四限目 魔導トレイン
魔導機関車のチケットと、国外へ行くための旅券。
このふたつはエランさんが抑えてくれた。
交通費や手数料は教授持ち。
初日の予定は始発の機関車で、バギエ公国に入国。蔵書狂エキュム・ド・メールのお屋敷で一泊、翌日は追悼ミサで大叔母さまのうちに泊まる。次の早朝に帰宅。
当然、首を傾げたのはパティ姉さんだ。
「大変よくしてもらっているわね。推薦してもらうだけじゃなくて、書物まで頂いて、旅費からなにまで用立ててもらって……」
「書物をくれたのは、モリオン氏だよ。教授の甥御さんの」
ぼくは『甥御さん』って単語に、力を込める。
「教授のお使いもあるんだから、交通費は出してくれるよ」
「そうだけど、なんだか逆に怖いのよ。最初は簡単なお使いを頼んでおいて、そのうち憚ることを頼まれるんじゃないかしら?」
「悪事の片棒とか?」
「ええ、そういうことも含むわね」
姉さんは口を濁らせる。こめかみに溜息でも詰まっているように、頭と口ぶりが重たげだった。
いつも不安要素を引っ張りだしてくる。
正直、たまに面倒だと思うけど、短所じゃない。
そうやって細かく気を回してくれるから接客はうまくいくんだろうし、経理だって丁寧だから税務所から呼び出しもない。水道とか屋根が水漏れや雨漏りする前に異変に気付いて、修理屋を呼んで点検してもらっている。下水の虫退治とか排水のつまりも、小さなうちに対処していく。
今も不安が残っているのに、反対もせず、ぼくの旅支度を手伝ってくれる。
「カイユー。もし教授に無理難題を突き付けられたら、どんなことがあっても断るのよ。断れなかったら逃げて。それであたしやルイに迷惑かかるなんて思ったら、それこそ水臭いわ」
姉さんは心配性だな。
教授がどんなに素晴らしい方なのか、お会いしてないから……
いや、会ったら会ったで、余計に不安がる。
教授は魔王教授だから。
「心配性だな」
その声はぼくの口からではなくて、ルイ兄さんが発したものだった。
兄さんの手には、真っ黒のリボンタイ。喪服用が見つかったんだ。
ふらふらしながら、ぼくの横に座る。
「光属性で高魔力の人材は、現在の流布している技術では発掘しにくい。たとえ学力的に伸びなくても、将来的に雑用係……研究助手として雇う算段なのかもな」
雑用って言いかけて、訂正した。
そういう腹づもりなんだろうか。
ぼくは教授が闇の教団討伐しているの知っている。秘密を知っている相手なら、雑用係として雇うにはちょうどいいのかもしれない。
星の彼方に届かなくても、教授の隣なら釣り合う気がした。
出発当日。まだ薄暗い中、家を出発する。
辻馬車で国際駅へ。
改札で予約したチケットと旅券を広げて、国際線へ向かう。
昨晩、星幽体で道順を確認しておいたから、遠いのは知っていたけど、トランクを提げて歩くと疲れるな。大人用の立派なトランクは重い。
国際線の乗降場の手前には、広々とした待合室があった。弧を描く天窓から黎明が差し込み、居心地良さそうなひじ掛けたちには、ほこりひとつない。
朝が明けたばかりだからなのか、神秘的だな。
カウンターでチケットを提出して、ピクニックバスケットを受け取る。エランさんはランチ付き特別二等車のチケットを手配してくれたから、昼の心配はしなくていい。
どんなランチなのか覗きたいけど、ここでそんな行儀の悪い振る舞いは出来ない。
赤帽子を呼んで、ぼくのトランクとバスケットを持ってもらう。
駅の待合室を抜けて降車場に行けば、そこは機関車の厩だった。
まだ朝もや漂っている時刻なのに、構内には数えきれないほどの旅行客がいる。車掌や赤帽子たちは慌ただしそうに行き来していた。
でもどんなに人間が大勢いても、機関車というくろがねの巨体の前では頼りない。
でっかい荷馬車が構内に入ってきた。
馬も生命力と強靭さの塊だ。機関車に圧倒されてないけど、不機嫌そうに嘶いている。音がうるさいのかもしれない。あるいは鉄の匂いが嫌なのかも。
荷馬車に赤帽子たちが駆け寄ってきて、馬を外す。【浮遊】によって、荷馬車ごと貨物車へ積み込んでいった。
今まで荷馬車で運んでいた荷物を、こうやって大量、かつ迅速に運んでいるんだ。輸送費が減ったことで世界の物価は下がり、貧しい人たちにも衣食が行き渡るようになった。
まさに現代の血管だ。
これを動かす魔導駆動機を発明したスティビンヌさんは、偉大だな……
ゴーレムの肉体を持った稀代の天才魔導発明家。
リチェスも今頃、ゴーレムの肉体を貰っているんだろうか。
スティビンヌさんとリチェスを思い出していると、すぐ横を厳めしい集団が通っていった。
翼めいたケープを纏った魔術師の一団だ。肩で風を切り闊歩する。
銀の翼の紋章は、航空魔術師だ。
機関車と並んで【飛翔】して、魔獣から守ったり、事故を防いだり、火災や脱線が起こった時の緊急手配をする魔術師だ。かっこいい。
憧れの魔術職業のひとつだもんな。実際に見ると威風堂々として、憧れるのが分かる。
でも物珍しさにきょろきょろしてばかりはいられない。
ぼくの乗車する機関車を探さないと。
構内は星幽体になって把握してきたし、予約したチケットの数字も暗記してきた。数字を覚えるのは得意だ。
人込みに流されそうになったけど、赤帽子の人が庇ってくれ、なんとか辿り着けた。
一等車は貴族が乗り、特別二等車は弁護士とか医者とかそこそこの階級が乗る。二等車はぼくたちの階級で、三等車は労働者階級用だ。ほとんど貨物扱いらしい。
車体に金文字で綴られた数字を確認してから、車掌に予約したチケットを提示する。
よし、無事に車両に辿り着けた。
トランクとバスケットを運んでくれた赤帽子さんに心づけを渡して、やっと一息付ける。
馬車の車体より、少しだけ広い。緑のベルベットが敷かれた席があり、席の下にはトランク置き、頭上には網棚があった。
昔の機関車は馬車の車体を繋いでいるだけだったから、席に入ったら行き来できなかったけど、殺人事件が起こってからは細い通路が脇に備わり、車掌が巡回しているそうだ。
いろいろ観察していると、警笛が高らかに鳴る。
さて、ここから約九時間の旅だ。
くろがねの機関車は魔導駆動機の振動を放ち、幾多にも連なる車両を曳いて突き進む。
馬車よりずっとずっと早いスピードだ。
硝子越しの風景が流れていくのを、ぼくはずっと見つめていた。
まったく平穏無事な旅だった。
たまに星幽体で顔を出して、風景を楽しむ。
でもいちばん楽しみなのは、お昼ご飯。
ピクニックバスケットの中身は、林檎タルト一切れと、骨付き鶏肉のフライ。チーズのエクレアだった。添えにクルミ入りのキャロットラペ。あとは瓶詰めのアップルサイダー。
お昼まで我慢しきれず、タルトを齧る。
このりんごタルト、豚肉が入ってる。この柔らかい食感は豚フィレ肉だ。赤ワインで煮込んだ林檎がソース代わりになって、豚フィレ肉に絡みついている。冷めているのに味がしっかりしてて美味しい。
鶏肉のフライも、オレンジとレモンでマリオネードしてある。すりおろしオレンジの皮が入っているから、フレッシュな香りが口の中で弾けた。
塩系のエクレアは、蕩けそうに香ばしいチーズ。中にピスタチオが入っていた。
平らげてしまってから、不安になる。
だって美味し過ぎる。
これは本当に二等車のピクニックバスケットなんだろうか。一等車のピクニックバスケットと間違えているんじゃないか。貴族向けっぽい気がする。
不安に駆られて、星幽体を飛ばす。
隣の車両を覗いてみた。
おっと。
ぼくは慌てて首を引っこめる。
だって隣の乗客は魔術師だった。
乗客は髪の毛が半分くらい白髪になっている中年男性で、外套にはやたらめったら呪符を付けている。しかも全部、信じられないくらいの大粒だった。
こんなに大量かつ大粒のダイヤモンドやエメラルドを目の当たりにすると、世界に宝石が有り余っているんじゃないかって勘違いしそうになる。
「そう侮るな。我は、かの名高き『幽霊喰い』と一対一で戦った経験もあるのだ」
魔術師は含み笑いで語る。
語りかけている相手はぼくではなく、向かい側に座っている冒険者だった。
やたら派手な赤橙の髪だ。無精ひげも赤橙だから染めてはいない。
着こんでいるのは、いかにも冒険者が愛用している皮なめしの胴着に、年季の入った編み上げブーツ。でも襟元や爪が清潔だから、お金に余裕があるんだろう。
傍らに剣が二振り。魔導機関車内では武器を抜けないように、鞘と柄が縛られて、駅の刻印が入った封蝋が付けられている。
武器が規制されて、呪符が規制されていないの不思議だな。
「つか、ベテラン冒険者じゃ、六割くらいあの女に叩きのめされた経験あるでしょう。いや、六割は言い過ぎだな、五割かそこらか」
「我は叩きのめされてなど……」
「じゃあウクラズさんはどうやって倒されたんですか?」
「それはそれは熾烈な戦いだ。我が傷に耐えて、果敢にも攻撃呪文を唱えんとしたまさにその時、卑怯にも後ろから加勢が訪れてな。それさえなくば我は『幽霊喰い』に勝利を収めていたに違いない」
「へーぇ」
冒険者は胡散臭そうに眺めている。
「嘘ではない。『爆炎』や『火炙り』の如く見た目も声も空恐ろしい相手なら、我も委縮してしまう。呪文も唱えられない。だが『幽霊喰い』は違う」
「『幽霊喰い』は見た目だけは可憐そのものですからねぇ」
「そうだ。ゆえに我も万全の力を奮えた」
……凄まじく情けないな、この白髪の魔術師。
怖くない外見だから戦えましたって、恥ずかしげもなく言えるの逆に凄いな。
一流の冒険者って、周囲から通り名が付けられるらしい。『爆炎』とか『火炙り』とか『幽霊喰い』とか。
この魔術師はさっき名前で呼ばれていたから、一流じゃないんだな。
しかし『爆炎』とか『火炙り』なら火属性得意そうだなって思うけど、『幽霊喰い』ってどこをどうしたらそんな通り名を付けられるんだ?
「んじゃまあ、その話は食事しながら、ゆっくりとお聞きしますよ」
ふたりはバスケットを開く。
ぼくと同じランチだな。
ってことは間違って配られたわけじゃないんだ。
ほっとした。
星幽体で機関車の外に飛び出せば、キラキラ輝く水平線が広がっていた。
いつの間にか海に近づいていたんだ。
「海だ……」
人魚が歌い、ザラタン亀が漂い、カリュブデスが降りてきてふたたび宇宙を目指す大海原。
列車の周りには航空魔術師が付き添って、護衛していた。その魔術師たちの目にも止まらないように、線路の先へと飛ぶ。
駅前にはマルシェが広がって、活気づいていた。
赤毛で大柄で色黒な人ばっかりだ。ぼくみたいに赤さび色、あとは小鹿色、蚤色、林檎色、煉瓦色、雄牛みたいな赤毛の人もいる。ありとあらゆる赤毛が集まっている。
それにみんな肌の色が濃い。半分くらい蜂蜜色や赤銅色の膚だ。
マルシェのせいでけっこう混雑しているな。違法なんじゃないかってくらい道にはみ出した屋台と、人込み。それに荒っぽい雰囲気だ。
人通りが少ない順路が安全かな。
それとも大通りを強引に抜けていくか。
路地に紛れたりすると大変だし、大通りを頑張るか。
駅から乗合馬車の停留所までの道順を確認。
あ、乗合馬車が黄色い。
待合所には時刻表がない。しかも立ち飲み居酒屋が、マグカップでお酒を供していた。バギエ公国って公共の乗り物の近くで、お酒を出していいんだ。
姉さんが不安がるのもよく分かる。
駅前なのに我楽多街っぽい。
順路は覚えたけど、マルシェの混雑っぷりは強敵そうだった。
国境駅での小休止と旅券の手続き。
そのあと昼寝すれば、線路は終わりに近づいていた。
乗降場からカウンターに急ぎ、ピクニックバスケットを返却して、駅から飛び出す。前もって見ておいたから、スムーズに行けるはずだ。
円やかな空気に包まれる。
途端に、ぼくの脚が止まる。
「あったかい……」
バギエ公国はもう春なんだ。
星幽体だけだと気づかなかった。
潮風が吹く。
にんにくとお魚が入り交ざった空気と、遠く彼方の水平線から運ばれた潮の匂い。それから帆船や荷揚げの木箱、エクラン王国には無いものの匂いが混ざって、ぼくの鼻先を掠めて通り過ぎていく。
あ……
これ、おじいちゃんの匂いだ。
おじいちゃんの故郷から、おじいちゃんの匂いがする。
元気だった頃に手を繋ぐと、微かにこんな空気を醸していた。変な匂いだと思ったけど、嫌な臭いじゃなかった。おじいちゃんがいてくれるみたいだ。
ぼくの両手は握り拳になる。
もう握ってくれるおじいちゃんはいないけど、かさかさした皮膚の感触が蘇ってきた。
「バギエ公国に来たんだ」
ぼくの声は震えていた。
心臓の鼓動に震わされているのは、喉だけじゃない。指先や眼球も震えている。涙が溢れそうだ。
記憶が刻まれるのは心だけじゃない。身体にも残っているんだ。
「肉体があるって…すごいことなんだね、リチェス」
ここにはいない女の子に呼びかける。
今、自分の肉体がある。
それって奇蹟なんだ。




