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富豪令嬢vs.教頭


 

 学校の校長室に、ドブレ校長はいなくなった。

 表向きは心臓発作で入院。生徒のみんなにはそう説明があった。

 違法実験が発見されたため拘留。教師陣にはそう伝えてある。

 実のところは闇の教団残党ダウブリールとして、連盟に逮捕されている。月で裁判中らしい。

 空っぽになってしまった校長室の椅子には、今は教頭が座っている。

 校長は髭もじゃだったけど、教頭はつるつるだ。

 しかめっ面の皺がつるつる頭にまで広がりそうな形相で、ぼくを見据えている。

「スフェール学院に内申書は出せませんねェ」

 語尾に嫌な甲高さを含ませて告げてきた。

「どうして」

「きみは座学だけは優れているが、授業態度はひどいものだよ。名門校に推薦しては、逆にわが校の恥になるだけではないかねェ?」

「居眠りですか。それは退屈な授業だったからです。スフェール学院なら、惰眠を貪ったりなんてしません」

 退屈な授業は、星幽体になってよく抜け出していた。

 居眠りが怠けだって咎められるなら、退屈な授業をしている教師こそ授業を怠けている。

 教頭は鼻息で嗤った。

「きみが授業妨害して、教師がひとり退職した」

「授業……妨害…?」

 した記憶はないな。

「三年生の時、割り算の授業で騒いで」

「あれは先生が間違っています。ゼロを割ったらゼロなんて、何百年前の定義ですか。どんな数であっても、ゼロでは割れないのが定理でしょう。ゼロで割ったらゼロになるのを定義と扱っても、定理の方が正しいでしょうが」

「きみが賢いのを見せつけなくていい。出来ない子を混乱させるだけじゃないかねェ」

「ならそう噛み砕いて説明すればいいでしょう。ぼくは定義まで歯向かってません。ですが正しい答えを×にするのは、説明を怠けています。生徒の居眠りは咎められて、教師の回答が間違っているのは咎められないのは納得できません」

 教頭が次の言葉を放つ前に、ぼくの背後から笑い声が零れる。可憐な笑いだ。だけど教頭の二の句を潰すほどに、場の空気を統べた。

 エランさんだ。

 紳士仕立てのお堅いドレスだけど、薔薇石英のブローチと指輪は愛らしい。シフォネットとパラソルはお揃いのピンク。白混ざりのピンクが春らしさを添えていた。笑い声まで華やかで、まるで春に咲く大輪だった。

 今日はぼくの受験のための書類を、学校まで受け取りに来てくれたのだ。

 それなのに学校側は推薦できないって言ってきている。

「教授が面白がりそうなエピソード! 教授は世界に立ち向かう子が大好きだから、そんな生意気を言われたら大喜びするわよ」

 エランさんは楽しそうに笑っている。

 でも生意気じゃないと思う。

「カイユーくんは絶対に、教授の元で勉強すべきだわ。本人にとっても世界にとっても」 

「そのつもりです」

 ぼくは胸を張る。

 エランさんの真鍮の瞳は、すっと教頭へ向けられた。若干の冷たさを含んで。

「魔術の才能がある子にとって、スフェール学院は最適よ。カイユーくんを受験させてあげたいわ。気骨のある子だって書いてくれればいいのよ」

「嘘を書けと言うのかね?」

「まさか。気骨があって勉学熱心なのは、ほんとのことでしょう?」

 無邪気な少女みたいに小首を傾げる。

 教頭はますます皺を深くした。顔面が否定そのものだ。

 硬くなっていく空気の中、エランさんの微笑みの質も変わる。笑みのままだけど、無邪気な明るさが、貴婦人のように整った。

「お金で解決させてもらうわ」

「えっ? 賄賂ですか?」

 ぼくの大声で、エランさんは眉を顰める。

「失礼ね、兄や義姉さまの誉れを穢す真似はしないわよ」

 贈収賄ではない。

 じゃあどうお金を使うんだ?

「この学校の理事になればいいのよ」

「なるほど」

 丸ごと購入か。

 それなら内申書の表現を柔らかくしてもらえるだろう。

 納得してから、じわっと驚きが噴き上がった。

「え? エランさん! 学校を買う? 本気ですか?」

「売りに出されているんだから買い取れるわよ。今は競売前の資産整理と見積中よね。競売に参加するだけだわ」

「問題は金額ですよ!」 

 個人に出せる金額じゃない。

 教頭だってそう思ったのか、苦笑いなのか溜息なのかどっちともつかない息を吐いて、首を横に振った。もったいぶった仕草のせいで、毛のない後頭部に日差しが乱反射する。

「お嬢さん、世間知らずもここに極まれりですねェ。学校を買うなど」

「40万エキュってところかしら?」

 世間話のように出していい金額じゃなかった。

 教頭は息をのんだけど、すぐ呼吸を整える。

「見積額は正しいが、それを言ってどうなるというのですかねェ?」

「もしかしてエランの宝飾品が石英や瑪瑙ばかりだから、その程度の金額も動かせない小娘だと思われたのかしら? エランは石の価値じゃなくて、石を美術品に高めるデザインや技術に重きを置いているの」

 エランさんが告げた通り、薔薇石英そのものは高価じゃない。クラスの女の子だって、あのくらいの石が付いたペンダントや髪留めを持っている。

 だけど唯一無二の一刀彫だ。

 本当に薔薇を一輪挿してあるみたいで、朝露までも再現されている。今にも零れ落ちそうな水滴で、彫刻とは思えない。うちにも似たようなブローチがあるけど、エランさんのは格が違う。

「魔王教授の秘書エランというより、アスィエ商会長女エランと申し上げた方が、納得して頂けるかしらね」

 アスィエ商会。

 エクラン王国随一の豪商の名に、教頭は喉から音のない呻きを漏らした。

「競売に参加するわ。申し込みしてくるわね」

 無邪気な笑顔でパラソルを小脇に挟み、礼儀正しく一礼して、校長室を出ていく。

 呆気に取られてしまったけど、ぼくも校長室を飛び出した。エランさんを追いかける。

「まっ、待ってください! 仕事のためにお金を動かすんですか? 本末転倒っていうか………」

「エランが損する予定はないわ。そもそも秘書と理事なんて両立できないから、知り合いに任せるつもりよ。手付金の4万エキュだけ支払って、競売に参加する権利を抑えるだけ。あとは知り合いに競り落としてもらって、手付金も返してもらえばいいのよ」

「なるほど……」

 たしかにエランさんは損しない。

 4万エキュを即座に用意できる潤沢さと、学校を買える知人や縁故があるからこそ、使える手法だった。

「そうですよね。収入より支出が多くなる仕事なんて、やってられませんよね」 

 数秒の沈黙。

 エランさんはしばらく小首を傾げていたけど、やっと合点がいったとばかりに頷いた。

「カイユーくん。エランが学院で秘書をやっているのは行儀見習いで、教授からお賃金は頂いてないの」

「つまり、無給?」

「ええ。靴代くらいはお小遣いとして頂いているけど、エランは学界や礼節を学ぶために秘書をやってるのよ」

 大変な仕事を、無給……?

 でもエランさんにとっては、無給も薄給も高給も大した違いはないのかもしれない。

 実家はエクラン王国で屈指の大富豪、アスィエ商会。そこの一人娘なんだから。



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