神さまがひとを愛するように 中編
摂政姫通りに踏み入れば、華やかなお店ばかり犇めいていた。
大きな硝子窓があるお店ばかりだから、色彩の華やかさが覗く。
ここだけ春爛漫だ。
コサージュ商、宝飾商、婦人靴屋に婦人帽子屋、タッセル商、香水化粧品店、パラソル専門店、扇専門店、コルセット商の前を足早に通り過ぎ………そしてやっと目的のリボン専門店。
白手袋をした店員が、扉を開いてくれる。
恭しく出迎えられたその空間には、光沢と色彩が待っていた。
壁に並ぶその何千ものリボンたちを、リボンって呼ぶにはあまりにも言葉足らずだ。
それらはリボンなんだけど、季節をひとつ封じたように豊かなんだ。
ミモザみたいなふわふわしたリボンは、春の盛り。
薔薇模様のリボンは、夏のはじまりみたい。花びらひとつひとつ厚みある刺繍で、薔薇の香りがしないのが不思議なくらいだ。
葡萄と蔦のリボンは、秋の恵みそのもの。
金と銀の小さなピコットが輝くリボンは、冬の星を縁取ったみたい。
リボンたちに出迎えられたプロンちゃんは、頬を朱に染めていた。歓喜と興奮の朱だ。
「わたしにぴったりね。お父さんもやればできるんだったら、最初からしてよ」
「お父さんはプロンちゃん以外の女の子を可愛がったことないから、最初からは難しいな」
「それもそうね」
プロンちゃんの顔が、やっと満足そうになった。
ニケル氏はプロンちゃんを婦人用の椅子へ下ろす。
「わたしに似合う幅広のリボンを持ってきて。わたしは赤が好きよ」
鼻をつんと取り澄まして、あれこれと店員に命じている。
お行儀のよい子だ。
あのくらいの齢ごろだと気に入った物に飛びつくけど、高級品店で売り物に触るのは無作法の極みだ。プロンちゃんは店員に要望を伝え、商品を持ってくるまで椅子で待っている。
白手袋をした初老の店員がサンプルを広げて、若い女性店員が鏡を持って髪との色合いを映してくれる。
紅薔薇色や柘榴色、夕焼け色や朱金に珊瑚、完璧な赤から、赤に近い紫、薔薇めいた褐色まで、彩り豊かにリボンたちが波打つ。
視線をうろうろさせていると、星座柄の幅広リボンが目に飛び込んできた。
黒に近い紺色の地に、白に近い銀糸で、星が刺繍されていた。厚手で幅広だから、室内装飾用のリボンだろう。貴族はドレスや靴にもリボンを結ぶけど、寝台やカーテンにも結ぶ。
この星座柄はかっこいいな。星座の柄っていくらあってもいい。
ぼくの部屋のカーテンを束ねたいな。
「どこにも値段が表示されていないね」
値段が書いてないのは高級店。
お金を気にせず使える人間が通う店に、値札なんていらないものな。
「カイ。あっちにさ、うちでラッピング用に仕入れているリボンと同じのがある」
アルの実家は貴族御用達の高級ショコラ店。
ラッピングだって、極上品を使っている。特に貴族が愛人に贈るショコラに結ばれているリボンなんて、そこらの宝飾より高い。
「あれは1メートル2エキュで仕入れてるやつだ」
「2エキュ? 1メートルで、使用人を二日間雇えるよ」
店員に聞こえないように、精一杯声を絞って喋る。
でも察されているかもしれない。こういう高級店に勤める店員って、敏いから。
隅っこで喋っていると、新しいお客さんが入ってきた。
可憐なお嬢さまだ。
髪は腰より長くて豊かなのに、結ったり編んだりせずに、背中へと流している。女の子って三つ編みにリボンが基本なのに、あの子は何も飾ってない。髪を自由にさせていた。
何も結ってない寝起きみたいな状態なのに、不思議と気品がある。
白い横顔が、明かりに照らされた。
陶磁器人形ほどに整った顔立ちに、青磁めいた瞳。
思わず傍らにいるアルの腕を、ぽんと叩く。
「セラじゃん」
アルの呟きに、青磁の眼差しがぼくらに向けられた。
そこにいるのは可憐なお嬢さまなのに、顔は友達のセラだった。
そっくりさん?
姉妹?
従姉妹?
でもセラって一人っ子で、母親も一人っ子って聞いた記憶がある。そっくりさんにしては顔から雰囲気まで、似すぎている。
ぼくが混乱しているうちに、アルが一歩踏み出した。
「よお! その髪型、カワイイな」
「だよねぇ、僕ってカワイイよね」
アルが褒めた途端に、誇らしげに微笑む。
この反応に、あの声……間違いない。
友人のセラだ。
どうしよう。ぼくの言葉が見つからない。僕も普通に挨拶すればいいの? 普通ってなんだっけ?
ぼくも硬直してるけど、セラも硬直していた。
「人違いです」
やたらきっぱりした言葉を突き付け、店から飛び出してしまった。
「アル。どうしよう」
「どうかしなくちゃいけないか? あいつが人違いって主張してんだから、人違いなんだろうさ。それよりお前の気に入ったリボンって、メートル売りじゃなくて、柄売りしてくれねーのかな」
「え、ああ。カーテン結うだけだし、柄売りしてくれたら買えないこともないかな」
「ニケル氏がたんまり買うなら、便乗してカイの分を柄売りしてもらえたらいいよな」
セラの事情は気がかりだけど、アルが追わないなら、見なかったことにした方がいいんだろうか。でも気になるな。幽体離脱しようかな。
上の空になっていると、再び扉が開く。
セラが戻ってきた。
何故か眉を吊り上げて。
「なんで僕を追いかけてこないの」
かなり怒った口調だけど、怒られるのは理不尽な気がする。
「逃げたのお前じゃん」
「ああいう時は追いかけるもんだよ」
ますます理不尽だな。
「俺はお前のママじゃねぇし、それやったら友達じゃなくて取り巻きだろうが」
アルが語気を強めれば、セラから怒りの空気が抜けていく。
「ごめん」
気まずそうに謝ってくれた。
「アルもカイもどうして、いつもなら絶対に近寄らないお店に来たの? プレゼント?」
「ぼくの知り合いに、カワイイお店を紹介してって言われたから」
視線をニケル氏へと投げる。
プロンちゃんと一緒にリボンを選んでいた。
「そういうことね。じゃあもう説明するから来て。特にカイは変な思い込みしそうだから怖いし」
どうして理不尽を言ってくるやつに、そんなこと言われなくちゃいけないんだと思いつつ、事情は気になる。
ぼくらはニケル氏に挨拶して、リボン専門店を出た。
色鮮やかな店内から、曇天の大通りへ。
風の吹き抜ける雑踏を歩いていく。
セラの纏っているドレスは、プチポワン刺繍の花が咲き、裾だけ紺碧のタフタだ。春の湖畔をキャンパスじゃなくてドレスに描いたらこんな感じかもしれない。
セラが不意に立ち止まると、湖畔紺碧の裾が水面っぽく揺れた。
「カイユー、アルドワーズ」
本名で呼ばれる。
これはかなり真面目な話をするから、心して聞け、茶化すな、という前フリだった。
「僕はね、カワイイのが好きなんだよね」
それは大前提として知っている。
押された念の強さに、ぼくとアルは同時に頷いた。
「可愛くなるためだったら、女の子の服も大歓迎! でも誤解しないでほしいんだよね。僕は女の子になりたいわけじゃない、可愛くなりたいんだ。カワイイを追及したらこうなったの!」
なんとなくディアモンさんを思い出した。
一流の魔術師かつ仕立て屋。心の性別は無性。ただファッションセンスに従ったらドレスになっただけで、女性を模してはいない。
「セラが可愛さを貫いたら、結果として少女服になったってこと?」
「おう、俺も分かった」
杜撰な即答だなって思ったら、セラもぼくの似たような感想になったのか、眉を吊り上げた。
「アル? ほんとに分かってる?」
「鉱石が欲しくて崖を調べてるわけじゃなくて、崖の歴史が知りたくて鉱石を調べるようなもんだろ」
言いぶりは淡々としていたけど、アルも誤解された経験があるんだろう。
大地の形成起源を知りたいという探究の前に、宝石だって砂利や小石と同じ手がかりに過ぎない。
でも大地とか惑星とかの概念が薄い人間からは、宝石探ししているって思われる。
鉱石と地学、どっちが価値があるって話じゃなくて、自分の手段が目的だと思われ、目的が手段だと勘違いされるのは嫌だろうな。
「手段と目的は取り違えねぇよ」
「分かってくれるんだ……」
青磁めいた瞳が潤む。
目の前にいるのがセラだって頭では理解しているけど、可憐な女の子に泣かれているみたいで心臓がびっくりする。
「じゃあお母さまにも伝えてくる」
「いきなり?」
ぼくは叫んじゃったし、アルは遠い目をした。
「あのね、きみたちに理解してもらえた今この瞬間が、最高に勇気が満ちているんだ。ここを逃がしたら、僕は一生、お母さまに何も伝えられないよ!」
力強く言い放つ。
立派だと思うけど、そのテンションで同級生の女の子に告白してフラれて、一か月くらい落ち込んだのは数か月前の話だよね。
今度、告白する相手は同級生じゃない。
母親だ。
一人っ子のセラは、母親だけが家族だ。
その母親に拒絶されたら、セラの気持ちはどうなっちゃうんだ。ぼくが怖くなってきた。
家族だからって、何から何まで伝えなくてもいいんじゃないか。
ぼくだって幽体離脱や闇の教団のこと伝えてない。それに兄さんと姉さんも、性別にかかわることで秘密がある。だからといってぼくは家族が大事だし、ぼくだって大事にされている。
「言う必要あんの?」
アルが素朴な疑問をぶつける。
「そうだよ、アルのいう通りだよ。内緒してても悪い事じゃないよ」
「お前のかーちゃんがどういう性格か知らねーけど、女装禁止を言い渡されたら辛くね?」
「きみたちは雨降ってから傘を買うのかな?」
唐突だったけど、なんとなく理解できた。
「きみたちに見られたんだから、近所の人とか使用人にだって目撃されるよ。それをお母さまに耳打ちされるより、僕から伝えた方がいいよね」
凛々しい口調だ。
セラって女の子の恰好をしている時の方が、勇ましくて綺麗だな。
「というわけで、ふたりとも一緒に来て」
「いいの?」
「きみたちがいてくれたら、僕の勇気は途切れないからね」




