僕は父親が死んだって聞かされてました」
「えっ? ええっ?」
混乱と困惑で、テーブルが飽和していた。
冷静なのはニケル氏だ。
「ラリマー。お前の父親って、こういう身分差恋愛って金を積んで片付けるタイプ?」
「何もかも金で片付けるろくでなしだよ」
セラの母親のエマイユさんが、欺かれていたのか、それとも言い含められたのかさておいて、つまりはこの太っちょ貴族が、セラのお父さんで、ほぼ確定?
「えっ、えっとエマちゃんは結婚したの? 娘が生まれて?」
「母は結婚してません」
「子爵家が金を出したなら、このセラって子は、コランドンさんの実子だと思いますよ」
ニケル氏の言葉に、コランドン氏の混乱に拍車がかかった。これはもう拍車どころじゃなくて乗馬鞭を打たれた勢いで、混乱している。
「えっ? なにそれ? 分かんないけど、エマちゃんが生きているの?」
「あなたのエマちゃんが、僕の母親のエマイユのことなら生きていますし、元気で陶器修繕アトリエを切り盛りしていますよ」
「生きてる? エマちゃんが……生きている!」
コランドン氏の空色の瞳が、ラリマー編集長へ向けられた。
「ラリマー、エマちゃんの様子見てきて」
「なんでぼくが? コラン兄さんが行けば?」
「だってぼく太っちゃったんだよ。エマちゃんに幻滅されたくない」
「自業自得だよ。不摂生しているから。ぼくはおやつを1日3回までって節制しているんだ」
それ、節制かなあ。
「なんてストイックな……」
コランドン氏が震える。
なるほど。子爵家においてストイックって単語は、一般に使われている意味とかけ離れているのか。
「だけどラリマー、そんな努力も無駄だよ。グノーム子爵家の男はね、どう頑張っても最終的に太る体質なんだよ。血の宿命だよ。みんな太ってるでしょ!」
「たしかに全員肥満だけど、遅延は可能!」
そしていきなりセラが卒倒する。
アルが片腕で受け止めた。
「セラ? どうしたの?」
「ショックがでかかったんだろ。将来的に可愛くなくなる事実だぞ」
「なるほど?」
かなり混乱が極まってきたな。
「すみません。落ち着ける室内席に移動させてください」
ニケル氏がチップを出して、女給さんに落ち着ける部屋を頼んでいる。冷静だ。
コランドン氏とセラが落ち着くまで待つか。
そこに犬が2匹飛び込んできた。
真っ白いポルスレーヌ犬が2匹、気絶しているセラに飛びついてくる。見たことある犬………というか、この2頭はセラの家の犬だ。
「ダリアとダフネ……」
「あら、セラがいるの?」
穏やかな声は、セラの母親のものだった。
淡紫にピンクシフォンを重ねたドレスで、陶磁器のピアスとチョーカーにはリラの花が描かれている。ふわふわと揺れる様子は、春の花びらにみたいに、お茶席にひらりとやってくる。
コランドン氏が立ち尽くし、大粒の涙を流していた。
セラのお母さん、エマイユさんの眼差しが、コランドン氏へと向けられる。
長い睫毛が瞬いた。
「……コランドンさん、あなた生きてたの。相変わらず泣き虫ね」
エマイユさんはなんてこともないように呟いた。




