ポム・ダムールな情熱 (後編)
幽体離脱して赤いドレスの子を追いかける。
あの女の子は、辻馬車を拾っていった。
どこへ行くつもりなんだろう……?
ただ家に帰るだけかもしれない。
しばらく見守っていると、ぼくのよく知った通りに入った。
赤煉瓦の建物が居並ぶ職人通り。
ここらへんは民家はない。大きな音を出す工房が集まっていて、夜だって結構な騒音が響く通りなんだ。
自宅じゃない……?
辻馬車は大通りからひとつ離れた通りに入り、止まった。
「えっ……ラリマー新聞社に?」
あんな女の子が新聞社に何の用事だろう?
しかもエランさんの誕生会のお客になるような子が。
……それを言ったらぼくも出入りしているから、似たような境遇の子がいても不思議じゃないけどさ。
「モリオンさん、ここにいないのっ?」
女の子の愕然とした叫びが発された。
え、モリオン氏のお客なの?
思いもよらない名前が出されて面食らってしまった。
「はい。アンお嬢さま、モリオン氏は先日、北極ダンジョン発掘にお戻りになられました」
「……すれ違い!」
ショックだったのか、その場に崩れ落ちる。
きれいな赤いドレスが床につくのもお構いなしだ。
さすがに玄関先で蹲られているのは、執事さんも迷惑だろう。上品な表情ままだけど。
「宜しければお飲み物をお出しします。応接間へどうぞ」
おとなしく応接間に案内される。
ソファに優雅に座っていたけど、独りで何かぶつぶつ繰り返していた。
「でもこういうすれ違いイベントでも、恋愛値の足しになるわよね。モリオンさんに会いに頑張ったんだもの。何かのフラグ立つかも」
うーん。ただモリオン氏に会いに来ただけで、予告状とは無関係なのかな。
ぼくは一旦、エランさんのパーティー会場へと戻った。
ひらひらと光と翳の入り交ざる木陰。
花咲月の木陰は、昼寝として最高の場所だった。
そこでぼくはリチェスに膝枕されていた。遠くから風と音楽が流れてくる。花びら一枚も。
ぼくの額に花びらが落ちる。
それをつまんだリチェスと視線が合った。
「いいお目覚め?」
「分かんない」
ぼくがそう答えながら起き上がると、リチェスはりんごあめを渡してくれた。
「さっきの騒ぎ。あれ、近所の子のいたずらだったみたいよ」
「いたずら?」
「お菓子めあてのいたずら。誰かひとりがこっそり予告状をどっかにおいて、警備してる従僕がびっくりしている隙に、近所の子たちがたくさんなだれ込んだみたい。かなりキャンデイが取られたらしいわ」
単なるいたずらか。
怪盗の名前を騙って、狙いはお菓子。はた迷惑ないたずらだ。
「……ほんとにいたずら?」
ふと、さっきの赤いドレスの女の子を思い出す。
騒ぎが起きる寸前、ぼくを「お菓子めあてにパーティーに忍び込んだ」とか言っていた。この騒ぎを予見していたみたいに。
そして騒ぎが起こった途端に、抜け出した。
やっぱりあの子、何か知ってるんじゃないかな?
好奇心を飲み込んだけど、リチェスはぼくの額を軽く押す。膝枕の体勢に戻されてしまった。
「まだ気になることあるなら、行って」
「ごめんね」
もう一度、星幽体になって飛ぶ。
ラリマー新聞社の玄関ホール。そのすぐ手前に、新しい箱馬車が留まっていた。
降りてきたのは、さっき演説していたご婦人だ。
怪盗追い続けて23年という悪趣……変わっ……えっと、独特な女性。
応対したのは、執事さんだ。
「いらっしゃいませ、リュビさま。アンお嬢さまなら、応接間にいらっしゃいます」
「連絡ありがとう。世話をかけてしまったわね」
ご婦人が応接間に入る。
美少女が小さな悲鳴を上げた。
「ママ!」
母娘だったの?
容姿は似てない。そう、まったく似てない。図書室が似つかわしい母親と、舞台の真ん中が相応しい女の子。
だけどよく見たらドレスの生地が同じだ。デザインが違うせいで印象は異なるけど、織りや染めが同じ。それに見た目は似てないのに、ふたりとも、赤が似合う。
「アン。偽予告状の犯人が、自分の娘だったなんて」
「犯人? わたしが? ママの推理が外れるなんてお生憎さまだこと」
ふぃっと視線を逸らす。
「ええ。実行犯は捕まったわ。近所の坊やたちのいたずらだったみたいね」
「でしょうね! わたしは無関係よ」
「……でもね、アン。怪盗さまはエクラン王国の子供には知られていないの」
「えっ?」
アーモンド形の瞳を丸くした。
「たしかに怪盗さまはこの王国の出身で、一世を風靡したわ。でも1623年の活動を最後に、エクラン王国では活動されていないの。ママ世代なら忘れえぬ名だけど、この王国の子供たちにとってはまったく知らない過去の人物よ」
「親から聞いてたのよ」
「だとしてもエランさんのティアラは誰から聞いたのかしらね?」
「噂好きのおばさんから聞いたんでしょ」
なおも言い返す娘に対して、母親の眼差しが冷たくなる。
「ティアラを知っていて、かつ怪盗さまの名を出すという発想。その条件ふたつを備えている人物は多くはないわ。この計画、誰が糸を引いたのかしらね」
「わたしだって言うの? いやだわ、ママったら。娘を疑うなんて冷たい」
ああ。彼女が計画したのか。
「だから、さっき、ぼくに忍び込んだ男の子かって聞いたんだ」
つい声が出た。
アーモンド形の瞳が、たちまちぼくの姿を見つける。
「幽霊!」
「あの、はじめまして。肉体無しですみません。今は幽体離脱してるけど、さっきその子に話しかけられたんです」
娘さんのアンは魔力が高いみたいだけど、母親はまったく掴めない様子だった。
丸メガネの奥の瞳はぼくに焦点が結ばれないけど、声の方向と音量から察したのか、だいたい視線を合わせてくれる。
「私には星幽体を視認できるほど魔力がないの。ところで、さっき話しかけられたというのは?」
「その子、ぼくに「お菓子めあてにパーティーに忍び込んだんじゃないの?」って聞いてきたんです。騒動が起きる前から」
それは致命的な証言だったらしい。
美少女の形相が歪む。
「アン。こんな計画を立てて。レトンさんやエランさんに申し訳ないわ。謝りに行きましょう」
「ママだって怪盗の聖地巡りとかしてるじゃない。わたしがモリオンさんに会いに行ったらダメなんて、意地悪するからじゃない!」
「ママは独りで楽しんでいるだけで、怪盗さまの時間を頂こうと思っていないわ。あなたはモリオンさんの都合も聞かず、会いたいだけで会おうとしているじゃないの。だから禁止したのよ。モリオンさんの時間はモリオンさんのものよ。親でも友達でも恩師でも、モリオンさんの時間の使い道を誰も強いれないわ」
かなり手厳しく窘められ、きれいな顔はくちゃくちゃに歪んでいた。
怒りそのものの歪みだ。
母親は執事さんに謝り、電話を借りに行く。
残されたアンは、きれいな顔を歪ませたままだった。
「……妨害系ってストレス。脚本家もなに考えてるのよ。デリートできないのかしら」
硝子めいた目玉で、ぶつぶつと何か繰り返していた。
あの女の子が怖くなって、ぼくは早々にリチェスのところへ戻った。出迎えてくれた微笑みは優しくて、ぼくはほっとする。
お祭りの中、りんごあめを食べながら、リチェスに経緯を報せた。
「モリオン氏に会いたいからって、予告状偽装なんて大それたことしたね」
禁じている母親の目を盗むために、犯罪者の名前を使って、近所の子を扇動するなんて。
もういたずらで済まされない。
「誰かに会いたいって気持ちは強いのよ。もちろん手段を間違ったらだめだけど。誕生日をめちゃくちゃにするなんて、ひどいもの。信じられないわ」
ぼくは深く頷く。
エランさんはここのところ散々だったんだ。
これで誕生日まで台無しにされたら、不幸すぎる。
「被害がキャンデイだけで、まだよかった」
「ええ。キャンディ屋は店じまいしたけど、別のお菓子を作ってるみたい」
リチェスの言葉に導かれたのか、いい香りがひとつ、ぼくの鼻孔をくすぐった。
バターとバニラが絡んだ甘い香りが、熱を持って運ばれてきた。誰だって幸せになりそうな香りだ。
「カイユーくん。バタータルトが焼きあがったみたいよ」
「でもリチェスは食べられないじゃないか。輪投げもやってるよ」
ぼくは遊びのコーナーを指さす。
シルエット切りもいるし、曲芸師たちもいる。
「うーん。他のひとが食べてたら羨ましいって思うけど、カイユーくんはいいの。わたしまで嬉しくなるから」
「……そうなの?」
「だから、たくさん食べて。ね」
リチェスは微笑む。
「大人っぽくなったね、リチェス。働いているから?」
「もともとが子供っぽかったのよ。理想の身体が手に入って、カイユーくんと友達になれて浮かれて、何かしたいって気持ちばかり空回りして。なんでもできる気分だったわ。だから、とうとう暴走して……」
長いまつ毛が震えれば、大粒の瞳が翳る。
教団残党のメルキュールを殺しかけた件か。
悪いひとと同じになりたくないって言ってた。
「わたしはもっと大人になりたいの。カイユーくんの傍にいる女の子は、ワガママなコドモより、しっかりとしたレディがいいの」
そう言ったリチェスの横顔は、かっこよくて、大人っぽくて、それから……きれいだった。
女の子を可愛いと思わず、心からきれいだと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
騒動は終わったと思った翌々日。
ラリマー新聞社を訪問したら、モリオン氏と鉢合わせた。
「北極ダンジョン発掘に帰ったんじゃないんですか!」
「ニケル先輩の経過を診に寄ったんだよ。他にも講演会とか挨拶回りとか、いろいろあるけど……」
どうして会いたくないぼくと鉢合わせて、あんなに会いたがっていた女の子とはすれ違うんだ。
世の中そういうものなのか。
「カイユーくん。エラの誕生会に出席したんだよね。何かあったのかな? 全員、ボクに口を濁した感じだったけど……」
「偽怪盗騒動ですか。アンって女の子が、モリオン氏に会うためにニセモノの予告状を作って、近所の子を唆して出させたんです」
「アンバーが?」
驚きに黒水晶の瞳が揺らぐ。
「カルトン共和国で下宿していた家のお嬢さんだよ。アンバーが発掘現場にいるボクを追いかけてきて……さすがに危険だから、ご両親に接触禁止にしてもらったんだ。ボクが誘惑したわけじゃないからね」
「……はあ」
なんだか言い訳がましいな。
「ボクはミヌレさまが未亡人になったら求婚できるように、身辺はきれいにしているんだから」
高らかに言い切る。
……つまり教授の死亡待ち宣言だった。
嫌悪感が一瞬でボーダーラインを越した。やっぱりだめだ、むりだ、きらいだ。
「カイユーくん。すごい形相だけど、ボクを疑ってる?」
「発言の内容を疑ってないので、嫌な気分になっています」
「ボクは本当にミヌレさま一筋だよ」
「義理の叔母ですよ」
「ミヌレさまはボクの求婚を禁じなかった。それがすべて。世俗の法にボクが囚われるとでも?」
ぼくとしては痛いところを突いたはずなのに、モリオン氏ときたらむしろ誇らしげだった。
義理とはいえ、叔母に求婚する男はかなり嫌だな……
「だからアンバーが勝手に追い回しているだけで、ボクは潔白なんだよ」
「なるほど」
主張は理解した。
「恋は魂を懸けるに値する情熱だ。とはいえ怪盗を騙って迷惑を振りまくなんて、ご両親にしてみれば最低の愚行だな。甘い顔するはずない。叱られるだろうから、アンバーも懲りただろう」
「懲りた感じしなかったですよ。なんて言ってたかな……ええっと」
あれはカルトン共和国の独特の言い回しなのかな。慣用句的な。
「すれ違いイベントでも、恋愛値の足しになる……じゃなかったかな、それはもっと前か。叱られた後に、妨害系ってストレス。脚本家もなに考えてるの……みたいな」
刹那、モリオン氏の顔色が変わった。
こんなに人間の顔色って、豹変するんだ。
「予知発狂……? まさか、どうして」
「モリオン氏? ぼく、何かまずい言い回しをしました?」
「いや、ありがとう。恩に着る。一生着ても構わないくらいだ。放置したら取り返しのつかない事態になっていた」
顔色を青ざめさせたまま、モリオン氏は素早く立ち去る。向かう先は電話室だった。
なんだったんだろう。
モリオン氏が困るなら兎も角、エランさんや教授が困らなければいい。




