第十一話(前編) 一角獣は愛ゆえに屈するのだ
真っ赤で乾ききった世界だ。
風によって削られ続けた大地は、侵食しにくい硬い箇所だけが残り、奇岩が立ち並んでいた。そそり立つ赤い奇岩が風を切り裂き、唸りは合唱となって轟いている。
「一気に光景が様変わりしたな」
「オリハルコンの影響ですね。オリハルコンは反土属性ですから、鉱脈があると土の加護が減るんですよ」
「農作物が育てられんぞ!」
クワルツさんが軽いショックを受けていた。
「ええ、農業は不可能です。土の加護が無いから、水もうまく循環しない。雲が発生しないし、もし雨が降ってもただ水浸しになるだけ。風の加護も僅かだから、疫病が蔓延しやすい。生きるのには向かない土地です」
生命が欠けた世界。
だからこそなのか、この赤い荒野そのものが巨大な生命体みたいだった。大きな貝とか亀とか、甲殻的な生き物を連想する。
ここが先生の故郷。
息を深く吸うと、肺が軋む。
空気が澄み過ぎて、肺腑が清らかさに蝕まれそうだ。
この高度じゃ宇宙に満ちているエーテルが、大気に混ざっているのかもしれない。魔術的には重要だけど、肉体には有害だ。
空中庭園が近づいてくる。
黎明の空のなか、岩石がいくつも浮遊していた。真赭色や金銅色がまだらになっている岩だ。
「まるで島嶼だな。水の無い海だ」
クワルツさんは歓喜の声を上げている。
わたしは海を見たことがないけど、こんな感じなのだろうか。
岩石が浮かぶ、真っ青な世界。
いくつもの浮遊岩を越えていく。
岩の大きさはまちまちだ。納屋が一軒建つくらいから、ちょっとした無人島クラスまである。
大きな浮遊岩には簡易的な小屋が建てられて、網や綱が張られていた。オリハルコンを採掘するための施設だろう。
「あれが採掘中の岩か。だが人はおらんな」
「飛竜がやってきたから隠れているのでは? 餌目的だと思われてるっぽいですし」
風が大きく唸る。
風に負けぬように、飛竜さんも吼える。
飛竜さんは怪我していたけど、すっかり良くなっているみたい。風を切って進む翼は勇ましい限り。
「すべてに乏しい世界だ。死の浮遊島だな。空中庭園などという名称は、優雅過ぎて欺瞞である」
「空中庭園って名前は、大昔のひとが付けたんですよ。きっとここには理想郷があるんだろうって………」
「実際は永遠の凶作地か」
クワルツさんの呟きは、空中庭園の風に吹き飛ばされて散った。
神々の別荘だの、古代人の神殿だの、精霊の楽園だの、昔のひとたちはいろんな想像を膨らませて伝承してきた。
現実は、ただのオリハルコン鉱山だ。
理想郷じゃない。
「最近じゃ坑道には食料を狙ったインプが巣食ったり、馬を狙ったグリフォンが来たりして、ダンジョン化が激しくなってるんですよ」
「詳しいな」
「設定資料集……過去視や探知で世界の情報をまとめた本が、わたしの魔法空間にあるんです」
「ほう。今度、ゆっくり読ませてくれ」
「魔力消費が激しいですから、暇なときになりますねえ」
ひときわ大きな島が近づいてきた。
天にもそびえ、地にも垂れるほどそそり立っている。
飛竜が一生懸命に飛んでいるけど、ちっとも近づいた気になれない。島が大きすぎるせいだ。設定資料では学院の敷地面積の三十倍って書かれてあったな。
オリハルコンを採掘するための穴が、やっと見えてきた。
「ありがとうございました、飛竜さん。お元気で」
わたしたちは飛竜の背中から飛び降りた。
一角獣と狼が、岩場に着地する。
ごつごつと隆起している岩場だから、隠れる場所はいくつもあった。
「めちゃくちゃ伏兵がいそうな場所ですね」
わたしの呟きに対して、クワルツさんは鼻先を動かした。
乾いた風や渇いた大地から、匂いを嗅ぎ取っている。
「ふむ。何人か鎧を着た騎士がいるな。警備兵ではない」
「騎士と警備兵って匂い違うんですか?」
「騎士は馬臭い」
言われてみればそりゃ道理ですな。
機動力も意味がなく、草ひとつ生えない空中庭園で、馬を常駐させるのは愚策だろう。馬臭い兵士がいるなら、普段から騎乗している騎士だけだ。
空中庭園は、当たりかもしれない。
「ミヌレくんはここで待っていてくれ。あの教師の痕跡があるかどうか、ぐるっと島を嗅いでくる」
「わたしも………」
「その白い躯は目立つ」
刺された釘の鋭さに説得されて、わたしは岩陰で待機することになった。
烈風が岩場を吹きすさぶ。
なんて冷たい風、乾いているのに細雪と氷雨が混じっているみたい。
空中庭園って寒いのね。予知では寒さなんて味わうことはなかった。
「ミヌレ」
清廉で凛とした呼びかけだ。
氷色の瞳と、雪色の膚、氷像めいて整った姿に、アイリス色のジレとキュロットを纏っている。
エグマリヌ嬢だ。
王子さまみたいに気品がある面立ちには、憂いが滴り落ちていた。
「ミヌレ。きみと話がしたい」
穏やかで優しい誘いかけに、反射的に従いそうになった。
清廉な処女の誘いだ。
わたしの脳みその一角獣化している部分が、エグマリヌ嬢に跪いてしまいそうになる。
一角獣のままじゃないと、先生を助けられない。
獣の姿のまま、獣の本能に抵抗する。
わたしは自分の角の先端で、前足を引っ掻いた。微かに血が滲み、魔力がわたしを回復しようと反射的に脈打つ。その流れに乗じて、わたしの輪郭と色彩を思い描いた。
魔力経絡が活性化して、わたしの四肢に行き渡る回復の魔力。
鬣は髪に、蹄は爪に、獣は人に転じる。
わたしは素足で立った。
人の姿に戻ったのは、友人と話をするため。
一角獣が本能的に屈したんじゃない。
わたしが友人に敬意を払った。それだけだ。
どちらにせよ賢者の思惑通りだけど。
友情に期待したのか、一角獣の性質に期待したのか、それとも両方なのか分からないけど、エグマリヌ嬢がここにいるのは、わたしを篭絡するために賢者が連れてきたからだろう。
とりもなおさずオニクス先生が空中庭園に監禁されてるってことだ。
わたしの読みは当たった。
フード付きマントをピンブローチで留めなおす。
この状態で【静寂】かけられてしまったら、わたしは無力になる。それでもエグマリヌ嬢は素通りできない。
彼女が話がしたいと望むなら、わたしはそれに応えなくちゃ。
「ご心配おかけしました、エグマリヌ嬢……」
呼びかければ、氷色の瞳がわたしを映す。
彼女は憂い顔を深めながらも、口許は笑みを繕った。無理に浮かべた笑顔って分かりやすい。
「ミヌレ。そんな恰好じゃ風邪をひく。ドレスを……」
「いいえ。わたしはこのままで。すぐに一角獣に獣化できるようしておきたいので」
「そうか」
エグマリヌ嬢は憂いをひときわ濃くして、わたしへ一歩近づいた。
わたしは引き下がりたい気持ちを押しとどめ、口を開く。
「ごめんなさい。魔術騎士団に入るのが夢だったのに、わたしが邪魔をしてしまって……」
謝罪で済むことじゃない。
だってわたしは、彼女の夢を閉ざしてしまった。
魔術騎士になるという目標があったのに、わたしを逃がすために魔術騎士団に抵抗した。
エグマリヌ嬢の腰には、華奢なレイピアが下げられている。あの切っ先を向けられても、わたしは受け入れるしかない。
「そんな話がしたいんじゃない。ミヌレ、聞いてくれ」
氷の双眸がわたしを射抜く。
「あの男はやめた方がいい」
「キャンパスライフinカフェテリアかよ」
エグマリヌ嬢のおはなしって、それかあ~
「それよりエグマリヌ嬢の将来の方が……」
「将来か。ボクは魔術騎士になりたかった。でもそれは手段なんだ。剣術や魔術を使って、皆の役に立ちたかったんだ。王室近衛騎士なら女性も入団できるし、それこそ流浪の騎士として、冒険者ギルドの門戸を叩くことも選択肢のひとつだ」
真顔で語られた。
名誉や栄達が目的じゃないなら、確かに役職にこだわる必要はないんだけど。
「ミヌレはあの男……先生のために、ここまで来たの?」
エグマリヌ嬢の問いかけに、わたしは頷いた。
「ボクは恋って分からない。ミヌレがあの男、いや、先生を好きになった理屈なんて、どんなに正しくったって納得できないと思う。それでもやめた方がいいって、言わせてくれ」
「分かります。わたしも級友がオニクス先生に惚れてたら、やめとけって心の底から言いますね」
「茶化さないでくれ」
怒られてしまった。
いや、本気なんだけど。
「あの男……先生……あぁ、ミヌレは不快だろうが、ボクの父親を謀殺した男だという私的な怨恨で、礼儀を捨てることを赦してほしい」
「秒で捨てていいです!」
エグマリヌ嬢の父エリオドールさまを殺したのは、正直やりすぎだ。
むしろ礼儀正しくしないで。
心苦しいよ!
わたしの発言に、エグマリヌ嬢は少しほっとしたようだった。
「あの男が闇の教団に属していた以上、それを理由に人は石を投げる。恨みを持っているひとも、いないひとも」
公開絞首台と同じだ。
他人に石を投げることが娯楽な人間は、いつの時代にだっている。
正統な理由があるなら石を投げていいと思う愚民のために、公開処刑という制度が存在していたんだ。
たとえ国家が非人道的だと公開処刑をやめても、愚かな民草はいつだって石を投げる相手を探すだろう。そして先生の過去は、石を投げるにうってつけだった。
「投げつけられた石は、ミヌレにもぶつかる。そんなのおかしいよ」
途端に、氷の瞳が潤む。
なんて綺麗。春を迎えて氷解する湖のようだ。
「ボクの気持ち押し付けてごめんね。でも嫌なんだ、ミヌレが悪くないのに石を投げられるのは。ミヌレが悪いんだったらボクは庇うよ。でもミヌレは悪くないんだよ」
罵倒という石。
怨嗟という礫。
オニクス先生を助ければ、その憎悪や怨恨はわたしにも向かうだろう。
「わたしはそれで構いません。暖かく柔らかな場所で先生が傷つくのを見ているより、ずっといい」
「なんでミヌレまで巻き込まれなきゃいけないんだ」
エグマリヌ嬢は、わたしに友情を抱いている。
わたしのことを友人だと思っている。
自由で、破天荒で、突拍子もないミヌレという友人。
それは幻想だよ。
「エグマリヌ嬢。わたしは多重予知の発狂者です」
「それは、あの男から聞いた。刺されたときに予知してくれたんだろう。兄の怪我や、監督生の妹のことを」
「いえ、いえ、もっと前からです。エグマリヌ嬢と出会ったあの頃から、もう発狂者でした」
わたしの語る事実に、氷色の瞳が困惑に揺れる。
「あなたが友情を抱いていた相手は、狂ったわたし。どこにもいない女の子です」
エグマリヌ嬢。
あなたが友情を抱いている少女は、もうどこにもいないのだ。
だから、悲しまないで。
どうか、慈しまないで。




