第十一話(後編) 一角獣は愛ゆえに屈するのだ
わたしの告白に、エグマリヌ嬢の眼差しが眇められた。
「ミヌレは人並外れた行動をするけど、でも、天才肌の魔術師は先鋭的な発想をするものだろう。それを狂っているなんて、おかしいよ。あの男に騙されていないか?」
「先生を疑わないでください」
わたしの一言で口を噤んだけど、それでもエグマリヌ嬢は疑わしげだった。
いくぶん過ぎた黎明に、わたしの髪が目まぐるしく乱反射する。視界を邪魔する髪をかき上げた。
「……わたしは、ずっとこの世界がゲームだと思い込んで、出会う人たちをキャラクターだと思っていた」
「ゲーム……?」
エグマリヌ嬢は小首を傾げた。
そりゃそうだ。
まだこの世界にコンシューマーは存在しないんだ。ゲームって言ったら、ソリティアとかエシェックとかトリックトラックとかのボドゲ系か、ランスクネとかピケとかのカード系だよね。
乙女ゲーの世界だと思っていましたって、概念と技術と感覚をどう説明したらいいんだ。
先生はわたしの魔法空間まで下りてきたから、一見に如かずで理解してくれたけど、言葉だけで説明って難しい。
どう説明する?
――色彩と音声付きの書物だろう? ――
――内部に何百冊だか何千冊もの本が内包されており、選択肢で違う書籍へと移る――
「ゲームブック!」
わたしは突発的に叫ぶ。
ああ、実際に作っておけばよかった、ゲームブック。
せめて簡単にクリアできる短編でも作っておけば、彼女と概念共有できたのに。
「わたしの予知形態って、ゲームブックって感じなんですよ。選択肢によって指定のページに飛んで、読み手の選択で結末が変わる書物です。しかも色彩挿絵と音楽と音声付き」
「おもしろいね。そういう魔術道具が発明されたら、吹雪が続いている日も一人で楽しめそうだね」
「その予知でエグマリヌ嬢が登場して、仲良くなるとお得だな~って判断して仲良くなったというか」
「じゃあボクたちの友情は運命だね」
えくぼを作るエグマリヌ嬢。
なんで好意的に捉えた?
「そうじゃなくて! それでエグマリヌ嬢を物語りのキャラクターだと思い込んでしまって!」
「そうか。うん、ちょっと引くけど、でも珍しくないよ。フリュオリンヌは、ボクのこと恋愛小説の王子様みたいに扱うし。スフェンヌは貴族令嬢じゃない振る舞いをすると、露骨に幻滅したって態度を取るんだ」
クラスメイトの名前が出てくる。
王子様な外見に加えて、レイピアも一流。しかも貴族としての振る舞いが完璧なエグマリヌ嬢を、理想の王子様だと思ってる女生徒はいる。勝手な憧れや、押しつけがましい好意に、エグマリヌ嬢は慣れ切っていた。
「わたしはもっと醜悪なんです!」
乙女ゲーの概念と技術を伝えても、感覚までは伝えきれない。もどかしい。
わたしがどれだけ醜い心だったのか、分かってもらえない。
「綺麗だよ」
エグマリヌ嬢は優しく微笑む。
「ずっとミヌレの隣にいたのはボクだ。きみが文字を学ぶ時、眉間に皺を寄せて歯を食いしばって、瞳をきらきらさせて綴っていた。きみが古い建物を見るたび、美しい宝飾を見るたび、瞳を輝かせてそれらがどれだけ素晴らしいか語るんだ。生き生きと。ボクは本当に綺麗だと思ったんだ」
綺麗なものか。
単にオタクが早口トークしていただけだ。
「それに」
小さく呟きながら、エグマリヌ嬢はわたしの頭の先からつま先まで見つめる。
一角獣を解いたばかりだから、髪はばさばさ。しかも素っ裸に外套一枚で、素足なのだ。
「ミヌレは変わってない」
か、変わってない、だと……
馬鹿な、わたしは正気に戻ってるはずなのに!
多重予知発狂している間と行動が変わってないって、それはそれで空恐ろしいものがある。
「飛竜から飛び降りた一角獣を見て思ったよ。ミヌレだって。きみは何も変わらない。勇敢で可愛い女の子だ」
ひょっとしてわたしは予知発狂とか関係なく、天然で狂人……?
ははっ、まさか。
正気、正気、わたし真人間です。
「ミヌレが恋しているのは分かる。あの男と一緒に飛んでいるミヌレは、幸せそうだったから。でも罪は罪だ。あの男が今まである程度の自由を許されていたのは、重要な役職に適材者がいないため執行猶予されていただけだ。その猶予が終わったら、犯した罪を罰として受ける。道理だ」
「わたしだって狂ったままなら、オニクス先生みたいになっていました」
「ならない」
エグマリヌ嬢の凛とした断言が響く。
その口調ときたら嚆矢の鋭さで、心臓の無いわたしの胸を穿った。
「そんな保証はないですよ」
「ならないよ。ボクがいるから」
「………!」
「ミヌレが突拍子もないことしたら、それが良いことなのかそうじゃないのかボクは考えるよ。納得できたら付き合うし、出来なかったら付き合わないし、邪悪なら全力で止める。ボクがいる。だから、ミヌレはあの男と同じ道は辿らない!」
エグマリヌ嬢が叫ぶ。
叫びの余韻が無くなれば、空中庭園は耳鳴りがするほど凪いでいた。
「罪は罪だ。きみが悲しくても辛くても、先生は罰を受けなきゃいけないだろう」
わたしは説得されかかっていた。
正論だからじゃない。
わたしの大事なともだちの、考えた末の結論だからだ。
彼女を悲しませてまで、この気持ちを貫く価値はあるのか。
みんながわたしを愛しても、この世界から先生が居なくなったら………
「わたしは………オニクス先生を助けます」
「そうか」
氷めいた双眸は、今にも涙を零しそうだった。
「正直、ほっとしている。ボクの説得を聞いたらミヌレじゃないからね。ミヌレがミヌレで良かったと思ってる。でも辛い。きみが世界より、あの男を選ぶのは」
世界より、先生を選ぶ?
ひょっとしてエグマリヌ嬢は誤解している?
「ミヌレ。前の試験を覚えている? プラティーヌ殿下とのイザコザで、きみが『友情より優先すべきものがあっても、友情を疑う理由になりません』って言ってくれたとき、嬉しかったよ。救われた気がした」
えー、わたし、そんなこと良いこと言った~?
んあー、ああ、強制百合セックスされかけたアレな。はいはい。
あれはクソ殿下に啖呵切っただけで、別にエグマリヌ嬢のフォローのつもりではなかったのだが。
「きみが世界よりあの男を選んでも、友情は確かにあるんだ」
「エグマリヌ嬢」
語る言葉が、ため息にならないように唇から紡いだ。自分の体温を消費して、わたしの声が暖かく聞こえる様に努力する。
「先生に恋をしています。でも、それ以上に、わたしはこの世界を愛してますよ」
この世界が愛しくてたまらない。
魔法と魔術があって、竜が蒼穹を舞い、一角獣が雪原を駆けるこの世界。
眠る図書迷宮、聳える空中庭園、たゆたう湖底神殿。
ひとの手が造る建築も、ひとの手が奏でる音楽も、ひとの指が縫うドレスも、すべてすべてこの上なく愛しい。
この世界こそ、わたしの宝石。
「たとえオニクス先生が処刑されても、わたしはお役目を受けます。だってこの世界が好きなんです! でも守るなら、先生が自由に生きている世界がいい!」
先生に自由になってほしい。
たとえ手の届く距離、目の届く距離じゃなくてもいい。
わたしが愛する世界のどこかに先生がいるなら、きっとそれは一緒にいることと同じくらい尊い。
わたしは呼吸を整える。
エーテルを含んだ空気を深呼吸して、いつの間にか握り込んでいた拳を緩めた。
「オニクス先生を自由にして、わたしはお役目を賜るつもりです」
空間に雑音が入り交ざる。
突如、青空に六歳くらいの少年が現れた。
濃淡の差が大きい両目を、わたしに注いでいる。
たっぷりとした身頃のローブを纏っているけど、風の影響を受けていない。当然だ、彼は星幽体。物理に干渉されない。
七賢者のひとりにして星智学の頂点、カマユー猊下。
「世界に対するその姿勢。まさに慈悲深い女王だな」
幼い顔立ちに、皺の如く浮かぶ老獪な笑み。
聞かれてしまった。
オニクス先生を憎悪している賢者に、わたしの本音を聞かれてしまった。たとえ先生が処刑されたとしても、わたしがこの世界の鎮護を務めるということを。




