四限目 幽霊姫はインプの瞳を舌にのせ
インプ。
世界で最も凶悪な食肉植物。
見た目は、蝙蝠の羽根が付いた小動物。だけどれっきとした植物なんだ。
インプから抽出された成分を錬金すれば、『インプの眼』って危険な麻薬になり、エクラン王国では禁制指定されている。
魔術や医療の研究所では、厳重な管理下で使用されている。そこ以外は絶対に禁止。
不当所持は即投獄、嗜好使用は場合によって死刑。
そのくらい厳しい。
なのに、リチェスはそれを服用している?
びっくりして固まっていると、温室にまた誰か入ってきた。銀光沢の黒髪や、不思議な光沢の民族衣装が、緑陰模様になっている。
「お呼びされる前に部屋に突入なんて、行儀悪いさよ」
スティビンヌさんだ。
リチェスの身体を造ってくれた世紀の天才魔導発明家。
何故かスティビンヌさんの後ろに、モリオン氏まで付き従っている。黒いマントに黒いジレ、肩に乗せている大鸚鵡だけが白い。
正直、ちょっと気まずい。
ぼくが余計な一言……いや、余計な一言どころじゃない、かなりの失言をしてしまって、モリオン氏の気分を害したのはつい先日だから。
「リチェス、またぶつかったさね?」
スティビンヌさんは優しい口調で問う。
「違うの。『インプの眼』って言ったら、カイユーくんがびっくりしてるの」
「禁制麻薬ですよ!」
「そこは大丈夫さね。『インプの眼』を服用した場所は、象牙の塔さね。娑婆の規律は守っているさ」
スティビンヌさんがウインク付き笑顔で保障してくれるけど、そういう問題じゃない。
禁忌の麻薬を服用していて、リチェスは大丈夫なのか。今は元気そうだけど、身体を損なわないだろうか。
「長期的に問題ないんですか?」
「問題ないさよ。そもそも『インプの眼』ってどう危険か知っているさね?」
「最初のうちは魔力がとんでもなく上がるけど、何度も服用したら廃人になってしまうんですよね」
「及第点。間違ってはいないさね」
スティビンヌさんは籐椅子に腰かけて、眼差しをモリオン氏へと投げる。
「『インプの眼』はモリオンくんが詳しいさね。お株を奪うつもりはないさ」
「中毒者の治療をしていただけですよ」
絶対にこれ謙遜だなって口調だった。たぶん凄まじく詳しいぞ。口端や姿勢の端々から、自信が透けて見える。傲慢ではないギリギリのラインだ。
そういえば錬金薬学も修めているんだったな。
欠点は人格だけか。
「カイユーくん。『アルケミラの雫』と『インプの眼』、このふたつはどちらも魔力を補うが、作用が違う。雫は『魔力を回復』、眼は『魔力を補充』する。回復なら魔力は許容量以上にならないが、補充されて許容量を超えてしまえば魔力熱を発するよね」
魔力熱。
肉体が魔力量に耐え切れず、発熱や意識混濁する症状だ。
兄さんだったか姉さんだったかも一度、それで寝付いた。ぼくは幽体離脱しているおかげで、魔力熱になったことはない。
「ただ通常の魔力熱なら、不調になるのは肉体だけだ。だが『インプの眼』は発熱しながら、経絡まで破壊していく。繰り返し使用していくうちに、経絡は焼き切られて使い物にならなくなる。なのにさらに『インプの眼』で魔力を流し込んだら、どうなるか。行き場の無くなった魔力は、星幽体まで焼き切る。星幽体は肉体と精神の架け橋だ。これが摩耗すると植物人間化する」
人間を植物化させる……
世界でいちばん獰猛で凶悪な植物は、錬金されてもなお凶悪なんだ。
むしろ錬金されてしまった方が邪悪なのかもしれない。
「で、魔導ゴーレムには経絡は無い。人工精霊で動いているからね。『インプの眼』で焼き切れる経絡が無ければ、魔力と発熱の恩恵のみを受けられる」
「なるほど」
人間には有害だけど、魔導ゴーレムならデメリットゼロ。
リチェスには打って付けの薬なんだ。
「とはいえ地上で所持させれば、当然ながら処罰される。他者の手に渡ったら大変だからね。一度服用して約二十時間。稼働時間の短さは技術問題ではなく、法律の壁だな」
法律を壁扱いか。
弱い人間を守る壁を、立ち塞がる障害物だと言わんばかりだ。
魔術の進歩させる姿勢は正しいんだろうけど、壁扱いはあまり良くない気がする。
「そういうことさね。法律的な理由もあって、賢者連盟はアルケミラ循環タイプを開発中さね」
スティビンヌさんが補足する。
地上で稼働できる魔導ゴーレムを開発中なのか。
「モリオンくんにも研究を助けてほしいさね。魔導と錬金を修めている魔術師なんて稀少さよ。早く月に腰を下ろして、共同研究者になってほしいさね」
「ボクは重い責任なんて真っ平です。まだまだ北極で遊ばせてもらいますよ」
軽薄なんだか上品なんだかどっちでもない微笑を浮かべ、魔術最高峰たる月からの誘いを断る。
ぼく自身の感情も、羨ましいのか呆れているのか分からない。
発端であるリチェスは、インプやゴーレムの話題なんて興味無さそうだ。ぼくの足元を覗きこんでいた。
「カイユーくんも素敵な靴ね」
「うん。誕生日プレゼントなんだ。兄さんと姉さんからの」
「お誕生日だったの? じゃあわたしもプレゼントする! 友達にプレゼントしてみたいの!」
顔が近づけられる。
ぱっちりした瞳は、護符の輝きが宿ったみたいにきらきらしていた。
「カイユーくんは欲しいものある? わたし、いろんなタイプの魔導ゴーレムに憑いて研究のお手伝いしているから、お小遣いもらっているの」
すごい勢いで迫って来る。
ぼくが欲しいもの。
そりゃたくさんある。
天体望遠鏡だって欲しいし、天球儀だってほしい。だけどそれは友達にねだるものじゃない。高価すぎる。
……無難なもの、無難なもの。
「じゃあ、えっと、ハンカチとか……」
「どうして遠慮するの?」
ぎゅっと両腕で捕まえられてしまった。
「リチェス! はっ、離れ……」
「カイユーくんの欲しいものをあげたいの! なんでも言って!」
ますます力が強まった。
強いのに柔らかい。暖かい。
やわらかい、あたたかい、もうそのふたつしか脳に浮かばない。息苦しいのに、気持ちいい。なんで。おかしい。
いけない。離れなくちゃ。
でも魔導ゴーレムだ。生半可に藻掻いても、腕の力が強くて、重くて、振り払えない。
じたばたしていると、エランさんがやってきてくれる。
「リチェスちゃん。カイユーくんが苦しそうよ」
「そうさね、力を込めて抱き締めるのは、動物実験を経てからさ」
「スティビンヌ猊下。正論は、研究室の外で口に出さない方がよろしいかと……」
モリオン氏が小声で諭す。
「ま、ともかく離してあげるさね。カイユーくんの顔、真っ赤さよ」
ほっぺから耳までが熱いから、スティビンヌさんの指摘通り赤らんでいるんだろう。恥ずかしい。
「ごめんなさい」
リチェスの腕が緩まる。でもひっついたままだった。
ぼくは俯いて、呼吸を整える。赤くなっている顔が誰にも見られないように。
「わたし、プレゼント買いに行きたい! いい?」
リチェスは意気込んで、スティビンヌさんに了解を取ろうとする。
纏わりつかれていた保護者はしばらく考えて、硝子質の視線をモリオン氏へと移した。
「モリオンくん、保護者の代わりに同行してくれるさね?」
「喜んで」
火照りを静めているうちに、買い物が決定してしまった。
「……リチェス。誕生日を祝ってくれるのは嬉しいけど、お小遣い使っちゃっていいの? リチェスだって欲しいものあるよね」
「わたしが欲しいものは、もう手に入ったの。カイユーくんのおかげで」
リチェスは幸せそうに微笑んでいた。
理想の肉体。その喜びに匹敵するくらいの何かを、リチェスは贈りたいんだ。




