ボンボンショコラ行方不明事件 前編
朝の陽ざしが満ちた教室。
始業のチャイムが響くまで、あと25分。
誰もいない教室で読書をしていると、友達のアルが入ってきた。
色黒でがっしりとした体つきに、やたらとでかい鞄を背負っている。登山冒険用っぽい鞄だ。石ころ趣味だから、今日も鉱石探しに行くんだろうか。
「アル。おはよう」
「おはよ、カイ。なあ、カイんちって写真館休みだけど、おまえのねーさんそんな具合ひどいの?」
聞きにくい話題なのに、率直に踏み込んでくる。
「軽い捻挫だよ」
パティ姉さんは今、捻挫して安静中って口裏を合わせている。
闇の教団の残党メルキュールのせいで、水銀中毒に陥った。でも正直に申請したら、水銀事故が本人の手落ちじゃないと証明できるまで、写真館の営業が停止されてしまう。
だから、捻挫のふりだ。
このくらいの内緒ごとなら、神さまに怒られない……気がする。
「写真館お休みは予定通りなんだ」
「予定してた?」
「もともと大叔母さまの追悼ミサに行く予定だったんだ。バギエ公国まで。たまたま捻挫して、姉さんだけ行けなくなったんだよ」
「間が良いのか悪いのか」
「姉さんはバギエ公国に行くの面倒そうだったら、そこまで間が悪い話じゃないよ。兄さんは行ったし」
営業停止は肩身が狭いけど、遠縁の追悼ミサでお休みは世間体が良い。
またドアが開く。
入ってきたのは、友達のセラだ。色白で華奢な容姿は、フリル付きのシャツや、リボン付きの白鞣し鞄、陶磁器のブローチがよく似合っている。男だけど。
「おはよー、このブローチ可愛いって聞くから、可愛いって答えて。カワイイ?」
「かわいいよ」
「かわいいぞ」
ぼくとアルが合唱すれば、セラは満足そうに席に座る。
「お気に入りの鞄に古典の教科書が入らなくて。カイの横で見せて」
「いいけど、セラは何しに学校きてるの」
思わず突っ込んでしまう。
「今日、古典あったのか?」
「アルも何しに来てるの……」
あれだけ大きな鞄を抱えてきてるのに、教科書を忘れたんだ。
「カイは何読んでるの? また数学か星智?」
「古代史だよ。第三人類。両性具有についてなんだけど……」
「官能小説?」
セラからとんでもない斜めな発言が飛び出した。
気まずさが支配する教室。
ぼくがどう言えばいいか戸惑っている間、アルがおもむろにセラを背後から絞めた。そんなに力を込めている様子じゃないけど、セラは身動き取れない。動けないどころかうめき声まで響く。
「ぐぇっ、ぐぇ」
「古代史っつってんだろうが」
セラは見た目だけは美少女だ。
もちろん男なんだけど、どんな女の子より華奢で可愛らしい。アルはがっしりとして色黒だから、並ぶとセラの細さと白さが引き立つ。女の子いじめているみたいでなんとなく嫌だな。
「カイ。そんな原始時代まで、スフェール学院の受験範囲?」
アルの問いに、首を横に振る。
「ううん。そうじゃなくて、知り合いの魔術師がレムリア考古学魔術師なんだ。知識の浅さを指摘されたから、レムリア時代の基礎くらい身に着けようかなって……あの時代って性別がひとつしかなかったんだよ」
「不思議だよな。兄弟姉妹じゃなくて、上か下かだけってのが。弟は憎たらしくて殴ってやりたいし、妹は憎たらしいけど守ってやりたいのにな」
兄弟姉妹の多いアルが嘯く。
ちなみにセラはまだ首を絞められていて、アルの肩を必死で叩いてた。頑張れ。
「ぅえっ、う」
「アルはレムリア詳しい?」
「詳しくはねーよ。でも古生物博物展で、第三人類の骨格標本も展示されてたから、ちょっと知ってる」
言いながらやっとセラを解放する。咳き込みながら転がっていくセラ。
「アル! なんで僕の首を絞めるのさ」
「ふざけたこと言い出したから、うざくて」
「てっきりカイが特殊性癖を暴露したのかと………」
「お前じゃあるまいし」
「僕は王道派だよ。年上の貴婦人に弄ばれてる日々の中、運命の美少女に出会って………」
全部言い切る前に、アルが素早く腕十字を決めた。
最近のセラは女装した自分に一目ぼれしたからおとなしいけど、可愛い女の子が大好きで告白して玉砕してたもんな。
あざやかなリボン、華やかな陶器、いい香りがする女の子。
とにかく可愛さ至上主義で、可愛ければ何でも好きだ。
「セラ。お前さ、俺の妹や姪や従妹に近づくなって言っといたけど、追加で姉や従姉にも近寄るな」
「なんで?」
「分かんねーのかよ、てめー」
雑談しているうちにクラスメイトたちが入ってくる。
始業のチャイムまであと5分だった。
両性具有。
つい先日、モリオン氏からパティ姉さんが両性具有だって仄めかされた。
パティ姉さんはレムリアの先祖返りなのかな。
姉さんと兄さんは男女の双子じゃなくて、両性具有と女の子の双子。生まれたときは男女だって勘違いされるはずだ。
最初は姉さんが男子だと思われてたけど、二次性徴で女性的になってしまったのか。
もしこの想像が正解だとしたら、どうして兄さんと入れ替わっているんだ?
兄さんだって、女だろう。
女だとしても女性的な体つきではないから、自分が男役を受けた方が世間的に通りがいいと思ったのかな。
それとも写真家を継ぎたかったのか。写真への思い入れや技量からすれば、そっちの可能性が高いように思えた。
帰り道、家とまったく逆方向に行く。
姉さんがやっていた用事、銀行の手続きや商工ギルト会議所への書類提出なんかは、ぼくが代理として足を延ばす。今日は機関紙をもらってこなくちゃいけない。けっこうな遠回りだ。
幽体離脱でものを運べたら楽なのに。あるいは【浮遊】を会得するとか。でもちょっと浮遊酔いするんだよな。
考えているうちに、商工ギルド会議所へ到着した。
煉瓦造りの立派な門構え。玄関ホールは天井が高くて広々していたけど、インクと紙幣の匂いが充満していた。呼吸ひとつで、肺がインクに染まりそうだ。
無音で女性が近づいてくる。
ミルクが凝ったような肌に、黒と見まごう濃い紺色のワンピースを着ていた。夜のはじまりみたいな紺。肩と腕には、キャラメル色の蝙蝠。チチィとネズミっぽい鳴き声を漏らしている。
顔はうっすら見たことあるだけで、名前も思い出せないけど、近所の伝書屋の跡取り娘だ。間違いない。
「……えっと、写真館の末っ子くん、よね?」
「……はい、伝書屋の跡取り娘さん。カイユーです」
お互い顔見知りの近所の人間だけど、親しくない。
中途半端な気まずさが満ちる。
「カイユーくん。パティーヌさんの捻挫はよくなっている?」
「悪くはないけど、念のため安静にさせてもらっています。姉さんは働き過ぎだから」
「またお見舞いに行かせていただくわ。じゃ」
一礼して去っていく。
機関紙を貰って、家に急いだ。
「ただいまー」
キッチンを覗く。
長身に赤蜂蜜色の肌の男が、キッチンの椅子に腰を下ろしていた。肩にいる白鸚鵡が羽ばたく。
安息の地に嫌いな人間がいるのは不意打ち過ぎる。
「なんでッ、モリオン氏がいるんですか!」
「薬を煎じたから、渡し来たんだよ」
テーブルにはきれいな紙箱。ピンクの紙には金インクで花柄が摺られて、ショコラ色の絹のリボンが掛けられていた。
中身は十二粒のショコラ。ひとつひとつかたちが違う。薔薇のかたちや、ひし形、金箔に包まれた金貨型や、アラザンが飾られた三日月型もある。
どれもバニラ蘭の香りでいっぱいだ。
貴族が愛人に贈るショコラっぽいな。あるいは恋人へのプロポーズに贈るようなショコラ。アルの家は貴族御用達のチョコレート屋で、こういう手の込んだショコラを売っている。一粒で使用人の日給と同じくらいなんだよ。
「高級ショコラにしか見えない……」
「強くて苦い薬だから、ショコラで包んで緩和してあるそうよ。貴族はショコラの糖衣でお薬を飲むんですって、贅沢ね」
「なるほど……」
モリオン氏はパティ姉さんの体質を察している上に、錬金学を修めている。
両性具有に合った薬を煎じられるんだろう。
それにしてはちょっと凝り過ぎでは?
こんなの好きな相手に贈るショコラだ。
モリオン氏は紙を出す。
「煎じ薬剤の一覧はこれです」
「カカオ豆、バニラ蘭の種子、ラム酒、黒蜜、シナモン……」
お菓子の材料か?
「パナクス人参の黄金蜜漬け? 黒コホシュの根?」
後半が聞いたこともない薬草だった。
たぶんこれが苦くてまずいから、飲ますために色々風味を足しているんだろうな。
「東方の薬草と、南方島嶼の薬草だ。よく効く」
珍しい薬草なんだ。
「寝る前に、ひとつぶ食べればよくなるらしいわ。こんなにきれいなボンボンショコラ、食べるのもったいないけど」
「貴婦人に服薬の時間を楽しみにさせるのも、錬金薬剤師の腕の見せ所ですから」
モリオン氏は自慢げに語っていた。
貴族にお仕えしている錬金薬剤師って、こういう感じなのかな。
「ではお暇させて頂きます。また北極に戻りますが、信頼のおける薬剤師に引き継ぎさせて頂きましたので、何かあればそちらへ」
優雅に一礼して、去っていく。
「モリオン氏がいてくれて本当によかったわ」
「えっ……」
姉さんの好みが、モリオン氏だったらイヤだな。
優秀な魔術師で強くて頼りがいがあるけど、イヤだ。
「でも姉さん。モリオン氏、かなり強めのお母さんっ子だよ!」
「母親想いなのね」
「大学の寮のごはんがまずかったから、母親を近くに住まわせて食事の用意をしてもらっていたのは本人から聞いたよ」
「それはすごいわね……」
姉さんが絶句してくれる。
ぼくはちょっと溜飲が下がった。
「商工ギルド会議所で、蝙蝠伝書屋のおねえさんに会った。パティ姉さんのこと心配してたよ。お見舞いに行くって」
「レドリューヌが?」
たちまち青錆色の瞳が輝いた。一瞬、窓の外が晴れ渡ったのかと思うくらいだ。
蝙蝠伝書屋のおねえさんと仲が良かったんだ。パティ姉さんは近所付き合いは大切にしているけど、ほんとうに嬉しそうだから友達なんだろう。
「何か月ぶりかしら。レドリューヌがくるなら、部屋の掃除やり直さないと」
はりきりだした。
水を差すように勝手口のチャイムが鳴る。
姉さんは捻挫という設定なので奥にひっこみ、ぼくが応対に出た。
郵便の配達員さんだ。
二十歳くらいの男性で、いつも姉さんに無味無乾燥な長話をしかけてくる。姉さんの迷惑になるからやめてほしい。
「手紙が一通です」
「お疲れ様です、ありがとうございました」
「ところでさっき出てきた長身の男、近所じゃまったく見かけないひとでしたね。流浪の民みたいでしたけど、大丈夫ですか?」
「大丈夫、とは?」
「ほら、流浪の民は手癖が悪いっていうか……」
偏見丸出しの口調と眼だった。
ぼくはモリオン氏の冗談が受け付けないから毛嫌いしているけど、人種や出身で嫌うのは受け入れられない。
バギエ移民のおじいちゃんも、それで苦労した。銀板の卸しを後回しにされたり、薬剤を売ってもらえなかったり。
「スフェール学院で講演もされた錬金薬剤師ですよ」
「薬剤師? 誰か病気なのっ? 流浪の民が使う怪しげなまじないより、現代医学に頼るべきだよ」
「はい。看護で忙しいので失礼します」
ぼくは手紙を受け取って、ドアを閉めた。姉さんところへ持っていく。
「あたし宛て? ……ああ、週末、友達がお見舞いにくるのよ。お茶の支度しないと」
姉さんは社交用の微笑みを浮かべた。




