第四話 実技試験のピンチはチャンスでやっぱりピンチ
さぁて、今日は全休日を使用して、王都から徒歩半日の虹の滝に向かっています。
わたしひとりだと野犬とか追剥とか怖いので、もちろんロックさんを雇いました。
冒険者のロックさんは、山の中で動くのも得意なんですよ。
彼の腰の革ベルトには、短剣のほかに何本かナイフが下がっている。そのひとつ、大振りの鉈型ナイフを抜く。肉厚の刃をあえて鈍くしてあった。鈍器めいた鉈を揮って、伸びた梢を切り払って道を作ってくれる。
わたしが装備できる武器といえば、果物ナイフとミルクパン。護符で強化すると、最終的に伝説の剣より強いミルクパンが出来るけど。
今んとこ、未強化の果物ナイフとミルクパンを装備している。
「おっ、ラッキー。プリュネルの実が実ってるじゃん」
どこかと思って探したが、十重二十重の茂みの彼方に隠れている。ロックさんはひょいひょいと身軽く動き、黒紫の実を摘んできてくれた。
「よくこんな暗い色の粒を見つけられますね」
「ガキの頃からずっと山で自給自足だったからなあ」
口に入れると舌が痺れるくらい酸っぱい。野生の果実なんてこんなものか。
果実の甘い滴りは、品種改良という農家の努力あってこそだからな。
「そろそろ休憩しねーか」
テイクアウトしてきた冒険者タルトを齧る。
この冒険者タルトという代物、美味しいことは美味しいんだけど、一切れ食べたら十分だった。
まずタルト生地に、豚か羊の肉汁が練りこまれています。この時点で、肉が過剰。中身は細かくした兎肉や豚の臓物です。腐敗防止に、生姜と胡椒と塩分がっつり。ここまでだったら普通の臓物タルトなんだけど、さらにゼラチンで固めてある。肉以上に肉肉しいパイなのよ。
口直しにプリュネルの実の酸味はありがたかった。
「ピクニックにはいい日和だよなあ」
ロックさんはタルトを齧る。
「ピクニックじゃなくて、採石です」
わたしの恰好は、田舎にいた時に着ていた継ぎ当てのワンピース。採石を入れるための鞄と、それからキャンバス地の水筒。
「虹の滝にある石が、魔術に必要なんですよ」
「あの魔法使いの旦那はどうしたんだよ」
「足が悪いんです」
「ふーん。足が不自由っぽいけど、体幹良かったから歩けそうな感じだけどな。武芸やってた足運びだろ」
「それは初耳ですが………」
キャラブックに情報ほぼ無かったからなあ。
ひょっとして武芸やってたけど足が不自由になって、魔術に転向したんかなあ。
「おれには魔法なんてちんぷんかんぷんだけどさ、あのひとがガチで強いってのは分かる」
ロックさんは二切れ目のタルトを食べ始めた。
秋の試験が迫っていた。
もちろん試験だから、学院で最低限の石は配布される。
だけど配布された石は、それほど品質の良くない石英だ。そのまま使ったら、実技の成績は及第点。
じゃあ、どうやって皆いい成績を取るのかって?
貴族や富豪の生徒ばっかだから、上質の宝石を買ってもらって使うんだよ。庶民を差別する気持ちはさらさらない。新しい宝石を買う余裕が無いってのが、想像つかないんだ。
経済的な余裕はないって一応は訴えたのよ。シナリオにはないけど、軽い気持ちでちょっとやってみたの。そしたら実技を担任してるシトリンヌ、なんて返してきたと思う?
「おうちにある宝石を頼んで使わせて頂きなさい。試験なんだから、そのくらいきちんと頼めるようにできなきゃ駄目よ」
「経済的余裕がありません」
「どうしてそんな嘘を? ごく普通の宝石を、ひとつやふたつ用意できないってあり得ないわ。先生はなんにも難しいこと言ってないでしょ」
そう語るのは、実技試験の担当官シトリンヌ。
世界で一番豪華なエメラルドのネックレスをしている。
このネックレス、黄金の地金に、信じられない数のエメラルドが嵌められているのよ。中心はシザーカットで脇にいくにつれてカジュアルシザーに変化していく。隙間を埋める長方形バゲットカット。ドロップカットのエメラルドが揺れ動くよう飾られている。とにかく宝石カットが全種類揃っていて、カット見本板を胸にぶら下げてんのかって状態。
檸檬色の髪にはトパーズの髪飾りしてるけど、宝石たくさんつけるためにトサカみたいに張り出している。
耳朶にはガーネットのイヤリング。
指には大粒のルビーをことさら強調した指輪。
逆の手には、これまた見たこともないくらい大きなサファイアの腕輪。
おまけにバンクルには、ダイヤモンドを散りばめている。
歩く宝石図鑑かよ。
ま、これほどの宝石に魔術を込めてあるのは、技術的にはすごいことだわな。あと宝石これだけつける体力。絶対重い。
「ひとつふたつ用立てる経済的余裕が皆無です」
「愚痴ばかり言うのは恥ずかしい事ですよ。親御さんに頼めないのね。おうちに問題があるとしても、用立ててくれる親戚くらい普通いるでしょう。いいですか。自分で宝石を見極めるのも、実技のひとつです」
やべぇな、この女。殺す以外の感想が抱けねぇんだけど?
宝石を用意できない家なんてないとか、用立ててくれる親戚が普通とか、おまえの基準を他人に当てはめてんのかよ。
「意味なく現パロしそうなツラだな」
最大級の罵倒を吐く。
「は?」
「いいえ、シトリンヌ先生のおっしゃる通りです。お時間取らせて申し訳ございませんでした」
あの女、自分で宝石を見極めるのも、実技のひとつって言ったな。
ゲームだったら学院の私有林で採石する。それでなんとか及第点を取る。最初のテストはそんなもん。
だけどわたしは、レベルの高い虹の滝に突き進むことにした。
滝音が聞こえてきた。
「足元も荒れてるから気を付けろよ」
地面がかなり岩っぽくなってきた。足首にけっこう負担だな。踏み外したら捻挫する。
疲弊が限度に達した頃、視界が開けた。
虹が永遠に続く滝。
蒼穹に虹は掛かり、滝音が谷間に木霊する。
「いやあ絶景だ」
ロックさんが身軽な動きで水を汲んできた。喉を潤して一休み。
さぁて、自分で見極めさせてもらうとしましょうか。
廃坑跡へ踏み入る。むかしむかしは良質な石が採掘されていたけど、今はもっと別の豊かな鉱山が掘られ、廃坑したのだ。
暗いばかりの廃坑には雫が垂れ、水たまりができている。滝を流れる膨大な水が、どこからか沁みて降ってきているんだろう。雫は絶えず水に落ちて響き、天然の合奏が生まれていた。
運が良ければ、素晴らしい石を手に入れられる。
月長石。
これが手に入れば、高度なアイテムが作れる。
だが、ランダム入手だ。
魔術ランタンを出して、奥へと進む。
灰色の岩肌の一部に、白くて半透明な石がぶつぶつ吹き出物みたいについている。
「これも水晶ぽくて綺麗じゃねぇか?」
「長石ですね」
ノミで綺麗な部分を取っていく。
わたしは口の中に長石を入れた。
冷たい感触がする。悪くはない。
口腔で魔力を込めると、亀裂が入る前触れがした。駄目だ、魔力を込めても安定するほどの品質じゃない。
長石を口から吐き出す。
「駄目でした」
「口の中に入れると分かるのか?」
「分かるんですよ。あー、そうですね。ほら、昔話でキスするとお姫様が眠りから覚めたり、キスすると動物に変えられた王子様が元に戻る話あるじゃないですか」
「あるな」
「あれは体内の魔力を口移しして、解呪してるんですよ。口ってのは、魔力の放出しやすい部位なんです」
「じゃあ嬢ちゃんがキスしたら、呪われているやつが解放されるのか?」
「呪いのレベルによりけりですが、理論的にはそうですよ」
主人公のキスによって、呪いが解けたり傷が癒えたりするのだ。攻略キャラによって、キスイベントは色々である。
「もしロックさんがカトブレパスの石眼にかかったとしても、わたしがキスすれば石化解除されるんですよ」
「じゃあキスはお預けだな。そんなおっかねぇモンスターと対峙できるようなレベルじゃねぇもん」
「二年後くらいには、そのレベルに到達するんじゃないでしょうか」
「そのころには嬢ちゃんも、別嬪さんになりそうだな。今でも可愛いけどさ」
ロックさんは快活に笑う。
「そりゃもう美人になりますよ」
四年生になったら、ミヌレはビジュアルが変わるのだ。
身長も手足も髪の毛も伸びる。
そこまで夢が続く保証はないけどね。
そこそこの長石はいくつか手に入ったけど、望む水準には届かない。
「嬢ちゃん。もうすぐ夕暮れだ、戻るぞ」
「いえ、もう少し」
「日が落ちたら廃坑には幽霊が出るぞ」
「ええ。知ってますよ。わたしはそれを待っているんです」
「はあ?」
廃坑で死んだ鉱山夫の霊だ。
正式に述べるならば、星幽二重体。肉体と精気を失った星幽体であり、魔術や磁場などの何らかの原因で第三の死を迎えていない。
触れられれば魔力(MP)を奪われる。しかも攻撃魔術でしか消滅させられない。攻撃魔術が使えなければ逃げるしかない。
「ねぇねぇ、ちょっと待って。おれは幽霊退治できるような武器を持ってないよ」
「銀のダガーがあれば、幽霊からの攻撃は防げますよ」
「ふぇい」
弱弱しい返事だった。
ロックさんの腰には、何本もナイフが下がっている。そのひとつは銀のダガーだ。
「わたしにひとつ作戦があります」
「ねぇ、それ、成功率聞いていい?」
「理論的には完璧です」
「不安しか催さないんだけど!」
わたしたちの声が、坑道の闇に反響する。その響きの余韻が終わったとき、淡い靄めいたものが現れた。
日没だ。
月と闇の時間。
幽霊たちが踊る時間だ。
「やっべぇ。ちびっちまいそうだ」
不敵に口許を歪め、銀のダガーを抜いて構える。
「わたしの荷物頼みます」
幽霊は形になっていく。
「我は汝を恐れるがゆえに、呪を紡ぐ。炎を恐れぬ勇者あれど、痛みを恐れぬ聖者あれど、死を恐れぬ賢者あれど、恐れを恐れぬものは在らず」
口の中で、呪文を作る。
躰の奥底で魔術が構築されていくけど、わたしはそれを放出する呪符も技術も無い。
放出されないまま、体内に留まる魔力と魔術。
「恐れよ。涙に嘆き、悲鳴に叫び、闇に額ずくがいい」
呪文を唱え、幽霊に突っ込む。
喉笛に食らいつくために。
「【恐怖】を!」
口腔に満ちた魔力が、幽霊の喉笛を裂いた。
だけど、浅い。
それでも、通った。よし。
幽霊の喉が一部、掻き消えて、呻きめいたものが坑道に木霊する。
ヒロイン特権のキスで癒せるなら、キスでも攻撃できると思ったのだ。
「ロックさん。わたしが呪文詠唱して攻撃しますので、その間、あなたは幽霊に触れないように頑張って下さい」
「魔法使いなのに肉弾戦に見える」
「肉弾戦ですよ」
再び、呪文を唱えた。
人並外れたわたしの魔力が枯渇することはない。幸いにも幽霊の動きは鈍い。愚直に何度でも牙を立てて、幽霊を食い殺してやる。
幽霊の冷たい手が、わたしの心臓を握ろうとする。
だが消耗するのは魔力だけ。
ミヌレのMPは無限だ。
ぞっとする不快感さえ無視すれば、実害は無い。
繰り返し呪文を紡いで、噛みつく。
喉が涸れ果て粘液が擦り切れかけたとき、幽霊は形を崩した。音のない悲鳴を木霊させ、ゆっくりと消え去ってゆく。
「マジで食い殺せたわ………やはり理論的に正しかったな」
「朝が近づいて弱っただけじゃねーの」
うん。たしかに時間かかったな。
白い靄が消えたところには、美しい石が輝いていた。
幽霊は倒すと、アイテムドロップする。それがこの月長石。
「月長石です」
稀有なほど美しい白乳色の石だ。月の満ち欠けに似た輝きを内部に宿している。
この坑道で死んだ工夫は、彷徨いながらも石を拾うという伝説がある。生前の記憶がそうさせるのか分からないけど、美しい宝石をその幽体に宿している。
月長石が傷つかないよう、ハンカチでくるんで腰のポーチに入れる。
「嬢ちゃん。最初からこれが目的だったのか?」
「これ?」
「幽霊退治して、宝石を得ること」
「単なる鉱石掘りかと思ったら、幽霊の登場で騙されたって気分ですか?」
「んー。おれ、あんまり頼られてなかったのか」
「ロックさんがいなかったら、廃坑までこれませんでしたよ。それにわたしは道案内ってことで雇い賃払ったんですよ。護衛とは申し上げませんでした」
「そっか、そうだったな」
ロックさんは視線をそらして頭を掻く。
「護衛賃だとしたら安すぎますよ」
わたしは微笑んだ。
試験が始まった。
初日は筆記。
問題文は読める。
答えも分かる。
だが、たまに綴りが、分からない。
綴り間違ったら不正解扱いだけど、それっぽい綴りで回答を埋めた。だって全然分かんないって思われるのも癪じゃない!
分かるの! 書けないだけなの!
二日目は魔術呪文の詠唱。
魔術呪文の詠唱が、嫌いなオタクなんている?(反語)
試験範囲は完璧に覚えているに決まっているじゃない。
最終日には、一日かけて舞踏室での実技作業だ。
護符に魔術を刻むのには、魔術的インクだけでいい。だけど呪符はもうひとつ、触媒が必要。
試験は触媒アイテムは使いたい放題という、最高の環境。レアだったり高価な触媒も揃えられている。
あっ、夢孔雀の羽根って実際はあんなに透けてるんだ。あの金色に輝いている糸束は、もしかして黄泉蜘蛛の糸。それに真珠色に輝いているのは………一角獣のしっぽの毛。
一角獣のしっぽの毛なんて、滅多に手に入らない超レア素材ではありませんか。エグマリヌ嬢の故郷で真冬に偶然、遭遇するくらいなの。完全にランダムイベントよ。
ひとつひとつ手にとってみたいけど、今日のお目当てはこれ。
白鳥の風切り羽根。
この触媒も、採取時期を逃がせばレアになる。魔術に幅広く使われるけど、春しか出回らないの。ちなみに今は秋です。
羽柄の先端を、削って尖らせ、切り込みを入れる。
雨水に砂鉄を混ぜて、先端をひたした。これが魔術的なインクとペンになる。月長石の表面に、土系統の魔術に反発するように呪文を書き込んでいく。
【浮遊】の魔術だ。
浮遊とは、土の加護を一時的に遮断する魔術。
つまり重力解除。【飛翔】は風の魔術だけど、浮遊は系統が違うのだ。
月長石に魔術が宿った。
魔力が籠った月長石は、わたしの手のひらのなかで美しさを増している。
なんて綺麗。
手ずから生み出したんだと思うと、感動もひとしおよ。買ったグッズとはまた違う感激だわ。
魔力が安定したみたいだから、さっそく試験官の前でお披露目しなくちゃ。その前にスカートの下にキュロットズボンを履く。ドロワーズが見えたら、減点だもんね。
これが完成すると、浮遊のバランス崩して、試験官の上に落ちるスチル出るんだよね。
大幅減点は避けたい。
試験官シトリンヌの前に進み出る。
宝石でめいっぱい着飾ったシトリンヌは、わたしの減点箇所を探すような目つきだった。
「第一学年、生徒番号320ミヌレです。浮遊魔術を詠唱させて頂きます」
そして優雅に挨拶っと。舞踏会みたいにスカートをつまんで、頭を下げる。
礼儀作法を忘れて減点されちゃたまらない。
深呼吸をひとつ。
「我は大地の恩恵に感謝するがゆえに」
呪文を口にすれば、呪符と体内の魔力が共鳴する。
自分で作った呪符が、自分の身体の延長線上にある。
ゆっくりと魔術が構築されて、わたしのなかの魔力が身体の外へと流れ出していく。
「大地の加護をひととき返上せん」
爪先から浮遊感が湧いてくる。
だけどバランスが悪い。オニクス先生が術をかけてくれたときは、足元がもっと安定してたのに。これは踏ん張らないと、スチル通りに試験官の上に落下して、減点される。
「【浮遊】」
呪文の末尾が完成する。
木の葉みたいにくるくる回りそうだ。重力が大地の加護だってこと、骨身に染みる。
わたしは月長石を落とさないよう握り、壇上の緞帳を掴む。
緞帳から、破れる音。
「ひえっ………!」
緞帳は千切れて、身体にまとわりつく。わたしは緞帳に絡めとられた。
まずい。この状態で浮遊を解除したら、けっこうな惨事にならんか?
なんとか緞帳を握ったまま、安定できないか。手足を伸ばした瞬間、壁を蹴ってしまう。床へ追突ルートに入った。
女教師シトリンヌへと突っ込んいく。
大幅減点か。
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、盾となりてわが身を守り賜え 【防壁】」
シトリンヌとの狭間に、風の壁が生じた。
バンッ
めっちゃ痛い勢いで弾かれて、会場へと飛ばされる。
信じられない、あの女、生徒を吹き飛ばしやがった。
ゲームと違ってわたしが粘ったから、呪文を紡ぐ余裕が出来たのか。クソ。素直に墜落してやりゃ良かった。
「我は風の恩恵に感謝するがゆえに、呪を紡ぐ」
別方向から詠唱が響く。
この柔らかなテノールは、ゲーム中に何度も耳にした。
風の魔力が密に構築されていく。
「守りたまえ、抱卵の如く、大樹の如くに 【庇護】」
わたしの身体が、柔らかな膜に包まれる。
とても優しい守りの力だ。
ちなみにさっきの【防壁】より、【庇護】の方がずっとレベルが高い。
「大丈夫だったかい?」
わたしの前に立ったのは、四つ年上の先輩だ。真鍮色の髪と瞳に、透き通るような白い膚。病弱な文学青年って雰囲気だ。
「レトン監督生!」
攻略キャラのひとりである。
監督生に許されたローブを纏って、柔和な微笑みを浮かべている。
「まさか一年生が【浮遊】を作れるとは思わなくて。対応が遅れてごめんね」
優しい微笑みを浮かべ、わたしが立ち上がるのに手を貸してくれた。
さあて、試験が終わった。
明日からはお待ちかねの長期試験休み。
食堂も解放感にあふれている。陰鬱な顔も混ざっているけど。
「ボクは兄の城に帰るよ。ミヌレの実家って遠いの?」
「遠いですね。わたしはせっかく王都にいるんだから、王都を満喫します」
街に行けば秋の収穫祭とか、移動サーカスとか、教会の慈善バザーとかイベント盛りだくさんだけど、恋愛イベント系だしなあ。やっぱアイテム優先したい。
夕餉を終えて、部屋に戻る。
だが戻る廊下で、寮母さんに遮られた。
「ミヌレ一年生。学院長がお呼びです」
「ふへっ?」
なんだ? ゲームのイベントにないぞ。
イベントから逸脱した出来事に、心臓が落ち着かない。
だって学院長室って、ゲーム内に登場しないんだぞ。足を踏み入れることのない場所なのに。
「第一学年、生徒番号320ミヌレ。参りました」
学院長室は灰銀色の壁紙が貼られて、部屋そのものが古びた写真の中みたいだった。年代物の飾り棚は黒檀、そこには古色帯びた地図に、旧式の星見盤が並べられている。
淡い薔薇色の窓覆いだけが真新しくて、ここが時間の流れる場所だと教えてくれる。
黒檀の机には、眼鏡の老婦人。
このひとが学院長だ。顔周りが闘犬みたいな贅肉の付き方で、顔の贅肉に眼鏡が埋没している。不用意に近づいたら、噛みつかれそうな威圧感があった。
それから右側にはオニクス先生。ひじ掛けに腰を下ろして、長い足を持て余すように組んでいた。
悪の幹部みたいな態度と座り方だな。
わたしが失礼なことを考えていると、学院長が口を開いた。
「ミヌレ一年生。第一学年で浮遊石を構築できたのは、非常に稀有なことです。魔術に関しては褒めるべきでしょう」
………『魔術に関しては』ってことは、お叱りか。
緞帳破いたこと、めっちゃヤバかった?
歴史と由緒ある緞帳とか、国王陛下から下賜された緞帳とか。
「ですが、ひとつ確認しておきたいことがあります。この問答は公式文書に記載されますので、そのようにお答えなさい」
「はい」
「あの石はどうやって手に入れました?」
「どうやってって………」
わたしが図りかねていると、オニクス先生が微かに嗤った。口許を歪めて、隻眼でわたしを見据えている。
「庶民のきみに手に入る品質の宝石ではない。どこから持ってきたか白状したまえ」
前方には学院長、背後には寮母。これは素直に言うべきだな。
「わたしの実家の収入では、宝石を用意できません。この件を実技担当の試験官に相談したところ、『自分で宝石を見極めるのも、実技のひとつ』と勧められました。その言葉に従って、自分の目で石を見極めるため、虹の滝で採掘をしました」
「本当に?」
「心を読んで下されば証明できるかと」
途端に、学院長の顔は渋くなる。
「ミヌレ。軽々しく人の心を覗く真似は、堅く禁じられています。そもそも生徒を信じられないのでは学院として成り立ちません」
叱咤とため息が半々ほどだ。
「虹の滝まで一人で行ったのですか?」
「知り合いの冒険者を、道案内に雇いました。ロックさんという方で、街の『引かれ者の小唄亭』が常駐宿にしています。冒険者ギルド章をお持ちの、正規冒険者です」
正規の冒険者を雇うのは、校則で禁じられていない。
ゲームでも雇える。
「ミヌレ一年生。あなたの事情は分かりました」
「いや、まだ追及すべきことがある」
オニクス先生が足を組みなおす。
「冒険者を雇ったと言ったな」
「あの、冒険者を雇ったのは、よくない行為だったでしょうか?」
「問題点をとぼけるな。その金はどこから出した」
嫌なところを突くなあ。
そこを突っ込まれないようにしてたの、見抜かれたかな。
「光の護符を売り払いました」
「備品なら罰則対象だ」
「いえ、教材宝石を不用としている他の生徒の方々が、快く石を譲って下さいました。十三個です。それをすべて光の護符に加工して、道案賃を捻出しました」
自分で作った護符を売るのは、校則違反ではない。
ここの生徒だと慈善バザーに出品するくらいなんだけどね。
「で、魔術インクに使用する夜光蛾と湧き水は?」
………そこまで行きつかれるか。
「学園の私有森で採取しました」
「つまり許可なく夜間外出したと?」
クッソ……! ここまで行きつかれるともうアウトだ。
夜光蛾と湧き水は近くの森で採取できるけど、夜間限定である。結果として夜間外出。
完全に罰則対象です。
「さて、13個分の光の護符を制作するのに、必要用の鱗粉は26匹分。さぁ、きみは何日、夜間外出した?」
算数の問題を出すように、問うてくるオニクス先生。
詰めが厳しい。
「ぐぇ……み、三日です」
正直に答えるしかない。信頼のため心なんて読みませんよ、なーんて教育方針を語ってるけど、あとから読まないとは限らない。
オニクス先生は満足そうに、学院長へと視線を送った。
試験で減点された上に、罰まで。
泣きっ面にハチかよ。
「ミヌレ一年生。あなたには本日より三日間の謹慎を申しつけます」
「きっ、謹慎って………」
謹慎令が出たら、部屋から出られない。
ゲーム的には行動不能になるだけ。
だけどリアルにこれを食らうと困る。どこにも行けないのだ。図書室にも、学習室にも、そして食堂にも!
三日間の食事抜き?
わたしがあわあわしていると、オニクス先生が杖を支えに立ち上がった。わたしに手を差し出す。
「浮遊石を渡したまえ」
「ハァ?」
「抜け出されてはかなわん」
「悪魔か…」
思わずしぼり出てしまったその単語に、オニクス先生は陰湿に笑った。
「それは過大評価だ。悪魔は誘惑して奈落に落とす。私などせいぜい蛇蝎に過ぎんよ」
渋々、ポケットから浮遊石を出す。
しばらくお別れだよ。わたしの可愛い浮遊石………せっかく序盤に作り出せたのに。泣きそう。
「生徒番号320。そもそもこの不条理の元を、他の教員に相談するつもりはなかったのか」
「学院長に直談判ってことですか」
「そこまでは言ってない」
不機嫌そうに呻くオニクス先生。
「あの実技担当の女教師だが、話が通じないふりをしているだけだ。貴族か財閥の血筋でない給費生は、学院から合法的に排除しようと虎視眈々だぞ。学院長ではなくともいいが、別の教師に話を回すべきだった」
「でも自分で石を見つけてみたかったんです」
「今回はうまくいったが、検巡には危険が伴う。まともな大人を頼ったらどうだ」
「え? ロックさんはまともな大人ですよ」
だから真っ先に頼ったんじゃないか。
わたしの発言に何故か、先生は酷い渋面になった。
公務員の先生からしたら冒険者は無法者で胡散臭いかも。それにロックさんはまだ十代だし、先生からしたら大人枠に入らないのかな。でも弱い方を守ろうと身体を張って飛び込むひとは善人ですよ。
「不条理に抗うことに酔っているのか」
「抗う? わたしは幸運で幸福です」
この世界に、わたしという意識が存在している。
ここはわたしが何より愛して、夢中になった場所。
わたしを魅了するアイテムのデザイン。
古めかしくお洒落な街並みや、幻想的な廃坑、美しい雪原。そこで起きる様々なイベント。恋をしても、しなくてもいい。魔術師どころか、教師になるのも尼僧になるのも自由な将来。
「ここに自身が存在している幸運と幸福に比べたら! 不条理などただの塵芥です!」
胸を張って宣誓すると、オニクス先生は浅く嗤う。
他人を嗤うにしては、内に籠った笑い方だった。
「その気概がいつまで続くか見物だな」
「最後までどうぞご観覧を」
わたしは深々と頭を下げて、学院長室を退出した。