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永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第七夜
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六限目 死は黙せども偽らず


 地下の遺体解剖室。

 重々しい扉の前には、小柄な人が立っていた。黒のくちばしマスクと、白の蝋引き外套。白手袋に、黒い革靴。白黒(モノクロ)世界に紛れ込んでしまったみたいだ。

 検屍の衣装だ。

 現代でも中世みたいな古めかしいマスクをしているんだな。瘴気の感染を防ぐなら、【庇護】で事足りるのに。

 くちばしマスクの職員は、ぼくたちに頭を下げた。

「お久しぶりですの、教授」

 可愛いソプラノだ。

 おどろおどろしいくちばしマスクなのに、発された声の可愛らしさの落差が凄い。

 あたりの雰囲気までも花色(パステル)に彩られるくらいだった。怪奇譚じみた身なりなのに、ソプラノのせいで絵本の動物みたいに感じてしまう。

 魔王教授は和やかに挨拶を交わした。お知り合いっぽいな。

 ぼくの疑問を察したのか、教授が紹介してくれる。

「彼女はビスミット医師ドクトゥール・ビスミット。私の授業を受けていた生徒だ。ここで検屍医を務めている」

「よろしく! ですの」

「検屍医? 検屍官じゃなくて?」

 ニケル氏が不思議そうに呟いた。

「後学のためですの。来れる人はみんないらしてるんですの」

「検屍医と検屍官って、どう違うんですか?」

 ぼくの質問に答えてくれたのは、ビスミット医師だった。

「事故なら検屍医、事件なら検屍官! ですの。もうちょっと詳しく説明すると、集団食中毒とか工場での水銀被曝とかのご遺体を解剖するのが検屍医で、事件性の高いご遺体は検屍官の担当ですの。解剖した後が違うんですのよ。公衆衛生や薬剤規制を提案するなら、検屍医の担当。捜査の手がかりや裁判の証拠なら検屍官ですの」  

「なるほど。説明されれば、かなり違いますね」

 死体の解剖でも、事故と事件って区別しているんだ。

「ちなみにどっちか不明なら、とりあえず検屍官にお任せ! ですの」

「なるほど」

 頷いていると、くちばしマスクから視線が伝わってきた。

「ところでこの星幽体の子は、ニケル先輩のお子さんですの?」

「近所の天才児。ん? ………あの、ビスミット医師、もしかしておれと知り合い?」

「ニケル先輩の2コ下! なんですの。スフェール学院での合同解剖実習で、何度かご一緒しましたの」

「あー……そういやミヌレに、いつも小動物の死体を献上してる女子がいたような」

 胡乱に思い出しかけているエピソードが、恐怖だ。

「あんま覚えてなくて悪い」

「いえいえ。実はうちの母が、ニケル先輩の叔母さんの部下だったんですの。マダム・ペルル臨時傷兵院で、看護師してましたのよ。だから母から聞いて覚えているだけですの」

「ガレーヌ叔母様の……」

 不意打ちで飛び出た親類の話題に、やっぱりニケル氏は気まずそうな顔になった。

 さっきのおじいさんの話題もそうだし、マイユショー副騎士団長の時も居心地悪そうな雰囲気だった。もしかして折り合いが悪い家族だったのかな。娘のプロンちゃんとは仲良しだったけど。

「立ち話して申し訳ないですの。仮面がご希望でしたら、すぐご用意いたしますの」

「私は不要だ」

「やつがれも拘らん」

「おれは気にしないけど、カイユーくんは気にするタイプ?」

 ニケル氏に問われ、首を傾げてしまう。

 なんで仮面を勧められているんだろう。星幽体だから瘴気に感染しないし。

「付けた方がいいですか?」

「カイユーくんが気にしないんだったらいいよ。今時、幽霊に顔を覚えられても実害はないし」

 あ、そうか、検死って幽霊と顔を合わせる可能性が高いし、下手したら幽霊に顔を覚えられちゃうのか。

 最終的に【星還】で天に還すとしても、抵抗あるかもしれない。

 姉さんだったら即座に仮面を付けるだろう。

「顔を覚えられようが【乱鴉】を放てば死滅する」

 教授は幽霊より強いからな。

「じゃあ開門! ですの」

 ビスミット検屍医が二重扉を開ける。古い蝶番は耳障りに響いた。まるで開くべきではなかった生と死の境目のように。

 室内はランタンに宿された【光】の護符から照らされて、青白く沈んでいる。中心には棺、弔いの花ではなく、無数の長石や石英の粒が溢れんばかりに満ち、そこに人魚か妖精か誰にも分からない存在が寝かせられていた。

 人魚(けもの)なのか妖精(にんげん)なのか。

 もしも人魚なら旋律を歌い、妖精ならば言葉で答えただろう。だけどもう、歌えもせず答えられもしない。真相は死が包んでいる。その結び目は本来、人間の手では解いてはいけないものだ。

 神の御手に渡すもの。

 それを渡さずに、今ここで解こうとしている。

 神さまに怒られるんじゃないか。

 みんな神さまに怒られるのを覚悟しているんだろうか。

 ぼくはきゅっと身を竦めた。

 煌めく鉱石に包まれた遺体の両脇に、くちばしマスクの人々が黙って集まってきた。十人以上いる。鉱石に反射した【光】が錯綜していて、蝋引き外套に反射し、輪郭が曖昧になっている。

 銀色のメスや膿盆が並べられていった。

 準備しているだけなのに張り詰めてきて、呼吸ひとつで肺に緊張が浸透しそうだった。

 星幽体だから呼吸なんていらない。でも息を吸ったり吐いたりする感覚だけは取り返して、ぼくは教授に質問した。 

「遺体から、どうやって区別するんですか?」

「まず星幽二重体を誘発させる」

 人工的に幽霊化を促すのか。

 日光が差さず、鉱石が多い場所で死に、かつ本人の魔力が高くて、心残りがあれば高確率で幽霊化する。だから事故死した鉱山夫や地下牢の囚人は、星幽二重体になりやすい。

 でも単なる経験則だ。原理が厳密に解き明かされているわけじゃない。

 幽霊化なんて、狙ってできることじゃない。

「死者の意識は混迷している。幽霊が何を訴えようと裁判で採用されないが、求めているのは証言ではない。妖精か人魚か、それだけだ。今回だけ裁判所から幽霊化の許可が下りた。下りたところで成功するとは限らんがな」

 闇魔術の教授こそ、幽霊化の失敗率を熟知しているだろう。

 とりたて期待していない口調だった。

「一般的に成功率は三割程度。私が予算と倫理を度外視で行って、辛うじて九割に届く」

 予算は兎も角、倫理?

 規制を無視するってことか。

 金銭と法律を踏み倒せば、成功率九割は高いんじゃないか。

「二重体が不可能ならば、手がかりは血肉のみ。解剖して人魚と違う箇所を探していく。脳髄、眼球、ひとつひとつ形質を確かめる作業だ」

「知識と根気のいる作業ですね……」

「とはいえ遺骸は黙せども偽らぬ。あるがままを調べるだけだ」

 燐寸の擦れる音がした。

 検死官のひとりが、燭台の蝋燭に火を灯している。

 お弔いの蝋燭って、検死中も灯すのかな。

「【光】。消灯」

「消灯許可します」

 検屍官がランタンの蓋を閉じ、【光】を封じ込める。

 蝋燭が揺らめき、解剖室を橙に染めて、棺の長石や石英たちを艶めかせた。

 幽霊を誘発している。

 お互いのくちばしマスクがぶつかりそうなくらい顔を近づけ、小声で何か喋り合っていた。死者に聞かれないように、声を潜めているんだろうか。ぼくの耳まで届いたところで専門用語ばかりだから、意味を掴むのは難しい。

 誰かの懐中時計の秒針が、妙に鼓膜を刺激する。緊張のせいかな。

「十五分経過。星幽反応ゼロ」

「了解。媒介液A『湖底神殿の水』を投入開始」

「媒介液A、投入」

 淡々と進んでいく処置。

 タィ・フゥー・シィー道士が居住まいを正す。 

「なんとも悠長悠長。見鬼の術は使わんのか?」

「見鬼の術?」

 思わず零してしまった呟きだけど、タィ・フゥー・シィー道士は丁寧に拾い上げてくれた。

「おうよ。まず魄の正体を見極める見鬼。魄が暴れんように楔打つ制鬼。そうしてから大地や遺骸より魄を呼ぶ召鬼。命令を下す使鬼と、手順を踏むのが基礎よ。西のやり方では正体看破前に召鬼をしておる。剣呑剣呑」

「仕方あるまい。西大陸では、その手の魔術はすべて禁止されている。使用はおろか、研究にさえ制限がかけられている。幽霊化を促すのがギリギリだ」

「娑婆はまったく難儀難儀。スティビンヌ猊下が地に降りんのも至極尤も」

「そもそも死者の許しも得ず、幽霊化を誘発するなど女王陛下はお気に召さん。死者の眠りを尊ぶゆえにな。議会でも法規制が持ち上がっている。遠からず合意なしの幽霊化さえ禁じられる」

 合意なしの幽霊化は禁止。

 なんか矛盾している気がする。

 暗い中で挙手して察してもらえるか分からないけど、とりあえず手を挙げた。

「教授。死んでから合意って、幽霊化しないと意見が聞けないんじゃ………」

「生きているうちに、幽霊化に合意するという申請書を出してもらうそうだ。議会では合意書と呼んでいたな」

 ぼくの質問に、素早く答えてくれる。

 生きているうちに、形成力がなくなった星幽体をどうするのか決めるのか。

 星幽体は肉体から解き放たれて心地よい。でも幽霊になるのって辛いのかな。

 リチェスを思い出す。

 瑪瑙細工のトレンブランブローチに宿っていたけど、苦しくて辛そうだった。辛いなら合意したくないけど、辛くないなら事故や不審死の時には幽霊化して証言するなり、遺言を残したりしたい。

 今まさに幽霊化を促されている遺体へ、視線を移す。

 棺の上では、幾度目かの媒介液投与をしていた。


   

 どぅ………ん


 

 地上から振動が響いてきた。

 なにか重いものでも倒れたのかな。

 検屍のひとたちが戸惑っている僅か数秒、魔王教授とニケル氏がほぼ同時に、【透聴】を詠唱。風の伝達魔術を構築、展開させていく。

 構築展開ともに教授が速い。

「光の教団が幽霊化に反対して、徒党を組んで抗議しにきたらしい。さすが非暴力主義の非平和主義どもだな」

「マジかよ」

「教授がいてよかったですの」

 ビスミットさんが安堵している。

 他の検屍医と検屍官たちも似たような心持なのか、騒ぎだてもせず淡々と作業をこなしていった。

 たしかに教団だろうが大軍だろうが、教授ひとりいらっしゃればこちらに害はないだろう。

 向こうはどうなるか分からないから恐ろしい。

「ビスミット医師。きみは私に時間外労働をさせるつもりか?」

「はい! ですの」

 可愛いソプラノが、朗らかに言い切った。

 作業は穏やかに進行しているけど、ひとりだけ慌ただしい空気になっている。

 ニケル氏だ。

「特落ちできないんで、おれは光の教団にインタビューしてきます! あとで検死結果だけ教えて下さい」

 そう言いながら二重扉を開けて、【浮遊】を唱えながら飛び出す。

 重々しい扉はすぐに閉じられた。

 だけど開いた数秒、金臭いような、鉄を舐めたような空気が入り込んでくる。すぐ消えてしまうくらい僅かだけど、死を刺激するのに十分だった。

 どろりと粘っている靄が、遺骸から湧きだしていた。

 黙していた存在が、偽りなき姿を見せる。

「おう、おう。魄が括られたか。善哉善哉」

「攻撃魔術に刺激されて、幽霊化が成ったか。死因は攻撃魔術の可能性が高いな」

 魔王教授は淡々と嘯いた。

 

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