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永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第七夜
487/502

七限目 屍食鬼、未満


 夜の地上では光の教団。

 闇の地下では星幽二重体

 


 解剖室の幽霊は姿はぼやけていて、何ひとつ語ろうとしなかった。

 言葉も歌声もなく、形どるや否や崩れていく。

「ここまで星幽体が崩壊していると、種族特定は無理! ですの」

 ビスミットさんは残念そうに語る。

 こんなおどろおどろしい幽霊を前にして、ソプラノはさっきと変わらぬ調子だ。敬意が湧く。

「致し方あるまい。あれほど条件の悪い素体で、二重体を引き出せただけで僥倖か。私が封じても構わんが……」

 魔王教授はそう呟き、黒蜥蜴の杖を握り直す。

 あの杖には光魔術【影縫】が宿っている。星幽体を繋ぎとめる魔術だ。

 弱々しい幽霊なんて、教授は一撃で留められる。

 だけど教授は眼差しを、斜め横にいるタィ・フゥー・シィー道士へと移した。

「道士はいけるか?」

「おう、霊符は万端万端。きゃつめが蛟人であれば、やつがれの理で括れようぞ。水を」

 水を乞われた教授は、光魔術ではなく水魔術を詠唱した。大量の【水】を結び、凝らせていく。

 タィ・フゥー・シィー道士は粗織りの外套を緩め、もろ肌を出す。

 女性だったら失礼だから目を背けなくては。そう思うより早く、外套は脱ぎ捨てられた。

 脱いでも性別は分からない。

 痩せた肉体は、穴が開いていたから。

 いくつもの穴だ。窪んでいるんじゃなくて、後ろまで貫通している。心臓や腎臓があるはずの箇所まで穴が貫かれて、もともと何もなかったように皺だらけの皮膚に包まれている。

 しかも腕や脇腹が歪んでいた。関節が一回転したまま固定されたみたいな捩じれ方。

 穴だらけの引き攣った肉体。

 ほんとうに生きている人間のものなんだろうか。

「此水不是非凡水、水不洗水、北方壬癸水、雲雨須臾至、邪気呑之如粉砕」

 東方の呪文を唱えながら、指を複雑な形に汲んでいく。

「急々水霊君勅令!」

 水は応えるように渦巻き、霜めいた煌めきが凝ったかと思えば、次は蒸気のように白濁しながら膨らむ、そしてたちまち氷となって、また水を経て転じた。

 水の形質は絶えず変わり、そのたびに魔力が練り込まれていく。

 ついに水は大蛇みたいにまとまり、うねって暗がりと明かりを泳ぐ。飛沫の煌めきは、うろこのようだ。

 道士は細長い紙を掲げる。

 東方の文字が書かれた紙だ。

「電灼光華、納則一身、保命上則、縛鬼伏邪、一切死活滅道、我長生、天円地方、律令九章、万鬼伏蔵、急々如律令!」

 蛇状の水と、靄がぶつかった。

 波紋しながら、輪郭がひとっぽく変化していった。

 魔力を練り込んだ水を、幽霊の肉体の代用品にしたのか。

 水はゆっくりと波打ちながら、四肢が伸びて、尾びれが結ばれ、人魚の姿になっていく。肌をさざ波立たせ、尾をくねらせて泳ぎ、タィ・フゥー・シィー道士へと向かっていった。

 皺と穴だらけの膚に寄り添い、肉体へと潜り込む。

 そして道士の皮膚が、泡ぶくに沸き、腕がへしゃげた。

「ひっ……!」

 悲鳴をあげたのは、ぼくだけ。他のみんなは冷静に成り行きを見守っている。すでに数名は【星還】を唱え、魔術構築に入っていた。

 この沈黙が、魔術師の胆力か。

 魔術師を目指すんだったら、いつでも呪文が唱えられるようにしなければ。発声を意のままにするんだ。悲鳴なんか上げてる暇はない。

 ぼくも喉を押さえて、声を上げず観察する。

 タィ・フゥー・シィー道士の捩じれひしゃげた片腕は、色を失い、ヒレのように変化していく。

 もしかしてライカンスロープしているのか。

 普通、というか西方のライカンスロープは、狼の牙や一角獣の角を使う。だけど東方では星幽二重体を直接、取り込んでいるんだ。

 これが東方のライカンスロープ。

「おう、まさしく蛟人だ。恨み孕んだ獣魄よ」

 変化した皮膚の下から、ぱしゃぱしゃと水音が響く。

 雨降りの音韻と、さざ波の旋律。幽霊になった人魚が歌っているようだった。

「ほう、それはまったく不憫不憫。弊履を棄つるが如くに、遺骸を扱うとは無礼」

 道士はさも愉快とばかりに皺を緩め、水音とお喋りしている。 

 一方、検屍官と検屍医たちは額を突き合わせて、なにやら相談していた。

「東方魔術も法廷で証拠になれば、これにて終了、閉幕ご帰宅! でしたのに」

 ビスミット医師が嘯く。

 傍らの同僚たちも、少し気が抜けたらしい。

「地道に解剖を続けるか」

「もう令状を出してもらって、被疑者の部屋から、人魚の残滓を押さえてもらった方がいいんじゃないですか」 

 幽霊が道士とお喋りしているせいか、検屍のみなさんは気兼ねない声量で会話していた。

 廊下側からけたたましい足音がする。解剖室にニケル氏が飛び込んできた。

 革のボレロは焦げているし、顔の半分や腕が珊瑚化している。激しい戦闘後って感じだった。

「光の教団、追い払ってきました。解剖結果、あっ、東方魔術が起動してる! カイユーくん借りて、新聞社に帰ります!」

「えっ? ぼくは貸し借りできるモノじゃないです」

「ごめん。帰りながら経緯を教えてくれ。朝刊に間に合わせたい! 借りは三倍にして返す!」

 タチの悪い借金申し入れみたいだな。

 失礼な発想になってしまった。ニケル氏にはお世話になっている。命の恩人だ。ぼくは頷くことにした。





 春の大三角を背景に、ニケル氏は葦毛を駆る。

 手綱を握って【防壁】で足場を作って、春疾風の真っすぐさで疾駆する。いくつものピアスが揺れて、月光に乱反射していた。乱反射の拍子に合わせ、拍車が小さく鳴る。

 何も知らないひとが目撃したら、妖精騎士の遊猟だと思ってしまうだろう。

 ぼくが経緯を語り終えると、ニケル氏は頷いた。

「人魚だったか」

「よかったですね」

 結局、遺骸は人魚だった。

 ニケル氏の懸念は外れたけど、考え過ぎってわけじゃなかった。

 あの魔術師は、常識と知識が欠けている。まかり間違って妖精や獣化(にんげん)が被害に遇っていたかもしれない。第一、人魚を不法投棄しなかったらこんな騒動にならなかったんだ。

「そもそもどうして食べようなんて思ったんでしょうかね」

 バギエ公国なら飢えた漁師たちとかが、そういう食事を取るかもしれない。ヴィネグレット侯国なら人魚で蝋燭を作っているし、副産物を処理するという事態もある。

 でもエクラン王国にはカラフェ湖しかいない。

「冒険中に自分で狩った人魚を食べるのはまだ理解できるけど、わざわざ買って食べるなんて物好きにも程がありますよ」

「魔術師ってのは多かれ少なれ、物好きなんだよ」

「ニケル氏も?」

「おれは記者。魔術が使えるだけの記者だよ」  

 街並みの彼方に、赤煉瓦の新聞社が見えてきた。

「ありがとな、カイユーくん! マジで三倍返しするから、遊びに来てくれ」

 手を振って別れる。

 ぼくも帰るか。

 でも一応、教授に一声かけてから帰ろうかな。


 


 魔王教授とタィ・フゥー・シィー道士が、極彩色の空飛ぶ絨毯に乗って、朝焼けを翔けていた。

 郊外に向かっている。

 学院とは逆方向だ。

「カイユーくんか。明日は学校ではないのかね?」

「学校ですけど、ご挨拶を。教授は学院には向かわれないのですか?」

「人魚の悔いを解きたいと、道士に言われてな」

「おうよ。人間(ひと)蛟人(けもの)も、悔い残しては後生に障る」

 道士は外套をはだける。肉体に貫通した穴のひとつに、水滴が固まっていた。

 もしかしてこの小さな雫に、人魚の魄が宿っているのかな。

 悔いを解くって何をするんだろう。

 問いかける前に、留置所の建物が見えてきた。朝日を浴びても、拭い難い陰鬱さが窓枠や漆喰にこびりついている。

 教授が空飛ぶ絨毯から跳び降りれば、塔守衛長のカルノー氏がすぐに馳せ参じた。まるで忠実な腹心だ。

「朝早くすまんな。留置されている被疑者に面会したい」 

「部隊長代行。もちろんご希望は添う所存ですが、面会時刻まではあと……」

「分かっている。待たせてもらうつもりだ」

 待つと告げた途端に、カルノー氏の四角い顔に安堵が広がる。

「ではこちらに。朝餉のご用意を致しましょうか」

「いらん。いや、私の連れに暖かい飲み物だけ頼む」

 応接間に案内された。

 良い香りが立ち上るお茶が運ばれてくる。カフェとか貴族のサロンを連想させるような、柔らかくて涼やかな馨しさだった。

 カルノー氏が下がると、タィ・フゥー・シィー道士はお茶を飲み、喉を潤した。あぐらをかいて、袖を翻す。水滴がちらちらと散った。うろこめいた輝きを放ち、影を渉って、どこかへと消えていく。

 留置所の方向だ。

「あの、道士。今のはまさか人魚の幽霊………」

「然り然り。己を喰らった男を探しに行ったまでよ」

「憑り殺すつもりですか!」

「きゃつめはそんな無粋、望んではおらんよ」

「じゃあ何を」

 自分を喰らった人間に、人魚は何を望んでいるんだ。

 勢い込んで言ったぼくに、道士は飄々と笑う。 

「最後まで食べ残さず喰らってもらうこと。それだけよ」 


 

 留置所から悲鳴が聞こえた。

 


 悲鳴の方向へと急ぐ。

 板張り廊下に、鋳鉄の格子扉が並んでいる。ぼくが想像した留置所そのものだ。

 水の気配を手繰って、奥の格子扉に入る。

 腰を抜かしているでこぼこ顔の男、そして水の揺らめきを四肢にした人魚。

≪ぜんぶ、たべて………のこさないで、たべて………≫

「幽霊だ! 幽霊ッ!」 

 人魚の訴えなど無視して、混乱に溺れている。

「落ち着いて人の話を聞いてあげてください。たしかに幽霊ってびっくりしますけど」

「幽霊ッ、増えたァアア?」

 あっ、混乱を加速させてしまった。

 しまったな。

 ぼくがどうしようか考えていると、背後から杖と足音が響いてくる。特徴的なリズムだから振り向かなくても分かるけど、振り向いてしまった。

 朝焼けの中で、夜のように立っている。

 魔王教授だ。

「教授。面会時刻は……」

「面会? 居合わせた私に、幽霊捕獲の協力が要請されただけだが」

 しれっと答えて、杖をくるっと回す。

 魔術を使う様子はない。

「その人魚は食い残されて、下位の構成要素が星気光に還れん。肉を食ってやれ」

「誰!」

 真っ当な悲鳴を上げられてしまった。

「私はただの蛇蝎、忌まれるべき蛇。幽霊の代理人とでも思ってもらえればいい」

 恐怖を煽る名乗りだった。

 なんでエクラン王国の守護天使ともあろう英雄が、悪役じみた空気を醸しているんだろう。

 ………趣味?

「人魚は供養に同族喰いをする。人魚の肉をすべて喰らって弔い、この騒動を引き起こしたきみが終わらせたまえ」 

「無理です。人間っぽいところなんて!」

「そう思っているなら、そもそも人魚など食すものではないな」

「だって美味しそうだったんで………だいたいこの本、調理の方法は詳しいのに、人魚の肉を棄てるのが違法って書いてなかったんです。だからこんな目に! ひどい話です」 

「人魚調理の…本……?」

 教授の呟きに、男は一冊の布張り本を出した。

 瑠璃紺色の布張りに、銀箔で文字が押されている。

 『人魚姫紀行』 

「この本は無責任すぎますよ!」

「………侮辱するか」

 ぞわっと、空気が毛羽立った。星幽体なのに、まるで暖炉の危険な位置まで近づいてしまったみたいに皮膚が騒めく。

 この嫌な感覚、以前、光の教団で感じた。 

 魔王教授が暴力を振るう、その直前の空気の重さ。

「教授っ!」

「疾ッ!」

 タィ・フゥー・シィー道士の叫びが、空気を劈く。

 外套の袖から裾から、靄じみたものが溢れ、それは狐になり、それは熊になり、それは鯉になり、それは蝙蝠になり、それは名も知らぬ毛むくじゃらの大きな獣になった。

 あれは動物の幽霊だ。

 教授の長い四肢に絡みつき、動きを鈍らせる。

 そう、辛うじて鈍らせているだけだ。

 魔王教授は腕を伸ばし、格子扉の鉄柱を握る。

 めぎょりと、金属が悲鳴を上げた。歪んでいく鉄格子。

 教授、魔術無しの筋肉だけで、太い鉄格子を歪ませ、曲げている。引きちぎれそうだ。そりゃ人間の顎をもぎ取れる握力と腕力があるんだから、鉄格子だって曲げられるか。

「落ち着いて下さい、教授」

 力いっぱい叫んで、眼前に立つ。

 頻闇と夕闇の瞳に、星幽体のぼくが写り込む。

 そっぽを向かれ、長い長い舌打ちが返ってきた。いかにも不服で不機嫌な音。

 どうして豹変したんだ。

 教授がここまで豹変するのは、奥さまを愚弄された時。それだけのはず。

 一冊の書籍。タイトルは『人魚姫紀行』。

 奥さまは人魚も専門のライカンスロープ魔術師。

「………もしかして、この書籍」

「おうよ、『夢魔の女王』ミヌレ貴公主の魔術書であるな。海底フィールドワークの著であるが、人魚の調理風景も記されておった」

 調理法は書かなくてもいいんじゃないかな!

 だけど感想は舌の上で留めて、口からは出さなかった。ぼくは教授に嫌われたくない。

 教授は留まっているものの、憎悪で顔が歪んでいた。

「たとえ誰であろうと、女神にして女王を侮辱するとは許されん。まして己の非を認めず、我が妻に責を負わせようとは! もはや執行に猶予はない! 今、この瞬間に涜神罪で処さねばならん!」

 昂ぶり増していく教授を、獣の幽霊たちが留置所から引っ張り出していく。

 教授の主張がただの願望だったらいいけど、本気で実行する。一刻も早く遠くに離れなくては。

 留置所バカンスはしなくていいんだ、もう二度と。

 

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