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永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第六夜
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六限目 鳳仙花は嫌いじゃないけど



 ぼくの自宅からスフェール学院まで遠い上に定期便もないため、エランさんが辻馬車を手配してくれる。

 正門ではエランさんが待っていてくれて、すでに見学申請が終わっていた。

 ぼくがやることは封環のバングルの同意書にサインして、見学者用のピンを付けるだけ。二度目だからスムーズだ。

「教授は博物館の特別展示室にいらっしゃるわ」

 白亜の博物館には、幻獣と魔獣の石像が集っている。

 カリュブデスの骨格標本があるホール。そこの奥、特別展示室へと足を急がせた。

 この特別展示室は、他から借りた展示する部屋だったな。個人蔵とか別の博物館とかの展示もしている。

 御影石の壁には、銀鏡写真が並んでいた。展示ケースには極彩色の布やピース、それから木彫彩色の日用品。

「明日から北極写真展をやるの。今日は搬入が終わって、最終チェック中だから慌ただしくて」

「写真展……」

 壁に展示されている写真は、北極の光景たち。

 遺跡の発掘現場や、大地を食むトナカイや海を謳うクジラ、そして北極先住民の生活だった。

 なんて輪郭が円やかな白なんだろう。黒も表情豊かで、素材が毛織りなのか鉱石なのか光沢が伝わってくる。輪郭の切れ味はぼくが知り得る限り最高で、中央から隅にかけて一切の鈍りがない。

 もしそれがたった一枚だけ完璧なら、会心の作だろう。

 だけど壁に掛けられた写真すべてが、どこまでも完璧だった。

 凄まじい写真。

 一枚一枚に魂が籠っていそうなほど、生命が息づいている。

「この写真……北極で撮影したんですか」

「ええ、海の民の生活に密着して、撮らせてもらったそうよ」

 気温も湿度も違う土地で沃素や水銀を扱って、白夜や極夜の天候で露光を調節したのか。

 そこに思い至った瞬間、ぞっと背筋が凍った。 

 この写真家、天才なんじゃないか。

 兄よりも、父よりも、そして祖父よりも、遥か高みの技量。

 写真たちから目を離せずにいると、足音と杖の響きが近づいてきた。

 魔王教授だ。

 並々ならぬ長身に、銀鏡写真の黒よりも黒いローブを纏って、蜥蜴の杖を携えている。

「写真を見せてもらおう」

「は、はい」

 戸惑いながら包みを解く。

 こんな天才的な写真に取り囲まれて、自分で撮った写真を披露するの、正直、辛い。 

 もちろんぼくは初心者だ。西大陸最高の博物館に展示される写真と、技量を比べること自体、烏滸がましい。それでも写真館の末っ子として、居た堪れない気分になった。

「兄さんと姉さんの写真を撮ったのに、その場にいない兄さんの……友達が。水晶越しだと鮮明に見えるんです」

 一緒に持ってきた蛍石入り水晶。

 それに通せば、靄がしっかりとした輪郭を帯びる。

「教団の残党ではないな。私は初めて見た」

 じゃあルイ兄さんが悲しまなくていいんだ。

 それだけで心を潰していた重しが取れる。

 教授は写真を角度を変えながら眺め、ご自身のルーペを取りだした。

「水晶が原因ではないな。蛍石の光属への光属干渉(フォトルミネッセンス)が水晶で増幅しているだけか」

 専門用語が飛んできた。

 だけど専門用語があるくらい、魔術師にとっては説明できる現象なのか。

「カメラ用の蛍石レンズがあれば、さらに鮮明になる」

 蛍石は光を安定させるから、カメラや顕微鏡のレンズとしては最高級だ。だからこそレンズになるサイズの蛍石は、誰でも持っているものじゃない。

 国家の研究機関とかに買われてしまうんじゃないかな。

 教授は壁の写真を一瞥する。

「借りてこよう」 

「もしかしてこの写真を撮った写真家がいるんですか?」

 教授は頷きひとつ返して、杖をつきながら奥へと足を進めた。ぼくとエランさんもついていく。

 一番奥の展示室では、学芸員っぽいひとたちが何人か働いていた。きびきびと声を掛け合い、十重二十重の梱包を解き、壁や台に展示していく。

 その中にひときわ背の高い人がいた。黒を基調とした礼服に、肩には真っ白い大鸚鵡。

 モリオン氏だ。

 ご婦人と腕を組んでいる。白髪が混ざっているけど豊かな黒髪に、リラ色の飾り帽。それを黒い宝石のついた帽子ピンで留めている。帽子から垂れる黒いチュールで、目元を覆っていた。

 飾り気のないドレスで、装飾はバングルのみ。

 五十代くらいの未亡人って印象だ。

 その未亡人に、モリオン氏は甘えるようにほおずりしている。

「ボク、ママンの焼いてくれたエクレアじゃなきゃヤダ」

「坊やちゃんったら面倒なお菓子ばかり好きね。お店で買った方が美味しいと思うわよ」

「ママンに手を掛けてほしいの」

 同級生でも距離を置きたくなるけど、いい齢した大人の発言だと思うと、嫌悪感もひとしおだな。

 この光景に気まずい空気にならず、仕事をしている学芸員さんたちは偉大だ……

 それにしてもなんでモリオン氏まで、博物館にいるんだろう。

 疑問の一秒後、母親とべったりしているモリオン氏が、高名な考古魔術師だって思い出した。

 北極でレムリア遺跡を発掘しているんだ。北極絡みの特別展にいても不思議じゃない。というか最適任なのかも。

「姉さん」

 教授の呼びかけはひときわ硬かった。冷やかで硬い声に、ふたりとも振り向く。

「あら、愚弟。帰ったんじゃないの?」

「なんですかァ? まだ何かご用件でも?」

 仲が良くなさそうな雰囲気が伝わってくる。

 家族なのに空気に棘がある。肺の底がぎゅっと潰れる感じがしてきた、息が苦しい。

「蛍石レンズは今、持っているか?」

 モリオン氏がカメラ用の蛍石レンズを持っている………って、ことは、あの超絶技巧の写真の数々は、モリオン氏が撮ったのか。

 素直に尊敬できる相手だったら良かったけど、技量と人格に因果関係は無いからな。

「持ってますけどぉ?」

「貸してくれ」

「まさかそれ本気で頼んでいるわけじゃないでしょう。あなたに貸すのも癪ですし、それ以前に、あれはスティビンヌ猊下から拝領した逸品ですよ。他人においそれ貸せると思っているんですかァ?」

 噛んだ苦虫を吐き捨てる口調だった。

 腹の立つ態度とはいえ、写真家にとってはレンズは命。

 それも最高級の蛍石レンズであれば、お金で手に入るものじゃない。顕微鏡サイズなら流通しているけど、カメラにつけられるサイズは特大の蛍石が採掘されなければ作れない。

 モリオン氏の言い方はどうあれ、言わんとすることは正しい。言い方が腹立つけど。

 エランさんがひょこっと前に出る。

「じゃ、リオが蛍石レンズを使って、カイユーくんの写真を観察してよ。蛍石が銀鏡写真に光属への光属干渉(フォトルミネッセンス)したらしいの」

「しかも魔法的に」

 教授の付け足しに、モリオン氏は微かに眉を顰めた。

「銀鏡写真に魔法が?」

 ぼくは頷いて、写真を差し出した。

 モリオン氏の黒い瞳が、ふらっと銀板の表面へと移り、焦点が結ばれる。

 真面目な魔術師の表情になった。

「きみが撮ったのかい? 良い写真だ」

 真面目な声だったけど、すぐに軽薄な笑みに戻った。自分の母親に笑いかける。

「ママンとのデートは忘れてないよ。すぐに終わらせるから待っててね」

 甘えるように言って、関係者以外立ち入り禁止のドアをくぐっていく。

 教授とエランさんとぼくは待つ。

「モリオン氏って………………………」

「正直に言っていいのよ」

「………………………強めのお母さんっ子ですね」

「こんなものじゃないわよ。もっと強めのエピソードが、無限に湧いてくるわ」

 無限は大袈裟だと思いつつも、エランさんは真顔だった。

 体感的に無限なんだろうな。


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