ミニャルディーズは幸せに 1
花柄の紙張り子の小卓や鏡。
中央には、子供用のグランドハープ。
テラスへと続く両開きの硝子扉。
ここは高級アパルトマンの一室だ。
お嬢さまどころじゃない、お姫さまって雰囲気だ。
でもこの部屋でいちばんお姫さまなのは、宝石箱でも楽器でもなかった。
セラだ。
黄金の髪、白磁の膚、青磁の瞳。たおやかな仕草。
長いかつらに、パステルピンクのシフォネット。アッシュラベンダーのドレスが地味な分、パステルピンクのコサージュとミュールがぱっと華やだ。
挽き物細工のハープチェアにちょこんと座っている姿は、誰がどう見ても完璧な美少女。
ただし性別はぼくと同じ、男の子だった。
今日はセラのおうちで、宿題に励んでいる。
古代詩の暗唱だ。
アパルトマンの壁は防音だから、詩の暗唱の宿題が出されたらセラの部屋に集まるのが定番だった。
ぼくとセラは暗唱できるようになったけど、アルだけ手こずっていた。教科書を睨みながら、古代詩を繰り返している。
「ケリュネイアの角にも実る豊穣さよ、金よ、緋よ、紫よ、乙女のふくらはぎ染めよ」
詩を幾度か唱え、アルは長椅子に倒れ込む。
「覚えにくい単語が多いんだよ。ケリュネイアだのチュスパリーデスだの」
「ステュムパーリデス」
訂正する。
「なんでこんなの、すらすら言えるんだよ」
「星座に多いから」
「絵画やオペラによく登場するから」
ぼくの回答にセラも畳み掛けてくる。
アトランティスの古代詩には、現代に馴染みない単語が頻出する。でもだいたい星座の名前だ。今なら東の空にはケルベルス座が陣取っている。昏い星が連なる巨大な星座。
あとセラの言う通り、芸術の定番だ。
最近だとオペラ『王女と猛将』が火付け役になって、アトランティス古典劇の上演も増えている。
「アルは岩の種類だったら誰より知ってるのにねぇ」
「うん。陰微晶質とか潜晶質とか、習っていない石まで詳しいよね」
「あれは実物があるじゃねーか」
鉱石収集が趣味の子は多いけど、変成岩とかの母岩まで持ってる子はあんまりいない。しかもアルは顕微鏡も持ってるからな。
アルにとっては見れて、手に取れて、握り締められるものが記憶に刻みやすいかもしれない。
「じゃ実物を見に行く?」
セラがあっさりと提案する。
聖鹿ケリュネイアや怪鳥ステュムパーリデスの実物?
ぼくとアルが首を傾げている間に、セラが雑誌を持ってくる。
婦人情報誌の『エクラン・ア・ラ・モード』だ。最新流行のファッションや髪型、オペラの上演予定、人気のパティスリー情報が載ってる。
「大アトランティス展だよ」
セラが開いたページには、王立公園でこれから始まる美術展が紹介されていた。
「聖鹿ケリュネイアの絵画や、怪鳥ステュムパーリデスの骨格標本もあるよ」
「なるほど、実物だね」
セラの言いたいことが理解できた。
悪くない提案だ。
チケット代が高いって事実以外は。
史上最大級という看板に相応しく、入館料はぼくの一か月分のお小遣いと同じくらいで、使用人の給金三日分くらいだ。市民感謝デーの半額日ですら高い。
「アルが僕をエスコートしてくれたら嬉しいな」
「なんで、俺が?」
「母さまに新しい靴を買ってもらったんだよね」
とびっきり上機嫌に靴箱を取り出した。
「カワイイでしょ。絹と仔山羊皮で、波模様がついてるんだ」
パステルブルーの靴は婦人用で、申し分なく愛らしい。
絹のリボンと純白の仔山羊革が、アップリケされている。可愛さや流行には疎いけど、これは職人芸だ。
「うん、カワイイよ」
「おう、カワイイぞ」
話の方向が読めない。
でもセラから可愛いものをお出しされたら、異論や疑問を挟まず、カワイイって応えるのがぼくらのお約束だ。
「僕の愛するセラフィニットにぴったりだよね」
セラの女装姿はセラフィニットって名前なんだけど、セラ自身とセラフィニットは別人らしい。
よく分からない。
「でもこの前、セラフィニットが犬の散歩していたら、公園で変なおじさんに付き纏われたんだ。貴族っぽい身なりだったけど、根掘り葉掘り名前や住まいを聞かれて、セラフィニットの気分はサイアクだったんだよね」
「大丈夫だったの? 家まで追いかけられなかった?」
血の気が引く感覚に陥った。
貴族に付き纏われたら、身の危険どころか命の危険まである。
「大丈夫。ダリアとダフネが追い払ってくれたから」
セラのうちはポルスレーヌ犬を飼っている。
二頭とも人懐こくて優しい性格だけど、猟犬だからいざとなったら強いのかな。
「でもダリアとダフネは、美術展まで連れていけないよね? というわけで、僕とセラフィニットを大アトランティス展にエスコートしてくれないかな?」
「番犬代わりかよ」
アルは体躯が逞しくて、郊外の渓流や断崖まで地質を調べに行くから鍛えられている。護衛として連れまわすには、ぼくより向いている。
「チケット代くらい、僕が出すよ」
「それはもっと嫌だ。んな高価なもん奢られたら、友だちじゃなくて取り巻きだろうが」
アルは少し怒ったような口ぶりだった。
「あのな、女と連れ立ってるの見られたりしたら、一生からかわれるだろ、俺が、姉妹どもに」
お断りオーラの圧が凄い。そこまで圧を出さなくていいのに。
「セラだけなら一緒に行っていい。セラフィニットはおいてけ」
「ええ? 僕はセラフィニットとデートしたいんだよ」
女の子とお出かけしたくないアルと、女の子の恰好でお出かけしたいセラ。
これは話し合っても平行線だ。
「あのさ、ぼくも行けば、デートっぽく見られないんじゃないかな」
「そうだな。カイが一緒なら、付き合ってもいい」
途端にセラが満面の笑みになる。
「やった。楽しみだね。出展される絵画や彫刻がね、貴族の個人蔵ばっかりなんだよねぇ。見逃したらもう二度と拝めないかもしれないからね。アトランティスをテーマにした芸術って、華やかで大好きなんだ」
瞳を潤ませて、うっとりしてる。
「そろそろおやつにしようか。喉乾いたよね」
セラが呼び鈴の刺繍帯を引く。
ほんの数分、部屋にノックが響く。
家政婦さんが入ってきた。
かなり年配の家政婦さんだけど、姿勢はびしっとしている。口許に皺はないのに、眉間の皺が濃い。皺の深さからして、笑うより怒る方が多い人生だったんだって伝わってくる。
「お茶をお持ち致しました」
大きな銀盆には、お客様用のティーセット。
花網模様に金彩が施された茶器一式だった。
ぼくみたいな子供に出すなら、普通は家庭用のティーセットなのに、今日はわざわざお客様用のティーセットでお持て成ししてくれるんだ。少し緊張する。
家政婦さんは薔薇茶を淹れて退出する。
三人分のおやつは、大好きなパウンドケーキ。
なんといっても名前がカッコイイ。エクラン王国のお菓子の中で、最高にカッコイイ名前かもしれない。
4分の4というシンプルかつ洗練された名前。
名前が式だとしたら、お菓子は答えだ。
うきうきしてしまう。
切り口には黄色とオレンジ色のフルーツが覗いていた。
なんだろうと思って食べれば、この甘酸っぱさはマンゴーとパイナップル。
珍しい。
素朴な焼き菓子に、舶来の果物って組み合わせってあんまりない。
パイナップルもマンゴーも、南方島嶼や合州国からの舶来品。
誕生日とか結婚式とか、何かのお祝いに供される果物だ。
セラの家は裕福だ。たぶん学校でいちばん裕福かもしれない。だけど普段のお菓子に、舶来の果実を使うくらいお金持ちだと思っていない。
「すごく奮発してない?」
「カイが一次通ったから、ちょっとしたお祝い」
「えっ? ぼくの?」
華やかな舶来果実のケーキは、ぼくのためなんだ。
いきなりこんなお祝いされて、気恥ずかしいな。
「ふたりとも一次なのに大袈裟だよ」
しまった。恥ずかし過ぎて、ふたりからの祝福を否定しちゃった。それは神さまから遠ざかる言動だ。
「ありがとう」
お祝いの甘露を、ゆっくり味わう。
「カイがスフェール学院に進学って、運命って分からないねぇ」
セラは憂いを含んだ仕草で頬に手を当てて、溜息めいた呼吸を落とす。完璧な美少女の外見に相応しい、完璧な所作だった。
「どこに進学したって友人だろ」
アルは語彙を強くしていた。
「悪い意味じゃなくてね。ほんとに運命って分かんないって最近、思って………」
セラのフォークが止まる。
「母さまが僕を産んだのは、13歳なんだよねぇ」
ぽつりと呟く。
独り言みたいだ。
ぼくが独り言みたいって思いたかったのかもしれない。返す言葉が分からないから。
アルだって黙り込んでいる。




