第七話 マグニチュードは予知不可能
「だいじょうぶかい……?」
頻闇の底で、オンブルさんの呟きが聞こえた。
よし。
ふたりとも生きている。だったら何とかなるな。
「オンブルさんこそお怪我はありませんか?」
「いや、ない。圧迫感もない……? 土砂に潰されているのに……?」
「わたしの魔法です」
地震のせいで、【土坑】の魔術は使えなくなっていた。
咄嗟に魔術から魔法に切り替えたのだ。
土は少しだけ退いていた。
ほんの少し。わたしとオンブルさんの輪郭分だけ、圧迫を免れている。
「まさか地震がエクラン王国で起こるとはな」
「地震、珍しいんですか?」
そういえばゲーム中だと、一度も地震イベントなんてなかった。
恋愛値や友好度の上がるイベントはなかったし、地震の話題さえ発生しなかった。
「クワルトスが14歳のときだから、五年ぶりか。東部で人には感じない微々たる地震があって、大騒ぎになった」
「人が感じないのに大騒ぎ?」
「ああ。地震のせいで、教会の鐘が独りでに鳴り響いたんだよ。幽霊のしわざだの、悪魔のいたずらだの、当時は大騒ぎになったよ」
誰も原因が地震だって言い出さなかった、ってことは年配の方でさえ地震経験がないの?
どれだけ地震レア地域なんやねん。
よりによってどうしてそんなレア現象が、わたしの【土坑】中に起きたんだよ。
わたしの日ごろの行いが悪いって言われたら、納得しますよほんとにさ!
【土坑】を構築する。
駄目だ。発動させようとするまでもなく、崩れ去っていく。
「すみません。まだ土の加護が強すぎて、構成が組めないんです。余震が、続いている」
「余震か。なら無理に魔術を使わない方がいいな。余震で【土坑】が塞がるかもしれない」
物理は魔術に従うが、魔術は物理にも従う。
余震という揺れがある間は、【土坑】の作用が不安定になりそうで危険だな。
「クワルツさんが来て、掘り出してくれるとありがたいんですけどね」
クワルツさんは狼になれる。嗅覚で突き止めてくれるだろう。
「実はあいつ、地震が苦手でな。待つとしたら長丁場かもしれない」
「ふほっ? そんな設定、聞いてねぇぞ」
設定資料に記載されていなかった。
っていうか、クワルツさんは闇耐性があるから、たぶん設定資料の記載量が少ないんだろうな。
「地震が嫌いじゃなくて、苦手なんだよ。あいつは地震を予知できないから。地震が予知できる魔術師なんていないけどね」
へー。
じゃあ、わたしもイベントが無かったわけじゃなくて、地震を予知できなかったのかな。
……わたしが、予知、できない?
砂利を噛むような不快感が、思考に挟まる。
わたしが予知できないってのは何か引っかかるけど、それがどうして引っかかるのか分からない。
プラティーヌ殿下みたいな厄介事だったりしないか?
「わおーん」
遠吠えが、鼓膜とこころを震わせた。
狼状態のクワルツさんが、こっちに掘り進んできて、鼻づらを摺り寄せる。
救助犬だ!
わたしたちは穴から掘りだされる。
王都下町の隅っこだった。鶏小屋があって、すぐ目の前にはレンガ造りの棟割り長屋。養鶏場っていうより、棟割り長屋の裏庭で鶏を育ててるって感じだな。
「ふたりとも無事のようだな。服以外は」
ネグリジェはひどいもんだった。裾は擦り切れ、あちこち泥まみれで手の施しようのない。
オンブルさんはわたしの後ろについてきた分、ちょっとマシだけどね。
「ふたりの着替えを持ってきて正解だったな」
クワルツさんが出してくれたのは、シャツとジレとキュロット。
わたしの着替え、持ってきてくれたんだ。
この男の子用の外出着って、エグマリヌ嬢の着ている服と同じデザインなんだけど、もっとシンプルだ。貴族ほど刺繍がびっしりしていない。銀糸やシュニール糸で、控えめな刺繍がされている。
それからフード付きの長外套も用意してくれた。
足元まですっぽり隠れる長さ。分厚い毛織で、裏地にキルティングしてあるから暖かい。
異性装をした程度で、賢者の手配から逃れられるわけがない。でもフード付きなのは安心感がある。目立つ鉱石色の髪も隠せるからね。
オンブルさんも髭や肩の泥を掃って、上着に袖を通す。
「じゃあ私は仕事に行くから」
「ふへっ?」
あんまり思いがけない言葉を耳にしたもんだから、わたしの口から間抜けな声が出た。
今から仕事?
生き埋めから這い上がったばかりで、泥まみれに擦り傷まみれ。こんな出勤状態、戦場だよ。
「今から? 行くんですか? お仕事に?」
「そりゃ行かない方が怪しまれるからね。完全に遅刻だけど、地震のおかげで言い訳が立つ。適当に辻馬車拾って、職場に行くよ」
それもそうか。
オンブルさんは誰にも目撃されていないし、仕事をドタキャンした方が怪しまれるわな。
「手助けできずにすまないね、ミヌレさん」
「いえいえいえ、お仕事がんばってください」
「忘備録は図書館司書に預けてある。クワルトスと顔見知りだから大丈夫だろう」
オンブルさんは柵を乗り越えて、大通りに出ていった。口笛を吹いて、辻馬車を拾う。
「クワルツさんはお仕事だいじょうぶですか?」
農閑期って言っても、大きい農家なんだからお仕事は少なくない。納屋や柵の修理、農具の手入れ、灌漑の保全、薪割り。藁細工で椅子を張りなおしたり、籠を作ったり。山羊や鶉など家畜の世話なんて、冬でも山積みだ。
「吾輩、農閑期は遊び歩くのが基本だからな」
跡取り息子が遊び惚けていていいのかと思わんでもないが、それ言い出したら怪盗なんて反社会的生物だしな。
「図書館に忘備録を取りに行く間、きみはどうする? 吾輩の馴染みの修道院にでも身を隠すか?」
「馴染みの修道院? 敬虔なんですね」
「犯罪哲学の下僕とは吾輩のこと。祈りのために足は運ばん。修道院は修道院でも、労働派修道院だ」
「修道院ワインを造っているところですか」
労働派っていうのは、栽培や酪農や醸造という、土に生きる労働こそ人の祈りの本質であるという主義を掲げている。
もともと修道院ってどこでも薬草栽培してるから、その発展形だな。
『引かれ者の小唄亭』も、修道院特製の薬草酒を仕入れている。巡礼者のために造られた薬草酒は疲労回復にぴったりで、冒険者にも人気だ。ゲームで飲むとHP回復する。効果てきめん。
「労働派修道院はいいぞ。利益度外視で、最高のものを作る。特に野菜の種子は質が良いから、あっという間に売り切れる。あと鶏のフリカッセが名物でな、とにかく美味いぞ」
修道院とか鶏のフリカッセとか、わたしの興味をつつく単語が並べられた。
ステンドグラスを見たいし、名物のフリカッセ食べたい。
「いえ、いっしょに学院へ行きます」
「……それは」
「危険ですが、まだ手がかりになりそうなひとがいるんです」
非常に危険だ。
賢者たちはわたしを探し回っている。
わたしの行動範囲や交友関係は監視済みだろう。
行きつけの酒場、『引かれ者の小唄亭』。
あとディアモンさんの仕立て屋。
親しくしていたエグマリヌ嬢。
ひょっとすると故郷にも手が回ってるかもなぁ、戻るつもりないけど。
とにかく学院が最も危険だ。
それでも。
「寮母さんに会おうと思います」
学院には寮母さんがいる。
オニクス先生の唯一の肉親。
先生の居場所か、ラーヴさまの情報。なにか知っているかもしれないのだから。
わたしは狼の背中に乗って、学院に向かう。
表街道は目立つから、枯木立の私有林を進んだ。街道から外れると傾斜が激しくて、ごつごつした地面が続くけど、狼の四つ足にはなんのことの無い凸凹だ。
旧道が見えてくれば、学院まであと少しだ。
風の当たらない窪地で、クワルツさんは足を止めて人化した。
「ミヌレくんは待機して、吾輩が姉君からお話を伺った方が大事にならんのではないか?」
「でもそれじゃ、わたしがクワルツさんのところに身を寄せてるってバレますよ」
わたしが怪盗の元に身を寄せているなんて、賢者たちには思いもよらないことだろう。
そこがアドバンテージなのに。
「心配無用。吾輩があの隻眼の魔術師に、再戦を申し込む。そういう名目で決闘状を姉君に届けるのだ。その流れで居場所を尋ねれば、不自然ではなかろう?」
「不自然ですよ。先生と寮母さんが姉弟なの、知ってるひとって少ないと思うんです」
寮母さん、わたしが姉弟だと知ってたことに、ぎょっとしていたもんなあ。
よほど人に知られてない事実なんだろう。
「吾輩がライカンスロープ術を得手としていると知られてしまった。ゆえに逆手に取れる」
「逆手?」
「匂いが同じだったと言えばいい。実際に狼化すれば嗅覚が研ぎ澄まされるし、否定する理由は無い」
五感が変わるのは分かる。
わたしも一角獣化すると、視界がぐっと後ろまで広がるんだよね。あと雪をまぶしく感じない。
寮母さんとしちゃ、めっちゃ不快だろうな。
オニクス先生と匂いが同じって言われた日には、一日中、あの革手袋をきしきし鳴らしていそう。
でもわたしが直接訪ねるよりは、クワルツさんに任せた方がいいかもしれない。
どっちかっていうと通報しそうなタイプだもんなあ、寮母さんって。
「ではクワルツさんにお願いします」
「任された。配達人に変装するか、それとも満月の夜に尋ねるか。いや、女性に対して夜中の来訪は不躾極まりない。やはり変装だな。花束とショコラを抱えていくべきか。いや、もしも想いびとがいたらがっかりさせてしまうな」
真剣に演出を考え出した。
満月の夜は遠いから勘弁してほしい。マジで。
「最近はシャンデリアしてないから、シャンデリアやりたいのだがな」
「シャンデリアやる……?」
「もちろんシャンデリアの上に乗って登場することだぞ」
そうなのか。奥が深いな、怪盗業界。
「シャンデリアから飾りがちらちら落ちていく様子は美しいぞ」
エクラン王国のシャンデリアの飾りって、フックに引っかかってるだけで固定されていないんだよね。だって地震がレアだから。その方が掃除しやすい。
「さっきの地震で、シャンデリアの飾りは相当落ちたのでは?」
「ではシャンデリアは出来んな」
「クワルツさん。地震って予知できないんですよね。それって疑問に思ったことありませんか?」
「疑問? なぜ疑問に思うことがある? 地震の原因たる地殻は、人間の予知領域の外にある。予知できないものだ。幻獣ならば予知できるらしく、吾輩もライカンスロープ状態だと何か来ると感じたことはあるがな」
「人類が時間障壁まで到達したのに、地殻の変動は視れないなんて不思議です」
宇宙を観測できるのに、どうして地震って予知できないんだ?
「魔術的なことは皆目見当もつかん。吾輩は魔術が使える魔法使いだ。魔術師ではない。あの教師に聞いてくれ」
「……ええ、そうですね」
オニクス先生なら、詳しく説明してくれるかもしれない。
わたしの胸の引っ掛かりを、大したことないって言ってほしかった。
乾いた風が吹いて、寒さとともに馬の嘶きが運ばれてくる。
「誰か来る。学院側からだ」
クワルツさんが声を潜めて呟いた。
蹄の響きは、ぽっくりぽっくりとのんびりしている。貴族が散歩するような歩調だ。
誰だろ?
こっちの旧道はあまり使われないのに。
気になって、街道にギリギリ近づき、枯れた木立の痩せた陰に隠れる。
「ニケル。地震が起こったのに、無断外出なんてまずくないか?」
「無断外出じゃない」
「えっ? ニケル、寮監に伝えたの?」
「言ってない。これは家出だ」
「もっとひどいじゃないかっ!」
クラスメイトの男子ふたりが、栗毛の馬に乗っていた。ニケルくんが手綱を握って、ラリマーくんは後ろに乗っている。
大声で会話しているから、木立の陰に隠れていてもばっちり聞こえた。
「監督生にまた叱られるよ!」
「地震のときに点呼に集まれって規則は無いって」
そういえば地震がらみの校則って、無かったな。
火災はあったけど。
これは校則が増えるフラグ。
「でも常識的に考えて……」
「うるさいなあ。いいか、ラリマー。おじい様から土産届いたろ?」
「オリハルコン鉱石。かっこいいよね」
「なんで土産がマイユショーの従兄と同じなんだよ? マイユショーの従兄の寮部屋は広いし、子分いるし、贅沢してるんだし、こっちの方を贔屓しないと平等じゃないだろ。同じ質量のオリハルコン石なんて、不平等だろ!」
「マイユショー監督生は、監督生なんだからさー…」
ニケルくんのおじい様って、あの赤銅色の膚をした魔術騎士団長だよね。
騎士団長なら、先生の居場所を知っているはず。
わたしが一角獣化して北の地から逃げ去ったあと、先生をどこぞに連行したのは魔術騎士団だろう。
どこにいるかまったく分からんラーヴさまを探すより、先生の居場所を突き止めた方が、手っ取り早いんじゃないか。
ニケルくんから情報を聞き出す………ニケルくんを誘拐して騎士団長を脅迫………
いやいやいや。
誘拐するなんて、級友に対して血も涙もない仕打ちだ。
第一、あの魔術騎士団長と事を構えるなんて、危険度が高い。
初老の騎士団長は、まるで赤銅の軍神だった。戦うために剣術と魔術を極めた相手に、わたしみたいなちょっと予知ができて、一角獣に変身できる程度の魔術師のたまごが勝てるわけがない。
どう考えても強キャラ。
ニケルくんたちに手を出すのは危険だ。
しかし千載一遇でもある。
顔見知りの犯行による誘拐。楽だよなあ。
ハイリスクハイリターン。
わたしは木立の陰で、ぐるぐる悩んだ。