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神さまがひとを愛するように 後編


 


「ねえ、セラ……」

「僕のことはセラフィって呼んで。今のこの姿は、セラフィニットだから」

 名前も設定してあるのか。

 いかにも可憐なお嬢さまって風情の名前だ。

「セラフィ。きみのアパルトマンと逆方向じゃない?」

 母親に秘密を打ち明けるにしては、進む先が逆だった。

「お母さまは今日、女子孤児院の慈善なんだ」

「孤児院の方で告白するんだ。帰ってからじゃなくて?」

「お母さまはお仕事でご多忙なんだよ。僕とお喋りできる猶予は、週末の夕餉から寝るまでの一時間。その上、いっつも使用人が近くに控えている。耳をそばだてられるじゃないか。でも慈善の時だけお一人だ」

 セラの母親は、陶器絵付け工房を切り盛りしている。

 しかも顧客は公爵や侯爵クラスの大貴族。

 仕事は多忙かつ使用人も住み込みときたら、親子で腹を割って話し合うために、いろいろを気を回さないといけないのか。

「今が好機なんだよね」

 語っているうちに、女子孤児院が見えてきた。

「ぼくのうちが慈善してる公衆学校より綺麗だね」

 煉瓦造りで、鋳物の柵に囲まれている。玄関先の石畳は綺麗だし、花壇や低木も几帳面に整えられていた。

 同じ鳥の巣でも、ハトとツバメの巣くらい違う。

「どこかの公爵未亡人が、亡くなった娘の鎮魂に建てたものだからねぇ。孤児って言っても元々身分は卑しくないけど、身よりと家財を無くした女の子が入ってるらしいよ」

 孤児院にも階級差があるんだな。

 当然だけど。

「特別実習でお母さまが水彩画(アクアレル)を教えに行っているんだよね。才能のある女の子は、うちの工房や銅版画彩色の工房を斡旋しているから、慈善っていうより仕事寄りだけどねぇ」

「終わるまで待つのかよ」

「あと十数分だよ」

 女子孤児院の正門が見える位置で張り込む。

 男の子ばかりなら不審者だけど、うちひとり(セラ)お嬢さま(セラフィ)状態だから不審感が緩和されている。巡回している警兵がぼくらの方をちらっと一瞥したけど、特に注意せずに行ってしまった。

 セラは長い髪を、指でくるくるしている。 

「そのかつらって買ったの?」

「お母さまの地毛。病気のとき一度、ばっさり切ったのをかつらに仕立てたんだよね」

「それで髪の色がそっくりなんだ」

「ドレスは?」

「お母さまのドレスを、仕立て直したんだよね。僕のベストにするからって譲ってもらって、仕立て屋に出さずに、丈と袖を直したの」

「自力でか?」

 アルがびっくりした声を上げる。ぼくはびっくりした声も出せないくらいびっくりした。

 まじまじ裾を眺めてしまう。

「すげー。言われないと直しって分からない」

「裏地を見ると、素人仕事なのが一目瞭然なんだけどねぇ。本職だったら裏地まで綺麗に縫えるけど、僕の直しは裏地が引き攣っちゃって」

 スカートの裾裏を見せようとするセラを、慌てて阻止するぼくとアル。

「とにかくお前さ、器用さとセンスあるんだから、芸術系に進学すりゃいいのに」

「好き勝手に絵画やるのは楽しいけど、教師に駄目だしされ続けるのって嫌なんだよねぇ」

「でも芸術学校の生徒って、たまにすげー恰好のやついるだろ? お前が服装でカワイイ追及しても、制限されねぇんじゃねぇかな?」

 瞬間、セラはかってないほど真剣に目を見開いた。

「そ、そうか……そうだね」

 お喋りしているうちに、女子孤児院から貴婦人が出てくる。

 セラとそっくりな美人だ。

 陶磁器に薔薇を封じ込めたみたいな肌。潤い豊かな瞳は、長い睫毛に縁どられている。

 ドレスは地味な灰色なんだけど、サイドに幅広な菫模様のリボンが垂らしてあって、春っぽさを醸していた。耳朶と胸元には、七宝のパンジーが綻んで芥子真珠の花芯を覗かせている。

 幅広のリボンや花型の宝飾が似合っているから、若奥さまというよりお嬢さまって雰囲気だった。

 二匹のポルスレーヌ犬がついてくる。ほっそりとした猟犬は、陶器っぽい純白で、垂れ耳だけキャラメル色だ。優美に歩みつつも、不審者を警戒しているみたいだった。

「お母さま!」

 セラが物陰から駆けだす。 

 その光景に、一瞬で喉がからからに乾いた。

 心拍数まで跳ね上がる。

 自分のことじゃないのに、自分の肉体から逃げ出したいくらい緊張が押し寄せてくる。

 どうしよう。もしセラが受け入れられなかったら、ぼくの家に何日お泊り許してもらえるだろうか。

 そんなことぐるぐる考えていると、セラのお母さんが口を開いた。

「セラドン? 今日はハープのお稽古でしょう。どうしたの?」

 いや、それより先に突っ込む箇所がある気がするんだけど?

「お母さま、僕の姿だけどね」

「わたくしのかつら、勝手に使ってるの? 使うのは構わないけど、化粧台や衣装棚を勝手に触られるのは、わたくしいい気分じゃないわ。それ以外に何か触った?」 

「そのお叱りは後で受けるけど、話を聞いて」

「構わないけど、何?」

 あまりにも淡々とした対応だ。

 セラのお母さん、セラが女装しているの、もうとっくに知ってたんじゃないかな。

 知っていて好きにさせていたんじゃないかな。

 じゃあ別にもう打ち明けなくちゃいけない秘密なんて無いな。

「この恰好の僕は、セラフィニットって言うんだ。誰より愛らしくて、可憐でしょう」

「ええ、そうね」

「だからね、僕、セラフィニットに一目ぼれしたんだ」

 

 ん?

 なんだか意味が分からないぞ。


「僕はセラフィニットが好きだから、お母さまにも認めてほしいんだ」


 セラは頬を薔薇色に染めて告白しているけど、ぼくは内容を噛み砕けなかった。

 ほっとしかけた気分が行き場を無くして右往左往だ。

「話が濃くなってきたな」

 アルが呻く。

「理解できる?」

「自分が女装した姿に、惚れたんだろ。セラは可愛い女の子が好きだし」

「……え?」

「そういう昔話あったよな、水面の自分を好きになった少年」 

 古典の時間にやったアトランティス童話だ。

 アトランティスの時代、あまりにも愛らしい少年がいた。

 王さまがその愛らしさを鼻にかけないように鏡の無い世界で育てたんだ。銀食器や、黒曜石も無い。だけどある日、少年の姿は水面に映ってしまい、その愛らしい姿に恋をする。

 最後に少年は水に飛び込む。

 叶わない恋だと絶望して命を絶ったのか、それとも水の中の相手へ会おうと希望を抱いたのか、どちらで解釈するのも自由な結末だった。

「なるほど?」

 アルが言わんとすることは把握できた。ぼくが現状を正しく理解できているかは、また別として。

 セラのお母さんはどうだろう?

 ただ呆然としている。

 というか呆然としない人間なんているの?

 やっぱりセラの告白は不意打ち過ぎたんじゃないかな。

 女装だけなら薄々察していたかもしれないし、いきなりでも受け入れやすいけど、女装した自分に一目ぼれは予想外にも程がある。

 もっと段階を踏んで、外堀埋めるなりした方が……


「神さまってこういう風に、人を愛しているのかしら」


 セラのお母さんがぽつりと呟く。

「心が穏やかになったわ」

「穏やかって、それは嬉しいけど、どうして」

「だってすごくびっくりすることを聞かされても、わたくしの愛って変化しないの。自分に一目ぼれしたって、普通だったら信じられないけど……でもあなたの言葉は受け入れられるわ」

 呆然としたまま呟きを続ける。

 半分、夢を見ているような眼差しだ。

「親になるってすごいことね、今更だけど。元々、わたくし子供嫌いなのに、あなただけは可愛いの。だから自分の子ってすごいって思ってたの。あなたのやることが想像を外れても、常識じゃなくても、ありのまま受け止められるのよ。愛しているって、こういうことなんだわ……そしてきっと神さまも、人間をありのままで愛しているのよ」

 ぼんやりしていた焦点が、セラに結ばれる。 


「ありがとう、わたくしを親にしてくれて」

 

 その微笑みはまるで聖母さまだった。


 





 セラは母親の理解を得た。

 ぼくには呑み込みきれなかったけど、家族が納得しているんならそれでいいんだろう。

 足取り軽く家に戻る。肉体がないくらい爪先が軽い。

 勝手口から洗い場へ向かう。ドアの隙間から、牛肉や焼ける香りと脂っぽい空気が頬に触れた。美味しそうで重い匂いだ。

 食堂に入ると、パティ姉さんが出納帳を書いていた。

「ただいま。今日の夕食は、牛の骨髄?」

「そうよ。牛肉を値切っていたら、骨髄をオマケにつけてもらったんですって」

 うちの家政婦さんは通いだから、夕食の支度が終わると帰ってしまう。

 骨髄料理も好きだけど、後始末が大変だな。

 あとルイ兄さんは骨髄料理がそれほど好きじゃないんだよな。

「ルイの現像作業が終わったら、食事にしましょう」

「うん」

 

 屋根裏への階段を昇りながら、ぼくは兄さんと姉さんのことを考える。

 ふたりにも隠し事がある。

 セラと同じくらい罪のない事情か、それとも単に入れ替わっているだけじゃなくて複雑で厄介な事情なのか。

 どんな事情でも……たとえぼくの想像が及ばない事態でも、きちんと受け入れよう。


 神さまがひとを愛するように、ぼくも家族を愛したいから。




次回更新は未定です


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