第六話 (中編) タイムアタックは好きじゃない
狙撃時に詠唱が聞こえなかった。
それほど遠くからの狙撃? 風属性の【飛礫】にしては射程範囲が広すぎるし、そもそも魔術の気配を感じ取れなかった。わたしが攻撃魔術の構築を察知できなかったのがおかしい。
どんな魔術か気がかりだ。
とにかく窓を閉めよ。
火かき棒で押したりして木戸を閉めると、上部の硝子部分を狙撃された。
分厚い硝子が飛び散る。
破片の届かない場所まで下がった。
「やっぱ詠唱が聞こえなかったな……?」
オンブルさんはすでに、入口の扉を洗面机や椅子で塞いでいる。塞ぐや否やテーブルの上の資料をまとめ上げて、キッチンオーブンに突っ込んで隠滅する。素早いな。
クワルツさんは動いていない。テーブルの下でまだ縮こまっていた。
眼鏡を外した横顔は、反故紙みたいにしわくちゃで青白い。
「狙撃、当たったんですか?」
荒々しい息を吐いた後、首を横に振る。水晶色の前髪は、汗ばんだ額に張り付いていた。
「クワルトス。予知で、私が死ぬのを見たのか?」
問いかけに、クワルツさんは頷いた。
冬の朝なのに、彼の顎からぽだりと大粒の汗が垂れる。
「また過呼吸になる。ゆっくりだ。ゆっくり息を吐いて。私は生きている。ここにいる。だからゆっくりでいい」
小さな子供をなだめる様に、オンブルさんは縮こまって震えるクワルツさんの背中を撫でる。テーブルの下に繰り返されるクワルツさんの呼吸。
静かだ。
朝の活気ある時間なのに、表通りから騒めきが消え去っていた。
ひょっとして完全に包囲されている?
「……外に騎士と兵士が集まっている。エクラン王国騎士団の紋章だ」
色素が欠けた瞳が、どこか遠くへ焦点を合わせている。
「それは遠視ですか?」
「分からん。これが十五分後の未来なのか、十五メートル先の現在なのか吾輩には判断つかん」
魔法はここが不自由だ。
細分化が難しい。
「どうして隠れ家が分かったんだ?」
オンブルさんが顎髭を掻きながら呟く。
「占い師だ。吾輩を卜するとは半信半疑だったが、ほんとうに占えるのだな」
占い婆さまの讖が水先案内人になって、ラピス・ラジュリさんやロックさんが図書迷宮前まで導いたのだ。
彼女の目的はわたしだったみたいだけど、ロックさんはクワルツさんの賞金3000エキュがお目当てだっただろう。
「賞金稼ぎが騎士団に通報したのか?」
破格の賞金は手に入らないけど、騎士団から報奨金は手に入る。
脳裏に、ロックさんの笑顔が浮かぶ。
あいつが通報したんかな……
ジンジャーミルクティーを飲み干して、食器を手早く片付ける。なるべく痕跡は残したくない。
「オンブルさんはどちらが背負いますか? 一角獣の脚の方が早いので、宜しければわたしが」
一角獣になれば、強行突破は簡単だ。
だけど、また戻れるのか?
人間に戻るために、喰い殺されないと駄目だったら面倒だぞ。
「その案は駄目だ」
クワルツさんが声を上げた。
労働者めいた服を脱いで、怪盗装束になる。そして水晶の髪に映える黒仮面を装備した。
背筋を伸ばした怪盗姿に、さっきまでの弱さは一切無い。
「ミヌレくん。申し出は感謝するが、オンブルの姿を衆目に晒すのは避けたい。吾輩より特徴的な容姿だ。手配される」
確かにオンブルさんの容姿は、手配書に書きやすい。
特に濃い褐色膚。
北方沿岸諸国の民族の膚は、エクラン王国では目立つ。
「オンブルのエスコートを最優先にしたい。こいつが捕まったら【読心】で洗いざらいになるからな」
「私は護符さえ作れないほど魔力が無いんだ」
MP一桁か。
そりゃ闇魔術かけ放題だな。
「吾輩が打って出る」
決意は一拍遅かった。
すでに廊下の階段からは、重低音の駆け足が迫ってきていた。
鎧を装備した男たちの足音だ。
「心配無用。第一陣を吾輩が片付け、他の目を引き付ける。ミヌレくんたちは物置に。折を見て脱出してくれ」
部屋の片隅には、大きな素焼きのポプリポット。クワルツさんはそれをどかして、古びた敷物をめくる。
床には小さな木戸が隠れていた。
一瞬、床下収納庫かと思ったけど、この部屋は三階だよな。
「二階の部屋につながっている。ここは怪盗の隠れ家。この程度の仕掛けのひとつやふたつあるのだよ」
「おまえが趣味で造ったやつが役に立つとはな」
「寄木からくりの要領で、ある一定の手順で板をずらさないと開かない仕組みだ。浪漫だろう!」
「大工仕事もお得意なんですね」
「吾輩、冬は毎年、家のどっか修理してるからな。納屋とか垣根とか」
板をずらして戸を開く。
そういや真下の部屋も、別の偽名で借りてるって言ってたな。なるほど。
わたしはオンブルさんと一緒に、縄梯子で降りていく。
「よく考えたら、これって勝手に改装したんですか?」
縄梯子を降りながら問う。
「【静寂】の呪符さえあれば物音は立たないから、バレないよ。以前、クワルトスに呪符を作らせた。あいつ呪文詠唱がまどろっこしいとか言って、魔術は嫌うけどね」
いや、そうじゃなくて賃貸を勝手に改装したらまずいのでは?
言おうとしたら、埃っぽさにくしゃみしそうになった。こっちの部屋はあまり使っていないのか、埃で鼻がむず痒くなる。
安普請の隙間から差し込む日光に透けて、微細な埃が浮遊していた。そのいくつもの日差しの筋の向こうに、何かたくさんある。
「財宝っ!」
とんでもない財宝たちだ。どれもこれも美術展の目玉になりそうなレベル。
エメラルドの柄を持つ異国の短剣。
柄飾りじゃないのよ。握る柄そのものがエメラルドだ。こんなに大きなエメラルド、わたし初めてお目にかかった。実技担当のシトリンヌだって持ってないんじゃないか、こんな大粒かつ濃い逸品。
濃い緑の内部深くには、亀裂と気泡が秘められている。エメラルドって傷があるのは当然だけど、これは翼のかたちをしていた。小鳥が封じられているような幻想的な傷だった。
その隣には、ルビーの首飾り。
ルビーは燃え盛る煌めきなのに、内側から雫が滴りそうなほど瑞々しい色。
それから豪奢に織られた布。盾形で珍しい布だ。象牙色の地に金銀の撚糸で、ヒヤシンスの花束紋が織りだされている。
東方大陸から舶来した陶器の大皿。複雑に花が絡み合う絵だ。遥か彼方の異国の絵付けは、網膜に焼き付くほどの極彩色だった。色のひとつひとつに深みがあって、それが陶磁器の繊細な透明感に華を添えている。
作り付けの棚には漆鞣しの古書に、古代の銀貨や金貨。鹿骨や黒曜石の矢じり。壁には大きな絵画が数点、掛けられていた。光が届かないところだから分からないけど、たぶん名画だろう。
すごい。
「この世界観がいいですね! ひとつひとつの美術品的価値や歴史的背景もさることながら、怪盗が盗んできた品という物語性に富んでいる。月夜御伽噺の世界ですよ………けぶっ!」
口が何かで塞がれた。
これサシェだ。
びっくりしたけど、すごく落ち着く匂いがする。檜のチップとラヴェンダーだ。
しばらくして、口からサシェが離れた。
「すまない。クワルトスが騒ぎ出したときと同じ対処では、乱暴だったな」
「いえ、切羽詰まっているのに騒いで申し訳ありません」
というか、クワルツさんが騒いじゃいけないところで騒ぐと、こういう対処してるんだ、オンブルさん……
「でも埃まみれなのは可哀想ですね」
宝石類も可哀想だし、絵画や布地はもっと可哀想だ。
埃と蜘蛛の巣がべっとり絡んでいる。ハタキじゃどうしようもならないな。清掃するなら専門家の助けが必要だ。
ちょっとばかり非難の色を醸してしまったわたしの声に、オンブルさんはため息をついた。
「クワルトスは「盗み逃げ果せた時点で、事象は完結している」って言って、美術品にはもう拘泥しないからね」
つまり盗るのが楽しいだけで、これらは要らんってことか。
クレーンゲームのぬいぐるみかよ。
「これ、わたしが貰っていいですか?」
「今はそういう事態じゃないよ」
頭上の階では、すでに戦闘が始まっている。
天井の梁が軋んで、埃が舞い落ちてきた。
「そういう事態ですよ。ご存じでしょう? わたしは正規の教育を受けている魔術師ですよ」
胸を張る。
「まだ一年生だけど、実技はそれなりに得意です」
「呪符か」
わたしは頷く。
これほどの財宝があれば、呪符のひとつくらい作れるはずだ。
もしかしたら呪符を作る以外に最適手段があるかもしれない。二人がかりで騎士か兵士を倒すとか、この財宝で賄賂するとか。たぶん色々。
でも、こんな財宝の山を見ちゃったら、作りたいじゃないか。
新しい呪符を!




