表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
永久夢的チーティング  作者: 猫目石琥珀
外伝 魔王教授の課外授業 第六夜
473/502

一限目 写り込むのは花盗人か幻影か


 幼芽月8日。

 ぼくのうちでは、この日から春が始まる。

 バギエ公国だったらカリュブデスの水支柱が立てば春だけど、エクラン王国まではカリュブデスの話題は届かない。

 だからうちでは、幼芽月8日から春って決まっていた。 

 だって、この日は。


「誕生日おめでとう、カイユー」


 とびきり笑顔の姉さんと相変わらず無表情の兄さんが、ぼくを祝ってくれる。

 ぼくは13歳になった。

 13歳は特別だ。

 法律的には就職もできるし、お酒も飲める。庶民には関係ない話だけど、正式な婚約もできる。

 どれも保護者の許可は必須だけど、今日から一歩だけ大人になったんだ。





 写真館は早めにお休みする。

 ルイ兄さんは作業着から、余所行きに着換えてきた。腰部にダーツを入れて絞っている流行の紳士服。

 パティ姉さんはキャラメルミルク色のドレスに、アトランティス風の黄金細工のピンブローチを付けていた。ふたりともおろしたての白い手袋をつけている。

「赤毛って、春っぽい色が似合わないのよね。この生地も淡いから、髪の毛が悪目立ちしてるんじゃないかしら?」

「気にするな。前の沃素色より、写真の写りは良くなる」

「ルイはモノクロ思考なんだから」


 兄さんと姉さんは双子。

 顔立ちは瓜二つ、背丈も手のサイズも大差無い。

 でもルイ兄さんは写真家だ。薬品のせいで、額に白い斑紋があり、指先は黒ずんでいる。逆に姉さんはお客さまの応対するから、日焼けや肌荒れを気にして手入れを怠らない。

 ぐにゃっとした動きの兄さんと、てきぱきした姉さん。

 無表情な兄さんと、喜怒哀楽がはっきりした姉さん。

 声だって性格だって全然違う。

 そっくりだけど入れ替われない。



 ……でも写真家になる前、他の家族が亡くなった時期なら入れ替われる。

 


 最近、ふたりの性別に疑問を抱いてた。

 疑い始めると、小さなことまで気になって来る。

 この前、兄さんの上半身を見たけど、女性じゃなかった。でも男性っぽい体つきの女性かもしれない。

 入れ替わる理由は分からないけど、ぼくがびっくりする事情があるんだろうか。

 どんな事情があったって、家族だ。

 ぼくは少し大人になったんだから、教えてくれればいいのに。



「カイ。新しい革靴、具合はどうかしら?」

 姉さんが不安そうに、ぼくの足元へ視線を送る。

 二か月前にセミオーダーで注文した革靴だ。深みのある黒革で、銀バックルが付いている。履き口には絹が縁どられていた。

 この革靴のデザイン、ラリマー編集長が宮中に上がった時と似た感じだ。貴族っぽいフォーマルさ。

「硬いけど馴染むよ。きちんと採寸しただけあるね。高かったよね」 

「安くはないけど、スフェール学院の生徒だったらこのくらいの靴は不可欠よ」

 姉さんときたら、もうぼくが合格したような口ぶりだ。

 教授の推薦とエランさんの推敲があるとはいえ、まだ決定ではない。

「寄宿舎にお嬢さんを入れている奥さまから、お話を聞いたのよ。寄宿舎だと靴は消灯後に部屋から出しておいて、使用人が回収して磨くのよ。でも質の落ちる靴だと後回しにされるらしいわ。使用人からの評価のために、靴は上等にしておくのが常識らしいの」

 怖い世界だ……

 そういう階級だって承知した上で進学を決意したんだけど、具体的なエピソードがくると及び腰になる。

「使用人に値踏みされるって不安だわ。特に給費生なんて扱いがぞんざいらしいのよ。洗濯婦にまで侮られて、肌着も失くされたりくすねられたりするそうよ。教授の推薦があったって、労働者階級には後ろ盾なんて分からないでしょうし」

 ぼくより不安そうに眉を曇らせている。

「パティ。暗い事ばかり口にするな。写真を撮るぞ」

 誕生日の記念撮影だ。

 うちの二階は、撮影室だ。屋根は大きな天窓になっている。柔らかな自然光にするため、薄い紗に覆われていた。

 撹拌されて円やかになった日が差し込むのは、天鵞絨の御伽椅子。

 いつもお客さまが腰かける椅子。そこに座り、姉さんは後ろに立つ。

「露光は三秒だな」

 兄さんは呟き、カメラのレンズが向けられた。

 ぼくと姉さんは微動だにせず、長い長い三秒を過ごす。写真に時間を留めるために、自分自身の時間も止めているみたいだ。

 レンズがキャップで塞がれると、堰き止められてた時間が流れていく。

 やっと呼吸ができる。

「カイ」 

 今日はぼくも写真を撮らせてもらえる約束だ。

 写真機に入っている銀板は、自分で第二研磨までした努力の結晶だ。

 三時間かけてセーム革で磨き抜いたんだから、絶対に綺麗に撮れるはず。

 天気の具合が変わらないうちに撮らなくちゃ。

 兄さんと姉さんが並ぶ。

 レンズ越しに覗くと、さかしまに写る。

 えっ?


 三人、映ってる?


 思わぬ人影に、皮膚が総毛立つ。

 いや、見間違いだ。 

 ふたりしかいないけど、兄さんの近くに人影がひとつ。明るい影みたいだ。

 レンズの濁りにしては、絶えず揺らめいている。

 雲の影が錯覚を引き起こしたのか?

 いや、今は原因を考えている暇はない。

 兄さんの懐中時計の秒針に集中するんだ。刻んでいる秒針より、ぼくの心臓の音の方が大きい。秒読みを間違うんじゃないかってくらい大きかった。呼吸ひとつできない。 

 三秒余りが過ぎて、レンズを塞ぐ。 

 兄さんはカメラを開き、銀板を抱える。

 これから現像作業だ。

「ぼくも見てていい?」

「水銀は危ないわよ」

 姉さんは止めたけど、兄さんは少し考えていた。

「幽体離脱していれば被曝しない」

「幽体離脱が危険でしょ!」

 心配性の姉さんは阻んできたが、兄さんは楽観的だった。

「家の敷地内くらいなら平気だろう。カイはいつも幽体離脱している」

 魔力持ちの兄さんはお見通しだったみたいだ。

 ぼくの部屋は屋根裏だから、一階まで降りるのが少し面倒だ。食事ができたかどうかとか郵便が届いたとか、幽体離脱して覗いている。

 兄さんの許可を得れたので、肉体を置き去りにして、一階の暗室へと行く。

 空気は循環しているけど、光は差し込まない小部屋だ。

「【庇護】」

 兄さんは呪文によって、薄い風の膜を張り巡らせた。それからゴーグルとマスクをつける。

 逆三角形の器具が、机に置かれている。水銀現像器だ。

 上部に銀板を差し込んで、下部のアルコールランプを灯す。ランプの熱で水銀を熱して、銀板の結晶を安定させるんだ。ランプの芯が燃える音は、光と銀が輪郭を得ていく響きだ。

 兄さんは懐中時計を見つめ、現像時間を計測していった。

 約三分。現像器から銀板を引き抜き、流し場の純水で洗い流していく。

 写真が完成した。

 ぼくの分も現像してくれる。

「上出来だ。鮮明に写っている」

「………三人、ひとがいる」

 レンズを覗いた時より、靄が鮮明だ。これは人間のかたちをしている。

「おれとパティしか映ってないぞ。雲の影だろう」

 言い切られたけど、ぼくには人間に見える。それも男の人だ。

「パティが心配するから、早く肉体に戻るといい」

 肉体に戻れば、姉さんは撮影室にある本に目を通していた。

「写真、うまく撮れた?」

「変なもやもやが写り込んでいる」 

 そう話しながら、一階へと降りる。

 兄さんが暗室から出てきた。二枚とも洗浄が終わったんだ。

「カイが写したのも綺麗に撮れている。多少は靄が入ったが、大したことじゃない」

 明るいところで見れば、たしかに靄が過っているけど、他の輪郭はしっかりしていた。

 やっぱり気のせい?

「あら、良い感じね」

 姉さんは上機嫌な笑顔だ。慰めとかではなくて、ほんとに良い写真が撮れたって口ぶりだ。

「でも兄さんの方が、鮮明だよ」

 定着液も感光処理もレンズも絞りも現像も、条件は等しい。

 だけどなんとなく兄さんの方が澄み渡っている。

 輪郭が際立っているし、深みと質感がある。

 ぼくの撮影した写真は黒いところがのっぺりしてるけど、兄さんのは素材の質感まで分かる。同じ黒でも全然違う。

「当たり前だ。本職だぞ」

「カイだって何年かすればもっと上達するわ」

 姉さんは外套を手渡してきた。ぼくと兄さんの外套だ。

「さ、食事に行きましょう」

 誕生日はレストランで晩餐。

 うちのいつもの習慣だ。

「カイ。新しい靴で歩いて平気? 替えの靴を持っていくわ」

「大丈夫だって。お洒落して替えの靴を持ち歩くのも、おかしいよ」

 姉さんの中では、いつまでもぼくはちっちゃな末っ子なんだな。 

「パティ。カイの足が痛くなったら、辻馬車を呼ばせる。行くぞ」

 兄さんに促されて、姉さんは替えの靴を諦めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ